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5話『Mary──たった一つの狂ったやり方』


 パパはいつも私のわがままを聞いてくれた。

 巷で流行ってるゲームをやらせてくれたり、護衛を付けずに自由な外出を許可してくれたり、いつもは食べるのを禁止されてるジャンクフードなんかもいっぱい食べさせて貰えた。

 貴族として品が落ちるってメイド達は言っていたけど、それでもパパは世間体なんか気にするなと私のわがままをいっぱい聞いてくれた。

 だから私もパパのためにいっぱい勉強して、いっぱい努力して、いっぱい頑張った。

 そうしたらパパはすっごい嬉しそうに笑ってくれて、それが私も本当に嬉しくて、二人で朝までたくさん笑いあったことも覚えてる。


 ──死ね。


 ママとはよく喧嘩しちゃったけど、なんだかんだ言って最後はパパに全部言いくるめられて二人とも折れちゃって、そうして仲直りするのがいつものことだった。

 あの時もママは私に意地っ張りで、自分のことなんか顧みずに私を安全な場所まで逃がしてくれた。最後まで勝ち誇ったような表情を私に見せて、去っていった。

 強くてカッコいい女らしさを全身に纏ったような、私の理想の人。


 ──死ねばいい。


 黒い仮面を被った男が城内に現れて、取り囲む兵を前に右手を翳したのが起点だった。

 僅かに歪んだ空間を目をこすりながら二度見したら、もう世界は平常を保っていなかった。

 無作為に狂乱する兵士達、知性を失って人肉へ食らいつく貴族達。

 夢と現の境界を真っ白になった頭で考える余裕はなく、ただ茫然と首を振るだけ。

 何かの間違いだと否定する。有り得ないと視界を閉ざす。

 だからママは私を庇って死んだんだ、だから私は生き残ってしまったんだ。

 全部を失って、初めてその大切さに気付けた。

 自分がいかに愛されていたのかを自覚できた。

 なのに、なのに……!


 ──パパにあんな顔をさせた私なんて、あの場で死ねば良かったんだ。


 私はパパから愛を欲しかったわけじゃない。パパに愛をあげたかったんだ。

 こんなにも沢山の幸せを貰ったんだから、こんなにも沢山の愛を貰ったんだから。だから私は少しでもパパにお返しをしたかった。


 ──あんな顔。私のためにしてくれた笑顔。本当に最悪だ。


 ◇◇◇


「あ……ぁ……っ……!」


 ベッドの下で声を必死に押し殺し、目の前で起こっている蹂躙を見続ける。

 子供にはまだ早い、残虐な光景だ。


「メアリー様……! おい誰かメアリー様をお守りしろ!」


 私の居場所を発見した兵士の一人が声を荒げて収集を呼びかける。

 しかしその呼びかけに応じる兵士はほとんどいなかった。


「馬鹿野郎! 誰が正気か分からないんだぞ!」


 兵士達は機銃を放射させながら襲い来る同志たちを殺していく。

 叫びながら、謝りながら、人が人を殺していく。

 襲い来る人間は正気を失って知性も無い。まるでホラー映画に出てくるゾンビのように緩急を付け襲ってくる。飢餓状態もさることながらそれらは"食べる"という行為に全神経を捧げていた。


