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鬼宿り  作者: 観月
帰趨
31/36

1

 井沢村のとよの家では、父親と小さな妹が有吾たち一行を出迎えてくれた。

 とよがなにか恐ろしい事故、もしくは事件にでも巻き込まれたのではないかと考えていた父親は、六助におぶわれたとよの姿を見ると「おとよじゃないか!」と、大声を上げて駆け寄ってきた。

 もしかしたらもう二度と会えないのではないか、遺体すらみつからないのではないかと半ば諦めの境地であったらしく「よかった、いやあ、よかった」と、真っ先に口をついて出たのは、安堵の言葉だった。

 とよの妹のひさは、ぐったりとした姉の姿を目にした途端、わんわんと泣きながら縋り付いてきた。

 それを長女のみつがなだめる。

「ありがとうございます……」

 こんな状態のおとよを連れ帰ったらなんとなじられるかと思案していた有吾であったが、その心配はまったくの杞憂と終わった。

 みつが一緒にいてくれたということも大きいかもしれない。

「末の妹のひさが、とよ姉ちゃんは江戸に行くって言ってたと……。だから、もし無事ならみつと会ってるかもしれねえし……。帰ってくるときゃあ、一緒かもしれねえから……。でも、なんの連絡もねえんで……おらはもう……」

 姉妹の父は、ひょろりと細くて、少し腰の曲がった温厚そうな人物だった。はきはきと話す娘たちとは違い、語尾がもにょもにょと消えていく。

「いったい娘はどうしちまったんで……」

 とよの身体には傷は一つもない。苦しげな呼吸をしているわけでもない。すやすやと寝ているように見えるが、声をかけても揺すっても決して目を覚まさない。

 居間の囲炉裏のすぐ脇に床をとってもらい、とよをそこに寝かせる頃には、幼いひさも姉の様子が不思議だと感じたようだった。

「とよねえちゃん……とよねえちゃん?」

 少し前までの大泣きを引っ込めて、訝しむような小さな声で呼びかけ、とよの腕を揺すっている。

「有吾様、六助さん、父へは私が説明します。少しの間ひさの面倒を見ていてくれませんか?」

 みつは言うが早いか「はい!」とひさを抱き上げて、有吾の腕の中へと押し付けてきた。

「ひさ、お兄さんたちに外で遊んでもらってきな!」

 そして、あっという間に三人は家の外へと出されてしまった。

 そういえば、この家に着いてからというもの、有吾もろくすけも三姉妹の母らしき人物を見ていない。

「……」

 家からつまみ出された三人は、しばし無言でお互いを見つめ合っていたが、六助がひさに「おっかさんは留守なのかい?」とたずねた。

 声をかけられて六助を見上げたひさは、口元を引き結び眉尻を上げ、目には涙をためていたが、六助がやんわりと笑いかけると、それまでのひさの仁王像のような口元が緩み、頬を桃色に染めた。

 どうやら六助の笑顔には、年端のゆかぬ子どもまでもを懐柔する威力があるらしい。

「おっかあはいないよ。おれが生まれてすぐ死んだんだって。けど、おれにはみつねえちゃんととよねえちゃんがいるもん」

「そうかそうか。みつねえちゃんもとよねえちゃんも、しっかりものだし、やさしいものなあ」

 六助は腰をかがめてひさの頭をぽんぽんと優しく叩いた。

 涙の浮かんでいた少女の顔が、嬉しげに和らいだ。

「さて」

 家の前を見回すと、のどかな田園風景げ広がっている。

「おじさんは六助ってんだ。よろしくな」

「うん。おれはひさ。おじちゃんは?」

 ひさの目が、こんどはじっと有吾を見上げていた。

「はい、私は山瀬有吾といいます」

 自分の大きな体が小さな子どもに威圧感を与えぬように、有吾はなるべく小さくなって笑いかけた。

 ひさの反応は「ふうん」というそっけないものだったが、泣き出されなかったので、努力は報われたのかもしれない。

「それじゃあね、おじちゃんたちはひさと一緒に畑のお仕事をするんだよ」

 というと、ひさはずんずんと目の前の畑へ入っていく。

 有吾と六助は、傾き始めてもまだかんかんと照りつける太陽の中へ、紅葉のようなぷくぷくとした手に引きずられていった。

 ひさに命じられるまま、もう実らなくなった苗を引き抜いたり、とうむぎやきゅうりや茄子といった夏野菜の収穫の手伝いをしていると、昨日までの怪異など、夢の中の出来事ではなかったのかと思えてくる。

 しかし、世界が緋色に変化しようとする頃、戸口の前に静かに立つみつの姿を見つけると、有吾は現実に引き戻された。

「みつねえちゃーん」

 と、ひさがみつの膝にすがる。

「晩御飯にするから、汗を流しておいで」

「はぁい」

 ひさが家の中へ入ってしまうと、みつは二人に頭を下げた。

 家の中から背中を曲げた父親も出てくる。

「あらかた、みつから話は……。とよの様子を見てると……。おらにはよくわからねえんだが……信用するほかぁねえと……」

 父親はぼそぼそとした口調で言いながら、有吾と六助にぺこぺこと頭を下げた。

「おとっつぁんは、優しくて気が弱い質なんです。もし、とよのことで手伝うことがあるなら私が」

 みつは自分自身の胸をとんと叩いた。

「その前に、お二人とも汗を流してご飯にしましょう。うっかりしてたけど、有吾さんお腹が空いてたんですよね」

「いえ、おひさちゃんに許して頂いて、庭の野菜などを頂いてしまいました」

「まあ、よかった。遠慮せずにどうぞ。おとっつぁん、ひさをお願い」

 みつに促されて、父親は今一度有吾たちにぺこぺこと二、三度頭を下げると、家の中へと戻っていった。

 庭先に三人だけになると、みつは顔を上げ、すっと姿勢をただす。

「有吾様、妹のひさには、とよの腹を切るところを見られたくはありません。おひさが寝てしまってからで、よろしいでしょうか」

 有吾はできることなら逃げ出したいという気持ちに蓋をして、ゆっくりとうなずいた。


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