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追懐島の案内人  作者: 宗真匠
1章 露草美澄
7/10

6

 緋翠くんと他愛ない会話をしている最中にも私は自分の記憶について考えていた。

 思い出したいと願うことが大切だ。その言葉を信じて、必死に彼女のことばかりを想っていた。


 二時間ほど歩いただろうか。

 小さな山を迂回した先には簡素な公園があった。

 滑り台とブランコ、それに二人が座れる程度のベンチが二つ。たったそれだけ。

 住宅地から程遠く、長らく使用された形跡もない。

 寂しさと懐かしさを思わせる物悲しい雰囲気の公園だった。


 言うまでもなく、私はその場所に見覚えがあった。

 とは言え、私の記憶が確かなら、この公園は住宅街の奥地に位置していたはずだ。新しい公園が設立されてから、人が近寄らなくなってしまった寂れた場所だったように思う。


「この公園、高校生の時に取り壊されたんだよね」

「そう……なんだね」


 私がそうしていたせいか、緋翠くんは目を細め、懐かしむように公園を眺めていた。


 取り壊された記憶はある。その事実を聞いた時、私の心にぽっかりと穴が空いてしまった記憶も。

 だけど、あの時の私がどうして空虚な気持ちに陥ったのか、今の私には思い出せない。


 私は吸い寄せられるようにブランコに腰を下ろした。体重をかけただけでギイギイと音を立てて、危ないったらない。


 ブランコに座ると、そこから見える景色にはより一層既視感があった。

 私は以前にもここに座っていた。一度だけじゃない。何度もこの場所を訪れては、ここに座ってブランコを緩やかに揺らしながら、隣に座る彼女の声に耳を傾けていた。

 

 記憶が流れ込むように想起されると、ずきりと頭が痛む。この痛みにも少し慣れてきた。私が何かを思い出そうとすると、それを邪魔するように頭痛が押し寄せる。

 思い出したいという私の意思に反して、体はそれを拒み続ける。

 せっかく忘れたのに、どうして思い出そうとするのか。このままで居る方が幸せなのに、どうして自ら悲しい過去を思い出すのか。

 私の体がそう告げているようだった。


 これは防衛本能だ。

 熱いものに触れた時に手を引っこめるのと同じ。体温が上がって汗が出るのと同じ。思い出そうとするだけで涙が溢れてしまうのも頭痛に襲われるのも全部同じ。

 私の体が危険を察知して、私の考えなんて意にも介さず、反射的に私を護ろうとしている。

 きっとこの記憶は私を幸せな気持ちにしてくれるものじゃない。私にも薄々分かっていた。


 それでも私は願い続けた。

 思い出したい。この場所で何があったのか。誰と何を話したのか。

 今緋翠くんが座っている隣のブランコには他の誰かが座っていたはずだ。

 寂れた公園を眺めながら、彼女はそこで何かを語っていたはずだ。

 私はその言葉に拍手を送り、感動さえしていたはずだ。


 知りたい。思い出したい。忘れたままでいたくない。

 この胸につっかえたモヤモヤを取り去ってしまいたい。心を強く締め付けられるこの気持ちの正体を知りたい。

 目を閉じて、ひたすらにそう願った。



「……さん。美澄さん」


 緋翠くんの声に引き寄せられるように、私は瞼を持ち上げた。

 瞬き程度のほんの一瞬。一秒にも満たない刹那だった。


「な、何これ……」


 視界に広がっていたのは、どこまでも続く橙色。さっきまでお昼も回っていなかったはずなのに、いつの間にか寂れた公園を夕日の仄かな明かりが包み込んでいた。


 私はこんな場所でうたた寝していたのだろうか。そう錯覚してしまうほど一変した世界に驚きを隠せずにいた。

 それは、隣で私を見守っていた緋翠くんも同じらしい。


「緋翠くん、これって……」

「僕もびっくりしたよ。瞬きをした次の瞬間には夕方になっていたんだから。目の前の景色がこんなに急激に変化するのは僕にとっても初めてなんだ」


 緋翠くんは驚嘆の声を漏らし、うっとりとその情景に見蕩れている。

 閑散としていただけの公園がフェルメールの描いた絵画のように光と影のコントラストによって侘しさの中に確かな彩りを放っていた。


「綺麗……」


 私もその光景に息を飲み、そう小さくこぼした。

 じっと見ていると吸い込まれてしまいそうだ。全身の毛が逆立ち、ぶるっと身を震わせる。

 圧倒されるほど美しいと思った。

 ちりっと脳裏に痛みが走る。


──みぃちゃん。


 どこからともなく声が聞こえた。


──すごく綺麗でしょ?


