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脱衣所から出てきた花火はどこか決心した様子だった。
「ごめん、ずいぶんと長湯しちゃって」
「全然大丈夫だよ、それでどーしたいか決まった?」
「うん…色々と考えたんだけど…とりあえず今日はここに泊めていただければなって…」
「ちゃんと口にしてくれて嬉しいよ。とりあえず私の部屋で話そ?こんなところで話してもだしね?」
私は花火の手を引っ張って階段を上り、自分の部屋に案内する。
「2人だとちょっと狭いかもだけどゆっくりしてって」
「ありがとう…」
母に言われたそばにいなさいと言う言葉。物理的にも精神的にも寄り添ってあげなくちゃいけない。
私は来客用の敷布団を一枚クローゼットから取り出すと敷き始めた。なにか手を動かしていないと、今にもこの瞬間も赤く染まった床にうつ伏せで倒れる担任の姿を容易に思い出せてしまいそうだったからだ。花火も慌てて敷くのを手伝い、今度は扇風機をつけ、ひと仕事を終えた私と花火はベッドを沈ませた。
「あの透夏さん」
ふぅ…と一呼吸を置いてから花火の方から沈黙を破る。
「私はこれでよかったんですかね?」
時折混じる丁寧語が空気の調子を正していた。
時計の針の音の中で語られたその言葉は、自分の気持ちを表に出そうとしていることを示していて、私はかける言葉に頭を悩ませた。
「私は今日透夏さんのおかげで見える世界がガラッと変わりました。だから決めたんです」
さっきまでの目が虚としていたのとはうって変わって、佇まいも凛々しく花火の表情にも覚悟がみえた。
「私は透夏さんを助けたい。だから透夏さんも私を助けてほしい…です」
助けたいなんて大げさな話だなんて思う人もいるかもしれない。でも実際私たちは今日の出来事が追い打ちをかけるようにして今までの人生がの行く先を見失ってしまっていた。お母さんに支えられたのもつかの間、一気に現実に引き戻されたようだ。完全に参ってしまっていた。だから花火の助けたいという言葉は一筋の光だった。
夏の夜のじめじめとした空気をかき消すように、私は扇風機の強さを上げた。
「わかった」
扇風機にかき消されないようにはっきりとその言葉を風に乗せた。それ以上は口にしなかった。しなくても伝わるとわかっていたから。
ピピッと日付が変わると音が鳴る時計が今日という日を乗り越えたことを示した。
ふと花火を見る。扇風機の風でなびく髪はサラサラとしていて、まつ毛も長く、改めて見てみると呆気にとられた。大きな瞳には虚ろな暗さはなく、少しながらも気力を感じた。
「どーしたの?なんか私の顔についてる?」
「ううん、なんでもない!!」
ギュッと私は花火を抱きしめると、花火は予期しない行動に驚いたのかよろけてしまい、そのまま2人でベッドに倒れ込んだ。
「透夏、お前何してんだ?」
唐突に割り込んできた野太い声に肩をびくんと震わせて後ろを振り向くと眠たそうな目をした父がそこにはいた。
「お父さん!用事があるならノックしてから入ってって言ったでしょ!!」
勢いで枕を投げつける。顔面にヒットした枕が落ちるとお父さんは眠気が冷めたのか目をぱっちりを開き、一方の花火は驚きで目を見開いていた。
「いたたた…そういえばそんなことも言っていたような言っていなかったような…」
「言いました!!」
「そう怒んなって、すまんすまん」
頭に手を当てて申し訳ないとポーズしたのち、床に落ちた枕を拾い上げると私に投げて渡してきた。
「そんなことよりそこにいるのは透夏のお友達さんかい?」
「友達…」
花火はポツリともらす。直後ハッとした。お泊まりに来るなんて第三者からしてみればどう見ても友達関係だ。でも実際数時間前に初めて話したほどの関係で、なんと言ったらいいのか模索した。
「友達以上…?」
咄嗟に出た言葉はずいぶんと蛇足していた。
「以上か…」
「ち、違うから!?そーゆーのじゃないからね!?」
「お友達さん」
父は花火の方に視線を向ける。ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「うちの透夏にはそーゆー趣味があるから気をつけてな」
「そんな趣味ないって!!」
笑みが溢れまくりの父は前に私は必死に花火に弁解する。
「はい、気をつけます!」
まさかの乗り気な花火はどうやら父の味方のようだ。
「ノリの良いお友だちさんなもんだ!まるで俺や母さんのようだな!」
父はガッハッハと大げさに笑う。
「まぁ透夏と仲良くしてやってくれ」
父はそう言い残すとドアを閉めて行ってしまった。
全く…と頭を抱えた私を見て花火はまた笑う。このひとときだけは全てを忘れていられた。そんな気がした。
コホンと1つ咳をして規律を正す。
「色々と疲れたしもう寝よっか」
「そうだね」
ベッドは花火に譲り、私は敷き布団に潜った。
電気を消すと長い長い今日の終わりを告げたようだった。
少しの静寂をまたいで花火の方を向く。
相当疲れていたのか無理もない、もうすでに寝てしまったようだ。
「透夏さん」
「さん…?」
「あ、いや、透夏…?」
寝ていたと思われた花火が私とは反対方向を向いたまま口を開いた。
「よろしい、それでどうかしたの?」
「本当にありがとうございます」
「気にしないで、友達なんだから」
花火はハッとしてこちらを振り向いたと思ったら笑顔と涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「これからもよろしくね花火」
「うん…!」
花火はまた大粒の涙を浮かべていた。
「ほら泣かないの、そんなことしたって私は泣かないって決めてるからもらい泣きなんてしないからね」
「なにそれ」
花火は泣いてるのか笑っているのかわからない声でかろうじてそう言った。よっぽど嬉しいのかこちらまで伝わってきた。
「ほらほら寝よ?おやすみ」
満足しきった私はそう言って目を閉じた。
ずっと脳裏にあったあの赤く染められた床の光景が鮮明に浮かぶことはなかった。
正直これから私たちがどうなるかは神のみぞ知る世界で、どうしようもないのも事実。でも私たち2人なら羽根を生やして夏の大空を飛び回り、神様に抵抗ができるのではないかとさえ思えた。