宝石の魔女と自称竜のトカゲ
宝石の魔女ルシルは、宝石を燃料にして魔法を使う魔女だ。
皇国で三本の指に入る魔女であるにもかかわらず、ルシルは帝都の外れで小さな宝石店を営んでいる。
ところがある日、小さなトカゲがルシルの店にやってきた。
「お前が宝石の魔女か? 幼体じゃないか」
「よ、幼体……?」
偉そうで失礼極まりないトカゲが持ち込んだのは、二つに割れた黒い宝石。呪いの域にまで恐ろしい魔力を纏った宝石を修復してほしいのだという。
断ろうとしたルシルだったが。トカゲが現皇后である砂時計の魔女の紹介で来たと知る。
「俺の名はリンドブルム。偉大な竜であり、この国の皇子だ!」
「はあああぁぁあ?」
呪われた竜であり隠された皇子リンドブルムの持ち込んだ、宝石を巡るドタバタ劇。
お人好しの宝石の魔女ルシルは、なんだかんだでリンドブルムを放っておけず、渦の中心になってしまうのだった。
あるところに一匹の竜がいました。
竜はとても強く大きく、魔法を使うことも出来ました。
竜が爪を振るえば、木々が倒れ。
竜が踏みつければ、大地が割れ。
竜が吼えれば、嵐が起こりました。
人も動物も竜を恐れました。
竜は世界の王でした。
竜を鎮めようと、人間たちは美しい姫を遣わせました。
けれど姫たちは、みんな竜に食べられてしまい、誰も戻ってきませんでした。
人間たちが竜を鎮めることをあきらめかけたある日、竜は一人の女の子と会いました。
竜は女の子と恋に落ちました。
一年、十年、百年。
人の寿命を超えても、竜と女の子は幸せに暮らしていました。
ずっと変わらない女の子に、人間たちはこう思いました。
竜は不老不死の霊薬を持っているに違いない。
人間たちは竜が留守の間に女の子を捕まえました。
戻ってきた竜に霊薬と女の子を交換しようと言いましたが、竜は霊薬など持っていません。
怒った人間たちは竜を切り、竜の血を浴びた物や人間には、魔法の力が宿りました。
竜は怒り、暴れました。
けれど強大な竜の力は、女の子まで傷つけてしまいました。
女の子の傷口が、竜の怒りと人間の欲を吸い込みました。
そうして女の子は真っ黒い宝石になりました。
竜は黒い宝石を大事に抱え、どこかに飛び去ってしまいました。
竜の力の満ちた丘に、最も多く血を浴びた魔法使いが国を興し、セイズ皇国となりました。
――『セイズ皇国建国記』より抜粋――
宝石の魔女の宝石店。店主であり宝石の魔女その人であるルシルは、一人の客を迎えていた。
「このペンダントなんですが」
清潔だが着古した質素なワンピースとエプロンの娘が、おずおずと古く奥ゆかしい造りのペンダントをルシルに差し出した。真ん中に親指の爪ほどのアメジストが、シンプルな台座にはまっている。
(あー。宿ってる魔力はそこそこ。今ある燃料でいけるかな)
ペンダントに使われているアメジストは、庶民でも買えるお手頃価格な宝石だ。楕円形で、深く落ち着いた紫色が美しいが、至る所に亀裂が入っていて、欠けた部分もある。今にも粉々に砕けそうだ。
(ここまで酷い状態だと、普通の修復は不可能。魔法に頼るしかないけど)
「やっぱり直りませんよね。もし直ったとしても……」
言葉を飲み込み、きゅっと両手を握った娘が目を伏せた。胸の前で握った娘の指先はかさついてひび割れている。娘の裕福とは言い難い生活がうかがえ、飲み込んだ言葉の先が容易に想像できた。
魔法は高額だ。貧乏人が払える金額ではない。娘もそれを分かっていて、それでもここに来たのだろう。大切な人から受け継いだ、大切なものだから。
アメジストは、温かい魔力を纏っていた。
男から女へ。母から子へ。大切な相手への愛。幸せを願う気持ち。プロポーズの光景。ペンダントをもらって喜ぶ女の子の様子。魔力の中にそれらが視えた。
新品を買った方が早いし、魔女や魔法使いに依頼すれば新品以上の金がかかる。それでも直したいから、ルシルを頼ったのだ。応えなければ、魔女がすたる。
「大丈夫。直りますよ。三万イェーンになりますが、よろしいですか?」
「えっ」
伏せていた顔を上げ、娘が目を見開いた。ルシルの提示した額は、新品を買うよりも安い。
