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怪解異意  作者: メジロ
7/10

莉々 五


莉々は夢を見ていた。

暗闇の中、無数の光が浮かんでは消え、かと思えば再び瞬く。さながら満点の星空の中にいるようだった。

ひと際輝いているのは莉々の傍らにある光だ。光は男の姿形をしていた。その光は輝きが強く、辺りを彷徨う小さな光を押しのけているほどだった。


夢の景色は移り変わっていく。通学路を歩いていたと思ったら学校に居たり、次の瞬間には真っ赤な池のある古い民家に居たりした。

色々な風景を渡り歩いて、莉々はこの世で一番落ち着く場所に来た。母と一緒に暮らす自宅だ。


それまでと違い莉々はソファに横たわっていた。身体も自由に動かないし瞼さえあげられない。夢から覚める直前の、頭は覚めているのに身体が起きていない時と一緒だ、と莉々は思った。

どうやったら起きられるのだろう。莉々は夢うつつの中で何とか目覚めようとしていると、ぼんやりと男の声が聞こえてきた。


「貴女は妖だ」


あの変なモノから助けてくれた人の声だ。一体誰と話しているのだろう。


「……私はもう側に居られません。この子の全てが、妖である私を狂わせてしまう……」

「……側を離れると言うのなら……どうなるんだ」

「……知り合いの……引き取ってもらいます……」


相手は女性の声をしていた。とても聞き覚えのある声だ。絶対に聞いたことがある……声の主が解って莉々ははっと『目を開いた』。声の主は母だ。


〈ママがあやかし、つまり妖怪ようかいなの……? それってどういうこと?〉


さきほど襲ってきたのが妖だというのはわかる。化け物としか言いようがなかった。しかし、母は人間だ。莉々の母親だ。


莉々は声の聞こえる方を向いて、話している二人をよく『見た』。男は先ほどと同じ風変りな格好だ。そして、母も服だけはいつもの仕事帰りと同じ格好だった。しかし、どう見ても、男と話す母の頭は鶴のそれだった。


〈どういうことなの、ママ……〉


莉々は声を出そうとした。


「私はもう行きます」


母がベランダの窓を開ける。引き止めなくちゃ、と莉々は思った。


〈行かないでママ! 置いて行かないで!〉


莉々の叫びは虚空に響いた。莉々が見ている目の前で母は完全に鶴の姿になり、ベランダから飛び立ってしまった。



+++



「ママ!」


叫びながら莉々は起きた。朝になっている。開け放たれたカーテンからさんさんと朝日が差している。


ソファの後ろのダイニングでは、昨日助けてくれた男が椅子に座っていた。テーブルには麦茶の入ったボトルとガラスのコップが二つ置いてある。コップの内の一つは空だ。

男は空のコップに麦茶を注いで莉々に差し出した。ボトルは莉々にも見覚えのある、莉々の家の物だった。勝手に冷蔵庫から出したらしい。莉々はそれを拒んで周りを見た。


リビングはすっかり様変わりしていた。莉々が寝ていたソファを中心に、なにやら魔法陣めいたものが床に描かれていた。五角形の隅には燃え尽きた蝋燭が固まっていた。キッチンの壁や廊下へ続く扉にも護符のような紙が貼られている。

窓の外を見ると良く晴れた空が広がっていた。昨日の変なものたちの姿はどこにもない。


どうやら自分は安全であるようだ。

そうとわかった莉々は、ソファから勢いよく立ち上がり椅子に座っている男に詰め寄った。


「一体何が起こってるの? お化けに襲われて、ママが鶴になって飛んでっちゃった。夢だと思いたいけど、すごくリアルで夢だって思えない。わたしの頭がおかしくなっちゃの?」

「いいや、君の頭はおかしくなどなってはいない。今まで見えていなかったものが見えるようになっただけだ。混乱するのも仕方がないがひとまず落ち着きなさい。とにかくここに座るんだ」


男は莉々をなだめた。その静かな口調に、莉々は不思議と落ち着くことが出来た。


「座りなさい」


莉々は言われるままに男の向かいの椅子に座った。目の前に麦茶の入ったコップを置かれる。


「飲みなさい」


またしても莉々は男の指示通りに麦茶を飲んだ。一口飲むととても喉が渇いていることに気付き、残りをごくごくと飲んだ。一晩水分補給をしなかった身体に染み渡るようだった。

莉々が一杯飲み干し、一息ついたのを見て男は口を開いた。


「お前が昨日見たものは、人間が住む世界と妖が住む世界が重なった光景だ。あそこに漂っていたものはすべて人の世界のものではない、妖の世界のものだ」


唐突な話である。しかし男は当たり前のことのように言った。


「あ、妖って……」


そんなの本当にいるわけない、と言いかけて莉々は口ごもった。妖が存在しないのなら、莉々が夕べ見たものは何だろう? 莉々の頭が見せた幻覚ということか? それはつまり、気が狂ったとか、頭がおかしくなったということに他ならないのでは? 莉々は自分の頭がおかしくなったとは思いたくなかった。


なので、莉々は妖が現実に存在するものとして考えることにした。

妖が本物であるとして、なぜ莉々は襲われたのだろう?


