9話『Mary──この命よ、永遠に』
目が覚めると、そこは研究所だった。
白衣を着た研究員らしき人達が慌ただしい足音を立てながら廊下を走り回っている。
ふと天井を見上げ、見慣れない模様の入ったガラス細工を眺める。赤い鳥が星々の中心に描かれている奇妙な模様がそこにはあった。
その辺りで意識がようやく覚醒し始めたのだろう、まず最初に起こした行動は──吐血だった。
「かはッ……!? ゲホッゲホッ……」
喉奥からこみ上げてくる塊に思わず咳き込み、服の上に血をまき散らす。
そこで私はベッドの上に寝かされていることに気づき、両手両足は頑丈な手錠で拘束されていた。
一体ここはどこなのか、あのあと私に何が起こったのか。
私の目覚めに研究員が気づき、電子板を持って近づいてくる。
ちらりと見えたその画面には、こう書かれていた。
【Mary:被験体ナンバー601】
そう書かれた画面を見て、私はおおよその現状を察した。
世界が変わったあの日、城内はどよめきと悲鳴に包まれていた。何を投与されたのか、どこから感染したのか、正気を失った人達が突然周りの人達へと襲い掛かった。
そして襲われた人達もまた他の人を襲うようになり、感染はあっという間に全てを飲み込んだ。
常軌を逸した現状に、せめて一番生きていて欲しいと願う自身の父親を逃がして……そして私はこいつらに捕まった。
もしかしたら今私は、その元凶の中心にいるのかもしれない。
「進捗は?」
「上々です」
少し地位の高そうな白髪交じりの壮年の男性が研究員と何か話している。
上々という言葉を受けて彼は笑顔を浮かべるが、その目は笑っていない。
研究員は私の状態を確認すると、合図を送って奥の方に控えている何名かの手術員を呼んでくる。
これから私に何が起こるのか、そして眠っている間に何をされたのか。
この時の私はただ黙って睨みつけることしか出来なかった。
そして、そこから先に起こったことは──思い出したくもないような体験だった。
端的に言おう、最高に地獄だった。
初めに行われたのは至ってシンプルで、腹部にメスを突き刺されて解剖された。
麻酔? 痛み止め? そんなものはない。
私の意識は一瞬で絶叫の域を越え、全ての神経を逆撫でされているかのような痛みと共に悶絶した。
やめてと叫んだ、死ねと罵倒した、助けてと求めた。だがその全ては無意味に終わる。
彼らは私の声などまるで聞こえていないかのように手術を続けた。
交渉を願った、知恵を譲渡した、寝返りを提案した。だがその全ては無駄に終わる。
ただ脳に響くのは神経を焼き切るような痛みと、何かが弾け飛び襲い来る眠気だけだった。
そしてそれが数時間、毎日、とめどなく続いていたのだ。
不思議なことにどれだけの苦痛を感じようともショック死することはなく、腹部からは異様なほどの出血をしているはずなのに失血死すら起きない。
明らかに常識を越えた何かが起きている。
だがそんなことを考える余裕もなく、私はただ気絶と絶叫を繰り返すだけの哀れな傀儡に成り果てていた。
遠目で同じようなことをされている人間が何人かいたが、その全ては人としての自我を失い、言葉を発することもなく「あー……あー……」と唸っているだけだった。
そして理解した。
彼らにとってはその方が都合が良かったのだろう。脅したり麻酔をしたりして人の感情を操りながら実験を行うより、人としての感性を全て壊してから実験を行う方が安全だと。
倫理観の欠片もない、彼らの興味は私達個人ではなく人間という媒体だけ。体さえあれば他はどうでもいいのだ。
その事実を理解してからというもの、私の心は完全に壊れてしまった。
もう何も感じないし考えたくもない。
このまま死んでしまいたいと思ったこともあるし、実際何度も死のうかと考えた。
だけどこの体は死ぬことすら許してくれない。両手両足は拘束されて自殺の手段がない。
舌を噛んで窒息死を狙おうにも、既に表情筋は痙攣していてまともに噛むことも出来ない。
だけど生きている限り、この地獄は終わらない、止まらない。
他の人達と同じように、壊れた植物人間になって彼らの玩具にされるんだ。
……そこからやがて日は経ち、一週間を迎えた。
耐えていた、なんて勇猛な言葉では表せない。ただ気づいたら時間が経っていただけ。顔中涙で汚れていて、もう何も考えられなくなっていた。
私の体には魔臓という未知の物体を埋め込まれており、魔法という超常現象を放出することが出来るようになっていた。
それを知ったとき、思わず痛み以外で涙が溢れた。
もう人間じゃなくなっている、人の概念から超越している。
あれだけ望んでいた日常へはもう戻れないのだと、ぐしゃぐしゃになった顔で悟った。
どうやら魔法は手足の筋肉を大きく動かさないと使用できないらしい。そのため拘束された状態では魔法を使うことは出来ず、実験の最中には強制的に動かされることで魔法を使っていた。
彼らはそこで、初めての命令を口にした。
あれだけ黙々と人の体をいじくりまわしておきながら、魔法を使用する実験では特定の魔法を打つよう指示を出してきたのだ。
だが、私はその指示に即従った。
従えば痛い思いをしなくて済むし、その日はそれ以上の実験をされずに済む。逆らえば体に電流を流され従うまで永遠と死ねない痛みを与えてくる。