 この景色を背に両手をいっぱいに広げる少女の姿が脳裏に浮かんだ。


──私はいつか、この景色を自分だけの絵で表現したいの!


 隣に座る彼女は、満面の笑みを浮かべて夢を語った。


──個展を開く時は、一番最初にみぃちゃんを招待するね!


「待ってるね、さゆちゃん」


 記憶の中の私と現実の私の言葉が重なる。


── 私は画家になる。みぃちゃんはデザイナーになる。二人で一緒に夢を叶えようね!


「うん、約束ね」


 知らず知らずの内にそう呟いていてハッと我に返る。

 キョロキョロと視線を泳がせると、隣で不思議そうに私の顔を覗き込む緋翠くんの姿があった。


「美澄さん、今のは?」


 緋翠くんは驚いた表情で尋ねた。

 けれど、私も状況を飲み込めずにぶんぶんと首を横に振った。


「わかんない。私にも全然……」


 私にとっても予想外の行動に自分自身驚きを隠せないのだ。

 気がついたらその言葉が口を衝いて出ていた。その名前を無意識のうちに口にしていた。「さゆちゃん」と、確かにそう言っていた。


「みぃちゃん」は恐らく、私のあだ名だ。そう呼ばれた記憶はないけど、そこはかとない懐かしさがある。ずっとそう呼ばれてきたような、耳に馴染む響きだった。


「私、ここで約束したんだ。さゆちゃんと。さゆちゃんは画家になって、私はデザイナーになる。そう約束した」


 そうだ。私はデザイナーになりたかった。

 昔から可愛いものが好きだった。家族でデパートに出かけては、可愛らしい洋服や小物に目を奪われていた。

 両親が買ってくれることはなかったし私も強請ることはしなかったから、ただ眺めていただけに過ぎない。

 それでも、無機質なマネキンが着飾ったあの優美な衣服が、雑多に陳列された色とりどりの小箱が、私にはキラキラと輝く宝石に見えたんだ。


 私は決めた。デザイナーになろうって。

 自分でデザインした洋服や小物を作って、たくさんの人に届けたい。私の服を着た人が笑顔になるようなファッションデザイナーになりたい。それが私の子どもの頃の夢だった。


 どうして忘れていたのだろう。

 子供の他愛ない夢の話だ。忘れていても不思議じゃない。

 だけど、この島に来たせいだろうか。忘れていたことにも理由があるように思えてしまう。


「どうして、デザイナーの夢を諦めたの?」


 緋翠くんの質問に私は口を噤んだ。

 私はデザイナーになりたかった。だけど、私は諦めてしまった。

 どうして諦めたのだろう。何かきっかけがあったはずだ。

 私にセンスが無かったから? その狭き門に振るい落とされたから? 両親に認められなかったから?

 ううん、違う。もっと根本的な何かだ。私が変わったんだ。自ら夢を捨てたんだ。

 夢を失い、今の私が出来上がってしまった原因がそこにあったはずだ。

 だけど……。


「ごめん、わからない。デザイナーを夢見てたことも今思い出したの。小さな頃からの夢だったのに。ずっと追い求めてたはずなのに……」


 子どもの頃の夢なんて覚えていない人の方が多い。

 成長するにつれて現実に直面し、自分がその職業に適していないと実感し、やがて挫折を味わう。

 そうでなくても、新しい夢を見つけるきっかけなんてそこら中に転がっていて、生まれて一番最初に目指した目標をずっと追いかけ続けられる人はそうそう居ない。


 私だって同じかもしれない。

 初めて抱いた夢はデザイナーではなかったのかもしれない。

 高校生になって、大学に進学して、社会人が近付くうちに「デザイナーなんて子どもの頃の一時の妄想だ」なんて切り捨ててしまったのかもしれない。


 割り切ってしまうのは簡単だ。

 今ふと思い出したせいで、デザイナーになりたいという妄言に固執しているだけだ。本当はさゆちゃんの存在もこの胸につっかえる違和感も関係無くて、普通に働く方が性に合っていると現実を見ただけ。

