心の裏切り
リッジスは王の婿となり、更に重用されて東奔西走の日々を送る。
王女を脅したことは不問に付されているのか一言も言われることはなかった。
一方、王女の館にリッジスが立ち寄ることはなかったが、王女から何度か館に来るように使者が来る。
(どうせ気に入りの男妾を殺された腹いせに、刺客が待ち伏せしているのだろう)
リッジスは王女の呼び出しをすべて無視した。
また、ケイトからは何度も手紙が来ていたが見ることもなく焼き捨てる。
彼女たちはリッジスにとってもはや縁なき人たちであった。
王は、門閥貴族の将軍を超えてリッジスを筆頭の将軍とし、彼の望む兵力や武装を与える。
愛する女も家族もいないリッジスは配下の軍を鍛えることにすべてを費やしており、望みを叶えてくれる王に対してその点は感謝した。
成り上がりのリッジスの重用に不満を募らせる大貴族にたいして王は様々な手段で挑発し、ついに彼らを蜂起させる。
「リッジス、反乱者を殲滅せよ!
このときのためにお前の望むものを与えてきたのだ。
できるな」
「この身にかけて陛下への反乱を鎮圧いたします」
王に呼ばれたリッジスはそう返事をし、すぐに王宮を退出して攻め込んでくる敵軍に向かおうとする。
その時、王が少し待てと呼び止める。
何かと立ち止まるリッジスに思わぬ人物が現れた。
形式上の妻のマリー王女である。
何事か理解できずに立ち尽くすリッジスに王女は近づき、彼に相対して言う。
「戦勝の祈念です」
そしてきらびやかな短剣を渡し、伸び上がってリッジスに口づけする。
見守る宮廷貴族が盛大な拍手を送る。
(王族の一員であることを見せつける茶番だ)
泥を飲まされたような気持ちのリッジスに、王女は囁く。
「貴様にどやされてから、男遊びは止めた。
戦地から帰ってくれば話したいことがある。屋敷に来い」
何を言っているのかとリッジスは気にも止めず、さっさと城外に出る。
敵はこちらの数倍の大軍のようだ。
貴族の勢力を侮っていたのではないかと思うが、軍を預けられたリッジスにできることは戦うことだけである。
幸い敵軍は大軍であることに慢心し、もう勝ったとばかりに戦争よりも戦後の主導権争いにうつつを抜していた。
数ヶ月の間、リッジスは敵軍を恐れあちこちに逃げ惑い、時には小競り合いで敗戦を繰り返して油断を誘う。
そしてリッジス軍を侮り、酒宴に興じる敵軍に対して、鍛えた子飼いの軍を率いて夜襲を敢行、敵将を討ち取り、四散させる。
勝ち戦ではあったが、長い戦でリッジスの軍も死傷者は多い。
リッジスは戦死者の遺族や負傷者達のために自分の領地に彼らのための村を開拓する。
そこはリッジスにとっても憩いの地となり、引退した戦友やその家族と過ごす時、彼の顔に久しぶりの笑顔が戻る。
「リッジス様、お茶が入りました」
村の自邸で寛ぐリッジスに美しい少女が呼びかける。
「エリス。そこはビールが良かったな」
戦友と戦談義に興じるリッジスは軽口を叩く。
「リッジス様、明るいうちからお酒はダメです。
神様が見てますよ」
明るい声で答える少女はリッジスの士官学校の時の教官の娘である。
父が戦死し、残された母と弟とともに暮らしに窮していたのを知り、顔見知りだったリッジスが村に引き取り、自分の家で暮らさせている。
恩に着る母子は進んでリッジスの身の回りのことをしていた。
村の暮らしをわずかに愉しむと、次にリッジスは王に命じられて各地の反乱貴族の残党狩りに追われる。王は和平よりも貴族を徹底的に潰し王権を強化する考えだった。
「激しい内戦のためか、今年は飢饉のようだな」
「農民も戦に駆り出されて農地を耕す者がおりません。こうなることは明らかだったと」
