1話『幸福な時間』
人ひとりも殺せないマヌケな傭兵。才覚溢れる腕利きでありながら一切の役に立たない恥さらし。
──その者、レスターはある意味『伝説の傭兵』だとバカにされていた。
幼き身でありながら王族の役目を放棄し、縛られる人生というものからの解放を願い続けた。
そこに至るまでの紆余曲折は色々あったが、結果的にその願いは叶うこととなった。
地位を剥奪され、身分を抹消され、代わりに自由というものを手に入れた。
それゆえ待ち受けていたのは必然と言っていいほどの過酷な環境。
今晩の食事、明日の宿、生きるための金銭。それらを手に入れるため、この国で最も実入りの良い『傭兵』という職業に就くこととなった。
だがレスターはここに至るまで誰一人として人を殺した経験がない、人を撃ったことがない。
繰り返す戦闘は徒労の結末、下される依頼は前払いのみで契約破棄ばかり。
毎日毎日的を撃つ練習を繰り返し、日々の肉体訓練に勤しみ練度ばかり上達していって、いざ本番では一人も殺せやしない。
故に彼は周りからバカにされた。──一人も殺せない『伝説の傭兵』だと。
それでも彼が傭兵をやめなかったのは、それで食っていけてたからだ。
彼はもう一人のベテラン男とチームを組んでおり、依頼はタッグで受けることが多かった。
そのため大抵の依頼は問題なくこなすことができ、報酬に不満もなく日々の生活を送ることが出来ていたのだ。
なぜベテランの男は人ひとりも殺せないマヌケな男と手を組んだのか、なぜマヌケな男は後に傭兵をやめてしまったのか。そんなものは覚えていない。
周りの酷評に耐えかねてか、たまたま結婚することになったからかのどちらかだろう。
「パパ~、パパどこ~?」
小さな城の中を軽い足取りで駆けていく少女。
黄金質とも言える金色の髪に金色の瞳、まだ13歳という小さな背を見せながら階段を登っていく。
その声を聞いて俺は窓の外から目を外し、目前に迫るその少女を視認する。
「ここだよ──っと」
「パパーっ!」
飛び掛かるようにして抱き着いてきた少女、娘である『メアリー』を受け止める。
マヌケと蔑まれ、ある意味伝説の傭兵だのバカにされてた昔の頃の記憶なんてきっぱり忘れた。
今、俺はただの父親だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「頼んでたもの買ってきたか?」
「うん! あとねあとね? ヘルスト街の雑貨屋で買ってきたの、これ!」
そういって袋の中から取り出したものを見て、俺は思わず笑みを浮かべる。
それは青色の鳥を模したネックレスのアクセサリー。足から翼まで影でほんの少しだけ灰色になっており、首から上は綺麗な青色で染め上げられた芸術品。
原初に渡る知者の使いとして蒼の雛というおとぎ話がこの国では有名になっている。恐らくこれはその雛が成長した姿を作ったものだろう。
確か『賢くあれ、生きるために』だったか。殊勝なおとぎ話だ。
「すごい綺麗だな、青の鳥とはこれまたセンスがいい。もしかして俺にくれるのか?」
「これはあげなーい」
「がーーん……パパショック」
メアリーは自分のものだと主張するようにそのネックレスを首に着ける。
着ける前までは少し目立つかと思われたそれも、元々高貴な風格を漂わせる我が娘の見た目とはピッタリ一致。まるで最初からそれを身に着けていたかのように金色の配色に青い鳥は溶け込んだ。
俺はうんうんと頷いて感傷に浸る。
するとメアリーは袋の中から更に何かを取り出した。
「じゃーん、もういっこ!」
「天才か?」
1つで足りなければ2つ買えばいい。メアリーは最初からそのつもりでいたかのように袋から同じ青い鳥のネックレスを取り出し、俺に見せつけた。
「ありがとうメアリー、パパのために買ってきてくれたなんて……」
「これもあげなーい」
「マジ?」
思わず素のトーンで反応してしまった。
「誰かにプレゼントでもするのか?」
「パパにプレゼント!」
「……ん?」
「本当はこのままあげてもいいんだけどね、どうせなら少しアレンジしてみたいなって。だからこれは少しの間おあずけです」
「はー……パパ嬉しくて泣きそう」
「えへへ~」
満足気に喜ぶメアリーの頭を撫でる。
別段今日に限ったことではない、俺はメアリーを毎日のように褒めて甘やかして喜怒哀楽を見せている。
まさに親バカここに極まれりといったところ。城の廊下を通る使用人たちも「またか」と少々呆れた様子で一瞥する。
昔は周りから変な目で見られていたが、今でもこうして周りから変な目で見られているらしい。
