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人間(期限付き)

 遺伝子操作技術の確立により、人は人の性質を操作できるようになった。

 それにより、あらゆる人類の能力が上昇。だが一方、純粋な人の遺伝子は失われようとしていた。


 長谷は世界で一握りしか存在しない、一切の遺伝子操作を受けてこなかった一族――原種の一人だった。

 国から監視、管理、研究されてきた長谷は、子どもを作る練習として、国が用意した高級デリヘル嬢の奏と出会う。彼女はいくら中に出しても妊娠しない、セックスのために作られた、通称種なし少女だった。


 彼女は自分と同じだ。そう感じた長谷は、二人で逃げ出すことを奏に提案する。


 そして、二人の逃避行が始まった。


 セックスのことしか知らない少女は、世界を知る。

 意思を排除されてきた少年は、責任を知る。


 これは世間から隔離されてきた二人の少年少女が、人になるための逃避行。


 全ては人らしく生きるために。

 全ては人らしく死ぬために。

「こんばんは! ダブルクラウンの奏です、よろしくね?」


 真夏の夜二〇時ちょうど。玄関の扉を開けると目が眩むような美少女がいた。

 ぱっと見年は俺と同じで一八くらい。陶器のような肌や腰まで伸びた白髪は、夜だというのに輝いて見える。声も高すぎず低すぎない心地いいもので、すれ違えばあらゆる男が目で追ってしまうと確信できてしまうような、そんな少女だった。


 間違いなく、初対面。俺の知り合いにこんな人はいない。


 ダブルクラウンという名前には聞き覚えがあった。確か学生の俺には手を出せるはずもないほどの高級デリヘル店だ。


「……なんで?」


 俺には彼女を呼んだ覚えなんて、微塵もなかった。



 いつからか子供は、産むものではなく作るものになった。


 遺伝子工学と、それに付随する様々な技術。それらの進歩によって、人が受精卵の遺伝子を操作し人の性質をコントロールできるようになって久しい。

 一度に行われる操作こそ少ないが、操作された子供同士で作られた子供がさらに操作される――そんなことを繰り返し、技術確立前と比べ、人類の平均レベルは格段に上昇した。

 人はより病気になりづらく、より丈夫な体を持ち、より明晰な頭脳を持ち――そして、より美しく。


 そんな現社会においても頭一つ抜きんでたような美しい少女が、目の前にいた。


「…………」

「…………」


 頭が追い付かなくて、俺は何も返せなかった。そんな俺を待つように、彼女もニコニコと笑みを浮かべている。


 とりあえず、現状把握をしよう。


 といっても、考えるべきことなんてほぼない。俺はただの学生だし、ただ特にやることもない二〇時という時間帯を、ネットサーフィンで浪費していたところだった。そんな時に唐突になったチャイム。扉を開けると、目にするだけでクラっとするような少女がそこにいた。

 両親もいない一人暮らしとはいえ、家にデリヘルを呼んだことないし、そもそも風俗を利用したこともない。彼女を呼んだ覚えなんてあるはずがなかった。


「……どうかしましたか?」


 そういう店に行かなくても知られるほどの最高級風俗店――ダブルクラウンから来たという少女。彼女は大きな瞳を瞬かせながら、上目遣いで俺を覗き見る。

 その容姿を至近距離から見て、正気に戻った。


「……ごめん、ちょっと待っててくれる?」

「? はい、わかりました!」


 微塵もない、とは言ったが、一つだけ心当たりがあった。

 彼女に背を向け端末を取り出し、()に通話をかけると、ピッタリ三コールで彼は出た。


「どうしましたか、長谷君」

「賀田さん。今家にダブルクラウンのデリヘル嬢が来てます」

「ああ、ちゃんと到着しましたか」


 彼は悪びれることもなく、淡々とそういった。

 賀田さんは俺が小さいころから面倒を見ていろいろ連絡してくる、国のお偉いさんだ。国の役人らしく冗談が通じず、そのくせして冗談みたいなことを淡々と告げてくる。そんな人だった。


