16話『ゾンビが現れた時にするべき定番の行動』
ゾンビが現れた時にするべき定番の行動がある。
ひとつ目は自宅に引きこもること。窓ガラスなどに強固なバリケードを張って外から室内が見えないように立てこもる。
だがこれは慢性的な食糧不足と衛生面の観点から考えて数週間が限界だ。
ふたつ目はコンビニやホームセンター、デパートなどに立てこもる手がある。これならば当分の間食糧不足に悩むことも無く、武器になる品物もいくつかあるだろう。一番安全な手だと一瞬思う。
だが無法地帯になった世界にかつての固定概念が通用するはずもない、動物と違って食料を必要としないゾンビがとる行動は均等に分散していくという論文がある。つまりは広い建物の中にいる時間が長ければ長いほどゾンビ達によって埋め尽くされるという悲惨的結果が待っているのだ。
最後は山の頂上付近や高所にある森の中に逃げるという手。これは最も安全な策で最も生存率が高い方法とされている。
ゾンビは基本知性がない、つまり野生の動物以下である。このことから複雑に入り組んだ森の中や落差が大きい山などに逃げ込めれば、ゾンビ達はそこまで登ってくるのに相当な時間を必要とする。
だが果たしてそこまで逃げられたとして、ただの一般人が森の中で数ヶ月、数年暮らすことが出来るものだろうか。野生動物に襲われる危険性もさることながら、低体温症による免疫低下や毒物摂取による病気への感染など、サバイバル経験のない者が辿る道は安易に想像できるだろう。
「……あぁ、アタシもうすぐ死ぬのか」
茶髪の少女、コリーの取った行動は"デパートに立てこもる"だった。
ゾンビ映画が好きで、こういう妄想もよくしていた気がする。どうすれば敵を追い払うことが出来て、どういう行動を取れば生き残れるのか。
映画の中の死にゆくモブたちを嘲笑いながらバカだなぁと上から目線で見ていた、自分ならこうするんだけどなぁなどと評論家気取りしていた。
だが、実際の現実はそんな都合よく出来ているわけが無かった。
バリケードなんて一人で易々と作れるものじゃないし、そもそもデパートは入り口が多すぎてゾンビの侵入を防ぐのは不可能だ。
食料だってお菓子や水がメインで、肉や魚なんてナマモノは調理しなければまず食べられない。
食料や武器探しに精を注いで、肝心の衣服を確保することを怠った。おかげで今も学校帰りの制服姿のまま。
そもそもデパートは元々人が大勢いたせいで、外部からの侵入よりも内部で拡大する感染の方が危機的状況だった。
生き残るために群れを作らず単独で行動し、ゾンビ達を倒す際は必ず後ろから隙を突き鈍器で殴り殺す。
気づけばこのデパート生き残っているのはコリーただ一人になっていた。
「……あぁ……あぁ……」
意気消沈してカラ色の声を漏らす。もう何度も泣きすぎて涙すら出てこない。
最近ではまともな食料も尽きかけ、携帯食料のある一階と二階は蜂の巣のようにゾンビ達に埋め尽くされていた。
そして肝心の出口や非常用階段も二階までしかなく、完全に行き場を失った。
助けを呼ぼうにも、逃げてる時にスマホを落としてしまったせいで外部との連絡手段はない。大声で叫んだらゾンビ達にどんな悪影響を及ぼすか分からない、怖くてそんなこと出来ない。
コリーは四階の書店コーナーをおぼつかない足取りで歩き、目に入ったパニックジャンルの小説の表紙を見て何とも言えない表情を浮かべた。
フィクションの素晴らしさを感じ取る。こんなものが現実に現れたら生きていけるはずがない。主人公でもない自分達モブには、死という結末が付きまとうだけだった。
「……幸せだったんだな……アタシらって……」
壁に寄りかかるようにして腰を下ろし、誰もいない場所で一人呟く。
今までの生活がどれだけ豊かだったのか、どれだけ恵まれていたのかを痛感する。
そしてその生活はもう二度と訪れないことに、コリーの心はポッキリと折れてしまっていた。
「こんなことになるんならもっとまじめに授業受けて勉強すりゃよかったのかな……。そしたらなんか変わったのかもしれないのに、なんて……変わるわけないか……」
