第10話 オルガンの新曲と、ハウジング領地の構想
『今、流行りの松奈ミルカの曲ですね』
カナの鼻歌を聞いたメマが身体を左右に揺らしてハミングを始めたので、征司は驚いて目を丸くした。カナはご機嫌で鼻歌を続ける。
音楽室。征司とカナ、メマの3人はお昼休みにオルガンを弾きにきていた。
きっかけはカナが突然ピアノを弾きたいと言い出したこと。テレビでジャズピアニストの特集を観たため、感化されたようである。
征司の学校にはピアノがなく、あるのはオルガンだ。なのでカナはオルガンを弾いてみることにしたのだが、いざ弾き始めると『ねこふんじゃった』の曲の〝ねこ……〟の音までで指が止まってしまった。そこからは弾いている体裁で鍵盤の空中で指を動かし、知っている曲を鼻歌で奏で始めたのである。くじけないのがカナだ。そこにメマがハミングで加わったという訳である。
征司は、松奈ミルカの曲を鼻歌が出来るほどは知らない。ついていけないので観客になった。2人の歌の終わりにパチパチと拍手する。
――どうしてメマが校内にいるのか。それはメマが『学費を払いますので、吾も学校に通いたいです』と征司の両親や学校側に頼み込み、同じ教室で過ごすことになったからである。
メマは正確には学校に在籍していないので、本当に一緒に過ごすだけで、理世子先生もメマに指導はしない。それでもメマはずっと嬉しそうだ。暇さえあれば、創作シマリスステップをしてその場でクルクル回って踊っている。
歌が終わったタイミングで、メマはカナに尋ねた。
『カナ殿は松奈ミルカのファンでしたか?』
「んーん、黒原イズミのほう。本名が〝イチジョウ〟で、私の〝ホウジョウ〟と名前がにてるからすき」
「えっ……」
征司はカナの発言にギョッとした。
「カナちゃん、『コントロール・ノスタルジック』の本名を知ってるの!?」
「うん。マツナシミルコとイチジョウシズクー!」
『リスぅ……。彼女達の本名はSNSの拡散からオンライン辞典にて記載されておりますね。しかし吾もシリーズ製品名を言われるのは恥ずかしいです』
「そうなんだぁ」
征司は2人の会話を聞きながら、滋がリアルのことを知られて揉めた話を思い出し、顔を曇らせた。
(それじゃあ、何のために芸名はあるんだろう……)
『カナ殿は共通点を好みの基準としておりましたか。しかし、黒原イズミの本名は一条戻橋の〝一条〟なので、〝北條〟のジョウとは全く違うものだと主張します。異界に繋がる橋の漢字と同じであるか否かは由々しき問題かと!』
「イカイ?」
『一条戻橋は、人間のあの世とこの世の境界という、とても深遠ぶかいお話がある橋なのです。この橋の存在を知ってから、吾は時々その定義を考えます。吾々にとっての異界――あの世とはどんなところを指すのかと』
メマは両腕を組んで、フサフサの尻尾をブンと振る。
『吾々にとってのあの世とは、やはり介入技術がないデジタル世界が異界かもしれません。最近だと、疑似細胞信号電波音を使った仮想空間がそれに当たります。人間の脳がない吾々にとって、あのデジタル世界は永久に未知の領域です。内部で暮らすAIは、まさに吾々にとってあの世にいる存在といっても過言では!』
征司は疑似細胞信号電波音の単語で、VRMMO『プラネット イントルーダー・オリジン』を思い浮かべ、そしてオルガンの鍵盤に視線が吸い寄せられた。無意識に口が開く。
「そういえば、ニワトリの曲……」
「にわとり?」
「……うん。ゲームの友達がニワトリの鳴き声を曲にしていたけど、実際どんな曲だったのかなって思って。描かれた楽譜を見ても、どんな曲になるのかはわからなかったから」
「そっかー。オタマジャクシ読むの、むずかしいもんね」
「基本のドレミファとかは一応読めるんだけど、知らない曲は楽譜を見てもどんなふうな曲か全然わからないよね」
(でもたぶん、勇ましい鳴き声の曲だったんじゃないかなぁ)
『若様、その楽譜は現存するのです?』
「え? あ、スクリーンショットはしたけど」
『では本体にデータがありますね! VRマナ・トルマリンのストレージへのアクセスと演奏システムのダウンロードをしてよいですか?』
「アクセス? いいけど――」
メマのやる気に満ちたハツラツさに流され、頷いてからハッとした。それはハッキングをするということではないだろうか。
「ちょっと待ってメ――」
『完了しました!』
「もう!?」
パスワードがあるはずなのに一瞬でメマに突破されたらしく、征司はセキュリティ面が不安になった。帰ったらもう一度パスワードを変更しようと心に決める。
メマはシマリスのフサフサな毛の腕を自ら撫でて、腕まくりふうの仕草をし、カナに譲られたオルガンの椅子に座って弾き始める。
征司は、メマの指先をじっと見つめながらその優しい音色に目を見張った。
(バラード……? あ、でもちょっとおどけた感じで、明るい音が入る……これが鳴き声、なのかな?)
