パーティー‐1
ふと考えると、こちらに来てから椿は随分と規則正しい生活を送っていた。
夜更けまで起きていたことはただの一度もない。
あちらにいた時はそれが当たり前だったのに、なんとも不思議な気分だ。
そうしなくても居場所がある。
理由はなんであれ、黒姫という立場が椿の居場所を作り上げていた。
心地いい。
今では隠すことなくそう思えた。
もちろん口に出すことはないが。
「椿、少しいいか」
そうエルザイヌに呼び出されたのが、つい一時間前のこと。
前は飛び出したエルザイヌの職務室に、今はなんの警戒心もなくソファーに身を沈めている。
当の呼び出したエルザイヌは、椿に「少し待っててもらえるか」と告げ、机上の書類を片付けていた。
すぐに怒りだすだろうと思っていた椿は、時が来るまで大人しくそこに座っていた。
エルザイヌが不思議そうに椿を盗み見ると、思いに耽ったような椿がいる。
怒りだせば仕事を中断しようと思っていたが、それを待っていたら陽が暮れそうだと感じ、エルザイヌはペンを置いた。
そのまま椿の向かい側のソファーに座ると、椿はぱっと思考を切り替えてエルザイヌと対峙した。
「もういいの?」
「取り敢えずは」
椿は興味がなさそうに「ふーん」と声を出した。
実際、エルザイヌの仕事に興味はない。
あるとすればエルザイヌ自身についてのことだが、椿は素直にそんなことを言える性格ではない。
「……で、なんか用事なんでしょ?」
「あぁ。椿はまだしばらくこちらに居ることを見越して、城で夜会を開くことになったんだ。それで……」
「ちょ、ちょっと待った。今、なんて?」
聞き慣れない名詞だったが、まったく知らない名詞でもなかった。
が、分かるからこそ慌てるのだが。
そんな椿をエルザイヌは不思議そうに見返した。
エルザイヌ自身はおかしなことを言った自覚は何もなかったし、思い返してみても特におかしな点は思いつかない。
「まだしばらくこちらに居ることを見越して?だって椿……」
「そこじゃない。いや、そこも問題と言えば問題だけど……。その後」
「……もしかして、夜会?」
椿は聞きたくなかったと言わんばかりに顔を歪めた。
聞いたのは自分の方であるというのに、勝手な反応だという自覚は少なからずある。
しかし夜会といえば、それはつまり……
「パーティーってこと……」
「あぁ、そうとも言うね」
エルザイヌには気にした様子もなくさらりと答えた。
椿は頭を抱えたくなった。
実際椿は両手で頭を抱え込み、エルザイヌは更に首を傾げるしかない。
そこでエルザイヌは何か閃いたように「あぁ」と声を上げ、にっこりと椿に微笑み掛けた。
「パーティーの作法のことなら心配いらない。俺がとっておきの先生をお呼びしておいた」
「作法なんてどうでも……、え、なに?先生?」
「あぁ。少し厳しいが、頭の良い真面目な方だ。俺も昔は世話になった方だから信用も置けるし、問題ないだろう?」
「どこがよ!問題だらけじゃない!」
いつの間にか、いつも通りの椿がエルザイヌの前にいた。
パーティーというものの椿の知識は映画によるものだ。
煌びやかな広いホール。
ヒラヒラの歩きにくそうなドレスに、こてこてと重そうな髪型の淑女たち。
タキシードに身を包んだ紳士にエスコートされながらのダンス。
うふふ、おほほ、と会話をするイメージが椿の頭を占めている。
考えただけで耐えられそうにもない。
「無理!死んでも無理!」
椿は叫ぶだけ叫び、ため息を落とした。
どうあってもエルザイヌは椿を放っておく気はないらしい。
ならばもう少しでもお手柔らかに願いたいものだ、と椿は恨めしそうにエルザイヌを睨み付けるのだった。
〇〇*〇〇
椿のダスティニーニでのもっぱらの服装は、こちらに来た時の紺の制服か、こちらでの軽装とされる丈が長めのワンピースだった。
そのワンピースを着ることに抵抗はあったが、毎日制服を着ることも憚られたため今に至っている。
しかし今はどうだ。
「ダメよ、そんな色のドレス。椿様にはお似合いにならないわ」
「あら、どうして?黒姫様には黒のドレスが一番じゃない」
