好きな子の流す涙はバカ美味い。 2話
連載の予定について……無し(新しく作り直す予定は有り)
窓から注ぐ陽気が心地良い昼下がり。五時間目の退屈な数学の時間を、俺は頬杖をつきながら聞き流していた。
それにしても、涙は感情によって味が変わる……ねぇ。さっきからこのことばかりぐるぐる考えてしまう。
「泣く理由……泣く理由かぁ……」
「なーにぶつぶつ言ってんだよ浮島?」
一つ前の席から振り返ってツッコんでくるのはフレームの大きいおしゃれメガネをかけた黒髪の男子。浮いてる俺に普通に接してくれる二人のうちの一人、麻倉だ。二人しか居ないのが悲しいけど。
「変な事言うぞ」
「食ったら美味い虫とか? コオロギは後味以外ならエビっぽいぞ」
「そんなこと何で知ってるんだよ気持ち悪ぃ……。いやその、何だ」
「何恥ずがしがってんだ」
「……お前ってどういう時に泣く?」
「んー……そうだなぁ。うち貧乏だから美味い雑草とか知った時とか? オカズ増えた! 嬉しい! 涙! みたいな」
「コオロギってそういう……」
「おまっ、コオロギ馬鹿にすんなよ!? 虫はタンパク源として優秀なんだからな!?」
心外だと言わんばかりに弁明する麻倉。まあ別にコオロギだからヤバいってわけじゃねえけどさ……。どうせ俺なんて血と涙しか飲んでねえわけだし。何かそれだけ聞くとめちゃくちゃ悪逆非道なヤツみたいだな。
「もう二人とも、授業中だよ?」
そう言って俺達を諌めるのは隣の席のもう一人のつるむ相手である、編み込みのハーフアップをした女子の仲村。パッと見は地味な真面目ちゃんって感じだが、よく見るとしっかり身なりを整えており、澪羅に次ぐ隠れファンの多い人気者だ。
「それに浮島君が聞きたいのはそういうことじゃないと思うよ? 大方見てて興奮するような泣き方を知りたいとかそういうのじゃない?」
「浮島……お前ついにオレにまで……?」
「身体抱きしめんな気色悪い。てか仲村には俺のことがそう見えてんの?」
「だって女を泣かせるクズって言われてるし」
「それオレも聞いたことあるわ。女遊びは程々にしとけよ?」
「ちげえわバカ。あえて言うなら死活問題だわバカ」
「「女を泣かせないと死ぬ……?」」
「マジで人聞き悪いな!?」
違うと言えないのがもどかしい。何で俺は吸血鬼のくせに血液アレルギーなんてバカみたいな体質だったんだ……クソが……。
「ふと気になっただけだよ。俺生まれてこの方泣いたことねえし」
「そうなの? お母さんに怒られたとか、そういうのでも泣かない?」
「言ってなかったっけ? 俺小さい頃に捨てられてるから親知らないんだよ」
「おまっ、このタイミングで言うことじゃねえぞ。重すぎるわ。うちかよ」
「そういや麻倉も両親居ないんだったな。ここ三人居て親一人しか居ないとかウケるな」
「……浮島君、辛かったら私がママになってあげるからね? いつでも言ってよ?」
「オレは!? オレも親居ねぇけど!?」
「私お母さんにおしゃれメガネ掛けてる人には気をつけなさいって言われてて……」
「これゴミ捨て場で拾っただけだぜ!? ちゃんと洗ってるし!」
「そういうことじゃなくね?」
てか結局一つも答えてくんねえし。まあ期待してなかったから別に良いけど。
若干不満そうな顔をしていただろうか、隣の席から俺を覗いた仲村は唇に指を添えた。いつもの何か考える時の癖だ。
「涙って感情が昂った時に流れるものらしいよ。だからとりあえずは喜怒哀楽で考えたら良いんじゃない?」
「ちなみに仲村はどれで泣く?」
「……最後に泣いたのいつだっけ」
「仲村強そうだもんな」
「それどういう意味?」
「そういうところだよ」
「あれ……? オレはもうお役御免……?」
小さくぼやく麻倉はさておき、やっぱり普通は滅多なことじゃ泣かないんだよな。
澪羅の流す涙は好意や嫉妬なんて呟いていたが、そんな感情で本当に泣けるのだろうか。普段の澪羅を見ると、そう考えるよりは何か別に理由があると考える方が自然というか。
……いやだって、なあ? あの澪羅だぞ? 好きな相手に餌の時間とか言う? 流石に恋愛下手過ぎない?
ふむと熟考していると、ポケットに入れたスマホがぶーっと着信を示す。送り主は澪羅だった。
……ん!? 澪羅!? 授業中に!? 今までこんなことなかったよな!?
恐る恐るメッセージアプリを開く。内容は簡素なものだった。
菊月澪羅:授業中に悪目立ちするのは感心出来ません。
浮島:澪羅の席って真逆だったけど、そんなに聞こえてた?
