退役軍人のゲルトじいさん
「うーん、今日の朝ここに居たんだけどなぁ。またここに来ることになるとは」
「そうだな」
俺たちは茶屋の前に立っていた。
せっかく近くに来たので、一応挨拶をしようと小林が言ったのだ。
本当に人間が出来ている。俺ならスルーする。
茶屋をのぞき込むと、昨日俺たちが街に来たときのように店主が忙しく働いていた。
「おお、あんたらどうした? うちに食べに来たか?」
「近くによる用事があったので挨拶に来ました。忙しそうですね」
と、小林が言う。
「あぁ、さっきまで雇ってる女の子がいたんだけど、急に用事が出来たらしくて帰っちまったんだよ。おかげで忙しいのなんの」
ごめん、それ俺のせいです。
小林の陰に隠れて謝罪に手を合わせた。
「うちのかかあもあんたらが出てった後に帰ってきたんだけどな。そのかかあもさっき急に飛び出したっきり帰ってこないんだ。こんな忙しいときにどこに行ってやがるってんだ。あ、お会計こっちでしますよ。それは持ち帰り用ですから、あ、ちがう、それはそっちのお客さん用! もうちょっと待ってください!」
主人が客の相手をしながらこちらに返事をする。
「あ、お邪魔してすいません。昨晩は本当にありがとうございました」
小林が丁寧にお礼を言って、茶屋を出る。
「また奥さんが居なくなったのか。酷いな、俺の呪い」
「ま、とにかく話を聞きに行こうぜ。そうすれば俺たちの旅も早く終わるさ」
「カメに手こずってる俺が魔王を倒せるとは思えないが……まぁ、とにかく行くか」
ブツブツ言いながら、隣の小さな家の扉を叩くと茶屋のじいさんと同じくらいの年齢の老人が出てきた。
足が悪いようで左足を引きずっている。
「なにかな? ぬ、お前らは……」
じいさんは俺たちの顔を見ると、顔をしかめた。
俺たちから何かを感じ取ったらしい。
かつて魔王を倒したという軍人はやはりただ者ではないようだ。
もしかして、俺たちが転生者だと言うことを感じ取ったのかもしれない。
ただ者ではない。期待できる。
「お、おぬしらか!? ばあさんにとんでもないものを押し売りしおって!」
ところが予想を裏切ってじいさんは突然怒鳴りだした。
「は?」
「え?」
俺と小林の声がハモった。
うん、転生者であることを感じ取ったわけではないみたい。
「お前らじゃろう! 若い男の二人組が尋ねてきたと聞いたぞ! 帰れ帰れ! あんなものを4000リンで売るとはいい度胸だ! ばあさんもばあさんじゃ、押し売りしてくる薬なんぞろくなもんではないとわかりそうなものだのに、まんまといいくるめられて値切りもせずに買いおって! ええい、いまいましい! 帰れ帰れ! おい、年寄りと思って甘く見ているな、これでもわしは軍人あがりじゃぞ! なんだ、やるか!? やるのか!? 受けて立つぞ、この小童どもがぁぁ!!」
「い、いや、違いますって俺たちは……」
「ほほお、なんだのその荷物は。またくだらない薬でも売りに来たか! たしかにわしの膝は悪いが、リュウマチじゃないぞ、昔の戦で悪くしたんじゃ! それを直せる薬でも持ってきたというなら出してみろ! インチキ薬売りが!」
「薬売りじゃないですって!」
「薬売りじゃない? じゃあ金物屋か!? お前達か、ばあさんに入りもしない鍋を買わせたのは! ばあさんもばあさんじゃ、二人暮らしでなんで鍋の5つセットがいると思うんじゃ! あんなものに無駄金使いおって! 帰れ帰れ! もう鍋はいらん!」
「金物屋じゃなくて、あなたのお知り合いのファーモさんから紹介されてきました」
「なにぃ? 本当かぁ? おぬしら、もしやばあさんの妹の知り合いだと抜かしてばあさんにネックレスを売り込んだ輩じゃあるまいな? わしはそんなことでだまされんぞ! ばあさんもばあさんじゃ、そんな派手なネックレスを買ってどこにつけていくというんじゃ! 見てみぃ、タンスの中でホコリかぶっとるじゃないか! 自分の年を考えて買い物をせんか!!」
どんだけばあさんはだまされてるんだ。
「いや、違いますって! 本当にファーモさんに紹介されてきたんですって! えーと、たしか元軍人で魔王を討伐したと聞いたんですけど……」
そう言うと、じいさんは怒鳴るのを止めて俺たちの顔をしげしげと見た。
「ふん……わかった。だがたいしたもてなしはできんぞ。まぁ、入ってこい」
