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追懐島の案内人  作者: 宗真匠
1章 露草美澄
8/10

7

 やる気と結果は必ずしも結びつかない。

 あれから数日、記憶の欠片探しはすっかり滞ってしまっていた。

 毎日のように遠出をしては「思い出したい」と強く願い続けたけれど、私は何も思い出せないまま無駄足を運ぶことになった。

 緋翠くんは「そんな日もあるよ」と励ましてくれたけれど、毎日のように付き合ってくれる彼にも申し訳なくなってくる。


 この追懐島では忘れてしまった物事を思い出すために「思い出したい」と願い続けることが大事だ。

 だけど、ここ数日同じような毎日を繰り返してわかった。きっとそれだけではいけないのだと。

 私は何かを見落としているのかもしれない。無策に歩き回るだけでは、記憶の欠片が見つかることはない。

 この島は失くした記憶に合わせてその情景を変化させる。でも、元々の景色とかけ離れた場所に変化することはない。

 それは緋翠くんも言っていたことだし、私も何度かの経験を経て理解した。

 私が忘れた記憶と近しい場所に行かなければ記憶の欠片が見つかることもない。

 このままずるずると『思い出したいなぁ』と考え続けているだけでは、ずっと思い出せないままなんだろう。


「やっぱり行かなきゃダメかなぁ……」


 島を回った帰り道に私はそうボヤいた。

 今日も一日がかりで歩き回ったせいで、すっかり日も暮れて星が点々と輝いている。


「行かなきゃって、どこに?」

「……万障地区」


 この島で唯一異質とされる場所。

 そこはどんな場所にも変化して、長閑な島では有り得ない情景を映してくれると言う。

 もしも本当にそうであれば、わざわざ島巡りをしなくともその場所に行くだけで記憶の欠片探しも進展すると思う。


「それは最終手段だね。万障地区に行った人はあまり良い記憶を思い出さないから」


 緋翠くんはそう言って目を伏せる。彼は安易に万障地区へは近寄ろうとしない。きっと私にも近寄ってほしくないのだと思う。

 これまで案内人として多くの人に寄り添ってきた彼が頑なに拒むんだ。万障地区がどれほどの苦悩と痛みを伴う場所なのかは想像に難くない。


 今更躊躇することはないけれど、緋翠くんの優しさを無下にするようなことはしたくない。

 ただ……


「記憶の欠片、何処にあるのかな」


 絶賛難航中の記憶の欠片探しをどう進めていいのかわからないのも確かだ。

 隣を歩いていた緋翠くんが立ち止まったのを横目に見て、私もそれに倣う。

 彼はぼんやりと星空を眺めながら呟く。


「記憶の欠片に限った話じゃないけど、思い出すために必要な要素は"時間"と"場所"と"人"なんだ。例えば、最初に見つけたコスモス畑はちょうど良い場所と時間が合致したから現れた。先日の公園では場所と隣に居る誰かっていう条件が揃ったから見えた景色なんだと思う」


 思い出すために必要な要素、か。あまり考えたことがなかった。

 でも、その話を聞いてもピンとこない。

 場所はこの島だと似通った地形なら記憶に合わせて変化するはずだし、時間も突然夕方になるのを見てしまっては「思い出そうとすれば時間も勝手に変化するのでは?」と思ってしまう。

 人に至っては、ここに居ない人が前提の条件で、思い出す要素として準備するのは不可能だ。


 私が首を捻っていると、緋翠くんはくすくすと笑った。


「そう難しく考えなくていいよ。……そうだね、今まで思い出したことを辿ってみるのはどうかな?」

「今まで思い出したこと……」

「うん。思い出したいと考えることと思い出すために手段を模索することは全くの別物だからね。美澄さんはさゆちゃんとどこに行ったのか。何を話したのか。その時の景色はどうだったのか。きっとその中にトリガーがあるはずだよ」