「黒姫様だからって黒が似合うとわ限らないわよ。椿様にはやっぱり桃色のドレスが一番だわ」
「いいえ。絶対黒!」
「桃色!」
椿の部屋の中ではヒスと、また新しく黒姫付きの侍女となったアーニャの言い合いが始まっていた。
桃色を推すのがヒス、黒を推すのがアーニャである。
椿はげっそりした様子でそれをソファーから見つめた。
ドレスなど椿にとってはどうでもよくて、むしろ着たいとも思えなかった。
もちろん椿も年頃の娘なためドレスに対する憧れのような感情はあるのだが、これから会う作法の先生への憂鬱の方が何倍も大きい。
椿は知らずの内にため息を落とした。
「どうしたの?ため息なんかしちゃって。幸せが逃げちゃうよ」
隣からのスローレットの言葉に、椿はじっとりとした目を返した。
それはもう睨んでいるに近い目つきである。
「幸せなんか当の昔に無いけど。でなきゃこんなとこいないしね」
その椿の言葉を聞いたスローレットのなんと悲しい顔のことか。
椿でさえも言葉に詰まるものがある。
これだから美形は困る、と心の中だけで悪態をついた。
「椿はこちらに来て不幸だったの?僕と出会えたことは椿にとっては何でもないこと?」
「い、いや……。そういうことじゃなくてさ……」
「そういうことじゃなくて?」
スローレットはしどろもどろな椿を、まだ追い込む。
椿が更にオドオドすることをよく知っているからする行動なのだ。
しかしそうとは知らない椿は、案の定更にオドオドする。
「こ、こっちでのあたしの役目っていうか……、ねぇ」
言葉を何とかして濁そうとする椿に笑いそうになるが、なんとかこらえてスローレットは首を小さく傾けた。
ここで吹き出すのはまだ早い。
「じゃあ、僕と会ったことは?」
「えっと……。不幸中の幸い、かな?」
「不幸中の幸い?」
「むっさい男集団の中の美青年を見つけた感覚みたいな、銀杏だらけのとこに消臭力見つけた感覚みたいな。そんなかんじ」
椿が言ってることの半分も理解できなかったスローレットだが、その一生懸命な説明にいよいよ笑みが零れ始めた。
フォローされていたのだろうことは薄々理解もできたし。
「かわいいね、椿は」
「は?」
突然ケロッとした物言いをしたスローレットに対し、椿はすっとんきょうな声を上げた。
そこでやっとスローレットが芝居をしていたことに気付いた。
慌てた分怒りも大きい。
「スロー、あんたねぇ!人をからかうのも大概にしなさいよね!」
「だって椿がかわいいんだもん。仕方ないでしょ?」「かわっ……!」
スローレットの口から何度となく椿に向けられる単語であるが、やはり慣れることはない。
一発叩けばおとなしくなるのでは?という少々荒々しい考えも浮かびはするが、こんな美形を叩けるほどの度胸が椿にはなかった。
けっきょくは深いため息をして、諦めるしか道はないのだった。
「もう……。仕方ないってなに……。訳わかんない」
「椿様、こちらのドレスをご試着願えますか?」
ヒスからの言葉と共に渡されたのは、何がどうなったのか純白のドレスであった。
もはや椿に突っ込む余裕すらない。
隣では「椿に似合いそうだね」と意気揚々としたようなスローレットの声がするが、こちらも放っておいた。
自分を放っておいてくれないのは、何もエルザイヌだけではない。
その弟もその侍女たちも同じなのだ。
「あたしに安息の地なんかないんだ……」
誰も自分を放っておかないということは、今までないことで疲れはする。
しかし同時に胸の辺りが暖かいのも事実だ。
嬉しいのかもしれない。
自分はこれを望んでいたのかもしれない。
椿の中では確実に変化が起きていた。
「あー、ダッチェスだけどぉ!入っていいか?」
扉の向こうの声の主もまた、椿を放っておかない一人である。
(あぁ、でもやっぱ、疲れるんですけど……)
ため息は椿の口から自然と出た。
遅い投稿誠に申し訳ありませんでした。
もうグダグダですね。
これからの展開に期待します。
椿ちゃんたちがんばれー!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。