 そうやって自分に都合の良い解釈を受け入れるのは簡単な事だし、実際にそれが真実なのかもしれない。


「私はどこかでデザイナーの夢を諦めた。きっかけは思い出せない。そんなことかって肩を落とす理由かもしれないし、忘れて当然だって笑っちゃうような在り来りな理由かもしれない。思い出す必要も無い中途半端な私の必然的な挫折だって切り捨てるのが正解なのかもしれない」


 この島に来る前の私なら、きっとそうしていた。

 何の夢もない。やりたいこともない。なりたい職業もない。

 ただ地道に生きて、そこそこに幸せになって、なんとなく死んでゆく人生。

 それが私の立てた道筋だったから。


「でも、今の美澄さんは諦めた人の顔じゃないね」


 ふっと口元を緩めた緋翠くんに力強く頷き返す。


「うん。私はそれじゃ納得出来ない。今、私が居るのはこの追懐島で、私はここで信じられないような現実をたくさん見た。気がついたらこんな辺鄙な島に居るし、来たことの無い島なのに見覚えのある景色を目の当たりにしたし、朝の物寂しい公園が夕日を浴びて息を飲むくらい綺麗な場所に変化する瞬間をこの目で見てしまったから」


 だから私は、諦められない。

 目が爛々としてしまうくらい艶美な公園に視線を送る。

 私が忘れてしまった記憶にはこんなにも美しい情景が眠っていた。隣には約束を交わした誰かが確かに存在した。二人で将来の夢を語り合って、一緒になって笑っていた。


 それだけじゃない。

 道を外れれば迷子になってしまいそうな小道を歩いた時にも彼女はそこに居たはずだ。

 コスモス畑を見せてくれたのも彼女で、私は彼女の笑顔が咲いたコスモス畑に胸が熱くなっていたはずなんだ。

 そんな夢物語のような現実を目の当たりにして、退屈で在り来りな過去の自分のままで居られるはずがない。

 私は改めて緋翠くんに問う。


「追懐島は忘れてしまった大切な記憶が集まる場所なんだよね?」

「そうだよ。良い思い出も悪い記憶もこの島に流れ着いて、持ち主を待っているんだ」

「だったら、私は簡単に納得したくない。もう諦めたくない。私も大切な記憶を忘れてるんだよ。さゆちゃんのこと。これまで見た景色のこと。それに、私たちの夢のことも。全部が大切な記憶で、忘れたくなかった何かがあったはずだから」


 元々、ファンタジーみたいな事ばかり起こる島なんだ。

 にわかには信じ難いことばかり見せつけられて、今まで信じていたはずの現実や常識という概念を壊すような島。それがこの追懐島だ。


 それなら、最後までファンタジーな結末を信じてみたい。

 私の挫折には劇的な理由があった。

 さゆちゃんの存在は私の人生を大きく揺るがすものだった。

 この島に来るまでの私の人生観を決定付けるきっかけがそこにあった。

 そう信じてみてもいいじゃないか。

 もしもそれが、ハッピーエンドとは程遠い悲劇だったとしても。


 私の一人語りを一頻り聞いてくれた緋翠くんはにこりと笑って立ち上がった。


「そうと決まれば探しに行こう。美澄さんが忘れてしまった大切な記憶を。今度こそ、諦めないために」

「うん! 今なら簡単に見つかっちゃう気がする!」

「あはは、その意気だよ」


 今の私はこれまでに無いほど前向きだった。

 さゆちゃんのことを思い出したいという気持ちが私を埋め尽くしていたから。

 恐怖も不安も全部飲み込んで、前に進んでやる。どんな結末だったとしても、私はこの記憶の先を知りたい。

 決意を新たに、私たちは次の目的地へと向かった。

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