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ぼくの物語  作者: 宇井
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壊れた日常の先に

 お父さんは一週間、家に帰らず、携帯に電話しても出ない。お母さんは、混乱の頂点で、家のなかを歩き回り、叫んだりして、全く落ち着くことがなかった。頭のなかのいやなことを追い出そうとうするようにお母さんは髪の毛をかき乱すことがあり、それがとても痛々しくて、ぼくが何度も止めた。お母さんの目の下に黒い隈が生まれ、日に日に大きくなっていき、目からは優しさが消えた。きれいに掃除されていた部屋にごみがたまり、ほこりっぽくなった。割れたコップやお皿は危ないからぼくが取り除いたけど、破片を見逃したことがあって、それがぼくの足に刺さり血がでた。

 お酒臭いお父さんが帰ってきたのは、夜中のことだった。黒く汚れたヒゲが顎をおおい尽くしていた。髪は脂ぎり、ぼさぼさで白いふけがパラパラと落ち、顔はあの日と同じく死んだままだった。

 お父さんは自分の部屋に直行して、鍵をかけた。そして、その日から自分の部屋にこもるようになった。

 お母さんはお父さんが帰ってきたその日に爆発した。ドア越しにどす黒い感情を吐きまくったけど、なんの応答もなかった。次の日は180度かわって、やりすぎと思うほど優しくお父さんに接した。なにが欲しい? なにしてほしい?と聞き、それにお父さんが返答しなくても、勝手にお酒を買ってきて、ドアの前に置いた。置かれたお酒はいつのまにか消えた。お母さんの態度はこびているようで、ぼくはお客さんが全然いない移動販売車のおじさんが「おひとつどうですか?」と声かけするのに出会った時と同じように、お母さんを悲しく思った。お母さんにしてみればそうすることでお父さんが新しい仕事を見つけてくれると期待していたんだ。

 お母さんは甘い口調で、お父さんに昔話を語りかけることもあった。

「あの海が見える旅館もう一度行きたいね。まさ君にとってのはじめての海で、海が塩辛いことにびっくりしてた。何回も小さな手ですくって、口に運んで。私たち笑ってたよね。懐かしい」

「本屋さんに行ったらあなたが本を探すのに熱中して、私たちをほったらかしにしたこともあった。気づいたらいなくなってて、お父さんが迷子だねって二人で笑ってたんだから」

「動物園のライオンが怖くて泣いちゃったまさ君をずっと抱き上げてくれてたよね。落ち着いたら、怖くないからもう一回見に行こうって説得してた。まさ君泣かないでライオンに会いに行けた。逃げないことを教えたかったのかな」

 ぼくは聞きたくなかった。大切な思い出が、けがされていった。

「あなたも会社が倒産してショックだったんだよね。簡単に立ち直れないくらいに。それを私も一緒に抱えさせてくれないかな?」

 お母さんの努力は効果がなく、お父さんは一つとして家族とわかちあおうとはしなかった。

 二週間して、お母さんの態度はまたかわった。せっぱつまり、土下座しそうな勢いでお父さんに頼み込んだ。

「あなたしかいないのよ。お願い、元気を出して。あなたがどんなことを考えているか、私にはわからないの。想像しているけど、わからないの。前のあなたに戻ってよ。私はなんでもするから。私たちを助けてよ。このままじゃいられないことをあなたもわかってるでしょ。お願い。今まであなたに無茶を頼んだことなんかあった? ひとつくらいかなえてよ。お願いだから」

 望みはかなわなかった。

 倒産してから一ヶ月後、お母さんはパートをするか悩み始めた。未来がお母さんを押しつぶそうとして、それをちょっとの間でもおしやるにはお母さんが働いて、お金をかせぐ必要があった。お母さんにとって働くことは重すぎる負担で、暗い未来との間ではさまれて、どんどんやつれていった。求人広告をみつめるお母さんは今にも泣き出しそうだった。ある日、お母さんはパートをすることに決めた。結婚してからはじめての仕事だ。あまりにも小さな力で歩いていくお母さんにぼくはなにも言えなかった。

 そして、お母さんは愛を失い、憎しみを得た。

 もし、ぼくがもっと頭がよかったら、もっと勇気があったなら、もっと正しいことをしてきていたなら、そしたらぼくは二人にとっての一番でいられたのかな。家族のつなぎ目でいられたのかな。ぼくのために、お父さんは働く。そうして、家族は幸せでいられたのかな。

 今日、ぼくは失敗した。ぼくの馬鹿な頭でひねりだした方法はゴミだった。

いまさらなにをしても遅いのかな。初めからもっと愛される子でいれたなら違っていたのかな。

悪いのはぼくだ。


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