じいさんが扉を開けたので俺と小林が入ると、玄関の脇でばあさんが棚に手をつきながら立っていた。
多分、扉の陰から外の様子をうかがっていたのだろう。
「ばあさん、茶を持ってこい」
「はいはい、分かりましたよ。それにしても、なにもそんな鍋だのネックレスだのそんな話をお客さんにしなくてもいいじゃないですか。無駄な恥をかきましたよ」
「ばあさんが売りに来る物をなんでもかんでも買うからいかんのじゃ! どうするんじゃあの鍋!」
「いいでしょう、鍋くらい! 確かに高かったけど、もの自体はいいんですよ。主婦の目を信じなさい」
「そういう問題じゃないわい! 節約節約言うくせに、コロリとだまされて無駄な物を買いおって! いい加減にせい!」
「あの、ちょっとお話を聞きたいんですが……」
「ええい、わかっとる! こっちじゃ!」
じいさんに連れられて、奥の居間に案内される。
「ふむ。それでわしに何を聞きたいと……ばあさん! 客が来とるのに、なんじゃこのコップは! 茶渋のついたようなものを持ってくるな!」
「だっておじいさん、いつもそればかり使うじゃありませんか。私が他のを出すと使いにくい使いにくいってそれはもう嫌みったらしく言うくせに、あーはいはい、私がわるーございました」
めっちゃ居心地が悪い。
俺と小林は黙って言い争いが終わるのを待っているが、それがなかなか終わらない。
カップを替えたと思ったら、今度は並べ方で喧嘩をして、いれるお茶の種類で喧嘩をして、さらにお互いにうるさいことで喧嘩をして、喧嘩をしていることについて喧嘩をする。
いい加減に怒鳴りそうになった頃にようやく収束し、ばあさんは台所に行き、じいさんは茶を一口すすった。
「ふん、うるさいばあさんじゃ。全くあいつは……」
とじいさんが愚痴を言うと、台所で物音がした。
いかん、またばあさんがやってきて喧嘩が始まる。
「まぁまぁまぁまぁ!! そんなことより、魔王のことを聞かせてくださいよ! 魔王ってのはどんなやつなんです? 昔魔王を討伐したって聞きましたよ!」
高いテンションで割り込むと、じいさんの思考ルーチンがばあさん罵倒から離れたようで、表情が変わる。
「昔のことだが、たしかに魔王討伐には参加した。だが、討伐したと言われるとこそばゆいな。倒したのは勇者であってわしらは露払いをしただけじゃ」
おお、すげー、なんか異世界っぽくなってきた。
勇者一向に同行した伝説の兵士って感じか。
盛り上がってきた。
「なるほど! 勇者一行とじいさんで魔王のところに乗り込んだんだな!」
「なんか勘違いしとるんじゃないか。2万人の兵士と勇者一行で魔王討伐作戦が実行されたんじゃぞ。そのとき参加したと言うだけじゃ」
え、なんか意味合い全然違う気が。
ただの兵隊やん。
「ええ、兵士2万人!? そんなのあり?」
「ありもなにも、魔王の周りには魔物がうじゃうじゃおったんだぞ。いくら勇敢なものでも魔王までたどり着けるわけがないだろう。ほほお、どうもおぬしらは勇者ヒオキだの昔話を信じ取るクチか」
いえ、ヒオキの話は存じ上げません。
「軍隊で攻めて魔物を一掃し、援軍が来るまでのわずかな間隙を縫って選ばれた猛者達が城内に潜入して魔王を討ち取ったのだ。わしも膝をやられたときはここまでと思ったが、運良く帰ってこられたのだよ。いい思い出ばかりでもないが、なんともなつかしいもんじゃ」
「まぁ、その作戦はいいとして……その魔王ってのはなんなんでしょうか。俺ら二人、魔王についてなにもしらなくて」
「ふぅむ。そう言われても困るな。魔王は魔王じゃからなあ」
魔王=魔王とか言われても困るんですけど。
「魔王が魔物を操ると聞きましたが、それ本当っすか?」
「そりゃそうじゃ。魔王というのはそういうものだろう」
「その、『そういうものだ』の中身を知りたいんですけど。あのー、俺たちそういう常識全然ないんで」
「ほぉ、変わっとるな。そうじゃなぁ。例えば、普通の人間と違う部位があると言われているな。角だとか尻尾があるなどと」
「ほおほお」
「あとは他の人間を精神的に従属させることができる。魔王を討伐しに行った猛者が魔王の下僕になることもある」
「それはやばくない? えっと、勇者はどうして倒せたんですかね?」
「ふーむ。分からんが、まぁ勢いじゃろう。だーっと城になだれ込んで、いきなり魔王に襲いかかって切り伏せればなんとかなるんではないか?」
そんな適当なもんですか。