何に対しても出てくる言葉は後悔、後悔、後悔だ。
こんな状況になって、今さら後悔しても遅いことは分かってる。
それでもつい口から漏れてしまう。
独り言なんて今まで一度も言ったことなかったのに、最近では何か喋ってないと狂いそうになって仕方がない。
「やだよ……死にたくないよ…………誰か、誰でもいいから……助けて、たすけて……」
そんなことを呟いても意味が無いと知りながら、何度も何度も「助けて」と口に出す。
一人蹲りながら、電気もつかない暗い空間で咽び泣く。
そんな時だった。──三階から続く前方の窓ガラスが勢いよく割れ、散らばったガラスの破片が踏みつけられる音が響いた。
希望……そんな単語が一瞬浮かんだ。だがそこに現れたのは──
「あ、ぁああ……っ!」
割れた窓ガラスから雪崩れるように入ってきたのは、数えきれないほどの"ゾンビの群れ"だった。
助けにきた者などいない、希望などない。届けに来たのはあの世へのカウントダウンだけだった。
遠のいていた眠気が一瞬で覚め、吃逆にも似た過呼吸が始まる。
「はっ、はっ、はっ、……ははっ、っ……ははは……」
溢れ出る涙と混じった笑いが気色悪い。
「むり……もうむり……や、だ……やだ……ぁ……」
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない──。
だがゾンビ達は最初からこちらを狙っていたといわんばかりに、一直線にこちらへと向かってくる。
武器があるのはゾンビ達の後ろの置物。ずっとここにいたせいで気が緩み、武器を持ち歩く癖をやめてしまったのが祟った。
「……あぁぁ……ごめ、んね……お父さん、お母さん……アタシ、悪い子のまま、死んじゃった……悪い子のまま、恩返しも出来なかったよ……。天国で、ひっぐ……謝るから、っうぅ……ゆ、るして……ごめん、ね……ごめん、ごめんっ…………」
コリーは泣きじゃくりながらも、ゾンビ達が近づいて来る前に立ち上がり、ゆっくりと武器のある方へ歩いていく。
だがその経路は他の場所から新たに侵入してきたゾンビ達に妨げられてしまい、再び行き場を無くしたコリーは後方へと足を下げていく。
その間もゾンビ達は一切歩みを止めず、ただ真っ直ぐコリーに向かってきているだけだ。
やがて周りは完全に包囲されてしまい、もはや逃げようにも後ろは壁しかない。
そして、先程窓を割って入ってきた一体のゾンビが前方に少しだけ屈むと、勢いよく地面を蹴ってこちらへと襲い掛かってきた。
……おわった。短い人生だった。
どうせなら、何かを残して死にたかった。満足して、死にたかった。
叶わぬ願いだと知りながら、それでも明日があると信じて生き続けた自分に失望だ。
神様がいるなら助けてほしいと願ったあの言葉を、返して欲しい。
信じれば救われると思って信じ続けたあの心を、返して欲しい。
誰の記憶にも残らないこのデパートでの葛藤に意味があったと、言って欲しい。
今この瞬間、頬に流れる涙に意味があったと、告げて欲しい。
それでも、それでも今、貪欲に願いを欲する人の可能性に確かな希望があったとするなら。もしも今、私が心の底から願う未来に足を踏み入れる権利があるとするのなら。
──誰か、助けて欲しい。
「何泣いてんだよ嬢ちゃん、笑って見せろよ。その方がスカッとするだろ?」
ほんの一瞬の出来事だった。襲い掛かってきたゾンビの脳髄が突然弾け飛び、僅かに遅れて耳を塞ぐような強烈な発砲音が響く。
目の前に飛び散るゾンビの死骸。涙でゆがむ視界に映る二人の男。
何が起こったのかを理解しようとして、男達はその理解すら必要とさせなかった。
目の前のゾンビ達に次々と銃弾を埋め込み、流れるように一掃したのだ。
早業とか、神業とか、そういう次元の話じゃない。人間とは思えない動きでゾンビ達を倒していった。
そして思わず尻餅をついて倒れ込む私に、その男達は当然とばかりに奇跡の言葉を口にした。
「──いいかそこの生存者、耳の穴かっぽじってよく聞け。テメェの地獄は、今日限りでサヨナラバイバイだ」