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入れ替わりの花嫁はお家に帰りたい

暴走した魔法の影響で、公爵令嬢ミュリエルと中身が入れ替わってしまった見習い修道女エルシー。

大怪我で意識を失っているうちに、エルシーはミュリエルとして辺境伯のもとに、ミュリエルはエルシーとして修道院にと、離れ離れにされてしまう。

しかも、仮の夫となった辺境伯ディランは、聞いていた話と違い尊大で冷淡。入れ替わりの事実を伝えたくとも聞く耳を持ってもらえない。

王都での悪評により周囲に疎まれつつも、一日も早く修道院に帰ってミュリエルと再会し元の自分たちに戻るため、エルシーは今日も適当に奮闘する。

 雪片をたっぷりと抱いた灰色の雲を背景に、鈍い光が落ちてくる。

 エルシーは咄嗟に手綱を放し、隣席の同行者に覆い被さった。

 

「危ない!」

「きゃっ!?」

 

 ガタリと揺れた車体と抱きついた衝撃で、エルシーが庇ったミュリエルは後ろに倒れる。


「ちょっと貴女、急になにを――」

「逃、げ……っ」

 

 ミュリエルの耳元で、エルシーの声が苦しそうな呼吸音に変わる。

 ついさっきまで煩いほど賑やかに語り、笑い合っていた見習い修道女の薄い背中には、矢が深々と刺さっていた。

 ――ザッと音を立てて、麗しい令嬢の顔から血の気が引く。


「エ、エルシー……? 嘘、そんな……」

「あー、なんだよこの尼さん。くっそ寒い中待ってたのに、邪魔しやがって」

「!!」


 弓矢での奇襲に失敗したと分かったのだろう。細い山道に数名の荒くれ者が姿を現した。

 ロバが引く荷車に倒れ込んだままの令嬢と瀕死の修道女に、首領とおぼしき粗暴そうな男が近付く。


「一発で死ねたらラクだったのに。なぁ、ミュリエル・ウォリス公爵令嬢様?」

「あなたたち……!」


 下卑た笑いを浮かべて自分たちを見おろす男に、ミュリエルは即座に状況を理解する。抑え難い怒りによって湧き上がる魔力を隠しながら、薄紫色の瞳できつく睨みつけた。

 

「殿下……いいえ、あの小娘の差し金ね」

「詮索はナシだ。どうせすぐ死ぬんだから、聞いても意味がないだろ?」


 愉しげに白い息を吐きながら、男は目を細めて鞘から剣を抜く。

 このまま二人まとめて斬り捨てようという魂胆らしい。


「しっかし、見事な金の髪だな、噂通り見た目だけはいい女だ。勿体ねえが、猶予を与えず紳士的に殺せとのご依頼だからなあ」

「関係のない者を巻き込んでおいて、紳士的とは呆れるわ」

「ははっ、威勢がいいねえ。あばよ、悪辣なお嬢様。しおらしくしてりゃ、王子サマから可愛がってもらえただろうに。運の悪いそのシスターと一緒にあの世で後悔しな」

「……後悔するのはそちらよ!」


 迫る白刃に身を竦めることもなく、ミュリエルは自分を庇った行きずりの同行者――エルシーを抱きしめて、魔力を全開で発した。



 * * *



 王国の北部、フォークナー辺境伯が治める広大な領地と、その隣のステットソン伯爵領との境の山中に聖ギルベリー修道院はあった。

 “山の上の修道院”と称されるここは、冬になると雪で完全に閉ざされる。

 俗世と切り離された環境にある女子修道院のため、暮らしているシスターは自ら望んで請願した高齢の女性ばかりだ。

 ほかにいるのはヤギとニワトリに運搬用のロバ、それとどこにも行き場のない両領地の孤児たち。

 この日の朝も、陽気な賛美歌とともに子供たちの元気な声が修道院の庭に響いていた。


「エルシーおねえちゃん! 町にいくの? ひとりで?」

「そうよ、マギー」


 荷車の後ろ部分にせっせと籠を積みながら、エルシーはスカートにまとわりつく小さな子を安心させるように笑みかける。


「おみやげ! おみやげ!」

「もちろん。いい子で待っていてね、コリン」


 ぽん、と藁色の髪を撫でると、そばかすだらけのコリンがニッと笑って次の荷物を手渡してくる。

 今日は麓のフォークナー辺境領に(いち)が立つ。それに向かうエルシーの準備は、子供たちが手伝ってくれてすぐに終わった。

 最後にロバのポピーに着けた古いハーネスをあちこち調節すると、見習い修道女の制服である灰色のワンピースについた埃を払って立ち上がる。


「エルシー。やっぱり行くのですね」

「あっ、院長先生」


 心配そうな声に振り向くと、黒い修道服姿の女性が憂い顔で立っていた。ロザリオを首から下げた院長にも、エルシーはにこりと微笑んでみせる。

 

