婚約破棄されたので魔女に戻って自由になるはずが、何故か隣国王子の婚約者にされました⁉︎ 2話
連載について……
完結させたい気持ちはありつつ、今のところの連載予定はありません。
気に入ってくださった方、予選にて票を入れてくださった方、本当にありがとうございました!
「魔女を殺す……ねぇ」
その言葉の意味するところに思いを馳せつつ、ヴァネッサは紅茶を一口啜った。
魔女は、世間一般とは積極的に交わらずに生きる。魔女という存在が発生してすぐの頃は普通の人間たちの中で暮らさざるを得ないことが多く、そのせいで魔女狩りが後を絶たない時代もあった。
紆余曲折あった末、今では人間たちの善き隣人として存在するようになった魔女だが、当然のように同族意識が強い。魔女同士は助け合うのが普通で、魔女を害した者への報復は苛烈だ。
はぁ、とヴァネッサが溜息を吐いた時だった。周囲に魔力の渦が出現し、そこから姿を現したキアは、驚きに固まる王子の首元に鋭い爪を突きつけた。
「すみません、凡夫にかかずらっていたら遅くなりました。魔力の変化の原因はこの男ですね?」
「キア、落ち着いて。凡夫って……あなた、まさか殺してないでしょうね」
ヴァネッサたちが会話をしている間、王子はカップを地面に置き、ゆっくりと両手を上に挙げた。突如としてキアが現れたことへの衝撃はあったようだが、殺されるかもしれないことへの恐怖は薄いらしい。むしろキアを興味津々といった風に見つめている。
「死は最も簡単で最も面白みのない選択ですよ。破滅への種を蒔いてきただけです。十ヶ月もすれば花が咲くでしょう。美しくはないですが」
「理解したくないけど理解したわ。欲に溺れる人間って嫌ね」
「それで? 何があったんです」
「私がヘマしたのよ。貴族令嬢やってた話をキャロルにしてたんだけど、この人に聞かれちゃったの。そしたら突然、こんな指輪はめられて」
左手の薬指を見せると、そこに嵌まった金色の指輪を見たキアは眉間に皺を寄せる。ただの指輪であればキアは即刻破壊しただろう。それをしないということは、やはり特別なのだ。
「かなり古いですが、神の名が刻まれてますね。しかも特定の血統で縛って効力を高めている……私では壊せません」
「すごいな、そんなことまで分かるのか」
「ヴァネッサ、大丈夫ですか?」
「婚約者になってしまったからには仕方ないわ。でも無条件で受け入れるつもりはないの。これから詳しい話を聞こうと思っていたところにあなたが来たのよ」
「それはそれは。ではじっくりとお話し合いをしましょう」
伸ばしていた爪をしまい、氷点下の笑みを浮かべながらキアが左手を振るう。
するとどこからか、木々が鬱蒼と生い茂る森に似つかわしくない、純白のクロスのかかったガーデンテーブルと、白いガーデンチェアがその場に現れた。それはヴァネッサがアンナであった頃に使っていた物だ。屋敷の中庭から移動したのだろう。
「お腹は空いていませんか? あぁ、そこのあなたもついでにどうぞ。ヴァネッサの婚約者殿となれば私にとってもとても大事な方ですし」
「あー、感謝する。ところで……君たちのことはヴァネッサとキアと呼べばいいのかな」
王子のその発言に、そういえば自己紹介もしていなかったのだと思い出す。
せっかくなので、これ以上ないくらい丁寧に挨拶をしてやった。ロングのワンピースにフード付きのコートは黒一色で、お茶会をしていた頃とは似ても似つかないが。
キアのエスコートで椅子に腰掛け、名乗る。
「えぇ、私はヴァネッサ。彼は私と契約している悪魔のキアよ」
「やはり悪魔なのか! 書物でしか知らなかった存在だ。まさかこの目で見られるとは。俺はラルフ・ヴォード・ファンカスクだ」
にこやかに差し出された右手は、当然のように無視される。テーブルの上に温かな食事が次々に現れるのを見ながら、ヴァネッサは再び溜息を吐いた。
