なんで、捨てると思った?
安定のなんでシリーズ。今回もハッピーエンド。
長編作成に詰まった時の息抜き……さらっと読めます。
君は私の7歳の頃からの大切な婚約者。
幼い頃は婚約の意味なんてわからなくて、親に言われるままに交流を重ねてきた。
激しさとは皆無な君との関係。でも、穏やかに育んできた気持ちが確かにある。
積み重ね、育て上げたそれは、燃え上がるような激しい恋情にも、決して劣らない。
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「彼を解放してあげてください!」
今日は私が通う王立学園の卒業式。
式典が終わり、学園の庭園で行われるパーティ会場に移動中のことだった。
彼女は私と目が合うや否や、一目散に早歩きで詰め寄り、周囲の目も憚らず私に声を張り上げた。
私はニコライザ伯爵家の娘で、名前はステイシー。
私に声を張り上げた彼女は、ショットクォッド侯爵家の娘、マリン様だ。
彼女とはクラスも別であまり面識は無いけど、私に突っかかってくる理由は思い当たる節がある。
それは私の婚約者のことだ。
「『彼』、とは誰のことでしょうか?」
「とぼけないで!ディルク様のことよ!」
彼女の意図に気付いていながらも、敢えてとぼけてみせれば、先程よりも声を荒げて食って掛かってきた。
貞淑さをよしとする淑女としての姿も何もあったものじゃない。
ディルクとは私の婚約者で、ハーマシー侯爵家の子息だ。
魔術と錬成術に優れた我が家と、国防の要を担うハーマシー家の繋がりを強固にするための政略的な婚約だけど、5歳の頃から短くない年月を婚約者として過ごし、私は彼への気持ちを積み重ねて確かに彼を慕っている。
でも、彼が私をどう思っているのかはわからない。
彼が学園に入る前は頻繁に交流を重ねていた。けれど、学園に入ってからは、彼と同学年に在籍していらした王太子殿下の側近候補に抜擢され、忙殺されているのか交流の機会はほぼ無くなり、手紙の返事も徐々に減っていった。
そして、2年遅れて私が入学した後、少しは彼との時間を取れるかと期待していた私の浅はかな考えは、見事に打ち砕かれた。
いや、時間が取れないだけならまだいい。
彼の私に対する態度が、よそよそしく冷たくなっていた。
何が原因か知りたくて彼に聞いても、はぐらかされてしまう。
同時に彼は多くの女性にいつも囲まれていた。
長身に逞しく引き締まった体躯、整った顔、侯爵家の跡取りで王太子殿下の側近候補とくれば、世の女性たちが放っておくはずもない。
「ちょっと、聞いてるの!?」
私としたことが、過去を振り返っていて彼女の声が全く耳に入っていなかった。
気付かぬ間に結構、言い募っていたらしく、顔は紅潮して息が荒くなっている。
「申し訳ありません。よく……いえ、全く聞いておりませんでした。それと、淑女たる者、もう少し慎み深くあるべきかと」
「何ですって!」
私の言葉を聞いたマリン様は、余計に興奮してしまったようだ。
一応、彼女の淑女としての品位を守るための助言だったのだけど、どうやら逆効果になってしまった。
鼻息荒く私を睨みつける彼女をどうすれば宥められるか思案していると、マリン様は大きく息を吐いた。
それで幾分か気持ちを落ち着けたようだけど、私に向ける視線は相変わらず鋭い。
「まあいいわ。とにかくディルク様との婚約を解消して頂戴」
何がいいのかはわからないけど、マリン様の要求は私の一存で決められる範疇を超えているのは確かだ。
静かに息を大きく吸い込み、背筋を伸ばしてお腹に力を入れる。
「私とディルク様の婚約は家同士の契約。ですので、マリン様のご希望には沿えません。どうしてもと仰るのでしたら、両家の当主にお話しくださいませ」
しかも、この婚約は明確にでこそないけど、王家の意思もある。
それだけによほどのことが無い限り、この婚約が反故になることは無い。
例え――
「何よ、使えないわね!愛されてもいない癖に!」
――そう……私が彼に愛されていないとしても
「何の騒ぎだ?」
私とマリン様とは離れた場所から、よく通る声が聞こえてくる。
今の今まで気付かなかったけど、私たちはかなり目立っていたようで遠巻きに人だかりができていた。
声のした方に目を向ければ、自然と人の壁が割れていく。
割れた人垣から姿を現したのは、王太子殿下と護衛、その中には私の婚約者、ディルクがいた。
「私は、何の騒ぎだ、と問うたはずだが?」
思わぬ大物の登場に呆気に取られて臣下の礼を取ったまま動くこともできず、あの時の言葉が単に口をついて出た疑問なのではなく、私たちに向けての問いだとは気付かなかった。
緊張から心臓の鼓動が早くなるのを感じながらも、平静を装い殿下の問いに答えようと口を開こうとした時、「殿下! どうかお聞きください!」と、私の横で同じように頭を下げていたマリン様が弾かれたように顔を上げた。
「ニコライザ嬢は私に数々の嫌がらせをしてきました! 『私の婚約者に近づくな』と。時に詰られ、時に持ち物を壊され、時に頬を張られ、私、私……」
マリン様はつい先ほどまで私を睨みつけていた姿とは打って変わって、目に涙を浮かべ、声を震わし、さもいじらしい令嬢といった雰囲気を醸し出されている。