「かわいいー」
カナの素直な感嘆の声に、征司も同意する。ちょこちょことニワトリが動いている情景が浮かぶような曲だった。メマもリズムに乗り、鼻をヒクヒクと動かしてヒゲと身体を揺らし、その短いフレーズの曲を繰り返し弾く。
そしておもむろに口を開いた。
『チュンチュチュン、チューン』
メマが曲に鳴き声をつけた瞬間、征司は即座にふわふわの肩をそっと叩いて演奏を止めさせる。真剣な表情で首を横に振った。
「コケコッコー」
『リス……』
6月3日、夜。征司がログインしようとしたところ、混雑している文言が出た。
《現在「インナースペース」サーバーのログインが混み合っています。少々お待ちください。あなたの他に1827人待機しています》
(1827人!? 凄い)
この人数の多さに、しばらく待たなければログイン出来ないだろうかと思ったが、驚いているうちに入っていた。
アイギスバード公爵領の敷地内。まだ池と小川、そして草木のみで家は建っていない。ツカサの目の前には、キャンプのテントと、本が詰まった本棚が芝生に置かれていた。野外に本棚とは妙な光景である。
「お、ツカサ君いらっしゃーい」
「こんばんは、わんデンさ――」
池の石に腰掛けて本を読んでいる∞わんデンに挨拶をしかけて、頭上に浮かぶ名前の表示に言葉を呑み込んだ。
ツカサの様子に、1度チラリと自身の頭上に視線を向けた∞わんデンは肩をすくめて笑う。
「【RP】表記外れちゃった。遂に俺も赤色ネームデビューよ。いつかやると思ってたっしょ?」
「いえ、そんなことは全然……」
「ありがと。いやぁ、ソロで生放送中にしつこくトレード申請でこっちの行動を邪魔する煽り屋がいてさ。視聴者のコメントが荒れないうちに射殺した」
「!? そんな人が……」
「『13thカオス』って奴、ツカサ君のブロックリストに入れておいてね。ブロックリスト行きでブロック対処が平和で1番よかったのはわかってるんだけど、放送中だったんでついつい絵面のウケ狙いに走ってしまったなぁ」
∞わんデンがその時のゲームログのスクリーンショットをツカサにメールで送る。
受け取ったツカサは、文字のログに記された名前をしっかりと確認してブロックリストに入れた。
「仕掛けてきた奴は、俺がネクロアイギス所属で青色ネーム、さらには【RP】表記使いだからPKはしないとタカをくくってたみたいだけど、まぁ視聴者のヘイト解消にサクッと処しておくよね。ってか俺を少しでも知っているなら、俺が基本的に戦闘民族だって認識なかったのかね」
「わ、わんデンさんは最近対人ゲーを投稿してないから……。プラネの動画では優しいイメージついているし」
テントから出てきた和泉が会話に加わる。和泉の言葉に、∞わんデンは顔を背けて、むずがゆそうに笑いを噛み殺していた。
「和泉さん、こんばんは。そのテントと本棚は……?」
「建物はまだ場所もチョコちゃん達と話し合ってて、テントは……何かこう気分! かな。本と本棚は領地を譲る予定の人が、迷惑料――ううん、挨拶代わりにってお裾分けでくれたんだよ」
「そうなんですか」
テントからはチョコも出てきた。「こんばんはです」とツカサに挨拶をしてから和泉の後ろを通って池の橋へと向かっていく。チョコは三角帽子を被り、小脇にはヤシの実らしき大きな黄色い実を抱えていて、ツカサは和泉と話しながらその後ろ姿を2度見した。
「実はね、辺境伯領を譲る人……古書店主さんなんだ」
「古書店主さん!」
ツカサがゲームを始めた当初から参考にしてお世話になっている個人ブログの管理人で、戦争イベントでも気さくに話をしてくれた人柄の神鳥獣使いのプレイヤーだ。ツカサが密かに尊敬と親近感を抱いている人物でもある。