連中はここにきて人道的な拷問へと移ったのだ。
一度壊して逆らう気力を無くしてから純粋な脅しをかける。非常に有効な手段だろう、人のすることじゃない。
その時にはもう、生きるとか死ぬとかどうでもよくなっていて、ただ父親との思い出を振り返って現実逃避を行っていた。
悲鳴の上げ過ぎで既に喉は枯れてて、声を出そうにも掠れた音のようなものしか出てこない。
(今頃、パパは何してるんだろう……。幸せに生きててくれるかな……私を心配して助けに戻ってるかな……)
でもその場所に、あの城に、もう私はいない。
今の私には外がどうなっているのかも分からない。ゾンビに埋め尽くされて映画みたいに大変なことになってるのか、それとも国が対応に間に合って侵攻を防ぐことに成功したのか。
何も分からない。ただ分かるのは、私は一生ここで人生を終えるという未来だけ。
──そう思って、全てを失いかけてたある日のことだった。
私は毎日のように連れ去られてくる人間達を哀れみの目で見ていた。中には他の研究所から移送されてくる人達もいて、既に体に手術の跡がついているのが一目でわかる。
どうやら外はゾンビで埋め尽くされており、彼らの言う第一段階の実験は成功したらしい。
そしてこの研究所も既にほとんどの人間がいなくなっていた。大半は実験の後始末として殺されたか、別の研究所に移送されたかだった。
そしていよいよ私の番がきたのか、メアリーメアリーと私の名前を何度も口にしていた研究員が、奥の方で何やら大きな揉め事を起こしていた。
「これだけ優秀な研究材料を餌に使うだと? 二度と手に入らないかもしれないんだぞ」
「ダメだ、これは既に決定された事項だ。従ってもらう」
「ふざけるな、お前達はこの実験体に対する価値が分かっていない。これを見逃して研究を続けるなど俺は真っ平ごめんだ」
「なんだと? 貴様、我らに逆らうというのか」
「名前だけの教団に何の意味がある? 俺達がいたからここまでこれたんだろうが」
「貴様……!」
二人の男が言い争いをしている。一人は地位の高そうな白髪交じりの壮年の男性、もう一人はあのとき城で私を襲った奴と同じ黒いコートにフードを被った男。
研究員と思わしき壮年の男性がやる気をなくす姿勢を見せると、フードを被った男は怒りを露わにして腰に差しているナイフに手をかける。
何が起きてるのか、どんな話をしているのか。どうせこれから死ぬ私にはそんなの微塵も興味が無かった。
──その争いが私に関与するまでは。
「このっ……!」
「テメェ!」
「おいやめろって!」
周りの研究員達も慌てて抑えるも、二人の争いは激化していく。
事が起こったのはそれから数秒後だった。
研究員達の争いの隙をついて、捉えられてた二人の少女が魔法で手錠を引き千切って脱走したのだ。
彼女達は他の研究所から移送されてきた子、魔法を得るための手術跡は残っていたが魔臓を埋め込む手術跡は無かった。
「逃げたぞ!」
「クソッこんな時に……! おい、蜘蛛を追わせろ!」
「ですがあれはまだ研究体で!」
「いいからやれ!!」
慌ただしいやり取りが交差される。
だが脱走した彼女達も必死だったのだろう、所かまわず魔法を連発してここの施設全体をめちゃくちゃに荒す。
それによって研究員に死者がでるほどではなかったが、機材は吹き飛びいくつかの機械は動作を停止した。
何人かの研究員は脱走した二人の女の子を追いかけるべく去って行き、残った研究員は私の元へと戻ってくる。
そこには壮年の男性も含まれていた。
「クソ、クソ、クソッ……! こんな優秀な実験体を餌にしようとするからこうなるんだ。俺は正しいんだ、未来の為を思って研究してるんだ。そうだ、俺は何も間違っちゃいない、間違ってるのはアイツらなんだ……ククク……ッ」
ブツブツと呟き、彼は笑いながら私に近づいてくる。
だがその笑みは一瞬で真っ青な表情へと変わった。
……きっと、私の腕を見たのだろう。無言で待ち構えていた私にその反応は一瞬遅れた。
「お、おい!! お前らすぐにこいつの腕を縛──」
その男の首は一瞬で宙を舞った。
私はゆっくりと起き上がる。その首の無い男の後ろで呆然と立ち尽くしている研究員達を見上げる。
男達の顔は恐怖に染まっていた。その目は信じられないモノを見る目をしていた。
それはそうだろう、今まで従順な玩具だと思っていた存在が自分達の上につく男の首を落としたのだから。
先程の衝撃で私を拘束していた手錠のロックが解除され、両手両足は自由になっていた。自由になっていた状態で敢えてその場に囚われていた。最高のタイミングで奇襲するために。
地面に足をつけたのはいつぶりだろう、まだ少しフラフラする。
だけど今、私は自由だ。何物にも縛られない、自由を手にしている。
生きたいという欲望が湧いてくると思った、逃げたいという欲望が湧いてくると思った、怖いという恐怖心が湧いてくると思った。
俄然、これが面白ことに湧いてくる湧いてくる。
沸点を通り過ぎる勢いで私の中から想像を絶するほどの"怒り"が湧いてくる。
そしてその感情は抑制することも無く勝手に口から溢れ出た。
今までされてきたことに対する、全ての感情がこもった一言だった。
「──ねぇクソ野郎ども、死ぬ覚悟はできた?」




