レベッカ・レベッカは名乗らない 3話
――ずっと、自分を殺して生きてきた。
※
高揚した気持ちを落ち着けようと、深呼吸を繰り返す。
落ち着け……こういう時こそ、冷静な思考が必要だ。
仮に、僕の予想が正しかったとして。
ここが本当に2003年から分岐した並行世界だとするならば――2003年以降に起こった出来事を調べれば、レベッカ・レベッカの正体が分かるかもしれない。これだけ影響力のある存在だ、歴史に爪痕を残していても不思議じゃない。
問題は調べる方法だが――
「……最近、なんか調子悪いんだよな」
スマホで調べてみようとしたが、ネットにうまく繋がらなかった。
さっき映姉さんに電話が繋がらなかったのも、スマホの不調が原因なのかもしれない。
安物だからな、仕方がないか。
「やっぱり直接聞きに行くしかないか……映姉さんに」
レベッカが沈黙してしまった以上、僕が頼れる相手はもう映姉さんしかいなかった。
彼女が働いている映画館までは少し距離があるが……二時間も歩けば着くはずだ。
僕は腰を上げ、歩き出そうとして――
「動くな」
半歩と進まず、その足を止めた。
後頭部に何かが押し付けられている。
直観で、銃口だと察した。
「マジでがっかりだわ」
くぐもった声。フルフェイスヘルメットでも被っているのだろうか。
声の低さから、男であることだけは分かった。
こいつ……僕を襲ったやつらの仲間か?
「何にがっかりしてると思う?」
「そんなの分かるわけッ――!?」
一瞬、左腕が燃えるように熱くなり、直後に激しい痛みが駆け抜けた。
鮮血が、服を染めていく。
「折角の獲物が、こんなボンクラだったってことにだよ」
痛い……痛い、痛い痛い痛いッ!
くそっ、なんの躊躇いもなく撃ちやがった――!
「銃撃で崩れた壁から逃げるなんて機転が利いてるじゃん? 久々に楽しい狩りになりそうだと思ったのにさぁ」
痛みのあまり屈み込んだ僕の腹部を、男の足が容赦なく蹴り上げる。
僕の体は一メートルほど吹き飛んで、ゴミ山に衝突した。
胃がもんどりうって痙攣し、昼に食べた何かが逆流する。
「なんでお前、まだこんなとこにいるんだよ。逃げろよ、普通に。馬鹿じゃねぇの?」
涙でぼやけた視界に、男の姿が映る。
予想通りのフルフェイス。革のスーツに身を包み、無骨な銃を構えていた。細身だが、隙はない。訓練を積んだ兵士であることは、素人目にも明らかだった。
まずい。このままじゃ――殺される。
「……くれ」
「あん?」
「見逃してくれ……頼む……」
声を絞り出して、懇願する。
まだ死ぬわけにはいかなかった。
レベッカ・レベッカの正体を突き止めて、あいつを生き返らせるまでは、まだ。
「つまんねぇな、お前」
二度、三度、蹴り上げられた。
筋肉が収縮し、肺が酸素を絞り出す。
「レベッカ・レベッカに関わった人間だから、もうちょっと骨があるやつかと思ったのによぉ」
何も答えられない。
腹部を襲う鋭い痛みが、脳に思考を許さない。
「敵に命乞いするとか馬鹿じゃねぇの? ふざけんのも大概にしろよ」
何も答えられない。
胃酸が喉を焼いていて、しゃがれた声しか出ないから。
「ったく、時間の無駄だったな。ボクも、お前も――」
何も――
「――レベッカも」
「……え?」
「なぁ、出来損ない。結局お前、あいつとはどういう関係なんだ?」
「あいつって……?」
「レベッカだよ。自称探偵の、キャスケット帽をかぶったふざけたやつだ」
「なんで」
うずくまったまま、かすれた声で問う。
「なんでお前が、あいつのことを知ってるんだ?」
「はぁ? そりゃ知ってんだろ。キョウカイ舐めてんのか?」
キョウカイ……それが、こいつらの所属している組織の名前なのか?