 そっか。言われてみれば当たり前のことだ。

 私はこれまでに思い出した記憶をその場の感動や苦しみだけで留めて放置していた。

 記憶の欠片なんて簡単に集まる。このまま流れに乗って島を彷徨くだけで全部思い出せると勘違いしていた。


 バカな話だ。思い出したいと願うだけで、心の底では思い出そうと必死になっていなかったのだから。

 思い出したいと願うことと思い出すために思考を巡らすことは根本的に異なる。

 私がしていたことは前者に当たると思う。思い出せたらいいなってぼんやりと考えていただけ。

 サッカー選手になりたいと思っても努力しなければなれるはずもない。

 夢を願い続けるだけで叶うのなら誰も苦労はしないんだ。


 私は夜空いっぱいの星を吸い込むように大きく深呼吸した。澄んだ空気が肺の中を埋め尽くす。

 真剣に向き合わなきゃ思い出せない。本気で願わなきゃこの島は応えてくれない。

 そんなこと、わかっていたはずなのに。

 ふっと小さく息を吐いた緋翠くんが優しい声色で問いかける。


「美澄さんは、どうしてさゆちゃんのことを思い出したいの?」


 どうして。その質問に私は答えられない。

 何も考えていなかったからだ。理由もなしに漠然と願っていたからだ。


「うん。ちゃんと考えてみる。ちょっと待ってて」

「わかった」


 緋翠くんは短くそう答えると、うんと背伸びをして静かに空を仰いだ。


 もう一度初心に帰ろう。この島に来た理由、私が失った記憶についてゆっくりと思考を深めていく。

 本気で思い出すというのは、これまでの記憶を頼りに私自身が記憶を手繰り寄せるということだ。或いは、さゆちゃんとの思い出を心の底から追い求めることかもしれない。


 私がこの島に来たのは、私にとって大切な記憶を忘れてしまったから。大切な記憶というのは、きっとさゆちゃんと過ごした日々を指している。

 私はどうしてさゆちゃんのことを思い出したのだろう。

 理由はいくつも思いつく。

 記憶を失ったことに対する恐怖心。どんな記憶を失ったのか思い出したい好奇心。忘れられてしまったさゆちゃんに対する同情。大切な友人のことを忘れてしまった後悔。

 いくつもの理由が折り重なって、思い出したいというひとつの目的に導かれる。


 でも、どれもしっくりこない。

 そんなに単純な話じゃないんだ。もっと、心の底からさゆちゃんとの思い出を求めている理由があるはずだ。


「んー、わかんないなぁ」


 もう少しでたどり着けそうな気がするのに、これだという答えが出てこない。

 考えれば考えるほど思考の沼に嵌っていくような感覚に陥る。


「なんだか、面接の時に似てるかも」

「面接?」

「うん。今の会社に就職した時も同じ気持ちだったんだよね」

「と、言うと?」


 虫の声が微かに聞こえる田んぼ道で私たちの声が響く。

 あまり大きな声ではないのに、どこまでも聞こえてしまいそうなほど静かだ。


「私、ずっと両親の言われるがまま生きてきたんだ。勉強をしろって言われたから勉強した。部活に入るなら結果を残せって言われたから努力した。そのおかげで学校の成績は良かったし、バドミントン部では全国ベスト8にまで上り詰めたんだよね」

「それはすごいね」

「うん。私も頑張ったなって思う。でも、大人になったら……ううん、今だからこそ思うんだ。私はどうして頑張ってたんだろうって」


 部活も勉強も人一倍努力した。努力に比例して結果も出た。

 私は結構器用だったから、努力した分だけ自分の身になった。

 それは喜ばしいことだし、今までも公開したことはない。

 だけど、「どうして頑張ったのか」と問われると、私には答えられない。

 言われたからやっただけ。そこに自分の意思はなかった。


「何の不満もなかったし、今までは疑問にも思わなかった。でも、私の人生はずっと窮屈で、敷かれたレールの上を走るだけの列車みたいな生き方だったんだなって思うんだ」

「たとえ列車みたいな人生だったとしても、走ろうと思ったのは美澄さんの意思なんじゃないのかな?」

「そうだね。でも、少し違う気がする。私は列車そのものなんだよ。運転手は他に居て、私は操縦されるままに動いてただけ。私が動きたいと思って動いてたわけじゃないんだよ、きっと」

「だから、どうして動いてたのか聞かれても答えられないんだね」


 緋翠くんが出した結論に私は肯定した。

 私の意思なんて関係なく車輪を回していただけだから、理由を問われてもわからない。

 面接の時もそうだった。


「今の会社を選んだのもお父さんなんだ。知り合いが経営する会社だから安心だ、一流の企業だから安泰だって言われて、私は就職を決めた。面接の受け答えも教えられた通りの質問に言われた通りに答えただけ」

