ありふれた日常にあるオーバーキル・オーパーツを見つけ出せ! 〜お腹をすかせた転生社畜女子は囁き歌姫となって暗躍する〜
ありふれた日常にあるものが別の世界にいったら〝場違いな工芸品〟になるだなんて、それを見つけて使えないようにしてくれだなんて、そんなの社畜女子に言われても困る。
二十八才、門崎美優が転生した先は現実と似ているようで異なる世界。無茶な神さまから使命をしょわされて飛ばされた美優は、生きるためにヨシュアという少年のふりをして靴磨きになる。
そんな中、チャールズという若き紳士と出会い、事態は一変!
「君が口ずさんでいる歌声に惚れたんだ、録音させてほしい」
「無理です」
しぶる美優に音源を流す機械を開発中なんだと見せてきたのが蓄音機のような形をしたスケッチ。
もしかしてこれが〝場違いな工芸品〟?
使命に関わるブツなのかを確かめるため、美優は昼は靴磨き、夜は歌姫となって人知れず世界を救っていく、のだが。
この世界の均衡は一人の食欲によって保たれているのかもしれない。
駅前にある半円に広がったロータリーの片隅に、ヨシュアは腰掛ける椅子と小さな木箱を置いた。
埃落としのブラシ、艶出しのクリーム、磨き上げる布と代金を入れるハンチング帽。三ヶ月前に始めた靴磨きの用具は今のところこれだけだ。
明らかにサイズがオーバーしているシャツの袖をまくって座ると、一人、また一人と客がまばらに寄ってくる。
熟練のように靴を直す技術はないのでひたすらに磨くだけだが、細やかで丁寧な仕事ぶりに少しずつ客がついてくるようになった。
(あと五人はきてほしい……間に合うかな)
ヨシュアは昼食を食べるか粘るか迷っていた。午前のピークを過ぎたのでここを離れる事もできるが、客を逃すかもしれないという不安がよぎる。
(でもさすがにお腹すいた……昨日も今日もパンだけだったし……)
気をぬけば盛大に鳴ってしまいそうなお腹に手を当て俯いていると、普段とは違う金属音が耳に入った。銀貨だ。そして木箱に差し出されたのは自分が磨く必要のない光沢に満ちた革靴。
ヨシュアは一瞬目を細めて、一息に言う。
「お客さん、冗談が過ぎます」
意識して低い声を出しながら細いあごが見えぬよう帽子を深く被り直した。念のためボサボサの前髪の色も確かめてみるが、染め粉は落ちてなく鈍い色の金髪のままでほっとする。
もし殴られて帽子が飛んだとしても、黒髪だと騒ぎ立てられることはない。
ヨシュアの靴磨きとしての評判は口伝いに広がっていったが、それをやっかむ同業者も多かった。こうやって触る必要のない靴を磨けといって断らせ、声高に悪態をついて妨害をするのだ。新人でよそ者は、常に肩身が狭い。
「はは、さすがに磨く必要はないと見破られたか……若いのにちゃんとしてるね」
怒声ではなく感心したとでも言うような言葉が降ってきて、ヨシュアは驚きをもって顔を上げた。
シルクハットの下から柔らかな眼差しを送ってくる瞳は翡翠色、丁寧に刈り上げられたブラウンの襟足は常に人の手が入っている。
落ち着いた物言いだがまだ二十代前半ぐらいの若い風貌に、ヨシュアは高貴な人だと悟ってその場に立った。さっとハンチング棒を脱いで胸元に握ると、深々と腰を折る。
「失礼しました、高貴な方。その靴は私ごときが触るに値しないほど既に磨き上げられています。お代はお返ししますので、どうかこの仕事をされた方へお渡しください」
「しまった、そう返されるとは思わなかったな」
紳士は木箱からゆるやかに足を下ろすと、あさっての方向を見ながら拳を口元に当てている。ヨシュアが危惧した営業妨害ではなかったが、行き交う人がちらちらとこちらの様子をみているのでなるべく早くこの場から離れてほしい。
ヨシュアは素早く帽子を被ると、置かれた銀貨を手に乗せ紳士の前にさし出す。本当は喉から手が出るほど欲しい金だが、トラブルになりそうな案件に手をつける勇気はなかった。
見た目は少年でも中身はトラブルシューティングにまみれた社畜女子。過去の経験則から未然に避けるべき案件、と脳が警鐘を鳴らす。
ここまでか、と唇を噛みながらヨシュアはこの後の事を思った。好奇な視線が集まってしまうとこのまま座り続けても客は付かない。
あと半日でこの銀貨一枚分の稼ぎを取らなければ今月の家賃が払えなかった。知り合いの食堂で皿洗いを願ったとしても銅貨二枚。あとは、怒鳴られる覚悟で支払いを一日延長してもらうしかない。
「いいよ、もらっておいて、といっても君は受け取りそうにないしなぁ。うーん……よし、では僕の昼飯につきあってくれ。午後の君の時間をもらう事になるから、支払いはこの銀貨でいいんじゃないかな」
「……は?」
「うん、そうとなったら片付けよう。この木箱はどこへ置くんだい?」
ひょいっと紳士が自分の靴を置いていた薄汚れた木箱を持ち出したのでヨシュアは慌てた。
「こっ、高貴な方、触ってはいけませんっ。手が汚れます! あの、ああっ、触らないで! くださいっ!」
思わず張ってしまった地声に、若き紳士はにっこりとした。
「普段の声はそんなに可愛らしいんだね。ぜひとも僕と喋るときはそのままでいて欲しいな。ああ、もちろんこの事は黙っているよ。君の仕事に支障が出てしまうといけないからね」
片目をウィンクして人差し指を口元に当てた紳士は、口を半開きにして呆然と見上げている靴磨きの背中をぽんと叩いて木箱を片手に歩き出す。
この道端に置いておけばいいか、と尋ねてくるのでヨシュアは慌てて頷き、手早く靴磨きの道具を鞄にしまうと紳士に駆け寄る。
その様子に紳士はまたにっこりと笑みを浮かべ、翡翠の目をきらりと輝かせながらも有無を言わさない口調で告げた。
「この近くに衣で揚げたチキンを出す店ができたんだ。珍しいからそこで買って公園で食べよう。どうかな?」
(チキン……とり肉……から、あげ……)
紳士はこくんと生唾をのんだヨシュアの顔を見て、笑みを浮かべるとあとは何も言わずに歩き出した。
ヨシュアは迷いながらもふらふらとついて行ってしまう。そんなヨシュアを見て紳士は軽く頷くと、チキンと一緒に付け合わせの芋もどう? なんて悪魔的な提案をしてきた。
(この世界でジャンクフードが食べられるなんて……!)