「いいんですか」
「ええ」
ルシルはにっこりと娘に笑いかけた。
娘の瞳が潤む。ずっと硬かった頬が弛んだのを見て、ルシルの心もほころんだ。
「ありがとうございます。お願いします」
「任せてください」
深々と頭を下げて店を出る娘を、ルシルはにこにこと見送った。
娘が帰った後、ルシルはカウンターの下の麻袋の中に手を突っ込んだ。
「戻れ」
短い言葉で魔法を発動すると、アメジストのひび割れがなくなり新品同様に。代わりに麻袋の中身がごっそりと減る。
「やっぱりタダ働きかぁ……」
麻袋の中身は宝石くずだ。宝石をカットする際に出た欠片たちや、小さすぎて加工出来ない原石などである。減った宝石くずの量は、もらった代金と同額。予想通りのタダ働きである。
「なんで私の燃料は宝石かなぁ。金食い虫じゃん」
カウンターに肩肘をつき、だらりと体重を預けた。動きに合わせて、さらりとした黒髪が流れる。
人の魔法には魔力だけではない燃料がいる。何を燃料とするかはそれぞれ違うが、ルシルの場合は宝石だった。
「ま、いいや。取れそうなとこからぼったくろ」
宝石にはそれぞれ力が宿っている。疲れを癒したり、運を呼び込んだり、頭の回転を良くしたり。それをさらに魔法で効果を上げた宝石は、願い事が叶うパワーストーンとして、ルシルの店の人気商品だ。
特に恋愛成就のパワーストーンは貴族の令息・令嬢から人気がある。どうせ家の金で買う連中だ。適正価格に遠慮なく上乗せして売っていた。店の売り上げはほぼそれである。
ちりん。
ドアベルの音で、ルシルは顔を上げた。客だ。
「いらっしゃいませ」
出迎えの挨拶をして、ルシルは固まった。
入り口には、最初何もいないように見えたが。小さな小さな何かがいる。
(見間違いかな)
目をこすってみたが、変わらない。
それは、真っ白な長い胴体に赤い瞳の小さなトカゲだった。太さは指一本分。体長は尻尾を丸めれば手のひらに乗る。普通のトカゲより少し大きい後ろ足で器用に立っていた。
赤いい目がぐるりと店内を見渡し、ルシルで止まった。くいっと首が斜めに傾ぐ。
「お前が宝石の魔女か? 幼体じゃないか」
「よ、幼体……?」
ルシルのこめかみに青筋が立った。トカゲの癖に偉そうな物言いに、ではなく、『幼体』の一言に。
確かにルシルは背が低い。童顔で、ついでにこう、ほしいところに脹らみがない。
(だけど、だけど……っ!)
「どうした? 違うのか?」
うつむいてわなわなと震えるルシルに、ちょこちょことトカゲが近づいてきた。十二分に近づくのを待って、ルシルは口を開く。
「私がぁっ、宝石の魔女ですぅぅぅうう!!」
(自分だってチビじゃないっ。耳キーンってなれ、このバカッ)
思い切りトカゲの耳元?で叫んでやった。
「こう見えて成人してますっ!」
腕組みをして鼻からふんっと息を吐く。ちらりとトカゲを見下ろすと、目論見通りにキーンっとなったかは分からないが、ダメージは与えられたらしい。赤い目をぐるぐると回していた。
(ふーんだ。ざまあみなさい)
トカゲに向かってべーっと舌を出してやった。
成り立てほやほやだが、ルシルは十八。成人済みなのだ。
「嘘だろ。そのナリとその声で成体だと……」
「は?」
(まだ言う?)
不機嫌を前面に押し出して睨む。ルシルの低い声と眼力から、失言に気づいたトカゲがたじろいだ。きょときょとと目を泳がせた後、小さな前足を上げた。
「その、悪かった。許せ」
「許せ? 偉そうに。それが謝る態度?」
「ぐっ。許してくれ」
「嫌です。お帰りください」
すげなくしっしっと手を払うと、トカゲが後ろ足で地団駄を踏んだ。
「なっ。謝ってるじゃないか」
「謝ったら何でも許してもらえると思ったら大間違いですぅー。大体、許せってなによ。許せって。偉そうに」
長年のコンプレックスを土足で踏み荒らしたのだ。後から謝ったところで、もうルシルの機嫌は最悪だ。
「さあ。帰って帰って」
「待て! 用件くらい聞け」
そっぽを向いてしっしっと手で追い払ってやると、トカゲが胸の辺りに前足を当てる。すると、ルシルの拳大くらいの何かが現れた。
(どうなってんの??)