「それが今の状況に似てるってこと?」

「面接で聞かれたんだ。『どうして弊社を選んだんですか』って。私は用意していた答えをそのまま口にした。でも、本当はどうしてあの会社に入ったのか、私にはわからない。入りたい理由なんて私にはなかったんだから当たり前だよね」


 社訓に共感したから。社長の活動に関心を覚えたから。

 それは私が抱いた理由じゃない。お父さんが用意した聞こえが良い言葉でしかない。

 今置かれた状況も今まで私が何も考えずに生きてきた罰なのかもしれない。

 せっかく掴みかけた彼女の背中がどこまでも遠く感じてしまう。

 もしかしたらさゆちゃんもこんな私に嫌気がさして離れてしまったのかもしれない。

 過去の自分と向き合うにつれて、嫌な考えが私の頭を蹂躙していく。


「僕は同じだと思えないかな」


 これまで私の話に相槌を打つだけだった緋翠くんが、初めて私の言葉を否定した。

 びっくりして目を丸くする。隣に立つ緋翠くんに視線を落とすと、彼は真剣な目で私を見ていた。

 あまりに真っ直ぐなその視線に思わず目を逸らす。


「お、同じだよ。自分の意思を持たずに生きてきたから、入社した理由がわからない。さゆちゃんのことも同じ。どうして思い出したいのか、本当の理由が私にはわからないんだよ」

「美澄さんはそれでいいの?」


 どうにか自分を肯定しようとする私を緋翠くんは許さない。

 ゆっくりと追い詰めるように一歩近付く。


「僕は美澄さんが逃げているようにしか思えないよ」

「に、逃げてなんか……」

「考えてもわからない。その諦めを過去のせいにして逃げてるんじゃないのかな」


 穏やかだった彼の口調が少し強くなる。

 言い返そうと口を開いたけど、言葉が出てこない。

 彼の言葉が私の心の内を見抜いているとわかってしまったからだ。

 何も言えなくなった私に緋翠くんはさらに言葉を紡ぐ。


「入社したい理由は美澄さんにはなかった。それは美澄さんの意思じゃないからだよね。だけど、今は違う。さゆちゃんのことを思い出したいって気持ちは美澄さんが抱いた確かな感情なんだから。美澄さんが『思い出す』って選択をしたんだよ。他の誰でもない美澄さんの意思で決めたことで、そこにはちゃんと理由があるはずだよね」