「どうして、その、妖に…突然、帰り道で襲われたの? それまでは何ともなかったのに」

「もともと、夕方というのは『隠』と『現』が混ざり合いやすい時間帯だ。逢魔が時ともいう。普通の人間でも――」

「ま、待って。そのナバリとウツツってなあに?」


莉々は聞きなれない言葉に戸惑った。


「『隠』は妖が住む世界のこと、『現』は人の住む世界のことを指す。わかったか?」

「う、うん、たぶん」

「その逢魔が時というのは、普通の人間でも妖に襲われやすくなる時間だが、お前は特に、妖に好まれる体質だから余計に妖の目を惹いたのだろう」

「妖に好まれる体質……?」

「稀にそういう体質を持つ人間がいる。母親が、お前はその体質なのだと話していた。お前が眠っているときにな」


体質、ということは生まれつきそうなのだろう。けれでも、莉々は今まで妖を見たことも襲われたことも無い。


「でもわたし、今までも夕方に出歩いてたけど、襲われたことなんてないよ」

「母親が言うには、お前には妖から身を守るために封印が施されていたそうだ。ところが昨日、その封印が解けた。封印は大人になったら解けるものだという。お前にはその意味がわかっているはずだ」

「昨日……うん、わかってる、と思う……」


莉々は迷いながらも頷いた。恐らく初潮を迎えたことを指しているのだろう。一昨日と昨日との違いはそれくらいしか思い当たらなかった。


「お前は不運にも封印が解けた状態で隠の世界に入ってしまい、妖に襲われた。極めつけに、お前はこう言った――」


〈あーあ。いらないよ、こんなの〉


莉々はそうつぶやいたのだ。


「妖はそれを聞きつけてお前を襲った。要らないなら貰ってもいいと思ったのだろう」


莉々は慌てて口を開いた。


「わ、わたしそんなつもりで言ったわけじゃない!」

「あぁ、わかっている。だが妖はそうは受け取らなかった。それだけのことだ」

「そんな……!」


なんて理不尽なのだろう。莉々は泣きそうになった。


〈どうしてわたしがそんな目に合わなければいけないの? それに、どうしてわたしはそんな危険な体質なんだろう?〉


男は気の毒に思う視線を隠そうともしなかった。


「何もかもを説明してほしく仕方ないだろうな。残念だが、俺にはこれ以上説明出来ることはない。お前の知りたいことを何も知らないからな。俺はただ、偶然に通りがかりお前を助けただけだ。お前の母親が言っていたことだが、これから佐藤という人間の男性がここに来るそうだ。知りたいことはその人が教えてくれるだろう」


男はそう言うと、ちょうどタイミングよく玄関のチャイムが鳴った。壁に取り付けられているインターホンが点いた。画面にはスーツ姿の人が映っていた。

男はインターホンから莉々に視線を移した。


「こいつに見覚えは?」

「え? あ、その人が佐藤さん。ママ……お母さんの知り合いの弁護士の。うちによく遊びに来る人だよ」

「そうか。俺が出る、お前はソファに座っていろ。妖が化けている可能性も否定できない。決して蝋燭の外側には出るんじゃない」


莉々は慌ててソファに移動した。座面に乗り上げて足も下ろさなかった。


男が警戒しながら玄関に向かいドアを開けると、緊張した面持ちの男性が立っていた。佐藤である。


佐藤は眼鏡をかけた壮年の男だった。朝早い時間だがきっちりと紺色のスーツを着こんでいる。

妖を相手にする弁護士というものはもっと一癖二癖あるような知恵のついた年配者がなるものだが、佐藤はまだそのような貫禄はついていなかった。

緊張しているのは、退治屋の男を警戒しているからだろう。術者同士の邂逅はこのようになることが大半だ。


佐藤は男を頭の先から足の先までじっくり検分した後、やっと挨拶をした。


「おはようございます。あなたは鶴原さんのお話していた退治屋ですね?」

「……」

「私は弁護士の佐藤と申します。鶴原さんに依頼されてここに来ました。まずは莉々さんの安全を確認させていただきたいのですが、入っても構いませんね?」


男は黙ったまま一歩下がり、佐藤を部屋の中へ通した。


佐藤は男の横をすり抜けて部屋に入り、ソファで縮こまっている莉々を見つけると、ほっとしたように足早に歩み寄った。佐藤の足が五本の蝋燭の内側に入る。何事もなく佐藤はソファの側にひざまずいた。


「莉々ちゃん。よかった、怪我はないね。何もわからず怖かったでしょ」

「うん。でも、あの人が助けてくれたから大丈夫だったよ。佐藤さんはどうして来たの? ママはどこに行ったの? いつ帰ってくるの?」


莉々は気心の知れた佐藤が現れてほっとした。部屋には母はおらず、いるのは昨日出会ったばかりの風体の怪しい男だけで、目が覚めてからずっと心細かったのだ。


「莉々ちゃん。お母さんのことは順を追って話すよ。これから私が知っている限りの、君についての話を話そう」


莉々は佐藤の言葉に頷いた。


〈やっと説明してもらえる。やっと、この訳の分からない状況から抜け出せる……〉


佐藤は莉々の肩をやさしく叩いて励ました。そして立ち上がると、ソファから一メートルほど離れて様子を見ていた男に向き直った。


「話をする前に、あなたの名前を伺ってもいいですか?」


佐藤に問われた男は素直に名乗った。


「堺だ。妖怪退治屋を生業としている」

「堺というと……個人祓い屋組合の頭領ですか?」

「あぁ。よく知っているな」

「仕事柄必要ですから。ふむ、その様子では嘘はついていないようですね……。先ほども名乗りましたが、私は佐藤です、人間界で弁護士をしています」

「ただの人間か。結界はいらないな、話をするなら椅子に座った方が良いと思うんだが」


莉々と佐藤は顔を見合わせ、男――堺の言う通りだと頷いた。

三人がダイニングの椅子に座ると、佐藤は咳払いの後に莉々の生い立ちを話し始めた。


「莉々ちゃんは十四年前、二人の術者の間に生まれたんだ。父親の名前は条々昌、母親の名前は矢野恭子。二人ともとても優秀な妖怪退治屋だったんだよ――」


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