しかしどうしてだろうか。今の方がよっぽど幸せで心が落ち着く。
対するメアリーも若いとはいえ13歳、いつまでも親にべったりなのは教育上よろしくないのではないか。そんな声がたまに耳に入る。
だがメアリーは既に学業を終えている。12歳の時に本人の要望の元異例となる飛び級審査を受け、満点を取ってしまったことから学校側がやむを得ず卒業証明を下した。
メアリーはいわゆる天才児というもの、この事実を知ってしまえば他にどのような醜態があろうとも他者は口出しできない。本人もそれを理解してこうして甘えてくるのがなんとも悪知恵に特化した悪女だ。無能な俺と違って優秀な娘であることをこれ以上ないほど誇らしく思う。
「それじゃあプレゼントを貰えるようにパパもお仕事頑張らなくちゃな!」
「うん、がんばって! 応援してる!」
元気いっぱいな返事を聞いてやる気がみなぎってくる。
といっても書類系の仕事はほとんど終わらせており、後は寝るだけなんだが。
すると廊下の奥から歩いてきた一人の使用人がこちらに声を掛けてきた。
メアリーの情勢政治学を担当している専属秘書、イリスだ。
「レスター様、お夕食はどうなさいますか?」
「あー……」
夕食、といっても現在はまだお昼を過ぎたあたり。
ついさっき昼食を食べたばかりの俺は次に何を食べたいかと聞かれてもスムーズに答えられず、メアリーにパスを投げる。
「メアリーはどこか食べたいところあるか?」
「んーカリヤ街に美味しいお店があるって聞いたから行きたいんだけど、ちょっと遠いよね」
「カリヤ街か、いいぞ。久々に会いたい奴もいるしな」
「ほんと? やった……! ありがとうパパ、だいすき!」
喜ぶメアリーの頭を撫でながら、隣で会話を聞いていたイリスに目線を送る。
「夕刻になったら車を手配してくれ、俺は時間まで少し寝てくる」
「畏まりました、おやすみなさいませ」
そういって俺はメアリーに軽く手を振って寝室へと向かう。
後ろではアクセサリーの装飾を手伝って欲しいと願うメアリーと、それを了承して微笑ましそうな顔を浮かべるイリスが背を向けていた。
「さーて、寝るかぁ……」
軽い欠伸をしながらスマホを取り出し、SNSをぼーっと眺める。
流し読みしていくと『助けて』とか『ヤバイ』という単語が視界にちらつくが、また何かのネタかとそれらのつぶやきをスルーしてこれから会いに行く奴のつぶやきを見る。
その男は昨日あたりに新車を買ったらしく、自慢気な表情で新車とのツーショット写真をSNSに投下していた。
「ファストのやつ、まーた同じ色のダサい車買いやがって……」
昔馴染みの脱帽したセンスに苦笑しつつ、楽しくやっているんだなと安心する。
そうしているうちにも時間が過ぎ去ってしまうことに気づき、スマホを傍に置いて布団を被る。
さっさと寝よう、次に目を開けたらまだまだ楽しみが待っている。
メアリーのプレゼント、ファストとの再会。そうだ、三人で食べにいこうか。メアリーはファストとも仲が良かったからきっと喜んでくれるだろう。
ああ、楽しみだな。まるで遠足を待ちわびる子供のような気分だ……。
◇◇◇
誰かは言った。若き幸福はただの前借りに過ぎないものだと。
私はパパへのプレゼントをアレンジするべく、イリスの手を借りて二人でアクセサリーに小さな装飾を施していた。
「こんな感じかな?」
「メアリー様、お上手です」
ある程度出来上がったネックレスを首にかけてもらい、鏡で確認しながら出来栄えを確かめる。
我ながらなかなか良い仕上がり、このくらいの装飾の方が今のパパにはきっと似合う。
そんなふうに自画自賛していると、部屋の扉が不自然にノックされた。
それは今思えばノックというより、叩いているに近かった。
「少々お待ちくださいませ」
「ん」
扉の方へと向かうイリスに軽い返事を返して再度ネックレスの装飾に勤しむ。
これなら今日中には完成しそう、せっかくだしパパにプレゼントする際には手伝ってくれたイリスも一緒にいて欲しい。
「あ、そうだ! 今日の夕食、よかったらイリスも一緒に──」
そこまで言いかけて言葉を止める。
嫌な予感が胸の奥底でざわつく、そしてそれは一瞬にして現実の光景と照らし合わされた。
ドア越しに突っ立っているイリスの首元からは見慣れない赤い液体が流れだしており、空いた隙間からは正気を失ったような目をした城の使用人たちが襲っている。
一瞬の、出来事だった。
「……イリ、ス?」
「ぉ……にげ、くだ、さ……」
その声を最後に、彼女の体は力なく崩れ落ちた。
そして彼女を殺した使用人たちは、その目を私へと向けるのであった。