正面に座るラルフは、湯気を立てる料理に目を見張っていた。
「本題に戻るけど、魔女を殺したいのよね?」
「あぁ、そうだ」
「その魔女は、あなたに害をなしたということ?」
「正確に言えば、俺ではない。俺の父、ファンカスク王に呪いをかけたんだ」
「隣国のことはよく知らないのだけど、あなたは第三王子なのよね。後継者候補が三人以上もいるのなら、王の呪いなんて放っておけばいいんじゃないの?」
ラルフは既に成人しているように見える。彼が第三王子だというのなら、兄たちはもう王となっても不足はないのではないだろうか。
そう言うヴァネッサに、今度はラルフが溜息を吐いた。
「父上が正式に王位を譲ると宣言する前に呪いに倒れたお陰で、第一王子と第二王子それぞれの派閥が争ってるんだ。まだ裏側でやりあう程度だが、第一王子であるジェイド兄上は血の気が多いから……我慢の限界は近いんじゃないかと思ってる。今は、父上の呪いを先に解いた方がその功績をもって王位継承に優位に立てるだろうってことで配下の者たちが動いているところ」
「あなたも王位を狙っているということ?」
「違う。俺は秘密裏にことを運びたい。いつの間にか王の呪いが解けていたことにしたいんだ」
「ふぅん」
ほどよい柔らかさのローストビーフをカットして口に運びながら、ヴァネッサはラルフの瞳の奥を探る。心の底から国を、兄たちを心配しているように思えるが、それをそのまま鵜呑みにできるほど素直ではなかった。
「呪いをかけた魔女の行方は分かっていないのでしょう?」
「あぁ、だが魔女は魔術や呪いの痕跡を辿れると」
「なにそれ」
「え? 城にあった書物に書いてあったんだが……」
「嘘よ。誰がその術を行使したかの判別くらいはできなくもないけど、かけた術が本人と繋がったままな訳ないじゃない。繋がりを保ったままにすることで効力を発揮するタイプの術もあるけど、呪いの類は絶対にそんなことはしない。むしろ別の何かになすりつけて、呪いが弾かれた時に自分に返ってこないようにするくらいだわ」
「な、なるほど……」
人間が魔女について勝手に書いた書物など星の数ほどある。魔女にだってできることとできないことはあるのだが、夢みたいな内容を平気で書く人間のお陰で迷惑を被ることはそれなりにあった。
「まぁ、呪いの具合を見ることくらいはしてあげてもいいわよ。効力を弱めることもできるかもしれないし」
「本当か!」
立ち上がって身を乗り出すラルフの肩を、キアが押さえ付けて椅子に座らせる。付け合わせのにんじんグラッセまで綺麗に完食してから、口元を拭ってヴァネッサは言った。
「でも、私みたいな身元不明者では王に近付くことすらできないでしょう?」
「そこは考えがある。さっきの挨拶を見て、いけると確信した」
「……嫌な予感しかしないわ」
「安心してくれ。君を身体が弱く長年養生していた、いいところのお嬢様にするだけだから」
白身魚のポワレに刺さったフォークが、皿に当たってカツンと音を立てた。
「また令嬢をやれと言うの」
「療養先で俺が一目惚れして、体調が良くなって王都に戻ってきたことを機に婚約したと報告すればいい。父上に会わせたいと言えば、寝所に行ける。合法的に」
「誰の許しもなく婚約したと問題になるんじゃなくて?」
「黙らせる。どうしても無理だとなれば、王位継承権を破棄すれば済むことだ」
「あなた……だいぶバカなのね……」
「失礼な」
パリパリの皮とふわふわの身、シンプルなソースが絡み合った風味を楽しむこともできず、真顔で皿を空にしたヴァネッサは、何度目かも分からぬ盛大な溜息を吐いた。
「呪いが解けるか、魔女を殺せるかは分からないわ。相手が私より格上の魔女だったら、私は手を引く」
「分かった。何ができて何ができないか、君が判断してくれ」
