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鬼宿り  作者: 観月
帰趨
33/36

3




 ◇


 今年の夏は暑かった。


 それでも秋彼岸近くになると随分と過ごしやすい日が増え、河原の土手やあぜ道には、曼珠沙華の花が赤赤と咲いている。

 六助は川岸の柳の並木のたもとに一軒の茶屋を見つけた。

 まだおひさまは真上から少し西に傾き始めたばかりだったが、今日は親方のお使いを終えたら、そこで仕事を終いにしてよいことになっている。

 なにしろ先日自分勝手な都合で仕事を休んでしまったものだから、ここしばらくは親方にはこき使われっぱなしだったのである。

 だからこんな早い時間に仕事を上がれるのは井沢村から帰って以来初めてのことだった。

 いつもなら早く仕事の終わった日には、煮売り居酒屋にでも出向いて、酒を飲みながらゆっくり飯を食うのだが、帰り道の途中で見つけた水茶屋で一服したくなったのは、このところの疲れが溜まっていたせいだろう。

 店先の縁台に腰を下ろせば、目の前を流れる小さな川のせせらぎが気持ち良い。野点傘などはなくとも、大きな柳の木がちょうどいい具合に影を落としてくれている。

 お茶を運んできてくれた給仕の女に、団子を一つ頼んだ。

 頬にできる笑窪と、口元から覗く八重歯が可愛らしい娘だ。

 六助は熱い茶をすすりながら、柳の葉がそよ風に揺れる葉音に耳をそばだてる。さわさわという音と一緒に、閉じた瞼の裏の光も、ゆらゆらと揺れた。

「おまちどうさま」

 元気な娘の声が聞こえて、はっと目を開けると、いたずらめいた笑顔を浮かべた娘の顔が、思いの外近くにあった。

「お、ありがとうよ。腹が減ってたんだ。へえ。こりゃあうまそうだ」

 串に刺さった団子をひとつ、早速頰張る。

「でしょう? おとっつぁんの団子は美味しいのよ。毎日食べてても飽きないもの」

 団子を置いて立ち去ると思った娘はそのまま六助の隣に腰を下ろしてしまった。

「ねえ、あんた……」

「六助だ」

「ふうん、六助さん? お腹が減ってるって、これからお昼ごはん? お仕事は? もう上がりかい?」

 娘が僅かに六助の方に身体を近づけてきたのは、勘違いではあるまい。

 いい男だねぇ。そう言われつけている六助である。女から誘われることにも慣れている。だからこの娘の意図を察するのも、早かった。

 いつもだったら、ここでしばらく娘との会話を楽しんだ後に、周辺の散策にでも誘っていただろう。もちろんその後のことも込で。

 しかし、このところどうも色恋の方に気持ちが向かない。

「ん? ああ、これからまだちょいと、野暮用があるんだよ。今日はゆっくり飯を食えそうもねぇや」

「あらそうなの? ざんねんね」

 六助の笑顔に、娘の方もあっさりと引き下がった。

 茶碗を手に娘の背中をしばらくぼおっと見送ると、六助はまた団子を口に運んだ。

 団子片手に木漏れ日揺れる通りを眺めていると、行き交う人々の中から、頭一つ飛び出した身体の大きな男がこちらに向かってくるのに気がついた。

 随分と着古した着物のようだが、ぴしっと着ているのがあの人らしい。大きな歩幅で、まっすぐ前を見て歩いているから、まだ六助に気が付かない。

「旦那! 山瀬の旦那ぁ!」

 六助は立ち上がると、口元に手を当てて、大きな声で呼びかけた。

 呼びかけられた浪人は、ちょうど影のきれた日差しの中にあって、眩しそうに目を細めている。額に手をかざし、自分の名を呼んだ相手を探そうと、きょろきょろとあたりを見回していた。

 

 ◇


「あらぁ、六助さん、久しぶりじゃあないかあ!」

「いやあ、親方にこき使われてたんですよ。ようやく今日は早くに仕事を上がれましてね」

「おう、六助じゃあねえか。最近見なかったな」

「いや、どうも」

 化けもの長屋で六助を知らないものはもういない。

 数日のこととはいえ、有吾のいない間毎日のようにとよの様子を見るためにこの長屋に通っていたのだ。

 六助自身も、愛想の良い男であるから、みな六助の顔を見るとにこにこと話しかけてきた。

「いいねえ、今日は二人で飲み明かすのかい。あっしも混ざりてえもんだ」

 二人の下げている貧乏徳利を指差しながら長屋に住む男が言うと、その男の女将さんが「ちょいとあんた、ずうずうしいんだよ」と、旦那の袖を引っ張る。

「いやすみません。私も今日は久しぶりに六助さんと飲むので……」

「おとよちゃんがいなくなっちまって、六助さんも探しに行ったっきりだったろう? 化けもの屋の旦那は解決しました、なぁんて言うがよぉ……」

 なおも言い募ろうとする男は、女房に引きずられて行く。

「まったくお前さんは、気遣いってもんが、ないんだから」

 という女将さんの声が遠くから聞こえた。

 ふと気がつくと辺りから人気がなくなっている。

「さあ、六助さんどうぞ」

 有吾はどこかばつが悪そうに月代をポリポリと掻きながら、六助に部屋に入るように促した。

 開いた引き戸の先には薄暗いガランとした部屋がある。

 小さい部屋のはずなのに、六助には広く感じられた。

 とよがいない。

 とよと一緒に、この部屋で過ごしたのはたったひと月前の、しかもほんの数日のことだというのに、懐かしく思うなんておかしなものだ。

「へえ、じゃあ、ちょいとお邪魔しますよ」

 六助は寂しさを断ち切るように草履を脱ぐと、九尺二間、畳の部屋の部分に至っては四畳半しかない部屋に上がり込んだ。

 有吾は茶碗を一つ六助に渡すと、酒屋から借りてきた徳利から六助の手の中の茶碗へと、なみなみと酒を注いだ。

「おっとっと」

 六助は顔を近づけて、零れそうになる酒をすすり「じゃあ、今度はあっしが!」と、有吾から徳利を受け取り酌をする。

 酒の肴は、途中の屋台で買ってきたいなり寿司と、天麩羅と胡麻揚げだ。串に刺さった天麩羅をかじると、まだ温かい。

「かー、うめえ」

 ちょうど腹が空いていた。思わずそう声を上げたが、後はふたりとも言葉少なだった。

 二人で顔を揃えれば、どうしてもあのやけに暑かった日のことを思い出してしまうからかも知れなかった。


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