迷いなく頷いたヨシュアを促し、紳士は二人分の熱々フライドチキンとふかし芋を買って手渡してくれた。
大通りからほど近い公園のベンチに座り、どうぞと言うが早いか堰を切ったように食べ出したヨシュア。その様子を微笑ましそうに眺めていた若き紳士は、ヨシュアの食べっぷりが落ち着いた頃を見計らって自己紹介をしようと話しかけてきた。
「僕の名前はチャールズ・ランカスター。チャーリーと呼んでくれたらいいよ。君の名は?」
「ヨシュアです」
「ヨシュア、ね。わかった」
面白そうにヨシュアの名前を口の中で転がしたチャールズは頷くと、手元にあるナプキンを丁寧にたたんでにこやかにいった。
「君に声をかけたのは話しかける口実がほしくてね。実は偶然、君の歌声を聞いて惚れたんだ。僕の所で歌ってみないかと思って」
「……はい?」
早々に肉をやっつけたヨシュアはふかし芋に手をつけた所だったが、思いもよらない申し出に焦茶色の瞳を大きく見開きチャールズを見上げる。
(こんな高貴な人がナンパ? いや、いまはこの格好だし……やっぱり新手の嫌がらせ)
「私は、歌いながら仕事をした事はありません」
「ああ、もちろん。靴磨き中にそんな事をしていたら殴り飛ばされるよね、しばらく見てたから分かってるよ。そうじゃなくて、ふとした時に歌っているだろう? 例えば……人気が居なくなった夕暮れの帰り道や、遅い昼食をここで取っている時とか。すこし掠れた声がいいんだよね、気楽に歌っているだろうに音がブレてなくてさ」
「……っ!」
よく噛んだにも関わらず喉に詰まりそうになった芋を、なんとか唾で押し込む。
「……ほんの、呟きのようなものです。人様に聞かせるようなものではありません」
「もちろんステージに立つには練習を積まなければならないだろうね、でも録音ならその囁くような声は十分商売になるよ」
「ロク、オン?」
「ああ、見た方が早いかな。知らなくても大丈夫だけど」
チャールズは懐から小さな手帳を出すと、携帯用のペンでさらさらと四角い箱の上に大きなラッパを書き出した。
「グラホンといってね、まだ開発途中の録音再生機なんだ。この小さな針の下に丸い盤を置いて回すと、ラッパになっている所から音が流れ出すんだよ。今までは試験的に朗読や記録録音として使ってみたのだけど、僕は音楽を流してみたらいいんじゃないかと思って」
興奮しているチャールズの声がだんだんと遠のいていく。ヨシュアはチャールズのペン先から目を離すことができなかった。戦慄きそうになる口元をへの字に結んで、なんとかこらえる。
(この丸いの、昔おじいちゃんが好きだったレコードってやつじゃ……これを動かす機械って……どうしよう……これが、神さまがいってた〝この世界を揺るがす場違いな工芸品〟?)
ヨシュアは、震えそうな手が見えないようにこふき芋の袋の下を抱えるように持つ。
「ん? そんなにこふき芋が好きなら僕のもあげるよ?」
「……いえ、結構です」
遠慮しないで、と朗らかに笑うこの人が、この世界を壊してしまうほどの工芸品を作る発明家だったらどうしよう。
(こふき芋じゃなくてフライドポテトが食べたいっていったら、もしかしたら揚げる機械も作れちゃうかも……? でもそれきっかけで世界が壊れるのはいやだ。ああ、でも、食べたいっ……しょっぱうまのあつあつポテト……!)
ヨシュアこと門崎美優はこくりと喉を震わせた。
自分の食欲きっかけに世界を壊してしまいそうな不安と、転生時にしょわされた否応ない使命を思って。