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鬼宿り  作者: 観月
余燼
27/36

2

 有吾は、抱き起こしたとよの身体の冷たさに驚いた。

 死んではいない。大丈夫だ。死んだりしない。

 ぐったりとしたとよを胸に抱き、自分自身にそう言い聞かせる。

「羅刹」

『なんだ』

「とよを、助けてください」

『……』

 羅刹は腕を組み、有吾の背後から覆いかぶさるようにしてとよの様子をうかがっているようだった。

『さっきも言ったが、腹を切り裂かない限りは、その娘から卵は取り出せぬぞ』

「他に方法は、ないんですか? あなた、自分は力のある鬼なのだと言っていたではありませんか」

 有吾はとよを抱いたまま、首だけで羅刹を振り返る。

『何と言われても、ない。そういう能力を持つ妖もいるが、卵が孵るよりも先に、そいつを見つけ出せる可能性は殆ど無いであろう。見つけたとしても、力を貸してもらえる可能性は更に低いうえに、今度はそいつがとよとやらに害になるやもしれぬぞ。一番確実なのは、腹を割いて取り出すことだ』

「助かる可能性は……」

『その娘の、生きる力次第だな』

 有吾はとよを抱く腕に力を込めるた。そして、地面の上に少女の身体を横たえると、震える指で刀の柄を握った。

『お前一人では切れぬ』

「なぜです!」

『もし、娘が痛みから暴れでもしてみろ。どうなる』

 ぞくり、と、背筋を冷たいものが走っていった。

 ただでさえ生き残れる可能性は低いというのに、腹に刀を入れた状態で、暴れられたら、卵を取り出すより前にとよが死んでしまうかもしれない。考えただけで、みぞおちのあたりに、捩れるような痛みを感じた。

「……っ!」

 声にならない叫びとともに、拳を地面に叩きつけた。そのまま地面に突っ伏してしまいそうになる。

 しかし、有吾はなんとか崩れ落ちそうになるのを堪えた。

 落胆している暇などないのだ。

 おそらくとよの体力はどんどん削られていっている。

 せんは卵が孵るまで死ぬことはないと言っていたが、体力がなくなれば、卵を取り出された後、生き抜ける可能性は低くなるだろう。

 こんなところで、グズグズしているわけにはいかない。

「では、行きましょう」

 ぐったりとしたとよを担ぎ上げるようにして立ち上がると、有吾は正面を睨みつけた。

 迷うことにも、恐れることにも、割く時間などないのだった。

 一人でとよを助けることができないのならば、誰かの手を借りるしかない。

 少なくとも井沢村へ行けば、とよの家族がいるはずだ。

 この状態のとよを連れて行ってどうなるかなど、その時になってから考えれば良いことだ。

 意を決して、鶏小屋の戸を開けた。

 外へ出ると、下弦の月がずいぶんと高くなっていた。きっともうすぐ夜も明ける。

 とよを担いだまませんとみやぎの住んでいた家の敷地を一歩出た途端、有吾の足が止まった。

「これは?」

 通ってきたはずの道が、鬱蒼とした木々で覆い尽くされている。

『ここは、蜘蛛とみやぎが作った結界のうちだ。あの世でもない、この世でもない、小さいが一つの世界であった。狙った獲物をこの空間に招き入れ、封じ込めるためのな。出るためにはコツがいる』

 有吾の前に進み出た羅刹は、ほとんど道とは呼べないような林の隙間へと入って行った。

 有吾はあわててその後を追う。少しでも遅れれば、羅刹の背中は見えなくなってしまいそうだった。

 ただよく見ると、羅刹の通る道は周囲より幾分下草が少ないように見える。道、と呼べないこともない。

 鬱蒼と茂る木々は、真っ黒な影となって、月影を遮ってしまった。

 本当なら歩くことさえままならないような藪の中のはずなのに、有吾はなぜか羅刹の背中を見失うことはなかったし、己を取り囲む周囲の様子を感じることができた。五感が研ぎ澄まされていく。

 幾度も曲がりくねり、方向感覚さえ無くなりそうになった時、羅刹が立ち止まった。

『振り返ってみるがいい』

 羅刹の言葉に有吾も足を止めた。

「な……!」

 それ以上の言葉は出てこなかった。

 藪の中を深く分け入り、ずいぶんと歩き通した有吾の目の前にあったのは、かつて家であったものの残骸だった。もうすでに家の形は残されていない。散乱した木々は、床板や柱だったのだろうか。

 白みかけた空の下、ほの青い空間の中でひっそりと、朽ちた柱が一本立っていた。立派な柱だったのだろう。しかし今は黒く腐り、有吾の臍程の高さで、ぼろぼろと崩れ折れていた。

 いったいどれほどの年月、この茂みの中取り残されていたのであろうか。幾度月の光を浴び、幾度雨にうたれ、どれほどの季節を渡ってきたのだろうか。

 有吾の目には、荒れ果てた空間の中にすっくと立つみやぎの姿が見えたような気がした。その目には、自分を殺し続けた男たちへの恨みの炎が燃えていた。

 とよを草の上に寝かせると、有吾は家の残骸へ近づいて行った。

 この下に、せんの……みやぎの……亡骸は、眠っているのだろうか。

 みやぎだけを消してくれと、そう羅刹に頼んだのは、誰でもない有吾自身だった。あの時たしかに、有吾の中にはみやぎへの激しい憤怒の情があった。

 だというのに、みやぎの無念を思うと、有吾の胸にはこみ上げてくるものがある。

 気がつけば手を合わせていた。

 夜が開ける前の、一瞬。辺りは静寂に包まれた。


 やがて、夜明けを呼ぶ、鳥の声が聞こえる。

 一羽がさえずり始めれば、次々に眠りから醒めた鳥たちが、歌いはじめる。

「行きましょうか……」

 羅刹に声をかけ、とよを背中に担ぎ上げる。

 せんの家を一歩出ると、そこには街道へ向かうであろう細い一本道が姿を表していた。

 

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