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追懐島の案内人  作者: 宗真匠
1章 露草美澄
6/10

5

 その日、私は夢を見た。

 誰かに手を引かれて川沿いを駆け抜ける夢だ。


 私より少し低い身長の彼女は、黒く長い髪を靡かせて、時折こちらを振り返る。

 顔はモヤがかかったようにはっきりとしない。ただ、楽しそうに笑っていることだけはわかった。


 彼女につられて私も笑った。何が楽しかったのかはよくわからない。

 だけど、彼女と一緒に居ると何でも楽しくなる気がした。


 橋に辿り着いたところで、彼女は足を止めた。

 彼女が指さす方を見て息を飲んだ。

 その景色は……よく思い出せない。ただ、感動したんだと思う。


 瞬きに合わせて場面は切り替わり、新たな情景を映し出した。


 夜中に家を抜け出して、夜の森で震える私の手を取り、上空を指さした。


 夕日が差す公園でブランコに並んで座っていた。彼女は何か語っていた。私はその言葉に強く感銘を受け、小さく拍手を送った。


 次々に景色が移り変わる。


 私は雨の中で泣いていた。どうして泣いているのかはわからない。彼女は雨に濡れて泣いていた私に傘を差し出した。


 私は一人だった。隣に彼女の姿はなく、たった一人でコスモス畑を眺めている。苦しみを吐き出すように声を出したけど、その声は私自身にも届くことはなく、私は怒りと悲しみを孕んだまま蹲っていた。


 彼女はいつも私の心を揺さぶった。

 恐怖も悲しみも喜びも感動も、大切な思い出に変えてくれる人だった。


 暗闇の中、恐怖で埋め尽くされた私の視界に広がっていたのは、きらきらと降り注ぐ流星だった。


 悲しみに襲われて動けなくなっていた私を抱きしめて、私は一人じゃないと教えてくれたのは、彼女の優しい温もりだった。


 友達が少なかった私を連れ回すのは彼女だけ。私にとっての心の拠り所で、唯一無二の親友だった。


 私の中に存在しない思い出が次々とフラッシュバックする。そんな夢を見たんだ。



※※



 翌日、私は鳥が鳴き始めるよりも早く目を覚ました。

 涙で腫れた顔を流水で洗い、気を引き締める。


「よし」


 部屋に完備されていた化粧道具で泣き跡を消し、鏡を見て気合いを入れる。

 漂着者を受け入れているだけあって、アメニティが豊富なのは嬉しいことだ。


 そう言えば、この島の食料や日用品はどこから調達しているのだろう。

 島民全員がどこかからやって来た人たちだとして、最初は何も無い状態から始まったはずだ。

 食料は自給自足で賄うにしてもこれらの化粧品や昨日お風呂で使ったシャンプーなんかは島の中だけで補えるものではないだろう。


 と、思考を巡らせてみたけれど疑問を解決出来るはずもなく、私は早々に考えるのをやめて着替えを済ませた。




「この島にはな、運び人がおるんよ」


 私の疑問を聞いて、真嶋の旦那さん──慶一(けいいち)さんが言う。

 食卓を囲んで奥さんの志保(しほ)さんと緋翠くんも頷く。


「運び人……ですか?」


 彼の言葉を繰り返すと、慶一さんは「そうや」と肯定を示した。


「運び人について、詳しいことは誰も知らん。やけど、毎週日用品や必要な備品を仰山運んで来てくれんねん」

「もしかして、私たち漂着者もその人に運ばれて?」

「それは……どうやろな?」


 話を振られた緋翠くんは首を横に振った。


「僕にもわからないよ。運び人は僕らが勝手にそう呼んでいるだけで、その姿を見た人は居ないからね」

「つまり、いつの間にか物や人が届いてるってこと?」

「そうだね。実際には運び人なんて居なくて、その場にポンと出現しているだけなのかもしれない」

「やけど、そんな怪奇現象みたいに出て来たもんを使いたいとは誰も思わん。やから誰か親切な人が運んで来てくれとるって思うことにして、この島で暮らすモンにもそう説明してんねん」