リッジスと副官が馬に乗りながら話す。
「それをわかりながらまだ貴族の残党と戦わせるとは、権力欲とは度し難いな。
見ろ、あんな輩が出てきているぞ。
あんな奴らを頼っても食い物にされるだけだとわからんか」
リッジスが指差す方向には、最近あちこちで見る新興宗教の宣教師が集まる民衆に布教している。
家を焼かれ、畑の作物も強奪された農民は信仰に救いを見出しているようだ。
「愚民には祈りが救ってくれると思えるのでしょう」
名門貴族出身の副官は軽蔑するように言い放つ。
庶民同様の貧乏男爵だったリッジスはそれ以上物言わずに道を急がせた。
王への報告を終え、王女の誘いも断り、休暇を取るリッジスは副官と別れて村に戻る。
村の自宅は大将軍となったリッジスには似つかわしくない質素なものであったが、生まれ育った家屋に似て造らせたその家を彼はこよなく愛していた。
「おかえりなさい、リッジス様」
家ではエリスとその母ローザ、弟のディビットが待っていた。
最初は彼らを離れに住まわせて、不在の時の家の留守番役を任せていたが、一人暮らしのリッジスを見かねたのか、次第に同居し、今や家族同然に暮らしている。
「今度の遠征は少し疲れたな。でもしばらくはここに滞在できそうだ」
「それは良かった。嬉しいわ。
さぁ、暖かいご飯ができてるわよ」
リッジスが座るのを待ち、4人で食卓を囲む。
(こうしてみると母と3人の子供達のようだな)
亡くなった教官はリッジスの親ぐらいの年齢だったので、エリスやディビットはリッジスからは妹や弟のように思える。
(このまま静かに彼らと暮らせればいいのだが)
村に戻ってもリッジスの仕事は多い。
王に与えられた広大な所領の経営をリッジスは行わなければならない。
もちろん雇った執事などの文官達が必要な施策を講じ、適切な課税を行っているはずだが、以前にすべてを任せて裏切られたリッジスは必ず自らで目を通し、確認していた。
「あーあ、疲れたな」
根っからの軍人のリッジスはデスクワークに疲れて、村を見回りに行く。
「ビル兄さん、僕も一緒に行く。剣の練習に付き合って」
ディビットがついてきた。
まだ子供だが、頭脳明晰で剣の筋もいい彼をリッジスは買っている。
「いいだろう。少しは腕を上げたか」
二人で歩いていくと、人だかりがしている。
「あれは何だ?」
「少し前から変な宗教の宣教師が来ているんだ。村の女の人達は熱心に聞いている。母さんや姉さんも時々行ってるみたい」
各地で広がっている新興宗教がここにも来ているのかとリッジスは嫌な気持ちになる。
それでも村でのエリス達との生活、夜には引退した戦友たちと飲みに行くという平穏な日々にリッジスは満足していた。
ある夜、ベッドで眠りにつくリッジスを何者かが近づいてきた。
「誰だ!」
跳ね起きようとするリッジスに柔らかい身体が飛び込んできた。
「エリス、何だこの夜に」
当惑して尋ねるリッジスにエリスは少し躊躇いながら話す。
「ビル、あなたが好きなの。
でも遠回しに言ってもわかってくれないし、夜に来ちゃった。
私を抱いて」
その声は少し震えていた。
それを聞いたリッジスは瞑目して何かを考えているようだった。しばらくの沈黙の後、口を開く。
「ありがとう。とても嬉しいよ。
でもオレはいつ死ぬかわからない軍人だし、形の上だけとはいえ結婚もしている。
エリスにはもっといい相手がいるはずだ。
もし、ここで世話になっている恩返しなどと思っているなら、恩を受けているのは一人ぼっちだったオレの方だ。気にする必要はない。
オレを兄だと思って、ここで気楽に暮らしてくれ」
「いやっ。
あなたが好きなの!
