タイムリープは元カノと
タクシーから降りると目の前には夜の高校と、塩を鷲掴みにした女がいた。冬の寒さに体が震えていて、震えるたびに指のあいだから塩がこぼれ落ちていく。
彼女――千坂史乃は高校の同級生で、元カノだった。
塩さえ持っていなければ、月明かりの似合う大和撫子。それが元カレである俺の評価だ。
「何やってんだ?」
「人を待ってた」
「塩を持ちながら待つか? タクシーの運転手が怖がってたぞ」
「夜の高校って怖いものね」
「塩持った女に怖がってたんだが」
彼女は手に持った塩を見て、首をかしげる。
「塩恐怖症?」
「とぼけるときに首をかしげるの、相変わらずだな」
彼女の手に力が入る。
強く握られた塩がどばどば落ちていった。
「仕方ないでしょ。塩持ってたら落ち着くんだから!」
昼間の学校のトイレでさえ、友達に付いてきてもらわないと行けないほど彼女は怖がりで、本来は夜の高校に一人でいられる人間じゃない。
だからといって、このままにすれば警察沙汰になりかねない。
それは避けたかった。
「待ってる奴が来るまで一緒にいてやるから、塩をしまえ」
「えっ?」
教室には元同級生が集まってるはずだ。なのに声をかけなかった。暖房の効いた教室から冷えた校門で一緒にいてもらうのが申し訳なかったのだろう。
一人でいるのが怖いくせに。
「もしも、もしもだ。一人で教室に行くのが怖くて人を待ってたとかなら正直にそう言えよ」
彼女は、「それじゃあ」と言ってから両手を合わせた。
「お願い! 恋人のフリをして」
「……確認だけど、俺はさっきこう言ったよな。一人で教室に行くのが怖くて人を待ってたなら正直にそう言えよって」
「だから正直に言ったわ」
「正直の部分だけ抜粋するな!」
「今言わないと言い出せなくなりそうだったから。それに、お願いするためにあんたを待ってたから人を待ってたは本当になるわ」
「聞きたくないけど聞くぞ。なぜ?」
彼女の説明によるとだ。
俺より先に同窓会に出席した彼女は、そこで近々結婚する同級生と再会。そこで同級生から、高校のときから付き合っていた俺と関係がまだ続いてるのかを聞かれ、続いてると嘘をついた。
結婚する人間のまえで別れたなんて言ったら気を使わせてしまうと思ったから。けれど、あとからやって来た俺の口によって事実が発覚するかもと考えた彼女は校門前で待ち伏せし、なにも知らずにのこのこやって来た元カノに口裏を合わせるのう頼んだわけだ。
俺が恋人のフリをしなければ嘘がバレてしまう。
久しぶりに会う同級生たちに気を使われるのは嫌で、だから彼女の嘘に付き合うことにした――
校舎に入った俺たちは、先に手洗い場で元カノの塩まみれな手を洗ってから教室に向かった。元カノと廊下を並んで歩いていると、明かりの点いた教室が見えてくる。
近づいていくと懐かしい声がした。
教室のまえに立つ。
ドアの向こうに同級生たちがいる。
久しぶりに再会する彼らを欺かなければいけない。そう思ったらドアを開けるのが怖かった。
俺が動けないでいると、隣にいた元カノがドアを開けてなかに入っていき、ストーブのまえでしゃがんで冷えた手をかざす。
「コートが焦げるだろ」と言って、金髪の女性が元カノから手際よくコートを脱がした。
「さすが二児の母。手慣れてる」
「家でお母さんしてるのが想像できるよねー」
金髪の女性も、他にしゃべっている女性たちも見覚えはあったけれど名前が出てこない。
ただ一人を除いて。
「森坂ナイスだ!」
金髪の女性に、親指を立ててグッジョブを送る男。住職の息子なのに煩悩を愛し、幽霊には塩が効くと元カノに教えた坊主頭の同級生ーー赤寺竜司
同窓会の主催者だ。
「人の彼女見て喜ぶな!」
「罰として女子全員の参加費、赤寺くん持ちね」
「待て! 千坂はまだしも、お前らは制服着てこなかっただろ」
「幹事が赤寺の時点でねー」
「招待状に制服着用の一文で察した」
そうだ。同窓会の招待状には制服着用と書いてあった。けれど教室にいる同級生は男女どちらも高校の制服を着ていない。
言い出しっぺの赤寺もだ。
「社会人になった同級生が夜の高校で恥ずかしそうに制服を着る、それが見たくて幹事をやったのに。お前らと来たらロマンがねえよ。なっ、そう思うだろ?」
バカが同意を求めるも、男性陣は全力で首を横に振った。
「お前らっ! 千坂だけに着させて恥ずかしくないのか!」
「ごめんねー。人にあげちゃった」
「ごめん、捨てた」
「売った」
「……太った」