「古書店主さん、キャラを作り直して……ほら、ツカサ君と一緒に見たあのハウジングの家を手放しちゃったそうなんだ。元々防衛のワールドクエスト、古書店主さんが発見したものを教えてもらってやったものだし、イベントに参加出来たのは本当に楽しかったし、その……恩をどうしても返したくて」
和泉は気恥ずかしそうに頬を赤く染めて俯いた。トカゲの尻尾が下に向いてユラユラと揺れている。
「和泉さん、受け取ってもらえて良かったですね」
「うんっ」
∞わんデンが横から「古書店主って監獄考察ブログの人で合ってるんだよね? 大丈夫なの?」と和泉に尋ねていた。
(監獄考察ブログ?)
「合ってるので大丈夫……?」
「そういう意味じゃなく。まぁ、そっちが関わっても大丈夫だと思ったなら別にいいんだけどさ。彼はブログの方、『柳河堂』の管理人名は直さないんかね」
「その名前でライターのお仕事をするってブログで告知していたからそのままかも……」
ツカサはブラウザを出し、個人ブログ『ネクロアイギス古書店主の地下書棚』を見る。確かに最近の更新で、監獄の記事が何本か上がっていた。
『監獄――各国との関係性①【ネクロアイギス王国】
『プラネット イントルーダー』シリーズにおいて、監獄は運営が管理するメタ的な場所というだけでなく、物語に組み込まれた施設(または組織)の側面がある。
2xx1年6月1日のアップデートにより、プレイヤーはチュートリアル中に船から下ろされると衛兵に捕まる。そして密入国の疑いでまず監獄に入れられるようになった。
これにより、物語上のNPCの発言に矛盾が生じ、その所属先が国にはなく、はっきりとカフカ直属の独立組織、「暗殺組織ギルド・ネクロラトリーガーディアン」だと明言されたといえる。
◆修正されなかったスピネル国王の矛盾する台詞
――『海に領海はなく、関所もなく、海からならどのような者でも自由に行き来できる。港に衛兵は置かぬ』
◆追加されたサーチ会話アシスト
――《『いえ、勘違いでした。何でもありません』(定型例)》
スピネル国王に監獄の話、もしくは衛兵に捕まった話をした場合に出現。
さらにこのまま話を続ける、もしくはクラッシュの名前まで出すと、スピネル国王を筆頭に、ネクロアイギス王国の主要NPCに不信感を与え、好感度が最低まで落ちる(※挽回は可能。方法は別記事にて)
下手に立ち回ると敵と見なされ、再び監獄送りになる。監獄内で一連のメインストーリーの流れを聞かされてメインをクリア、【影の立役者】の称号を得る形になってしまう。
ネクロアイギス王家にとって、「暗殺組織ギルド・ネクロラトリーガーディアン」は上位存在・カフカの率いる団体であり、王国内での政治の介入や多数の権力を自由に行使する権限を渡すほどに信頼している組織である。
しかし港に衛兵(に偽装した暗殺組織ギルド員)を置くなど、カフカ側からの信頼には温度差がある――……』
長い記事だったのとネタバレを踏みそうでヒヤヒヤしたので、適当なところまで目を通して閉じた。
(監獄の人に、衛星信号機を壊そうとしたって理由で怒られなくなったんだ)
あれは身に覚えもなく非常に理不尽だった。話が変更になったのならば、よかったんじゃないかと思う。
「あのねツカサ君。チョコちゃん達と建築のこと話してたんだけど、本邸を奥に建てて、坂道を上がってきて直ぐの場所に店を建てようってことになったんだ」
和泉がここからここまで、と身振り手振りで教えてくれる。
