第9話 初めての町への遠出と公式サイトの再始動
5月6日、ゴールデンウィーク連休最終日。征司は朝から郵便局の前に来ていた。
昨日はゲームをログアウトした後、再ログインはせずに勉強をした。主に小論文を中心にした受験勉強だ。
そして今日も昨日と同じく、朝と昼にゲームをして夜に勉強という休日を過ごそうと思っていたのだが、滋に誘われて町の衣料品チェーン店に行くことになった。
町に行くなんて、今までなら誘われても断っていただろう。しかし、此度の滋の誘い文句はとても魅力的に聞こえた。
『征司君、VRマナ・トルマリンのコード付きコラボTシャツ買いに行きません?』
触れてまだたった1日しか経っていないというのに、征司はすっかりVR機器を重視した考えでこれまでの日常を変えつつあった。
そんな征司が町に行くことに対して母は喜び「ゲーム重視のVRを買ったかいがあったわ。好きなもの買ってらっしゃい」と2万円も渡されて戸惑う。VR機器はネット通信高校用に買ってくれたはずなのだが、どうも両親の思惑は、征司が村の外に関心を向けるきっかけ作りの方にこそあるようだった。
現在、征司の隣では小学2年生で同級生の女の子、北條カナが腕組みをしてチラシをじっと見つめている。Tシャツの上にジャンパースカート、その下はタイツにブーツ。両耳の上におだんごを作った髪型で、いつもより彼女の服装はおしゃれだ。
そしてカナは神妙に征司に言うのだ。
「セイちゃんは服屋さん、はじめてだよね。わからないことがあったら私に聞いてね」
「うん」
「チラシだとね、とってもかわいかったりカッコイイ服ばっかりなの。でもお店にいくとね、ぜんぜん色がちがうの」
「えっ、そうなんだ……」
「そうなの。だからセイちゃんもガッカリしちゃだめだよ」
カナはたまに町へと服を買いに行く。両親が買ってきたものを着ているだけで、今日も適当な長袖のシャツにジーンズの征司とは違うのだ。いわば服の先輩であるカナに神妙に頷いた。
すると隣のコンビニから、ヨレヨレのシャツと高級そうなジャージにサンダルという、ゆるっとした格好の滋が出て来て、微かに肩を震わせながら2人の傍へやって来た。
「2人ともかわいい会話でなごむなぁ。おはよう」
「おはようございます、サトちゃん」
「滋さん、おはようございます」
カナは滋を名字の〝里見〟の方で呼ぶ。親しくないという訳ではなく、理由は単純に〝シゲちゃん〟より〝サトちゃん〟の方が響きが可愛いからである。
礼儀正しく頭を下げる征司とカナに、滋は多少ばつが悪そうに苦笑した。
「待たせちゃってごめんね」
「よふかしはだめだよ、サトちゃん。よふかしはコワいんだから」
カナが腰に手を当てて力説する。「ハイ、反省シテマス」と目を泳がせて滋は答えた。
カナは征司から見てもしっかりしている女の子で、だらしないところがある滋はカナに頭が上がらないという力関係だ。
郵便局の小さなマイクロバスが動き出し、征司達の前まで徐行して停まった。運転手をしているアンドロイドの宮本サンが3人に乗るように促す。今日の乗客はどうやら征司達だけらしい。
各々好きな場所に座る。カナは滋の背後の席から滋のタブレットを覗き込み、「おんがくー」と好きな曲の動画再生をねだっていた。
町まで2時間半もある。マイクロバスにもテレビが備え付けられており、ニュース番組が流されていた。
征司は物珍しくてキョロキョロと車内を見渡す。何だかそわそわしてしまうというか、落ち着かない。
とりあえず、滋とカナと話せるように通路を挟んだ向かいの席に座った。滋の眼鏡がVRマナ・トルマリンだと知っている征司は、滋の目の動きで何かしているのに気付く。
「滋さん、ゲームしてて酔わないんですか?」
「うんにゃ、今はゲームはお預けで動画編集中。もち、酔い止めは事前に飲みました。征司君はVR持ってこなかったんだ? 2時間半は長いぞー」
「家からVRを持ち出そうとは思わなくて」
「征司君が持ってるやつがゴーグルの没入型の方なら絶対酔わんよ。こういう移動時間に最適」
「そうなんですか!?」
「だからストアで電子書籍や映画買ってホームで見てたら2時間なんて、あっという間」
カナが「よわないんだぁ」と目を丸くしていた。
「私もほしい」
「誕生日かサンタにでも頼んでみては?」
「サトちゃん、サンタさんはお洋服しか出せないんだよ。たんじょうびはね、ハムスターをもらうの」
「ほ、ほう。なるほど?」
タブレットから、不思議でどこか郷愁を誘う荘厳な音楽が流れている。宮本サンが『話題の「コントロール・ノスタルジック」ですか』と反応した。