菊月澪羅:先生の青筋が見えませんか。
バッと教壇に目を向ける。そこには女の先生がにこにこしながらこちらを凝視していた。
「……麻倉。出番だ。俺らめっちゃイラつかれてる」
「任せろ」
後ろから小声で指示すると、麻倉はこっちを見ずにサムズアップで答えた。
「先生! その問題答えたいです! 先生の説明めっちゃわかりやすかったんで実践してみたいです!」
「聞いてなかったわよね?」
「いえいえ! むしろ授業に関する内容を三人で深め合っていました!」
「……本当に? コオロギとか聞こえたけど?」
「? 言ってませんよ?」
コイツめちゃくちゃ堂々と嘘つくじゃん。一周まわってかっけえ。
「……じゃあ前に出て解いてみて」
「うっす! あざす!」
麻倉は九十度に身体を折って一礼する。頭と机すれすれだ。
コイツはアホっぽく見えて実は頭が良い。コオロギを食うくらい貧乏なのに澪羅が居るような私立高校に通えているのも、麻倉が学業の面で優秀な成績を残して特待生の枠を勝ち取れているからだ。
普段とのそのアンバランスさにどこか惹かれるのは、自分と似た何かを感じているからだろうか。
っと、澪羅に返信しなくちゃな。
浮島:何とかなったっぽい。忠告ありがとうございます。
菊月澪羅:随分楽しそうに話していましたね。
お? これってもしかして嫉妬ってやつか? 何かそう見えるぞ? いやそうなんじゃないか!? そうだとしたらめちゃくちゃ嬉しいぞ!?
「……なあ仲村。女の子から来たメッセージなんだけどさ、お前と話してて随分楽しそうだったなって言われたのって脈アリってことで間違いないよな?」
「私だったら嫉妬かな。ぶぶ漬け食べる? みたいな」
「嫌な例えだけどそうだよな! ありがとう!」
よし。よぉぉぉし! ここはいっちょ揺さぶってみるか! 俺の中でも確信が出来たら告白しよう! そうしよう!
浮島:もしかして嫉妬した的な?笑
菊月澪羅:分を弁えなさい。
だあクソやんなきゃ良かった!!! 最悪だ!!!!! クソめ!!!!!
「……恨むぞ仲村」
「何で!?」
……これでまた好感度下がっただろうなぁ……。恋愛って難しいなぁ……。
……孤児院に居た頃は、こんなんで悩んだりしたことなかったんだけど。
デカいため息をつきながら澪羅の横顔を盗み見る。
あまりにもいつも通り過ぎて、何とも言えない寂寥感が俺を襲ったのだった。
◇
恋愛感情なんて持ったことがなかった。それが私、菊月澪羅にとっては当たり前のことで、その先に発生する厄介な感情なんて考えたこともなかった。
……何、あの尊人君の楽しそうな表情。そんなの私に見せてくれたことないのに。
尊人君が楽しげに話すのはクラスでいつも一緒に居る二人。男女三人組という、あえて俗っぽく言えばいわゆるクラスカーストの一軍だ。
だからこそ周りは尊人君に遠慮するし、まして容姿なんてこのクラスどころか学校内でも一番と言って差し支えない整い具合。彼は自分をクラスで浮いていると感じているようだけど、実際はなんてことのない、ただ当たり前の事象。
隣に親しみやすい麻倉君と仲村さんが居るからこそ、尚そう感じるんだろう。尊人君が育った劣悪な環境はそういった当たり前を置き去りにしていた。
……だから気の置けない関係に憧れるのは、理解可能かどうかで言えば理解は出来る。出来るんだけども。
……ちょっと仲村さんと距離が近すぎない? あっほらまたこそこそ話。地震でも起きたらハプニングでキスしてしまう距離だ。そんなのをこの目で見てしまった日にはどんな感情を抱くか想像も出来ない。
サイレントマナーにしたスマホがメッセージの通知を告げる。アプリを開くと、そこには尊人君からの返信があった。柄にもなく心が踊る。
浮島:もしかして嫉妬した的な?笑
菊月澪羅:分を弁えなさい。
嫉妬しましたよ!? ええしましたけど!? そんなのするに決まってるじゃない!
……なんてことを素直に伝えられる性格であれば、今こうしてやきもきしていないんでしょうけど。
ならばどうするべきか。本心を告げる? いやそれでもしもこの関係が崩れたらどうする。尊人君はあくまで衣食住を提供してくれる私に利用価値を見出しているだけ。生い立ちを考えればそれが最もしっくりくる解釈。
……ただ、そうと断ずるのは失礼にあたるかもしれない。有り得る可能性を模索した中で最も良い選択を。私は思考を巡らせる。
例えばもし。彼が私を憎からず想ってくれているならば。有り得ない可能性はただの妄想だけど、それは少ないピースから鑑みた現状の解釈。
……これは、そう。確認のため。心の中で言い訳を重ねながら、打ち間違いのないよう慎重に指をスワイプさせる。
菊月澪羅:今夜の尊人君の食事の時間で良いので、一度私や御学友のことをどう思っているか聞かせてください。
数分後に『わかった』とだけ来た返信を見て、私は逸る鼓動を必死に押さえつけた。