「シスター・マライアがぎっくり腰になってしまいましたから。シスター・アンは風邪気味だし、シスター・リリーは目が悪くてお釣りが数えられません。責任者である院長先生は子供たちのお世話もある……となれば、私一人で行くしかないです!」


 不安そうな院長に、エルシーは大丈夫だと胸を張る。


「心配いりません。一人が初めてなだけで、道は慣れています」

「わたしがもう少し若ければね……」


 深々と息を吐く修道院長は、優しげな風貌で母性の体現のような女性だ。

 年齢のわりに達者だが、この夏の暑さが堪えたらしく、伏せることが増えて杖がないと躓くことも多くなった。

 ほかのシスターも似たりよったりだし、いつも一緒に行く比較的若手のシスターは不慮のアクシデントで身動きが取れない状態である。


「でも、今日は冬前の最後の市ですから。どうしても行かないと」


 この修道院は人里離れた山中にあるため、通ってくる信徒がいない。得られる寄付金はほとんどなく、本部からの運営費も僅かである。

 自分たちで作った菓子や保存食、雑貨などを月に一度麓の町に売りに行くことで食いつないでいるのだ。

 ひゅう、と吹いた風の冷たさに思わず首を竦める。

 山道はまもなく雪に埋まり、修道院一帯は春まで孤立する。

 なんとしても今日の市に行って品物を売り、冬越しのための様々な物を持ち帰る必要があった。


(食用の油や干し肉も残り少ない。子供たちに厚い毛布も買ってあげたいし……)


 壁の穴や水漏れがする桶の修繕に、まっすぐな板や釘だって手に入れたい。

 そんな事情を院長も分かってはいるものの、表情は冴えない。

 というのも――

 

「ですが、エルシー。あなたが一人で町に下りたことを、もしステットソン伯爵に知られたら」

「行くのはステットソン伯爵領じゃなくて、フォークナー辺境領です。バレませんよ」

「それは……ええ、そうですけれど」

「そもそも伯爵は、もう何年も会ってない私の顔なんて覚えていませんって。それに、ほら、私の茶色の髪に茶色の目。こーんな平凡顔、目の前にいてもきっと素通りされるに決まっています!」

「エルシー。あなたは可愛らしい娘ですよ」

「えへへ、ありがとうございます、院長先生。身びいきでも嬉しいです」


 自分の顔を指差して朗らかに笑うエルシーの容姿は正直、十人並みだ。

 しかし明るく輝く瞳は生き生きとしており、屈託のない言葉は渋面の頑固爺からも笑いを引き出すほど。

 生来のおおらかさで他人に警戒を抱かせない、いわゆる人好きのする性格である。

 本人に自覚はないが、月に一度、山から下りてくる見習い修道女は辺境領の市でも人気で、エルシーがいるといないとでは売上に差が出るほどだった。

 

 そんなエルシーは生まれて間もない19年前、ステットソン伯爵の口利きでこの修道院に預けられた。

 伯爵との関係は明かされていない。

 だが、孤児院にわけありの子は付きものだ。シスターたちは、深く問わずに赤子のエルシーを受け入れた。

 ステットソン伯爵は「自分の許可なく、エルシーが一人で修道院から出ないこと」を条件に援助を約束したという。

 しかしその額は年々一方的に減らされて、今では雀の涙ほど。今年分に至っては、いまだに支払われていない。

 収穫祭では縁起物である御守り刺繍を大量に刺させたのにもかかわらず、である。


(ちゃっかり品物だけ受け取って知らんぷりって……もう! 市で売ったほうがよかったわ。そんなことをしておいて、私が一人で出歩いたからって文句を言うのはおかしいでしょ)


 一方的な指図しかせず、数えるほどしか会ったこともない相手など、エルシーにとって他人も同然。

 度重なる不誠実な対応に、一応感じていた恩も義理もすっかり薄れた。


「約束を違えることになりますけれど、先に反故にしているのは伯爵です。きっと神様もお目こぼしくださいます」

「……そう願いましょう」

 

 眉を下げてロザリオを握る院長にもう一度「大丈夫だ」と言い、子供たちと手を振り合って、エルシーは初めて一人でギルベリーを後にした。


 麓までの道は、ラクではないが熟知している。

 ロバに引かせた荷車は荒れた細道をゆっくり進み、冷え切った早朝の風がやや温む頃にはだいぶ傾斜も平坦になってきた。

 話し相手がいなくて少々寂しいこと以外、道のりは順調だった。


(んー、このどんより曇り空。今夜あたり雪が降りだすかも……あれ?)


 道中も半分が過ぎたところで、エルシーは珍しい光景を目にする。

 進む先に、一台の馬車がこちらを向いて立ち往生していたのだ。


(立派な馬車……まさか、ステットソン伯爵?)