王女様と結婚しているのも知ってるわ。
だけどビルは一人ぼっちでしょう。
私があなたと一緒にいるわ」
リッジスは溜息をついて言う。
「言いたくなかったが、仕方がない。
オレは不能だ。お前を抱けない。
前に婚約者に裏切られ、更に結婚式後の初夜で新妻のはずの女が他の男とベッドに入ったことで、女に何のときめきもなくなった。
こんな男を好きになることはない」
「だったらわたしが治してあげる」
エリスはリッジスを押し倒して、そのまま一緒にベッドに横たわった。
リッジスはやれやれと思いながら、隣にエリスを置き、彼女に腕枕をして寝てしまった。
それから毎夜エリスはリッジスの部屋に通う。
リッジスもそれに慣れると、彼女が来るのを待ってお茶を飲み、四方山話をしながら一緒に床につくのが当たり前となる。
ある夜、リッジスが抱きついてくるエリスを抱き返すと、彼女が「えっ」と言う。下を見ると、リッジスの逸物が元気になっていた。
「ビル、これって治ったんじゃないの」
顔を赤らめながらエリスが聞く。
彼女と毎夜一緒にいることで女への嫌悪感がなくなってきたようだ。
リッジスは彼女に微笑みかけ、「本当に後悔しないのか。オレは惚れた女を離さないぞ」と言いかけるが、エリスに口づけされて最後まで言えなかった。
その晩、二人はやっと結ばれる。
翌日、エリスの母ローザに、リッジスはエリスを妻としたいと申し出る。
正式な妻とはできないが、エリスと一生添い遂げるつもりだとも言う。
ローザは微笑んでそれを認め、ディビットは大喜びした。
その夜は、豪勢な料理を作り、近隣の村人や戦友たちを呼んで祝の宴とする。
心のゆとりができたリッジスは、何度も来るケイトの手紙をようやく読んだ。
そこには、リッジスを裏切ったことへの謝罪と近況が書かれていた。
リッジスの執事はしっかりと借金を取り立てているらしく、彼女とその家族は領地からの収益を全て借金返済とし、更に商家などで庶民に混じって働いているという。サムの一家は家産がないためにさらに酷く、サムは鉱山で働き、慣れない肉体労働でケガをして死んだらしい。
最後に、借金返済が終われば修道院でリッジスの幸せを願い祈り続けると締めくくっていた。
今までの手紙も同じような内容で、手紙を書くことが彼女の贖罪なのだろうと彼は考える。
(こんな手紙を貰い続けるのも鬱陶しいな)
自分が幸せとなり、許す気持ちが生まれたリッジスは執事に言いつけ、ケイトの借金を棒引きしてやることにする。
本当に修道院に行くのか、どこかに嫁入りするのかは知ったことではないが、過去の恋人は自分の知らないところで幸せに生きてくれとリッジスは思う。
リッジスが幸せな日々を送る一方、内戦による農地の荒廃から飢饉は全国に広がり、あちこちで民衆の蜂起が起こる。
そして副官が王の命令書を持ってやってきた。
「将軍、体調が良さそうですね。顔色が良くなっています」
「ああ、随分休ませてもらったからな」
リッジスの部屋に入った副官は机の上の書類の山を見る。
「これは?」
「お前には関係ない。オレの領地の経営報告だ」
パラパラと見た副官は言う。
「一人では捌けない量です。軍の動員が終わるまでの間、お手伝いいたします」
固辞するリッジスを放っておき、副官は猛烈な勢いで処理を進める。
幼い頃から領地経営を教育されてきたため、リッジスとは桁違いのスピードである。
夜半まで二人でチェックしていたが、疲れを覚えた副官は散歩に行って来ますと気分転換に外に出る。
月夜の中、初めての土地を彷徨うと迷子になったのか見知らぬ広場で人の声がする。
賊か?と木に隠れてみると、修道士の服を着た数人の男と十数名の女達である。
女の中には、今日リッジスから家族のようなものだと紹介されたローザとエリスもいた。
「エリス、リッジスを誑し込むのに成功するとはよくやった。
神もお前の働きをお認めだ。
次には神への信仰に奴を目覚めさせねばならぬ。
しっかりとやれ」
「ありがとうございます。
全ては神の栄光の為、全力を尽くします」
「では、今宵も神への信仰を更に高めよう!」
男も女も服を脱ぎだした。
(これは噂の邪教の悪魔崇拝の宴か。
リッジス将軍が狙われている)
副官はすぐに駆け出し、リッジスを呼びに行く。
幸いよく見れば、付近にリッジスの家はあった。
不審な顔をするリッジスを無理に連れ出し、先程の場所に行くと、宴という名の乱交が始まっていた。
「これは!」
リッジスは驚いたが、よく見るとエリスは衣服を着て少し離れた場所にいて乱交には加わっていない。
「エリス、貴様も神への信仰を高めるために参加せよ」
手を引こうとする裸の男に対して、エリスは手を振り払っていう。
「わたしの身体はビルだけのもの。
他の男は触れないで!」
何をと怒る男に、位の高そうな男が言う。
「エリスの言う通りにしろ。
エリスは帰っていいぞ。しっかりやれ」
帰路につくエリスを見て、リッジスは安心する。
今度は裏切られなかったと。
そして、副官に言う。
「ここで奴らを捕らえても全貌はわからない。
泳がせて一網打尽にするぞ」
そして軍の間諜を使い、村の様子を探らせると驚くほど邪教が浸透していることがわかった。
そして、各地での民衆の蜂起もその陰にこの邪教がいるという報告が入ってくる。
同時にエリスはしきりとリッジスに不可思議な神の教えを説き始めた。
副官はもはや猶予を置かずに信徒らしき者を捕えるように進言するが、リッジスは孤独を救ってくれたエリスと離れたくはなかった。
しかし彼女だけを特別扱いするのは将軍としてできない。
苦渋するリッジスに、軍の動員が終了したとの知らせが来る。
軍に戻り、まずはこの村の信者を隔離して洗脳を解こうと決意したリッジスだが、その夜に暴動が起こった。
エリスの宣教に靡かないリッジスに業を煮やし、軍が動く前にリッジスを殺害しようと邪教の幹部は先手を打ってきたのだ。
武器を持ってリッジスの館に押し寄せる群衆の中には、ローザも飲み仲間の戦友もいた。
「何故だ?
