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繰り返しになるけれど、私は厳しい家庭で育った。
優秀な両親から生まれた未来ある子供。それが私だ。
期待されるのは仕方ない。両親が歩んできた成功の道を私が歩むのも当然のこと。
私は幼くしてそれを理解していたし、自分が他の同年代の子供たちとは違うと思っていた。
事実、私は優秀な子供だった。小学生の頃は百点以外の成績を取ったことはなかったし、中学生に上がっても学年首位の座を譲ることはなかった。
もちろん、運動も疎かにしない。部活動でひとつのスポーツに特化した人には勝てない競技もあったけど、並大抵のことはそつなくこなした。
それらの功績の原動力となっていたのは両親の存在だ。
私が頑張れば両親が喜ぶ。両親の言うままに生きることで彼らは笑ってくれる。怒られずに済む。
それだけが私の生きがいで、そのためなら人間関係なんて些細なことだったし、他人が私をどう思おうと関係なかった。
そんな私の人生が狂ったのは、さゆちゃんと出会ってからだ。
さゆちゃんとの時間を重ねていくにつれて私の成績は少し下がった。勉強の時間をさゆちゃんと遊ぶことに充てていたのだから当然だ。
私はそれでもよかった。
それまで知らなかった感動に出会った。友達の大切さを学んだ。世界の広さをこの目で見た。
さゆちゃんと出会わなければ知り得なかったことばかりだ。未知との出会いに勝る喜びはない。
やがて、私は気付いた。
それまでの人生がいかに窮屈だったか。どれほど退屈な人生を歩んできたのか。
そして、両親が私のことをどう思っていたのかを知ってしまった。
二年生に進級してすぐの実力試験で私は初めて学年二位を取った。
今思えば二位だって充分な成績だ。でも、両親からの評価は違う。
どうして一位が取れなかったのか、どうして当たり前のことができないのか、私のどこが悪いのかと責め立てられた。
原因ははっきりしている。だけど、私は決して口にしなかった。
「私たちに恥をかかせるな」という一言で、私は理解してしまったからだ。
両親にとって私はただの飾りだった。
自分たちの教育の正しさを示す。自分たちの優秀さを再認識する。自分たちの肩書きを保守する。
それらの目的を果たすための高慢な飾りでしかなかった。
生まれて初めての小さな反抗期。決して表立って言い争うことはなかったけど、さゆちゃんと過ごす時間を削るようなことは絶対にしなかった。
さゆちゃんにも両親の話はしなかった。
余計なことを話して彼女に心配をかけたくない。話してしまえば彼女が私のために頑張ろうとするのは目に見えていたから。
板挟みの中で、私は甘く楽しい人生に浸かり続けた。
けれど、楽しい時間はそう長くは続かなかった。
放課後を迎えた帰り道。私はいつも通り塾までの時間をさゆちゃんと一緒に過ごしていた。
その頃には町中のあらゆる場所を踏破していたけど、さゆちゃんと見る景色はいつでも新しいものに思えた。
何度も通った川沿いの道を並んで歩く。春の陽気に穏やかな空気。私の右手を握る彼女の温もり。優しくて明るい声。太陽のようなキラキラとした笑顔。
私は彼女の全てが好きだった。この時間が永遠に続けばいいのにと常々願っていた。
そして、悲劇は起こる。
「美澄、何をしているんだ?」
唐突に浴びせられた低い声に体が強ばる。一瞬にして笑顔が消えて、顔が青ざめていくのが自分でもわかった。
不思議そうに目を丸くするさゆちゃんから顔を背け、ゆっくりと正面に立っている彼を見上げる。
「お、お父さん……なんでここに」
「ここしばらく、お前の様子がおかしかったから様子を見に来たが……」
お父さんはそれ以上何も言わなかった。咎めることも表情を変えることもない。他人がいる手前、体裁を気にしたのだと思う。
お父さんの視線が下がったのを見て、咄嗟にさゆちゃんの手を振りほどいた。
その行動が正しかったのかは……いや、きっと間違っていたのだろう。
あの時、ちゃんと自分の想いを伝えていたら少しは違ったかもしれない。大事な友達ができたんだと、初めて楽しいと思える時間ができたんだと面と向かって言えていたなら……。
たらればの話はよそう。記憶が戻ったところで過去を変えられるわけじゃない。
お父さんは私を一瞥して低く落胆するように「今夜、部屋に来なさい」と言い残してその場を去った。
さゆちゃんは心配そうにしていたけれど、やはり私は事情を説明できなくて「ごめん」と一言謝った。
私はお父さんの部屋が苦手だった。
お父さんの部屋には医療関係の書物が所狭しと並んでいた。
書斎とも言えるその部屋は、酷く圧迫感があって、とても狭く見える。
お父さんの部屋に呼ばれる時は決まって私が怒られる時だ。その印象が強いせいで、お父さんの部屋に入るだけで心臓を握りしめられた感覚に陥る。
当然、その日もお父さんは私を叱った。あろうことか、さゆちゃんを悪者にして。
私が勉強を疎かにしたのはさゆちゃんのせい。さゆちゃんが私を誑かしたから私の成績が落ちた。悪い友人を持つから私にも悪影響を及ぼす。
お父さんの言い分はこんな感じ。自分の教えが悪かったなんて欠片ほども思っていない。だから、自分の子供に原因はないと信じ込む。
お父さんが言い渡した結論は、さゆちゃんとの関わりを断つこと。それだけだった。
簡単なことだ。さゆちゃんと関わらずに元の生活に戻るだけ。両親のために勉強も運動も頑張って、両親が満足いくだけの成績を残せばいい。
私に拒否権も拒否する勇気もあるはずがなく、翌日から私は一人に戻った。
さゆちゃんが近づいてきたら離れる。話しかけられても無視をする。極力近付かずに、目線を合わせずに、息を殺して生活した。
苦しかった。罪悪感を抱えたまま謝ることもできずに、私の勝手な都合で突き放そうとしたから。
悲しかった。最初は傍に置いておくだけだったはずなのに、いつの間にかさゆちゃんと過ごす時間に楽しみを見い出していたから。
それでも必死に我慢して、我慢して我慢して、一昔前の私を演じ続けた。
私が元の生活に戻るのにそう時間はかからなかった。
当然と言えば当然だ。私の友達はさゆちゃんしかいない。さゆちゃんとの関わりを絶ってしまえば、他の関係も全て崩れる。
以前と変わったことがあるとすれば、周囲の私に対する態度だろうか。
高飛車で生意気な人間が孤独に戻ったことで、私に嫌悪感を示す子が増えた。
人気者のさゆちゃんと一番仲が良かったこともひとつの原因かもしれない。
ともあれ、私が周囲を遠ざけようとしなくとも自然と人が居なくなった。
代わりに向けられたのは嫉妬と嘲笑。まるで人生のレールから逸れた代償だ。
それらがいじめに発展しなかったのは偏に両親の存在が大きかったからだろう。皮肉な話だ。
こうして私とさゆちゃんの関係は終わっていくと思っていた。
しかし、そうではない。このまま終わってしまえばどれほど良かっただろうか。
持ち上げて、落とされる。良いことがあると、悪いことが起こる。
人生はそういうものだ。
逆もまた然りで、悪いことが起こっても良いことは起こる。
三ヶ月後、暗雲立ちこめる私の人生にも光が差す。
キラキラの笑顔を引っ提げて、太陽のような彼女が私の人生を照らした。
私はその手を取った。もう一度だけ、自分に正直に生きようと決めた。
その先にさらなる暗闇が待っているとも知らずに。