「キョウカイはずっと前からあいつに目を付けてたんだよ。接触したのは最近だけどな。苦労したんだぜ? 怪しまれないように近づいて、仲良くなってさぁ……なのに」
鋭い音が裏路地に響く。
男が、苛立たし気に配水管を殴りつけていた。
「急にあいつは消息を絶った。音信不通、連絡の一つも取れやしない。おかげで組織からのボクの評価はダダ下がり……散々だったよ」
朧げに掴めて来た。
レベッカは何らかの理由でキョウカイにマークされていて、こいつはその担当だった。
けれどある時を境に、レベッカと連絡が取れなくなった。
その理由は――
「それからしばらくして、情報が入った。レベッカが頻繁に会っている男がいるってな。それが――」
「お前なんだろ?」
僕だ。
僕がこの並行世界に現れて、レベッカと出会った。
それからレベッカは僕と行動を共にするようになって、そして何故かこの男と連絡を絶ったんだ。
身の危険を感じたから? それともただの気まぐれか?
そもそも、どうしてレベッカはキョウカイに狙われていたんだ?
「ちっ、だんまりか。まぁいい……だったら死ぬ前にこれだけ教えろ」
男は再び銃を構え、言う。
「レベッカはどこだ」
「……あいつは、死んだよ」
「はっ」
僕の答えを、男は鼻で笑い飛ばした。
「死ぬわけないだろ。魂の切り分けができるあいつが」
「……ッ」
魂の切り分け。そんな荒唐無稽な単語が当然のように飛び出した。
いったいこの世界はどうなってるんだ……?
「もう一度聞く、レベッカはどこだ。素直に教えりゃ、お前のことは見逃してやってもいい」
「……知らない」
「そうか、だったら仕方ねぇ。めんどくせぇが――当ててやるよ」
銃口が、僕の体の上をなぞるように動く。
そして、
「切り分けられた魂は依り代に入り、自分の意思で動くことができない。そして依り代は生前に思い入れがあるものほど、高い効果を持つ。例えばそうだな――」
右手の位置で、ぴたりと止まった。
「そのクマのストラップ、レベッカの物だな?」
反射、だった。
右手の中で眠る彼女を傷つける訳にはいかないと、僕は弾かれたように駆け出した。
僕の動きが予想外だったのか、銃弾は少し遅れて発射され、僕が倒れていたゴミ置き場を打ち抜いた。
「その反応、当たりだな」
背後で再び銃を構えた音がした。
僕は転がり込むように横道に逸れて、そのまま脱兎のごとく駆けだした。
呼吸が浅い、鼓動がうるさい、左腕は燃えるように痛む。
緊張で頭がどうにかなりそうだった。
なんとか平常心を保とうと、吐き出すように叫ぶ。
「なぁ、レベッカ! なんでお前、あんなイかれたやつらに狙われてるんだよ! なんで僕と会ってから、あいつと連絡取らなくなったんだよ! 教えてくれよ、レベッカ!!」
答えはない。
クマのストラップは、沈黙している。
「――ッ!」
さらに裏路地の奥に進もうとしたところで、足元が弾けた。
銃弾がカラカラと地面を転がる音がする。
背後からの狙撃。
ダメだ、このままじゃ――追い付かれる。
「くそっ、考えろ……考えろ、考えろ!」
少しずつ、分かってきたところなんだ。
レベッカの残したヒントのお陰で、ほんの僅かでも前に進めたんだ。
まだ、死ねない。死にたくない。
だから今は、僕にできるすべてを使って、なんとしてでも生き延びるんだ!