「嘘を吐くとは思わないわけ?」
「君はもう、俺に嘘は吐けないよ。嘘を吐けば、分かるようになってる。まぁ、それは俺も同じことなんだけど」
「は?」
「実は、俺は第三王子じゃないんだ」
ラルフがそう言った瞬間、ヴァネッサにはそれが嘘だと分かった。自分の中に何か根拠たるものがあった訳ではなく、脳裏に閃くものがあったのだ。ひらひらと振られたラルフの左手の薬指にも指輪が嵌っていて、よくよく感知してみれば指輪同士が繋がり、共鳴しているのが分かった。
「便利だろ」
「最悪ね」
数時間前の自分の迂闊さを呪いたい気持ちを押さえ付け、残りの料理にも手を伸ばす。最近は携帯食料や野生の動物ばかりだったから、より一層美味しく感じた。
「手を引くことになっても、ある程度の報酬はもらいたいわね。王の元に行くまでに私が令嬢役をする精神的苦痛を鑑みてほしいわ」
「金でいいか? 宝物庫に連れて行ってもいいし、魔女が使いそうな素材なんかもあったはずだ」
「目ぼしい素材があればもらうわ。何もなければお金にする」
「分かった。報酬の細かな内容については、君がどこまでできたかで相談させてもらっていいか?」
「もちろんよ」
ガーデンテーブルの上がまっさらになる頃には、遠く、サバトに喚び出されていたらしい悪魔の気配も消え去っていた。
既に夜と朝の境界は越えていて、目立って王都に入りたくないと言うラルフに従い、キアが王都まで運んでくれることになった。
指定された場所に飛ぶと、そこは庭の片隅だった。高い塀と木々に囲まれ、確かに人目には付かないだろう。キアは既に姿を消していた。まだ屋敷での工作は続いているから、ずっとそばにいられるようになるまでには時間がかかるはずだ。
草むらの影でラルフが指笛を吹くと、しばらくして一頭の犬と共に召使いたちがやってきた。その中に一人、レースや宝石をふんだんにあしらった豪奢なドレスを身に纏った女性の姿がある。
ラルフに促されて彼らに見える場所まで行くと、女性も前に出てきてにこりと微笑んだ。
「エスメラルダ公爵夫人、突然のご無礼をお許しください」
「いつでもどうぞと言ったのはわたくしですもの、顔をお上げになって。それで……そちらのお嬢さんがそうなのかしら?」
「はい、協力してくれることになりました。魔女のヴァネッサ殿です」
「はじめまして、わたくしはエスメラルダ・ケイト・ランドリュー。早速お母様と呼んでくれていいのよ」
完璧すぎるくらいに完璧な貴族の笑顔を向けられ、反射的に同じ種類の笑みを貼り付けた。それを見て合格だと言わんばかりの視線を送られ、背筋が冷える。
せっかく羽根が伸ばせると思っていたのに、なぜこんなことになっているのか。ヴァネッサは心の中でまた大きく溜息を吐いた。
「よろしくお願いいたします、お母様」
「素材も、基本的な礼儀作法も心配はいらなそうですね。少し手を加えるだけで良さそうだわ」
「おまかせしてしまっても? 私は私で、王城での根回しをしてきますので」
「えぇ、おまかせくださいな。あなたの隣に並んでも遜色のない、最高の娘をお送りしますわ」
「こちらは最低でも二週間はほしいのですが、そちらはいかがでしょう」
「そうですわねぇ……誰にも会わせない状態でいきなりというのもあれですし、こちらの根回しも含めて一ヶ月いただいても?」
「……城内の状況を見て連絡します」
「分かりましたわ」
自分の頭の上で繰り広げられる会話に、ヴァネッサは表情を崩さぬよう努めながら立っていた。どうやら教育され磨かれ飾られ、女の園に投げられた挙句の登城となるようだ。
数年間の令嬢生活こそあれ、侯爵令嬢の身の振る舞いなど遠目に見ていたことくらいしかない。今すぐ逃げ出したいと思うヴァネッサの左手を、近付いてきた犬がペロリと舐めた。