「はぁ……一応聞きます。何でですか?」

「説明よりまずは。長谷君、一八歳の誕生日おめでとうございます」

「あ、ありがとうございます。……って、まさか」

「なんとなく、予想はついているでしょう。はい、あなたには結婚してもらいます。そして、子供を作ってもらいます。他でもない、原種として」


 遺伝子操作技術が確立されてから、多くの人々が遺伝子を操作してきた。もはや体内受精をし、子宮で育ち、操作されることなく生まれる子供なんて、全人類の一パーセントにも満たない。

 

 だからこそ、人の純粋な遺伝子の保護を目的として、それまで一切遺伝子操作を行っていない家系――原種の保護を行った。

 種の保存、ないしは研究のために。


 俺はその原種の一人だった。だから物心ついた頃からずっと、国から生活支援を受けている。同時に、行動の監視と採血、よくわからない検査も。

 操作を受けていない原種は、他と比べて能力が低すぎて就職どころかバイトできるかも怪しい。


「とはいえ、あなたは経験がないでしょう。彼女はあなたの練習相手です。あなたは普通の家庭と違い、子供を産むためにセックスをする必要があります。結婚の話も決まったことですし、一度経験しておいてください」

「いや、あの。そんな急にいろいろ言われても――」

「ではよろしくお願いします」

「ちょ……!」

「あ、料金はこちらで先にお支払いしておきましたので、ご安心ください」

「いやそこは別によくって――切れた」


 こちらの反論を聞く前に、通話が切れてしまった。


 正直、結婚をさせられる、要するに許嫁が作られることは、なんとなく予想していた。ただ、ここまで強引とは思わなかった。


「いやいや、ないだろ……」


 確かに現代において原種である俺は顔も体形も頭脳も能力もあらゆる分野において普通の人間に劣っている。そんな俺が普通に結婚できるかといわれると、できるわけがない。

 でもそれ以上に。誰かにこの人と交わってくださいと、繁殖相手(・・・・)を言い渡されるのが嫌だった。まるで自分が家畜みたいで。

 首を前にたらし、湿った息を吐きだし、つい小さな声でこぼす。


「――人らしく、生きたいだけなのに」

「終わった?」

「うわあ!」


 背後からをかけてきたのは、ダブルクラウンから来たという奏だった。

 そうだ、この子が来てたんだ。完全に忘れてた。


「あ、あのさ。来てもらって本当に申し訳ないんだけど、俺じゃない人が勝手に呼んだみたいなんだ。金は先に払ってるらしいから――」


 帰ってくれと、そう告げようとして振り返る。すると眼と鼻の先に彼女の顔があった。


「ふふっ」

「え、ちょ……!」


 ふわりと彼女が笑う。

 ただでさえ触れてしまいそうな距離なのに、彼女はさらに一歩距離を詰めてきた。

 強すぎずうるさすぎない、上品な甘い香り。


 政府から監視され、隔離されて生活してきた身だ。自慢じゃないけど、女性経験なんて皆無に等しい。

 どんどん余裕がなくなる頭で、必死にそんなことを考えて気を紛らわせた。薄い布越しに伝わる彼女の体温が、その甘い香りが、上気してかすかに汗ばんだ彼女の肌が。彼女を構成するすべてが、ゴリゴリと理性を削り取ってくる。

 しかし側から見て俺は挙動不審だったのか、奏は楽しそうに微笑んだ。


「名前、なんていうの?」


 彼女と俺の体の距離が限りなくゼロになる。自分のものでない熱が伝わってくる。

 彼女はつつつと俺の胸板を細い指でなぞった。くすぐったくて身をよじれば、嬉しそうに目を細める。


「長谷、だけど……」

「そっか。今日はよろしくね? いっぱい楽しんでね?」


 そういうと、彼女は目を閉じた。胸板を撫でていた細指は、しゅるりと俺の指に絡みつき、愛おしそうに撫でる。そのまま、ゆっくりと顔が近づいてくる。


「――!」

「キャッ!」


 すんでのところで俺は彼女を突き放した。

 まだ心臓がうるさい。顔も熱いし、なんだかのぼせたように思考もまとまらない。知らないうちに乱れた息をなんとか整えながら、できるだけ彼女の顔を見ないように、下を向く。