「そうだ……!」
僕はスマホを立ちあげ、いつもの掲示板にアクセスした。
手早く書き込む。
『二分後に死亡。オークション、スタート』
直後、凄まじい勢いで落札者が並んだ。
千円、二千円、五千円……数秒ごとに金額が吊り上がっていく。
まだ値は上がりそうだったが、目当ての人物が見えたところでオークションを打ち切った。
二万円での落札。落札者は――動画配信者の「オメガ」
画面をフリックし、すかさずオメガにメッセージを送る。
『E町3丁目裏路地。フルフェイスの男』
『え、ま? めっちゃ近くにいるんだけどー! すぐ行くすぐ行くー!』
予想通りの反応に小さく拳を握る。
「よし、後はこれで――」
刹那、上方から凄まじい音がした。
思わず体にブレーキをかけると、僕が走り込もうとしていたところに大量の瓦礫が降り注いだ。
どうやら銃でどこかのベランダを狙撃したようだ。
直撃はかろうじて回避した。
だが――足を止めてしまった。
「例えばさぁ」
背後から聞こえる、銃を構えた音。
男のくぐもった声が聞こえる。
「そのストラップ渡したら見逃してやるって言ったら、どうする?」
「はっ」
強がるために、鼻で笑った。
「断るさ、当然。お前のことなんて、全然信用できないし。それに――」
僕は言う。
「レベッカには、頼まれたこともあるからさ」
レベッカ・レベッカを正体を暴き、捕まえる。
そのためには、きっとこいつの助けが必要だ。
だから、渡せない。渡すもんか。
「ただの頼まれ事に命懸けんのか? たかだが数か月程度の付き合いで?」
「あぁ、そうだ」
「気持ち悪いな、お前。まるで自分ってもんが感じられない。どんな人生送ったらそうなるんだよ」
思わず苦笑する。
自分がない……確かにそうかもしれないな。
だって僕は――僕はずっと、自分を殺して生きてきた。
叔父は僕の父親が嫌いだった。だから僕のことも嫌いだった。
何か喋れば探偵気取りと殴られて、顔を合わせれば父親に似ていると蹴り飛ばされた。
生きて行くために、髪を伸ばして顔を隠した。
主張することをやめた。声をあげることを諦めた。
殺すしかなかったんだ。
自分という存在を、殺して、殺して、殺して――いつしか僕は、透明になった。
だけどあいつは、
『先輩。私とバディを組みましょう』
こんな僕に手を差し伸べてくれたんだ。
鮮やかな色彩で、僕を色づけようとしてくれたんだ。
それが……そんな些細なことが、ほんとにほんとに、嬉しかったんだよ。
だから、レベッカを殺そうとするのなら。僕の行手を遮るのなら。
僕は僕なりの力で――
「お前から逃げ延びてみせるよ」
「やってみろ、クソモブが」
啖呵は吐き捨てた。
もう、後には引けない。だけど――問題ない。
準備は整ったから。
「はいどうもー! ワクワク動画配信者のー、オメガでーっす! ねぇねぇお兄さんお兄さん。もし今から死ぬとしてー、何か言い残すことってありますかぁ?」
突如現れたショッキングピンクのツインテールが、フルフェイスの男に激突した。
「――ッ!? な、なんだお前は!」
「だからぁ、ワクワク動画配信者のー、オメガでーっす! 登録者数は80万人で~」
「そういうこと聞いてんじゃねぇ!」
よし、ナイスタイミング……!
僕は振り向かず、そのまま走り出した。
奇抜な髪色が特徴の動画配信者、通称オメガ。
オメガは僕の太客の一人だ。動画の配信者で、目の前で起こった死亡事件をライブ配信することで再生数を稼いでいる。
僕はさっき、客が集う掲示板に『フルフェイスの男が近々死ぬ』と書き込み、その情報をオークションでオメガに落札させた。オメガならインタビューの名のもとに、あいつの行動を邪魔してくれると思ったからだ。
フルフェイスの男だって、見ず知らずの相手にいきなり銃をぶっぱなしはしないだろう。
その間に僕は――
パァンッ!!!