オレはお前たちにここで衣食住を与え、満足に暮らせるようにしただろう!」
リッジスの訴えを聞いた群衆は口々に言う。
「私の夫を返して!」
「俺の腕を元通りにしてくれ!」
「俺は歩けなくなったのに、リッジス、お前は何故五体満足で将軍になっているのだ!」
そして後ろから宣教師が現れる。
「リッジスでは与えられないものを神は与えてくれる。
皆、神の御心のために働くが良い。
リッジス、お前も死にたくなければ我らとともに来い」
後ろからエリスが「ビル、一緒に神のために働こうよ」と囁く。
「すまんな。
オレは裏切られてから神は信じてないんだ」
そういうリッジスに、宣教師は「では死ぬがよい」と言い、群衆に指示する。
リッジスは背後のエリスとディビットを逃がすために、どこか手薄な所に斬り込もうと周りを探った。
その時、一足先に軍に戻っていた副官が騎兵を連れて駆けつけてくる。
間諜から村の様子を探らせていたようだ。
形勢は逆転し、宣教師と信徒は騎兵に包囲される。
ローザや顔馴染を始め、村人の命は取るなと言おうとしたリッジスは、太腿の後ろに鋭い痛みを感じる。
振り返ればエリスが短刀を持ってリッジスの腿を刺していた。
「エリス。何故だ?」
「ビル、あなたが神の為に働こうとしないから仕方ないのよ。
わたしの身体はビルのものだけど、心は神に捧げているから。
一緒に神のもとに行きましょう。
あなたを殺して、私も死ぬわ」
痛さに耐えきれずに膝から崩れ落ちるリッジスの首を狙ってエリスは短刀をかざす。
「姉さん、止めて!」
横にいたディビットが彼女を突き飛ばした。
そこに全力疾走してきた副官が躍りかかり、エリスの首を突く。
血が溢れる中、リッジスはエリスに近づいた。
「ビル、愛しているわ」
「神の次にか。
オレはお前の為なら命も惜しくはなかったが、神の花嫁とは心中できん。
悪いが一人で逝ってくれ」
そして、エリスが息絶えたのを見届けたリッジスは騎兵に命じる。
「一人残らず始末しろ!顔見知りでも容赦するな。
邪神の手先共だ!
ああ、宣教師は捕えろ。特別な殉教をさせてやる」
村人が全員が息絶えた後、捕えた宣教師を拷問にかけて組織の様子を吐かせ、その後は手足の指を一本ずつ切り落とし、最後は火炙りとする。
そして自分が作った安息の地に火をかけて灰と化し、後ろを振り返らずにリッジスは反乱鎮圧の遠征に出た。
各地の反乱をすり潰し、特に宣教師などの邪教の関係者は草の根を分けても探し出させ、捕えたものは火刑に処した。
今まで以上に誰も近寄らせずに孤独に過ごし、一人残ったディビットだけを近くに置き、軍務に精励する。
反乱の多くを鎮圧した頃、副官が血相を変えて飛び込んできた。
手に持っていた書状には、王都で反乱が起きて王が殺されたと記してあった。