しかし「話題」と言われた瞬間、滋の眉間に皺が寄る。運転席の宮本サンは気にせず話し出した。
『活動休止なんて残念でしたね。やはり年末生放送の失敗の影響が大きかったんでしょう』
「えあきーぼーど!」
「やめいっ。いくらカナちゃんでも、俺そのいじりは耐えられないんでブチキレるよ!」
『ボーカルの松奈ミルカはソロ活動を続けるそうですね』
「ソウデスネェ。そこらの歌手っぽくなって、みなさんびっくりすればイイんじゃないかな」
嫌味っぽく滋が言葉を吐き捨てる。宮本サンは聞き返した。
『「コントロール・ノスタルジック」の作曲家は、雨no歌という方でしたよね? 松奈ミルカ単体には曲を作らない契約なんですか?』
「契約ってか、黒原いないでどう――……まぁ、そのうちわかるよ。知らぬは黒原切った事務所と黒原叩いて炎上させた盲目的な松奈ファンだけ」
「滋さんは「コントロール・ノスタルジック」のファンだったんですか?」
白熱する会話に、征司も参加する。滋が何やら世間で話題の休止したバンドにとても詳しい。
「まぁ、古参ファンというか、昔ちょっと顔見知りだったんで気にしていた程度というか。元々バーチャル動画でデビューのバンドなんだよ。初期に実況者のネットラジオで絡んだことあってさ。それでメジャーになった後も何だかんだで活動追ってたんだ。だから今回の件で事務所アンチになりました、まる」
「えっと、休止のニュース以前に「コントロール・ノスタルジック」に何かあったんですか?」
「セイちゃん、音楽バングミ見ないもんね」
『そもそも昨年の年末生放送の歌番組で「コントロール・ノスタルジック」のキーボードの黒原イズミが、キーボードを弾いてないのが発覚した騒ぎがあったんです。配線が抜けていたトラブルがあって、なのに通常通り演奏曲が流れた映像が生中継されて炎上しました。
その話題を受けての今回の休止宣言だったんですよ。今は所属事務所が黒原イズミを解雇したという噂まで芸能ニュースで取り沙汰されていますね』
「そんなことが……」
滋は眉間に皺を寄せて腕を組み、不機嫌もあらわに呟いた。
「……松奈にはがっかりだ。無理にやらせておいて最後は庇わないなんて、どこが親友なんだか」
湿っぽく寂しげな響きの語尾でそう滋は締めくくると、今度はガバっと勢いよく顔を両手で覆ってジタバタする。
「ぐあーっ! 恥ずかしいっ、何語ってんの!? 駄目だ俺、ネットぼっち過ぎて色々こじらせてるー……!!」
「サトちゃんはひとりぼっちじゃないよ。私とセイちゃんが友達だもん。ね、セイちゃん!」
「うん」
「……そうだった。カナちゃんと征司君というリア友が俺にはいるんでした!」
「ヘンなサトちゃん」
おかしそうにカナが笑い飛ばす。征司も一緒に笑いながらも、滋は若くてもやはり世捨て人なんだなぁと心の片隅で思った。
滋は山村で育ったカナや征司とは違う。外からの移住者で、それもまだ2年ほどの新参なのだ。そんな滋は、ここに来るまでの人間関係を無いものとしているようだった。
2時間半の道のりを、征司は基本的に窓の外の景色を見て過ごした。初めて山村から離れて見る山の風景は意外と新鮮である。1車線の道路は真っ直ぐ町まで続いているものではなく、ぐるぐると山の周りを回り、下ったり上がったりを何度か繰り返し、トンネルも通って橋を渡り、やっと町までの本道とされる大きな2車線の道路にたどり着く。しかもまだそこも山の道半ば。どうして町まで時間がかかるのか、よくわかる道路環境だった。
町に入ると先に郵便局へと回り、本日分の郵便物のやり取りを宮本サンが済ませる。それから衣料品チェーン店に到着した。店の外観、駐車場の広さに征司は感動したが、滋曰くこれはまだ小さい部類の店舗とのことで驚かされる。
「日本は土地が狭いと言われるけど、本当は広かったんですね」
「征司君、それちょっとステキな認識」
宮本サンはカナの保護者も兼ねていて、店内ではカナにつき添う。征司の保護者は滋だ。征司は初めて入る店内に、どこをどう見て回ればいいのか二の足を踏んでキョロキョロとしてしまう。滋がささっと進むのでその後をついて行った。
「これだね、VRマナ・トルマリンのコード付きコラボTシャツ」
「わっ、これ凄く良い!」
「でしょ?」
アニマル絵柄のTシャツ。しかもリアルな動物写真の格好良いデザインのものと、デフォルメされたゆるくて可愛いイラストバージョンの2種類。コラボと聞いてVR機器の絵がプリントされたTシャツを想像していたので、良い意味で裏切られた。