 怒っているとも嘲ているとも違う。穏やかで優しいのに、はっきりとした口調で彼は言った。

 緋翠くんにこれでもかと言い負かされて、私は口をきゅっと結んだ。


 本当は気付いていたんだ。

 面接の時も今も状況は似ているけど、その本質は全く違うってことに。

 自分の記憶は自分で思い出さなきゃいけない。思い出すために自分で行動しなきゃいけない。

 わかっていたのに、私は過去の自分を言い訳にできない理由を探していた。

 私は誰かに答えを求めていたんだ。今までずっとそうしてきたから。


 私が何もしなくても、レールは先まで敷かれ続けていた。

 私はそのレールの上を何も考えずに走るだけ。窮屈で退屈だけど、とても楽な人生だった。

 今回も同じだって勝手に思い込んでいた。ううん、思い込もうとしていた。

 緋翠くんが助けてくれる。緋翠くんが導いてくれる。緋翠くんがレールを敷いてくれて、私はその上を走るだけで全部思い出せるんだって勝手に思っていた。

 緋翠くんはそんな私の愚かさに気付いたんだ。私の甘えを正すために、強い口調で私を諭したんだ。


「緋翠くんの言う通り、だね」


 言い逃れもできないほどの事実を突き付けられた私は、そう受け入れることしかできなかった。

 思い出したいと願うのは簡単だ。自分に都合の良いように言い訳をして逃げるのはもっと簡単だ。

 でも、それじゃあダメなんだ。

 誰かに言われるがまま、導かれるままに動いてもこの島は応えてくれない。さゆちゃんは私の記憶の奥底に眠ったまま覚めることもない。


 さゆちゃんとの思い出を取り戻すために最も大切なのは、私が変わることなんだと思う。

 自分と向き合えていないのにさゆちゃんと向き合うことなんてできるはずもなかった。

 過去の自分と決別して踏み出さなきゃいけない。殻を破って新しい自分にならなきゃいけない。


 いや、それは少し違うかもしれない。

 何でも人に頼って、自分の意思を捨ててきた私にも夢を抱いていた頃があった。

 なれるかどうかを考えるよりも先に「そうなりたい」と、はっきりと自分の意思を持っていた頃が確かにあった。

 それは間違いなく私が決めたことで、夢を語り合った私たちだからこそ覚えている確かな感情だったはずだから。

 だから、デザイナーになりたいと思っていたあの頃の私を思い出すんだ。


 人は大人になると現実を見る。

 できないことはできない。なれないものはなれない。限界を知る。限界を知って諦める。努力ではどうにもならない壁に当たる。壁に当たって諦める。

 大人になることは諦めることだと私は思う。

 現に私はそうだった。全てを思い出したわけじゃないけど、私がそういう人間だということを考えれば、私は自ら夢を諦めたんだと嫌でも気付く。

 それも私が選んだ道だ。

 両親が用意した道を進むと決めた。それは自分の夢を諦めることと同義だ。

 デザイナーとしての才能があったのかなかったのか。そんなことは大して重要じゃない。

 私はただ、両親に抵抗することを諦めた。反抗することを諦めて、言われた通りに生きると決めた。


 これじゃダメなんだ。

 勿論、私の選択が間違っていたとは思わない。

 現に私は公務員として立派に働いている。はっきりと意思表示ができないところは相変わらずだし、そのせいで同期や後輩とはあまり上手くいっていない。

 それでも人並みに働いてお金を稼いで、何一つ不自由なく生活している。社会人という括りで考えれば、私は真っ当な大人になったと思う。


 だけど、私の選択は及第点を取っただけに過ぎない。

 最低限の仕事をこなして「人生こんなものか」って諦めているだけ。

 これじゃダメなんだよ。満足できないんだよ。諦めちゃいけないんだよ。

 この島に来て、たくさんのものを見た。たくさんの景色に感動を覚えた。たくさんの記憶に触れて、涙が溢れて笑顔になった。

 私が本当に求めているのは、真っ当な大人じゃ到底知り得ない、この胸にある熱い気持ちなんだから。


「私、わかったよ。どうしてさゆちゃんのことを思い出したいのか」


 こうしてきちんと自分と向き合うことで見えてくるものもある。

 情けない私を見捨てることもなく、緋翠くんは私の言葉に静かに耳を傾けた。


「きっとさゆちゃんは私の人生を変えてくれる人だったんだと思う。窮屈な人生を送っていた私を鳥かごから解き放ってくれる人だったんだと思う」


 さゆちゃんとの思い出には数え切れないほどの感動がある。

 これまでの私の人生からは考えられないほど色鮮やかで希望に満ちた景色を見せてくれる。


「窮屈な人生から脱却したいから。記憶を失ったままでいることが怖いから。さゆちゃんに申し訳ないから。理由はたくさんあるけど、どれもひとつの答えに繋がってるんだ」


 自分のため。さゆちゃんのため。手伝ってくれる緋翠くんのため。

 どの答えも正しくて、間違っている。

 答えはもっと簡単なことだったんだ。


「私、さゆちゃんのことが大切なんだ。さゆちゃんのことが好きだった。誰よりも何よりも大事な親友だった。だから、彼女のことを思い出したい。どんな結末になったとしても、忘れたままではいたくない」


 さゆちゃんのためだとか、私のためだとか、そんなのは二の次三の次。


「私の隣には確かに大切な友達がいた。私の人生にはかけがえのない人がいた。それが事実だったって証明したい。その事実を取り戻したい。これが私の答えだよ」


 たったそれだけのことだったんだ。私は難しく考え過ぎていた。

 一生涯の親友を忘れたくない。たったそれだけのこと。

 隣にいたはずの大切な誰かを忘れるなんて、どんな結末よりも悲しいことだ。そんな辛いことがあっていいはずがない。

 だから思い出すんだ。さゆちゃんがいた人生を取り戻すんだ。


「それが……美澄さんの答えなんだね」


 私が決意を表明すると、緋翠くんは虫の声よりも小さな声で呟いた。

 あまりに単純な回答に呆れられたのかと思い緋翠くんに目をやると、彼は首を振って笑顔を作った。


「うん、良いと思う。大切な人だから忘れたくない。シンプルだけど真っ直ぐで、絶対に嘘偽りない答えだね」


 そう言ってさらに目を細めた緋翠くんの笑顔は、どこか苦しそうに見えた気がした。

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