「無理だ……! こんな状況で人を守れるわけがない!!」

「メアリー様は国の……レスター様の宝なんだぞ……!」

「じゃあどうしろっていうんだッ!!」


 事態は収拾するどころか時が経つにつれ悪化していく。

 城内はともかく外からも悲鳴が聞こえ、逃げようにも四方八方敵だらけ。まさにどうすることも出来ない状況になっていた。


「俺が行く! お前らは──」

「……え?」


 突然の出来事だった。

 私を守るべく立ち上がった兵士が一瞬にして姿を消してしまったのだ。

 何が起こったか分からず、思わず腰を上げて立ち上がる。

 そして理解した。消えたんじゃない、喰われたんだと。


「……ぁ……」


 ──助けて。

 恐怖と絶望と混乱が入り混じった感情の中、そんな言葉しか出てこなかった。

 ──死にたくない。でもこのままでは自分も死ぬかもしれない。

 思考回路はショート寸前で、脳裏には走馬灯が流れ始める。人生とは呆気ないものだと悟るまで、そう長くは必要としなかった。


「……ぅ……うわあああっ!?」


 一人の兵士の断末魔を皮切りに、連鎖反応の如く他の兵士たちも食われ始めた。ゾンビ化は生者に感染はしないが、死をトリガーに感染を引き起こす。奴らに殺されると同類に成り果てる。

 そして今、この場にいる人間全てが化け物になりつつある。それはすなわち、自分も含まれるということ。


「……いや……いやああぁっ!!!」


 今までの人生で一番大きな声で叫んだと思う。

 だけど誰もそれに耳を傾ける者はいない。

 もうダメだ。終わりだ。ここで私は終わるんだ。

 ──パパ、ママ。


『──メアリーは天才だからな、俺がいなくても一人でやっていけるさ』


 その時ふと脳裏に浮かんだのは、大好きな父の言葉だった。

 ……何かが吹っ切れた気がした。


「……嫌、こんなところで終わりたくない、終わってたまるものか……」


 もう二度と泣かないと決めた。どんなことがあっても強く生きていこうと決めていた。

 たかだか命が危機に晒されたくらいで絶望していた過去の自分を叱咤し、涙を拭き取る。

 ──パパみたいになりたい。

 ──ママみたいな強い女になる。

 ──私はパパとママの娘だから。

 ──だから……。

 ──だから、こんな所で死んでいいはずが無い!!