「なるほど……」


 確かに、どこからともなく湧いて出ると言われるよりは、誰かが運んで来てくれるって思う方が大事に扱おうって気持ちになるし、安心も出来る。

 人も運んで来ると思うと、拉致や誘拐のように聞こえて少し怖い気もするけど。


 ただひとつ言えるのは、この食事も私が今朝使った化粧品や昨日何気なく消費していたシャンプーも島民にとっては貴重な物だったということだ。

 そう考えると、私のような一時的な滞在者が簡単に浪費してしまうのは申し訳なくなってしまう。


「漂着者はお客様やけんね。美澄ちゃんはなんも気にせんでよかけんね」


 私の心配を察してか、志保さんは穏やかな声色でそう言った。

 慶一さんも緋翠くんもその言葉に同意してくれる。

 この島の人たちは優しさに溢れている。改めてそう思った。


 この親切心を無下にするのは心苦しい。

 私は「わかりました」と甘んじて受け入れることにした。

 彼らの優しさに応えるためにも、一刻も早く記憶の欠片を見つけたい。



 朝食を終え、私は緋翠くんと共に記憶の欠片探しを再開した。

「島の中心まで行く」と言う彼の案内で、田園風景を抜けて山を迂回し、さらに奥へと進んで行く。


 この島は思っていたより随分大きいようで、緋翠くんとの会話を楽しんでいてもそれなりに時間の経過を感じた。

 時折休憩を挟み、真嶋夫妻に持たされたお茶で水分補給をしながら額に滲む汗をタオルで拭う。


「記憶の欠片探しも大変なんだね」


 疲れからか思わず愚痴がこぼれてしまう。

 緋翠くんは涼しい顔でくすくすと笑った。同じ距離を歩いているのに、この小さな体のどこにそんな体力があるのだろう。


「そうだね。昨日立て続けに見つかったのは運が良かった方かもしれない」

「え、そうなの?」

「記憶の欠片は忘れてしまった記憶に近しい場所にしか現れないからね。その舞台が海で海岸沿いを歩いているだけで終わった人も居るし、それが都心なら島の反対側まで行かなきゃいけないんだ」

「……島の反対側には街が広がってるの?」


 到底想像出来ない風景を思い浮かべて首を捻る。

 長閑な海沿いの町と大都市のようなビル街が同居するひとつの島。

 ただでさえ不可思議な場所なのに、相反する二つが一つに纏まっているなんて、考えてもピンとこない。

 ……でも、この島なら有り得るかも?


 すっかりファンタジーな雰囲気に慣れてしまった私の想像を緋翠くんの笑い声が吹き飛ばす。


「違うよ。この島の北端には万障地区って呼ばれてる場所があるんだ」

「ば、ばんしょ……?」


 緋翠くんはにこりと微笑んで、鞄から一枚の紙を取り出した。

 四つ折りにされていたそれを広げると、縦長の楕円形の図に小さな文字が書かれた地図が載っていた。

 細かく書かれているけど見る限り手描きのようだった。


「これは、追懐島の地図?」

「そうだよ」

「これも運び人が?」

「ううん、僕が実際に歩いて作ったんだ」

「へ、へえ……」


 現代にも伊能忠敬のような人物が居るなんて。思わず絶句してしまう。

 それはそうと、目の前に広げられたそれには、手描きの地図にしてはこと細かく場所の名称まで明記され、高低差や距離などもちゃんと記されていた。

 緋翠くんの職人芸には頭が下がる。


「ほら、ここ」


 緋翠くんが指をさした部分には『万障地区』と書かれた場所があった。

 ちょうど山を挟んで反対側。ここから真っ直ぐに山を越えれば半日ほどで到着するだろう場所だ。

 奇妙なのは、その周囲は山に囲まれた絶壁で、海岸沿いに隠されたように位置していることだ。


「ここに行くと何があるの?」

「この島が記憶の欠片によって変化するのは昨日見てもらったと思うんだけど、万障地区はそれが顕著な場所なんだ。ある時は東京のような華やかな街並みに。ある時は廃屋のような寂れた場所に。ある時は学校の校舎に。火事で倒壊した村になったこともあるね」

「それは……あまり聞きたくないね」


 火事と聞いて思い出される記憶が明るく楽しいものに繋がるとは思えない。

 きっとその景色を見た人も辛い記憶を思い出してしまったことだろう。

 その人はどんな思いだったのかな。私には耐えられない気がする。


 私がゾッと背筋を震わせていると、緋翠くんも珍しく眉をひそめて難しい顔をしていた。


「僕もこの場所にはあまり近付きたくないかな」

「それは……」


 どうして?と続けようとして、やめた。


 忘れてしまった記憶は必ずしも美しい思い出だとは限らない。

 緋翠くんの表情を見ていると、その場所が良い記憶を呼び起こさないことは私にもわかる。

 恐らく、そういう不都合な記憶の欠片が散らばっているから万障と揶揄されているのだと思う。

 私はただ、その場所に足を踏み入れずに済むよう願うばかりだ。


「美澄さんなら大丈夫だよ、きっと」


 そう言った緋翠くんはいつもの穏やかな表情に戻っていた。

 私も気丈に振る舞ってこくりと頷く。

 私なら大丈夫。もしも辛い記憶を呼び起こすことになったとしても、私の決意はもう揺るがない。

 私はもう一度力強く頷いて、島の中心地へ向けて再び歩き始めた。

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