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◇
有吾は、夜中にふと目を覚ました。
横を見ると、六助がくぅくぅと鼾とも寝息ともつかないような音を立てている。
と、その六助の向こうに、もうひとり六助がいた。
寝ている六助とそっくりな顔だが、もう驚くこともない。羅刹である。髷の様子から着物まで、今回はそっくり真似たらしい。少し赤みがかっているが、ざんばら髪のままではなく、なかなかに粋な髷を結っている。
ただ、きちんと着物を着ることは苦手なのか、それとも主義に反するのかは謎だが、どこか気崩れて見えるところが、本物の六助とは違うところだ。
その他に違うところといったら、目つきだろうか。本物の六助は色男ではあるが、その表情には人の良さそうな気安さが滲み出ているのに対して、羅刹の方は、何かをにらみつけるような目をしている。はだけた襟元と相まって、危険な艶っぽさを周囲に振りまいていた。
一人、暗い部屋の中で、残った酒をちびちびと飲んでいる。
「羅刹?」
まだ寝たりない目をこすりながら、呼びかけた。
片膝を立てて酒を飲んでいた羅刹が、ゆっくりと有吾を振り返る。
『おう、お目覚めかい?』
「いや……まだ眠い」
ふん、と鼻で笑われた。
『寝るなよ、客だ』
「はい?」
客? 六助のことだろうか?
と、寝起きの回らぬ頭で考えた。
しかし、六助が尋ねてきていることは羅刹に教えられなくとも、知っている。自分が部屋に誘って酒を飲んだのだ。それに、六助は眠っているではないか。
一体羅刹は何を言っているのかと、有吾は混乱した。
「おじちゃん! 遊びに来たよ」
羅刹の後ろから、ひょっこりと姿を表した少女の顔に、有吾は跳ね起きた。
「と!……とよっ……ぐっ!」
叫び声を上げた途端に羅刹のケリが横っ面に入り、有吾は布団の上にひっくり返った。
『うっせえよ、このたこが!……けっ』
あまりの驚きに、蹴られた痛みは感じなかった。
「とよ、いったい……まさか……いや……」
すっと立ち上がり、せんべい布団の上に転がる有吾のそばまでやってきたとよは、有吾と目を合わせるようにしゃがみ込む。
「おばけじゃないよ」
「じゃあ生きているのですか?」
「うん」
「え? また一人で江戸に?」
と言ったところで、以前江戸に来たのはとよの生霊で、とよ自身ではないのだったと思い至る。
「まさか今回も……」
「うん。体の方はお家で寝てるんだ。あのね、寝ている間は自分の体を抜け出せるようになっちゃったんだよ。寝てるときだけなんだけどね。起きてる時も抜け出そうと思ったけど、できなかった。あの事件の前には、そんなことできなかったんだよ」
「いや、それは、でも……」
とよが霊力の強い娘だということは、気がついていた。しかしこうも簡単に自分の体を抜け出していいものだろうか。
「羅刹。問題はないんですか?」
『あ?』
「とよです」
『ああ、まあ、あんまり自分の体を放っておくのは感心しねえけどよ。その娘の場合は大丈夫じゃねえか?』
「大丈夫じゃないかって、その根拠はどこから来るんです?」
有吾の問いに答えたのは羅刹ではなくとよだった。
「たんぽぽだよ」
「たんぽ、ぽ?」
『おい、とよ! おめぇあいつにそんな気色の悪ぃ名前をつけたのかよ!』
どうやら羅刹はたんぽぽという名前の人物を承知しているらしい。
たんぽぽとは誰ですかと尋ねると、羅刹から予想外の答えが返ってきた。
『あ? あいつだよほら、お前がぶった切った黄色と黒の縞縞の……』
「女郎蜘蛛!……でっ!」
『うっせえって言ってんだろうが!』
有吾は羅刹に蹴り飛ばされ、再びせんべい布団に突っ伏した。
くっ……くくっくく……。
突っ伏したまま、思わずくぐもった笑いが漏れる。
「では、あの女郎蜘蛛の妖しも、それにおとよちゃんも、無事だったんですね?」
笑っていたはずなのに、語尾が震えた。
「うん。おれはまだ傷が痛むけど、ゆっくり動けば何でもできるよ。みつ姉ちゃんも、もうすぐ奉公先に戻る予定なんだ。それでね。姉ちゃんはもう来年は、奉公には出ないって言ってるんだよ。おれとひさの面倒を見てくれるって……あれ?」
とよの丸い目が、不思議そうに有吾を見ていた。
「山瀬のおじちゃん? どうしたんだ?」
とよの小さな手が伸びてきて、有吾の頬に触れる。
温かいのは、とよの手か、それとも流れる泪のせいだろうか。
羅刹の舌打ちが聞こえたが、不覚にも溢れ出す涙を、有吾には止めることができなかった。
生きていたのだ。おとよが。そして、あの女郎蜘蛛も。
六助が目を覚ましたら、なんと言って伝えてやろうか。
『しょうがねえやつだ』
羅刹の声がする。
「おじちゃん? 大丈夫?」
おとよの手が、震える有吾の背中を、そっとなでてくれていた。
イラスト/9℃