「本当に、本当に申し訳ないんだけど! 他人が勝手に呼んだだけなんだ。帰ってもらっていいかな!」


 正直セックス自体したくなかった。賀田さんが呼んだ人だから、というのもある。だけどそれ以上に遺伝子操作をした人と深く交わると、自分の劣等さを見せつけられそうで。

 耐えられる気がしなかった。


 かなり無責任なことを言っている自覚はある。恐る恐る彼女の表情を覗くと、彼女は首を傾げているだけだった。


「なんで?」

「なんでって」

「誰が買ったとか関係ないんだよ? 私を買ったということは、今から九〇分は私は、私の体はあなたのもの。何してもいい。もちろんセックスしてもいいし――中に出してもいい」


 当然のように、彼女はそう口にした。俺の言い分が本当に理解できないと言ったように、キョトンと目を丸くして。


 ふと、彼女の今の言葉を聞いて一つ疑問が浮かんだ。


 ――中に出してもいい。


 彼女は確かにそういった。でも、おかしくないか?

 奏は賀田さんが呼んだ女だ。中に出してしまえば、もちろん妊娠する可能性がある。そんなこと、原種の保存が第一の賀田さんが許すはずがない。


 そこで気付く。


「――あんた、種なしか」



 種なし少女。


 裏社会の人間が風俗の売り上げのために非合法で作り出した少女たちの通称だ。

 言ってしまえば、セックスのために作られた少女。顔よし、体型よし、感度よし。もちろん、いくら中に出そうが妊娠をすることもない。


 そんな彼女は、リビングでコップに注がれたお茶を不思議そうな目で見ていた。


『今君が俺のものと言うなら、セックスしたくないって要求も飲んでくれ』

 そう告げると、彼女はあっさり承諾した。

 とはいえ、だからといって何もせず帰るわけにもいかないらしい。家の中に放置するのも俺は気まずいし、とりあえずお茶を出すことにした。


「これ、飲んでいいの?」

「? もちろん、いいけど」

「ありがと!」


 また、あの人懐っこい笑み。それを見て、胸のなかにモヤがかかる。


「あのさ、それやめてもらってもいい?」

「それ?」

「作ってるでしょ、性格」

「……よく、わかったね」

「そういう人たちを見てきたからかな」


 物心つく頃から、ずっと嫌な大人たちと関わってきたからだろうか。気がつけば取り繕っている人のことはなんとなくわかるようになっていた。


「やめていいの?」

「うん。正直、気分が悪い」

「そっかー……うん――わかった」


 そういった彼女から、スッと表情が消えた。弾んでいた声は、どこか抑揚がなくなり。人間離れした容姿もあって、よくできた人形のように見える。


「それが素?」

「やめた方が、いい?」

「いや、そっちの方がいい。……でもすごいな。種無しは演技も達者なのか」


 ついつい皮肉げになる。


 種無し少女は、現代社会において最も大きな遺伝子操作を受けた人間だ。一切の捜査を受けていない俺とは真逆の存在。その目的や願いは、ともかくとして。


「私には、必要なことだったから。エッチが大好きな女の子にも、恥ずかしがる女の子にも、嗜虐心を煽るような女の子にも、ならないといけなかったから。私は――失敗作だから」


 それは何か理由があるのか。それともダブルクラウンという大手だからこそ求められる技術なのか。

 なんとなく手持ち無沙汰で、ダブルクラウンのホームページを検索する。


 顔も思わず見惚れてしまうくらいに美しく、演技だったとはいえ男が好む性格で、おそらくそっちの技術もあり。そんな彼女が、どれくらいの金額で売られているのか気になった。