森坂さんが腰に手をあてて言った。
「し、幸せ太りだよ」
「子供産んだんだから仕方ないって」
女性陣がフォローに回る。
タイミングを逃した俺は教室に一歩も入れず、暗い廊下に一人佇む。気づかれていないことだし、出直すか。そう思ってドアに手を伸ばしたところで元カノが手を挙げた。
温まった手に血色が戻っている。
「確認なんだけど、男性陣でも制服着てたら赤寺くんが参加費持ってくれるの?」
「寒いなか制服着てきたって考えたらありなんじゃない?」
「バカに巻き込まれたわけだし?」
「でも着てる男子いないよね」
そこで、元カノは上げていた手を勢いよく振り下ろして俺を指さす。同級生たちの視線が俺に集まった。
着てなかったらどうする、と思いながらコートを脱いで制服を見せる。
教室がどよめく。
「真面目ってこういうとき損だよね」
「参加費払わなくていいんだから損じゃないでしょ」
「確かに」
「ハル君、とりあえず入ったら?」
名前だったか、家主からいらっしゃいと言われて初めて家に入れる怪異がいたようなことを思い出しながら俺は教室に入った。
部屋の端には椅子と机が集められていた。腰に悪そうな椅子で三年間もよく勉強したなと思う。
腰を気にしないころに戻りたい。
それか二十万の椅子がほしい。
ないものねだりをしながら俺は元カノの横に並び、しゃがんでストーブに手をかざす。
高校生のころの俺なら、しゃがんでいる恋人のスカートからパンツが見えないかチェックしてたんだろうなと思いながら、目線を前方のストーブに固定した。
「俺が制服着てるってなんで分かったんだ?」
「ただの当てずっぽうよ。空気を変えたかったし、誰もあんたに気づかなかったし、それに二択でしょーーあと、あんたなら絶対着てくると思ったから」
「もしも着てなかったら?」
彼女は言った。
ーーもしもなんてないと。
教室に入れた俺は元カノを介して女性陣と近況を語り、それから男性陣とは夜の学校を探索して回った。探索中、女性の目がなくなった途端に男性陣の口が軽くなり話が弾む。
実は女性陣が制服を着てくるのを楽しみにしていたと暴露したり、同窓会が終わったら制服デートするんだろと妬みの混じった声でからかわれたり、ただ廊下を歩くだけで懐かしがったり。
数年間会ってなくても、年を取っても同級生といるのは楽しくて時間を忘れてしまう。気づくと幹事の口から同窓会の終わりが告げられた。
片づけが始まり、同窓会を開くにあたって学校に残ってくれていた先生に戸締まりを任せて校門前で解散する。
彼女を家まで送り届ける、と言って同級生たちと別れた俺は元カノと二人で夜道を歩いた。
同級生の目はもうない。
それでも今日が終わるまでは恋人のフリをする約束だったから、彼女を家まで送った。
「今日はありがと」
「あぁ」
「……」
「……」
「……恋人のフリに付き合っただろ。だから、俺の頼みも一つ聞いてほしいんだけど?」
「良いよ」
俺の頼みごと。
それは、
「公共の場で塩を握らないと誓ってくれ」
「……××だから」
なにか言ったけれど、彼女の声が小さくて聞き取れなかった。
「悪い、聞こえなかった」
「塩じゃなくて、砂糖だからぁぁああああ!」
ああああ、と言いながら彼女は家のなかに走っていった。彼女の叫びを聞いて、住民が窓を開いてじっと見てくるので頭を下げる。
通報はされなかったが、砂糖という謎を残したまま恋人のフリが終わった。
※ ※ ※
「ハル、起きなくて良いの? 遅刻するわよ」
遅刻と聞いて一瞬で目が覚めた。
家を出る準備をしようと布団を出たところで気づく。部屋に母親がいると。
一人暮らしのはずだし、合い鍵も渡してない。
なのにいた。
あと、少し若い気がする。
「呆けてないで学校行く準備!」
「学校?」
母親は近くに置いてあったデジタル時計を持って、俺に見せてくる。
「7時45分。8時までに家を出ないと学校に間に合わないわよ!」
「その時計壊れてる」
「どこが?」
昨日は2025年12月12日だったはず。なのに時計は2016年9月2日と表示してあった。そのことを説明すると、「寝ぼけてるなら目覚まさせてあげる」と言った母親が俺の胸ぐらを掴む。
そして不良だった時代に培ったどすの利いた声で命令する。
「つべこべ言わずに学校行け」
「……はい」
制服を着て家を出る。
そして同窓会で訪れた高校に向かった。
夢なんじゃないかと思っていた俺はあとで知る。
これは現実で。
自分がタイムリープしていることに。