そのあまりの変わり身の早さに、私は言葉も出ず、ただただ無言で彼女を見ることしかできない。
「殿下、発言をよろしいですか?」
私の耳にお慕いする方の声が届いた。
―――――――――――――――
――私の婚約者は驚いた顔も可愛いな。
無礼極まりない女の不快な言動に思わず、眉が寄ってしまう。
こういう時は愛しい彼女の姿を見るに限る。
私の婚約者であるステイシーは可愛い。とにかく可愛い。
姿形も、仕草も、声も、何もかもが私の心を掻き乱して止まない。
初めは妹のように思っていたが、婚約者としての交流は重ねていた。
しかし、私が先に学園に入り、王太子の危機を救ったことで、彼に気に入られ、なし崩し的に護衛兼側近候補として忙殺される毎日により、ステイシーに会うどころか、実家にも帰れなかった。
そうした忙しない日々を送っていると、ついに彼女が入学してきた。
久しぶりに見る彼女はまさに天使だった。
女性らしく成長した彼女の姿に、私は彼女への想いが溢れ出んばかりに湧き、それを必死に抑え込む。そうしなければ、一線を越えてしまいそうだったのだ。
それに私は殿下の護衛でもあるため、ややもすると、彼女に危害が及ぶかもしれない。
そのため、私は彼女との接触を可能な限り避け、話しかけられても感情を表に出さないように努めた。
私が素っ気ない態度をするたび、寂しそうなステイシーの表情が私の胸を締め付ける。
本当は今すぐ抱きしめたい。綺麗な髪に触れたい。柔らかそうな唇に口付けたい。
私は我慢した。
ステイシーと私が婚約関係にあることは、周囲に知られている。
それでも、冷めた仲の婚約者と映っているなら、彼女が人質に取られる可能性は低い。
自分の願望も欲望も、すべて押し殺して。
だからこそ、我慢ならなかった。
私に擦り寄るハイエナのような女の戯言で、私の大切なステイシーが辱められるのは。
私が殿下に発言の許可を求めれば、殿下は快く許可を下さった。
私は2人に、というよりステイシーに近付き、鋭く女を見据える。
女の喉から「ひっ!」という短い悲鳴が聞こえた気がしたが、そんなことは関係ない。
「あなたは先程、私の婚約者に危害を加えられたようなことを言っていたな」
「はい!」
「それはいつのことだ?」
私に問いかけられ、女は表情を明るくしたが、直後の問いに一転、表情を曇らせた。
まあ、それはそうだろう。
お前の言っていることは、全部偽りなのだから。
殿下の計らいにより、ステイシーには隠密に長けた護衛がついている。彼らからステイシーの行動について聞いていた。
だから、お前がどれだけ彼女の罪を捏造しようとしても、無駄なんだよ。
「私は彼女を愛している。そんな私が――」
――なんで、捨てると思った?
私は女の虚言を悉く粉砕した。
意気消沈した女は、警備の者に引き連れられていく。
不快な者が視界から消えて清々していると、殿下たちが私に奇怪なものでも見るかのような視線を向けていることに気付いた。
「何ですか?」
「いや、何故、何も見ずにあれだけ答えられたのかと思ってな」
私には殿下の言っていることの意味がわからない。
愛する人のことを知りたいと思うのは普通では無いのか。
「愛する女性のことですよ? 当然でしょう」
私の言葉に殿下をはじめ、護衛の仲間たちも煮え切らない複雑な表情をしていた。
彼らの態度が面白くない私が言葉を発しようとした時――
「ディルク様」
最愛の婚約者に名前を呼ばれ、私の殿下たちへの感情は霧散した。
帰りの馬車の中、私はステイシーと一緒にいる。
今までは、『婚約者であっても卒業まではダメだ』と、止められていたが、彼女は今日をもって卒業した。それに、今は殿下の周りも落ち着いている。もう我慢しなくていいだろう。
「ディルク様、今日はありがとうございました」
「当然だよ。大切な君のためならね」
「っ!」
ステイシーは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
可愛い。私の婚約者が可愛くて仕方ない。
ただ、そんな彼女を不安にさせてしまったのは私の落ち度だ。
情勢ゆえに仕方ない部分があったとはいえ、やはり悔やまれてしまう。
これからは彼女にこれまでの分を含めて愛を注ごう。
――しかし、本当に度し難い奴らだ。
あの女の妄言もそうだが、私とステイシーの婚約が解消されると踏んで、彼女を狙っていた輩も存在した。
本当に理解に苦しむ。
幼い頃から婚約関係にあり、一緒に想いを育んできた。
離れた後は、会えない時間に想いを募らせ、久しぶりに見る成長した彼女の姿に目を奪われた。
そうして実感した。
私は自分で思っている以上に、彼女を愛しているのだと。
「私、不安だったんです。ディルク様に捨てられるんじゃないかって」
「そう思わせたのは私の落ち度だ。本当にすまない」
「いえ、ディルク様が謝られることでは」
「これからはしっかりと君への愛を伝えていく」
「お、お手柔らかに、お願いします」
私は頬を赤く染める彼女の手を取り、そっと手の甲に口付けを落とした。
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