なるほど、一対一勝負みたいな感じになると洗脳されて魔王の下僕になっちゃうのか。
「ところで今の魔王はどんな奴なんです?」
「そんなことをわしに聞くのか。まぁ、わしも人づての話しかしらんが、なんでも頭には角が生えている男だと聞いたな。どこで集めてきたかしらんが、配下に剣術に優れたダークエルフや怪力の南方人がいるそうじゃ。廃墟の街をねぐらにして北方の国を片っ端から支配下に入れてるとも聞くな。この国もちょっかいだされとるが、今のところ恭順する気はないようじゃな」
「魔王の支配下になるとどうなるんです? なんかひどいことが?」
「さぁ、そこまではわからんが。いろいろ噂も聞こえてくるが、どれも信用に足らんなぁ」
なるほど。だいたいのことが分かってきた。
魔王と言っても、特殊な力がある人型の存在で、人外の変なモンスターではないようだ。
ただ、そいつを倒す方法が分からない。
「う、うーん。ちょっと聞きたいんだけど、例えば俺がその魔王を倒そうとしたらどうすればいいですかね? いや、ただのふざけた話として聞いてくださいよ?」
「無茶なことを言うな。無理じゃ。まず魔物がわらわらといる廃墟の街に近づけるわけがないじゃろうが。それに、街に入っても魔王の配下が居る。その配下を倒しても魔王と一騎打ちして勝てる物などそう居るまい。それこそ不意打ちでもしないとな」
「むむむ……」
あかん。積んだ。
俺、日本に帰れないのでは?
さっきから黙っている小林の顔を見ると、小林も気の毒そうな顔で俺を見た。
「なぁ、なんか……無理ゲー」
「予想はしてたけど、な。うーん……」
二人で苦しそうな顔をしていると、じいさんが声をかけてきた。
「どうした、そんな深刻そうな顔をして」
「んー……信じてもらえないと思うけど、簡単に言うと魔王を倒さないと解けない呪いをかけられているんですよ」
そう、呪いだ。
チートなし・魔法なし・レベルアップなし・スキルなし・あらゆるポイントなし・wikipediaなし・奴隷なし・50才以下の女性は接近禁止・所持金ゼロスタート・回復手段なし。
大半は世界設定ということで許されるかもしれないが、「50才以下の女性は接近禁止」だけはどう考えても呪いだ。
「呪い? そんな馬鹿なことは信じられんが……まぁ、その様子を見たところ冗談でもないようじゃな」
「俺もまぁ……ちょっとした呪いが」
小林がおずおずと言う。
「それも魔王関係か」
「えぇ、まぁ」
と小林がはぐらかす。
やっぱりBLの呪いは人には言えないわけな。
「ふむ、魔王討伐なぁ。無茶だと思うが、どうしてもというならわしのように魔王討伐の兵隊として参加するしかあるまいな。とはいえ、普通は露払いが役目だから、よほどの運がなければ魔王と相まみえるなんてことはないな。最初から魔王を討ち取るための勇者として選別されていれば可能性があるが、それにはよほどの功績がないと無理じゃ」
「ですよねぇ……」
俺が落胆して、机に視線を下ろす。
本当に絶望的だ。
「最初から無理だったんだ。チートなしで魔王を倒せとか……」
「そうじゃのう。おぬしらがどういう境遇で魔王討伐をしなければならない呪いにかかったか知らないが、もうそれは不幸なことだと諦めるしかないじゃろう。なんとか呪いと折り合いをつけて生きていくしかないだろう」
じいさんが気の毒そうに俺の顔を見る。
それだと、俺一生女子禁制の刑務所暮らしなんだけど。
「うう……な、なんとかならないかな。魔王を倒すとまでは行かなくても、怪我をさせるとかできないかな? それくらいでも銀髪が許してくれるかもしれない」
「無理じゃろう。そもそも近寄ること自体が無謀と言っていい。おぬしらでは手練れの魔王の側近どもを倒すことなど無理じゃろう」
「ま、まぁ……無理だな……」
その場が沈み込む。
小林が気の毒そうに俺の顔を見る。
俺はなんと言っていいかわからずに、下を向く。
「本当に気の毒だが、その呪いは諦めるんじゃ」
それって、俺が一生元の世界に帰れないと言うことだ。
そんなことあってたまるか……。
3人とも黙り込んで、台所から食器のカチャカチャ当たる音だけが響いてくる。
「ヒエェ!?」
突然、じいさんが目を見開いたまま、とんでもない悲鳴を上げた。
その視線は俺たちの後ろを向いている。
俺と小林が同時に振り返ると、そこには俺の転生担当者である
「銀髪野郎」
が居た。