「チョコちゃんの水族館に、雨月君の展示室と販売所があってサプライズ! みたいな。隠れ屋みたいにしてみようって話になったの。雨月君が、あまり目立ちたくないみたいだから。それで、その隣にチョコちゃんの木工品と私の採集品を売る店を作ろうと思うんだけど、ツカサ君も生産品のお店を出さない?」
「お店ですか」
「店を建てるのがちょっと……って感じなら、共同の雑貨店を一軒! とかどうかな? チョコちゃんともそれぞれ店をもつかどうか、まだ悩んでいるところだよ」
「じゃあ、僕はどちらかの店で生産品を売ってもらうことにします」
「うん、わかった!」
和泉はとてもいきいきとして張り切っていた。やる気に満ちた笑顔が眩しい。「チョコちゃーん、お店のことだけどー!」とチョコの元へ駆けていく。
読んでいた本を閉じた∞わんデンが、「そういえば」とツカサに顔を向ける。
「領地掲示板を設置しよう」
「領地掲示板ですか?」
ブラウザを開いて《ハウジング領地》の《領地掲示板設定〈団長〉》の項目を見る。ツカサは首を傾げた。
「必要でしょうか? 傭兵団には専用のチャットをする機能がありますし」
「いや、訪問者用にね。ソレ、領地に来た外部のプレイヤーが書き込めるらしいよ。閲覧も書き込めるのも領地内にいる時だけらしいんで、伝言板って感じだろうね。訪問先に挨拶を残していきたいプレイヤーもいるでしょ。荒れたらサクッと削除すればいいわけだ」
「さくっと」
(今日のわんデンさん、さくさく好戦的だ)
《領地掲示板設定〈団長〉》をタップした。
《アイギスバード公爵領の掲示板を作成します。
閲覧及び書き込めるプレイヤーの条件を決めてください。
・フレンドのみ
・所属先の傭兵団のみ
・青色ネームのみ
・青色・黄色ネームのみ
・黄色ネームのみ
・全プレイヤー対象》
(PKとPKKの人のみの書き込みは設定出来ないんだ)
《全プレイヤー対象》を選択して、最初に記載する文章を求められる。特に浮かばなかったので、『いらっしゃいませ』と一言コメントを記載した。そして領地掲示板を作成する。
チリンッ! と鈴の音が鳴った。さっそく書き込みがあったと教えてくれる。
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アイギスバード公爵領掲示板Part1
▽アイギスバード公爵
いらっしゃいませ
1:∞わんデンさん [アイギスバード公爵家] 2xx1/06/03
オイっす
2:∞わんデンさん [アイギスバード公爵家] 2xx1/06/03
日付表示が前の掲示板仕様か
3:∞わんデンさん [アイギスバード公爵家] 2xx1/06/03
プレイヤーが何日振りかにログインしてもチェック出来るように過去ログ仕様が残ってるんだな
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∞わんデンに振り向くと、軽く手を振ってくれた。ツカサも試しに書き込む。
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4:ツカサさん [アイギスバード公爵家当主] 2xx1/06/03
訪問される方、こんばんは
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「当主!?」
「ぶふっ」と∞わんデンが吹き出した。
「ツカサ君、団長だからね」
「……ちょっと恥ずかしいです」
続けて《『ミニチュア・プラネットダイアリー』〈団長〉》の項目をタップした。そこでツカサは、目の前に表示された一文に嫌な予感がして、胸中で冷や汗をかく。
《領地運営の初期費用を投入してください》
(は、始める前からお金がいるんだ……)