 ホームページにたどり着き、システム紹介のページへ。


「たっ……!!」


 そこに表示されていた金額は、軽く七桁を超えていた。

 思わず目を丸くして画面と奏を交互に見比べてしまう。


「これ、九〇分の値段だよな……? まじか、こんなに……」

「それって、そんなに高いの?」

「は……?」

「ぶどう、いっぱい買える?」

「なんでぶどう……? まあ、一房三〇〇〇円くらいだから、三〇〇房以上は買えるかな」

「わぁ、わぁ。いっぱい食べれちゃうね」


 表情の変化こそかなり薄いが、目はやけにキラキラしているし、確かにその声は弾んでいるように聞こえた。


 この子、自分の値段――というか、価値すら知らないのか。


 種無し少女はセックスのために作られた少女だ。男に奉仕し、店に金を持ってくることこそが彼女たちの生まれた意味。セックス以外の知識なんて不要なのだろう。


 何も知らずはしゃぐその姿は、本当の子供のようで。

 見た目は俺と同い年か、少し年上くらいに見える。だけど、ふと、嫌な噂が頭をよぎる。


「……ねえ、奏。今何歳?」


 噂される種無し少女の大きな特徴として、こんなものがあった。

 

 曰く――老化のスピードすらも調節されている。


 より早くセックスが可能な体になるように成長し、その状態をより長く維持するために老化しづらい。


「本当の歳?」

「うん。店からこう言えって言われている年齢じゃなくて、実際の年齢」

「えっと」


 すると彼女は、指折り数え始めた。一本、また一本と指を折り、片手を使い切る。そしてもう片手の指を全て使い切ったところで。


「――十歳」


 特に何の感情も含ませることなく、そう答えた。


「……消費期限は」

「えっと、確か、一二歳くらいだったと、思う」


 消費期限は、要するに種無し少女の寿命のことだ。あまりに無茶な遺伝子操作によって、彼女らの寿命は極端に短い。そう噂されていた。


 その質問にも、消費期限という単語にも、特に疑問を挟まずに彼女は答えたし、事実なのだろう。つまり彼女は、あと二年で死ぬ。


「ねえ、奏」


 ふと、昔言われたことを思い出した。


「仮に、これは仮にの話なんだけど。もし仮に、奏が自由になったとして、何をしたい?」

「やりたい、こと……?」


 コテン、コテンと。置き物のように彼女はしきりに首を傾げた。


「ないの?」

「ううん。えっと、聞かれたことも、考えたこともなかったから。ちょっと、考えてみる」


 うーんうーんと唸り、たっぷり一分。


「ぶどうを、食べてみたい」


 それを皮切りに、彼女は語り出す。



「誰かとご飯を食べてみたい」

「お買い物をしてみたい」

「電車に乗ってみたい」

「目的もなくお散歩をしてみたい」

「一人でお風呂に入ってみたい」

「一晩、お布団でぐっすり寝てみたい」



 一瞬、口の動きが止まる。

 何かを探すように視線を彷徨わせ、少し俯き。



「――人として、生きてみたい」



 ぽそりと、そう口にした。


 それを聞いて確信した。

 ああ、奏は俺と同じなんだ。


「逃げよう、二人で」


 気がつけば、そう提案していた。


「二人で、できるだけ遠くに。俺たちのことをだれも知らないところに。それで、普通に暮らすんだ。普通の、人みたいに」


 彼女に手を差し伸べる。

 ずっと逃げ出したかった。監視から抜け出したかった。でも俺だけじゃ勇気が出なかった。

 でも、この子となら。奏となら。なんだか、できる気がして。


「にげ、る……?」


 彼女はその意味を反芻するように、そう呟いた。


「逃げる、逃げる……」


 きっと彼女には、今までその選択肢すらなかったのだろう。俺とは違って、そういう思考にすらならなかったのだろう。


 何度も何度もその言葉を繰り返し、そして。


「逃げたい。……私も、逃げたい」


 彼女は俺の手を取った。


 正直、逃げ切れるなんて思えなかった。逃避行なんて成功しない。奏の出生や店には裏の社会の人間が関わっている。きっと捕まれば、殺される。

 でもそれでよかった。一生実験動物として生かされるよりずっと。


 ギュッと彼女の手を握る。その手は作り物のように冷たい。


 彼女は期限が切れるまで。俺は国か、誰かに捕まるまで。


 どうか、どうか。


 人として生きて、そして。



 ――人として、死ねますように。

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