「……パパとママの子を舐めるなよ……!」


 父親譲りの荒い口調で小さく激動し、己が意を固める。

 転がっていた兵士の胸を近くに落ちていたナイフで切り裂き血を放出させる。そしてその血を塗りたくるように両手に浴びせ、全身に纏った。


「……ッ」


 ここまで見てきて分かったことは、ゾンビ化した彼らは視覚と嗅覚で敵味方の判別をしているということ。

 ならば全身に血を纏って彼らと同じ行動を取れば襲い掛かられることはない。

 全てを失って、こうして彼らの傀儡になったけど私はまだ絶望していない。

 絶望的な状況かもしれないけど、まだ何も諦めちゃいない。

 少なくとも、私は──。


「──……ッがぁああアアアアッ!!!」


 目の前に転がっていた死体に飛び掛かった。

 そして首元へと噛みつき、獣のように貪った。口内に広がる鉄臭さと肉片に吐きそうになるもそれを堪えて飲み込む。

 ──生きるために。


「はァ……はァ……」


 人肉を食べる行為(カニバリズム)は特殊生物学問で習った事がある。

 確かしっかりと調理すれば風味的にはそこまで不味くはないらしい。ただ問題は衛生面だ。

 生で食べたりそのまま齧ったりするのは危険極まりなく、下手をすると感染症を引き起こす可能性もある。

 だが今の状況でそんな事を言ってられる余裕はなかった。


「はぐ……んむっ!」


 人を食すなんて生まれて初めての経験だった。最悪中の最悪の気分だった。

 でもそのおかげか、周りのゾンビ化した人間達は襲ってくる様子が無く、外の方で応戦している兵士達の方へと向かって行った。


 ……それから暫く経ち、気づけば私は全身血塗れでそこら辺のゾンビ化した人間達と大差ない恰好へと変貌していた。

 隣にはかつて友達だった子が座っている。目は虚ろで正気の光を灯していない。


「シェリー、しっかりしろシェリー……!!」


 そこに駆け寄るように近づいてくる父親らしき人物、しかしその問いかけは無意味だ。彼女は既に正気じゃない。

 やがて彼女がその父親の首元を喰らうまで、そう時間はかからなかった。


「……」


 私はそんな光景に目を移す事もなく、その先で壁に寄りかかって絶句している自身の父親を一瞥する。

 念願のパパの顔だ……もう会えないと思っていた最愛の父だ……。そんな思いを顔に出す事もなく必死に押し殺す。

 本当は助けてって言いたい、一緒に逃げようって言いたい。

 でもここから二人で逃げるのは不可能だとすぐに悟る。

 傭兵としての経験もある父一人ならまだしも、私を連れて逃げるのは無理があるだろう。

 それにこの場にいる感染した人達もいつ襲ってくるか分からない。

 ……だから私は覚悟を決めた。


「──アァ"ア"ア"……!!」


 人語とはとても思えないような声をまき散らしながら一寸たりとも止める事無く目の前の肉へかじりつく。

 咀嚼するたびに嗚咽がこみあげ、頭の中からズキンと滲むような鈍痛に襲われる。

 それでも私は目の前の肉を食べ続けた──。


「メア、リー……」


 パパはこっちをずっと見つめたまま微動だにしない。

 炎の渦によって後方の扉が焼け落ち、貴金属が黒焦げになりながら地面へと落下する。

 それでも逃げず、こちらへ寄ることもなく、ただ少しだけ驚いた表情を浮かべたまま漠然と立ち尽くしていた。

 ああ……きっとパパの頭の中では今とんでもない事になってる。

 ここまで大切に育てあげてきた娘が人の肉を喰らって、正気を失ったように貪り尽くしている。

 どうして、こんなことになっちゃったんだろうね……。

 どうして、こんな目に合っちゃったんだろうね……。


「──大丈夫だよ、パパ」

「っ……!!」


 口内に残った肉の感触を消し去る様に飲み込んだあと、静かに一言呟く。

 決して正気であることを悟られないように、敵にバレないように。

 私は溢れんばかりに湧き出る感情を全て押し殺して狂気を演じた。その視線をパパに向けることなく、涙も流すことはない。

 ──今までの、どんな苦痛よりも辛かった。


「愛してるよ、メアリー」


 パパは覚悟を決めた表情で後方の瓦礫を蹴り飛ばし、その場を去っていった。

 そこでようやく人間の気配に気が付いたのか、正気を失った周りの元人間たちが一斉にパパの背中を追いかける。しかし連鎖的に燃え上がる炎の勢いが凄く、そのほとんどが丸焦げになって無様に転がっていた。

 本当に理性を失った獣みたいな衝動的行動、その様子に感じたのは哀れさよりも戦慄だった。世界中で同じことが起こってしまっているという恐怖そのものだった。


「……パパ」


 こんな状況、もしかしたらもう会えなくなるかもしれない。もう二度とパパの顔を見ることが出来なくなってしまうかもしれない。

 でも、今この場で声を上げたら、正気であることを悟られたらその時点で終わりだ。

 パパも私も何も出来ずに殺されてしまう。これだけの人数差、素の力で敵う相手じゃない。

 だからせめて死ぬならパパと一緒に、自分の意思でこの鼓動を断ちたい。

 誰かに殺されるのも、彼らのように操り人形にされるのも絶対に嫌だ。それは私の意志じゃない、私が望んだ死に方じゃない!


「……もっと、血の匂いを染み込ませなきゃ」


 何かを決意したかのようにゆっくりと息を吐き。

 私は再び貪るように死体へと食らいついた。


 ……あれから一体どれほど経っただろうか? 気づけば辺り一面火の海となっていた。

 炎に焼かれて苦しむゾンビ達の声と悲鳴が入り混じる中、私はただひたすらに目の前の人間を貪る。

 吐き気と酩酊が視界を包んで、既に意識は空前の灯を迎えている。

 するとそこに突如として現れた人影があった。

 黒いコートを着ており、フードを被っていて顔はよく見えない男。……それが数人。

 火の粉が飛び散る城内で私を取り囲むように立っている。

 彼らには、私が正気を失っている演技をしていると見抜かれている。それが一目で分かった。

 濁流の如き冷や汗が流れる。命の危機を感じた。


「「我らアカシック教に開進あれ」」


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