 誰かと行き合うことなど滅多にない道に、どう見ても貴族用の立派な箱馬車。

 長いことご無沙汰の伯爵がこのタイミングで抜き打ちチェックに来た可能性に、エルシーは身構えた。


(……大丈夫。ぜったい覚えていないもの)


 こちらから名乗りさえしなければバレないはずだ。

 本当はやり過ごしたかったが、互いに気付かずすれ違える広さなどない山道である。近付く小さな荷車に、車体の下を覗き込んでいた馭者の男性が疲れ切った顔で振り返る。

 目まで合ったら、無視をするのは不自然だ。


「こんにちは。故障ですか?」

「ああ、シスターか。ご苦労さん。ご覧の通り、車軸がやられてしまったよ」


(よし、疑われていない! ……いや、でもまだ安心はできないし)


 ほっとした心を隠しつつ、馬車をしげしげと眺める。豪華だが華奢な車体は、勾配とでこぼこの多い山道に堪えられなかったのだろう。

 エルシーは恐る恐る探りを入れる。


「それは災難でしたね。ええと、こちらにいらっしゃるということは、ステットソン伯爵か、フォークナー辺境伯の……?」

「いや、私たちはウォリス公爵家の者だ」


(よかった、違ったー!)


 ステットソン伯爵ではなかった。

 もっと縁遠い貴族の名が出たことには気が回らず、エルシーは盛大に胸をなで下ろす。


「しかし参ったな。王都から来たのだが、町まではまだ遠いのかい?」

「町? この奥は聖ギルベリー修道院しかありませんが……」

「修道院?」


 エルシーの返事に、令嬢の麗しい声が反応する。

 開いた馬車の窓から、華やかな扇と美しい金の髪が見えた。


「わたくしの目的地はフォークナー辺境領よ」

「えっ、それ反対方向です。今、私が行こうとしているのがその辺境領ですから」

「なんですって?」


 指差しながら道を示すと、苛立った令嬢の声に馭者がヒッと声のない悲鳴を上げる。

 と、まもなく艶やかなドレスにファーコートを纏った令嬢が自分で扉を開けて馬車を降りてきた。


(わあ……! お姫様みたい)


 煙るブロンドに人形のように整った顔。修道院の小さなマギーがここにいたら、顔を赤くして喜ぶだろう美しさだ。

 宝石を思わせる令嬢は薄紫の瞳でエルシーをチラリと見ると、つまらなそうに顎を上げる。


「貴女はフォークナー辺境領に行くところなのね」

「はい。修道院で作った品を市で売りに」

「わたくしを乗せなさい」

「えっ?」

「その貧相な荷車で我慢してあげます」

「お、お嬢様!」


 令嬢の言葉にエルシーだけでなく、馭者も慌て出す。


「向こうに着いたら迎えを寄越します。道を間違ったうえに馬車の修理もできないお前はここで待っていなさい」

「は、はい……」


 艶やかな赤い唇が冷たく告げる威圧感のある声に、大柄な馭者は反論を止めて頭を垂れた。


「なにをぼーっとしているの、詰めなさい。わたくしが座れないでしょう」

「あ、あの」


(本当に乗るの? キラキラのお嬢様が? このおんぼろ荷車に?)


 目の前まで来たご令嬢は一向に去る様子がない。それどころか、動けないでいるエルシーに苛立ったように腕を組んでじっと睨んでくる。


「ええと……じゃあ、なにか敷きますのでお待ちください」


 ぼろ板の座席ではドレスが台無しになりかねない。修道院の年間予算に匹敵しそうな純白のファーコートだって汚したら大事だ。

 後ろの荷物に掛けていた布を取って座席に敷くエルシーに、令嬢は眉を寄せた。


「みすぼらしい布」

「あはは! ですよねえ。でも洗濯はしてありますし、薄くてもないよりマシですので」

「あなた……変なシスターね」

「あっ、私はまだ請願をしていないので、見習いなんです。申し遅れました、聖ギルベリー修道院のエルシーといいます」

「……ウォリス公爵家のミュリエルよ。本来なら貴女は、わたくしより先に名乗ることは許されないのだけど」

「そうなのですか? 存じ上げませんで失礼しました」

 

 ほこほこと笑顔で謝罪をするエルシーに毒気を抜かれたように、ミュリエルは息を吐いた。


「まあ、いいわ。こんな僻地のシスターに作法を説いても仕方ありませんもの」

「そうなんです。便利ですよ、いろいろやらかしても『しょうがない。シスターだしなぁ』って皆さん諦めてくださるので!」

「なによそれ」


 鼻で笑うように言うミュリエルだが、頬がほんのりと緩んでいる。


(え、かわいい)


 貴族のお嬢様なんて見るのも初めてだが、なんとなく気が合いそうだ。エルシーはこの思わぬ同行者を歓迎した。

 

「揺れますから、適当に摑まったり私に寄りかかったりしてくださいね。それじゃあ馭者さん、町に着いたら守衛さんに伝えますので! 早ければお昼過ぎくらいには助けが来ますよ」

「お、おう」


 ポカンとしている馭者をその場に置き、つんとそっぽを向く令嬢を乗せて、エルシーはまた町に向けて荷車を進める。

 この時はまさか、自分が死ぬような目に遭うとは思いもしなかった。

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