征司がホームでのアバター姿として買ったハリネズミのTシャツもあって、とてもテンションが上がる。ハリネズミはリアルバージョンとイラストバージョンの違いはそれほどなく、どちらも可愛い。
ついてきたカナが白兎のTシャツに目を奪われていた。基本配色がピンクだったのも彼女の心をわしづかみにした原因だと思う。
「カナちゃんにはSサイズでも大きいんじゃないかな」
「だいじょうぶ。ぶかぶかな着こなしもあるの」
カナは兎のを2種類とも買うようだ。他にもプリーツスカートと靴下をカゴに入れている。豪勢だ。征司も釣られてイラストのハリネズミとリアルな大鷲の格好良いTシャツを買うことにした。滋の方は猫とフクロウ、黒豹とアルマジロのリアルバージョンを、4着も買うらしい。何でも「公式のお呼ばれにそれぞれ着ていく」とか。公式ってVRマナ・トルマリンの会社の生放送だろうか、それともゲームの方だろうか。
「サトちゃんみたいなジャージないね」
カナが滋のジャージをちょこっとだけ触る。滋のジャージは店内にあるものと生地の光沢が違うのだ。カナはどうやら滋のジャージと同じようなものが欲しいらしい。
普段、お昼休みや登下校などに山へ入ることもあって、征司とカナの制服はジャージなので、何着でもジャージは欲しいものだったりする。
「明日から遠征するし、お土産に買ってくるよ」
「ほんと? わあい!」
「えっ、あの滋さん。そんな……」
「いいからいいから」
オロオロする征司を滋は適当に流して会話を終わらせる。純粋に喜ぶカナのようには征司は喜べない。とても申し訳ない気持ちになった。
(きっと高いんじゃないかな)
自分が手に持つTシャツに視線を向ける。値段は1800円だ。征司の月3000円のおこづかいがかなりなくなる値段で、滋のジャージはこの10倍はするかもしれない。
普段何気なく着ている洋服に値段があること、そして決して安くないことを今日初めて征司は意識した。
帰りの車内。行きとは違い、静かな雰囲気が満ちている。宮本サンもテレビの音量を下げてしっとりとしたBGMを流し、カナは早々に寝てしまった。征司も疲れて少し身体がけだるい。
ふと窓越しに、歩道のブレザーの制服の男女が目に入った。
(高校の、制服――……)
2人は楽しそうに笑って会話をしながら歩いていた。
たった一瞬見たその姿が、酷く印象に残った。
「……ぃジ君」
「はっ、はい」
はっと意識を引き戻して、滋に振り向いた。
「ゲーム、何か始めてみた?」
「うん、『プラネット イントルーダー・ジ エンシェ……ント』? を」
長いタイトル名なので、最後の方はこれで合っていたかなと自信がなくなり、おぼつかない返答をした。滋がピタリと目の動きを止めた気配がする。
「征司君。おにーさん、そんなゲーム名をオススメしましたかね……?」
「ううん」
「即答した!? ちょっ、待って。俺の気のせいじゃなければ、よりにもよってPKなんて時代錯誤要素があるキル根を始めたの!?」
「う、うん……」
「えーっ!? もう、ええぇッ!? わざわざ省いたのに!!」
滋が顔を両手で覆ってもだえた。
(滋さん、プラネットイントルーダーを知ってたんだ)
滋の発言に驚きつつ、その狼狽っぷりに征司は慌てて言いつのった。
「で、でも面白かったです。フレンドも2人出来たし」
「フレンド!? 昨日の今日で征司君ってばコミュ力高過ぎじゃない?!」
「そう、なのかな……?」
思いがけず褒められて、征司は照れ笑う。
「俺なんて学生時代にやってたMMOは結局4年間フレンドゼロだったよ! くっ!」
「滋さん……」
滋はうめきながらもタブレットを触り始め、「ぶっ、5万人って少なっ!」と吹き出した。
「MMOなら一桁足りないだろう。赤出てそう、この登録者数の少なさ」
滋の呟きに、征司は思わず座席から身を乗り出して滋のタブレットを覗き込む。
マナー違反だったが、滋は特に気にした風でもなく、逆に征司に見えるように傾けてくれた。
タブレット画面に映されていたのは、『プラネット イントルーダー・オンライン』という名称の公式サイトだった。
「この公式サイトどうやって見つけたんですか? 僕が検索した時は出てこなかったんです」
「攻略サイトのリンク集から飛んだ」
「わっ、そんな方法が」
「征司君が心配だから俺もやろうかと思ったけど、昨日でベータ期間の受付終了だってさ。リリース日には日本にいないしなぁ俺」
「え……?」
目を丸くすると、滋は口角を上げながらも苦笑気味にタブレットを征司に手渡した。
「5月10日、正式版VRMMO『プラネット イントルーダー・オリジン』リリースだってさ」