銃声が、響いた。
振り返る。
裏路地の奥に、ぐったりと伸びたオメガの姿があった。
「……嘘だろ」
「ちょっとかすっただけだ。死にはしねぇよ」
男が近づいてくる。
距離、約2メートル。
相手が銃を持っている以上、逃げ出すこともできない間合い。
あいつが引き金を引いた瞬間、僕は死ぬ。その瞬間は刻一刻と迫っていた。
それでも。
それでも僕は、諦めてはいなかった。
まだ、手は残っている。
最初から狙っている作戦は継続していた。
肩越しに、男の姿を確認する。
男から、狂おしいほどの死の香りが漂っていた。
「こっち向け。どんな顔してるのか知らねぇが、腑抜けた面に風穴開けてやるよ」
「……」
ずっと――そう、ずっとだ。
この男は、出会った時から死の匂いを振りまいていた。
だから僕は逃げた、時間を稼いだ。
だってこいつは死ぬはずだから。
もうすぐ、ともすれば、今すぐにでも。
「だんまりかよ、つまんねぇ」
なのにどうして……どうして映写機が回らないんだ!
こんなにも死の気配を感じるのに、一向にカウントダウンが始まらない!
男が銃を持ち上げる気配がする。
引き金が引かれるまで、もう数秒とないだろう。
なんだ……何が足りないんだ!
場所か? 凶器か? 加害者か?
くそっ、僕にできることなら何でもする!
きっかけでもなんでも作ってやる!
だから、頼むから――ッ!
「……きっかけ?」
すとんと、胸の中に何かが収まる感覚。
気付いた。
気付いてしまった。
死の香りを漂わせながら、あいつが一向に死ぬ気配がない、そのわけを。
「……はは、なんだよ。そういうことか」
自覚した瞬間、覚悟を決めた瞬間、あっけないくらいあっさりと、映写機がくるくると回り始める。
【3】
「……なぁ」
「あん?」
簡単な話だった。
足りなかったのは、場所でも凶器で加害者でもなく――覚悟だったんだ。
震える唇が、言葉を紡ぐ。
【2】
「最後に一つ、教えてくれよ」
【1】
だってこの刃を下ろすのは、
ギロチンの紐を切り落とすのは、
「結局さぁ」
僕だったんだから。
「レベッカ・レベッカって、誰なんだ?」
「……なに言ってんだ、お前。そもそもレベッカ・レベッカは」
パァンッ!!
炸裂音と共に、男の体が弾け飛んだ。
右胸が円形にくり抜かれ、おびただしい量の血が道を濡らしている。
がちがちと鳴る歯を懸命に抑えながら、確信する。
やっぱりそうだ。この世界には厳格で明確な、あるルールが存在している。
それは――
「レベッカ・レベッカの正体を、僕に話してはいけない」
そしてその事実を、僕だけが知っている。
だから弾け飛んだ。レベッカも、この男も。
「うっ……」
吐き気を抑えて、男に近寄る。
冷や汗が止まらない。体が小刻みに震えている。
僕が殺した。
僕が、殺したんだ。
この世界のルールを使って、明確な意思をもって。
いくつもの死体を目にしてきたけれど、目の前の死体は重みが違った。
「……ごめん」
せめて瞼だけは下そう。
気休めかもしれない。だけどそれがせめてもの礼儀だと思った。
野暮ったいフルフェイスをなんとか脱がし、顔を上にする。
手のひらで顔に触れようとした、その時――
「え?」
手が、止まった。
その顔には、見覚えがあった。
いや――見覚えなんてもんじゃない。
僕はその顔を知っていた。
この世の誰よりも、詳細に。
なぜなら彼は、
僕と同じ顔をしていたから。
刹那、あらゆるピースがつながった。
なぜ僕のスマホが、ある日を境に不調気味になったのか。
なぜレベッカは僕と出会ってから、この男との連絡を絶ったのか。
なぜレベッカが初めからやけに親しげだったのか。
なぜレベッカが、僕を「先輩」と呼ぶのか。
どうしてもっと早く気付かなかったのだろう
ここは2003年から分岐した並行世界。
僕の年齢は20才。産まれは2002年。
だから――居て当然なのだ。居て然るべきだったんだ。
「この世界の、僕が」
ずっと、ずっと、自分を殺し続けてきた僕は。
その日また、自分を殺した。
※
路地裏の向こうで、一人の少女のスマホがチカチカと光っている。
映っているのは、同じ顔をした二人の男。
一人は死に、一人はそれを茫然と見下ろしている。
【オメガチャンネル】
ライブ配信の視聴者数――122万人。