「この宝石を修復してくれ」
瞬間、膨大な魔力が溢れた。
全身が総毛立ち、圧迫感で息苦しくなる。それほどの魔力がトカゲの持つ塊から溢れていた。
(何なのこの魔力と記憶の量)
トカゲの持っている物は、おそらく宝石だ。おそらく、としたのは濃密な魔力のせいで見えないから。
真っ黒な魔力が複雑に絡み合い、重なって、ガチガチに凝っている。おかげで何の宝石かも分からず、真っ黒い塊にしか見えなかった。
「直せるか?」
「……ちょっと待って」
このままでは直せるかどうかの判断すらできない。
「鑑定」
宝石くずを少量燃やして、魔法を使う。
手のひらいっぱいの大きさの黒い石が、真っ二つに割れていた。輝きの強さから、黒色宝石ではない。どこまでも落ちていくような深く濃い黒色だが、透明感がある。つまりこの宝石は天然物のブラックダイヤモンドである。
(鑑定の魔法を使っても、視えたのは宝石の種類だけ)
ルシルの背中に冷たい汗が流れた。
なぜトカゲがブラックダイヤモンドなど持ってるのかは、とりあえず脇に置いておくことにして。
これを直すとなると、宝石の修復のための魔法だけでなく。宝石をがんじがらめにしている魔力をどうにかする必要がある。強力な魔法の行使ほど大きな代償がいるもの。燃料の宝石がどれほどいることか。想像しただけで震える。
(宝石くずだけじゃ足りない。店中の宝石を使うことになる。ううん、下手をするとそれでも足りないかも。そんな大金、このトカゲに払える?)
宝石には歴史と思いが魔力となって詰まっている。
石としての歴史、加工した職人や使っていた人々の思い。この宝石にはそれが多すぎる。正のそれよりも、負のそれが。もはや呪いの域である。
(無理無理無理無理。断ろう!)
鑑定の魔法をかけてから数秒間。
ルシルは忙しく思考を回して結論を導き出した。
――そのため周りの状況がすっかり頭から抜けていたのだ。
「やはり直せないのか」
「うーん、直せるけど……あ!」
(しまった。つい)
つい、かけられた声に上の空で反応してしまった。
「直せるんだな!」
「い、今のはなし! ダメダメ! トカゲの依頼なんて受けられないから!」
「なんだと!? 俺をトカゲなんかと一緒にするな! いいか」
慌てて首を横に振ると、憤慨したトカゲがぶんぶんと宝石を振った。反対の手でびしりとルシルを指差す。その指先には小さく尖った爪が生えていた。
「聞いて驚け。俺は竜だ!」
しーん。暫しの静寂の後、ルシルは息を吐いた。
「……ほんとに驚いた」
「そうだろう」
「ほんと、驚いた。まさか、そんな嘘をつくなんてね」
得意気に胸を張るトカゲに、肩をすくめてみせる。
竜の呪いと祝福を受けたこの国は、数多くの竜が生息しているが、こんなに小さな竜は聞いたことがない。
翼や角はない。爪は一応あるけど、あれで引っかかれたところでヒリヒリするくらいだろう。どう見てもトカゲだ。
「嘘じゃない!」
「はいはい。いいから。さ、出口はあちらです~」
「ぐぬぬ」
本気でお帰り願おうと、出口にトカゲを追い立てるが、ちょこまかと逃げて上手くいかない。
「ちょっと、いい加減にしなさいってば」
「くそ。言いたくなかったが仕方ない。俺は砂時計の魔女の紹介で来たのだ」
「は?」
こうなったら魔法で追い出してやろうかと宝石くずに手を伸ばしたその時、トカゲが聞き捨てならない名を出した。
(砂時計の魔女って)
『砂時計の魔女』は秘匿されている。
理由は二つ。
砂時計の魔女の燃料は『時間』だ。彼女の魔法は彼女の時間、つまり寿命を燃料とする。簡単に行使できる魔法ではないから、依頼を受けない。彼女が魔法を使うのは、自発的に使う時か皇帝に依頼された時のみ。
そしてもう一つの理由。
それは砂時計の魔女が。
「俺の名はリンドブルム。偉大な竜であり、この国の皇子だ!」
「はあああぁぁあ?」
この国の現皇后であること、だった。




