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鬼宿り  作者: 観月
余燼
26/36

1

 声だったのだろうか。叫びだったのだろうか。

 金属をこすり合わせたような音が大きく響いた。その中に女性の断末魔の叫びが聞こえたような気がしたのは、有吾の聞き違いだろうか。

 蜘蛛は、どうと倒れると、もがくこともなく動きを止めた。

 刀を鞘に収めて、振り返る。

 隙間だらけの屋根から差し込む銀の光を受けて、千切れた蜘蛛の巣が、天井からぶら下がり、ゆらゆらと揺れていた。

 有吾は仰向けるような格好で倒れた蜘蛛に近づく。

 全く動かない。

 刀傷は、尻から腹、胸までを一直線に切り裂いていた。

 ぴく。

 蜘蛛の足が一本小さく痙攣する。

「羅刹……羅刹!」

 妖にも命があるというのなら、まさに目の前の蜘蛛の化けものは最後の時を迎えている。その巨体を呆然と見下ろしながら有吾は羅刹の名を叫んでいた。

『なんだ』

 六助風ではない。赤黒い巨躯に下半身だけ布を巻き付けたような格好で、羅刹は現れた。もともとは袈裟のようなものだったのかもしれない布切れは、破れ擦り切れ、ほとんど申し訳程度に羅刹の身体に張り付いている。

 いったい羅刹の本当の姿がどんなものであるのか有吾は知らないが、この赤黒い巨体の姿は、一番良く目にする。ただ最近は色白で小柄な六助風男前の姿が気に入りのようだ。

「みやぎだけだと言った! なぜ蜘蛛も死ぬ! それからおせんさんはどうした!」

 ふう。と面倒くさげに羅刹が息をついた。

『まだ死んでいない。宿主よ。都合よくお主の手から血が滴っている』

 羅刹の指摘に左肩を見ると、切り傷からまだ出血が続いているようだった。

『お前の血を、この蜘蛛に分け与えてやるがいい』

 羅刹に腕を引かれた。

「いったい……」

『蜘蛛の上に手をかざしてやれ』

 言われたとおりに。蜘蛛の上に手をかざす。

『血が、こ奴の上に滴るようにな』

「わかった」

 有吾は一旦手を引くと、左の着物の袖を引きちぎった。どうせ先程の戦いのせいでほとんど千切れていたのだ。

 そうしておいて、ちょうど化けものの傷の上に血が滴るように、指先を心持ち下げるようにして腕を差し出した。

 肩から腕を伝った血が、指先に届き、ぽたり、と蜘蛛の傷口の中へと落ちていく。

 すぐそばでその様子を確認していた羅刹が、ごわごわと絡まるように広がっている、癖のある己の黒髪を、つ、と一本抜き取った。

 指で摘んだ一本の髪の毛を、蜘蛛の傷の上に捧げる。

『おい、お前のような下等な化けものが吾の力を分け与えられるのだ、髪の毛一本分だとて、大切にしろ。心して受け取れよ』

 そう言うと、ぱ、と髪の毛をつまんでいた指を開いた。

 有吾の滴った血と、羅刹の髪が蜘蛛の中に吸い込まれていき、その直後、炎のようなものがふわっと立ち上った。確かに形と揺らぎ方は炎と同じようだったが、色は青白く、大きく立ち上ったゆらぎが有吾の差し出された腕に届いても、熱というものを感じなかった。

 しばらくすると、巨大化していた蜘蛛はじわじわと収縮していく。

「羅刹!」

 有吾の声に返事をすることなく、羅刹はただ腕組みをして、縮んでいく蜘蛛の腹を見つめていた。

 普通の女郎蜘蛛よりも幾分大きめかというところまで縮むと、蜘蛛はやおら足をばたつかせ、むくりと身体を起こす。

 先程までのおどろおどろしさなど微塵も感じさせずに、ちょこちょこと小さな八本の足をうごめかして羅刹の足元に近づいていった。

 羅刹の足は、巨大だ。

 有吾も、人としてはかなり大柄であったし、足の大きさも人としてはかなり大きかったが、羅刹の大きさは人としての範疇をはみ出している。

 黄色と黒の美しい縞を背中に背負った蜘蛛は、羅刹の大きな足の指の前でピタリと動きを止めた。

 腕を組んだまま蜘蛛を見下ろす羅刹。

 小さな蜘蛛は、大きな主人の前でかしこまってでもいるようだったが、しばらくして羅刹が「往ね」と一言発すると、そそくさと足を動かしながら小屋の隅から外の世界へ出ていってしまった。

「……は……」

 有吾の口から、笑いともため息とも取れるような空気が漏れる。

「はは……は」

 ため息は次第に、力はなかったがはっきりとした笑いへ変わっていった。

「これで、これであの蜘蛛の化けものは助かったのですね」

 羅刹「ふん」と鼻息で返事をした。

「で、おせんさんは……」

「知らぬ。たしかに切ったのはみやぎという女の方だけだ。その後のことまで吾は知らぬぞ。もともと死人なのだ」

「あ」

「成仏しようが、霊だけとなり現世にとどまろうが、吾には預かり知らぬことだ」

 確かに羅刹の言うとおりだった。

 おせんのために一番いい結末は、成仏することだろう。

「しかし、みやぎという己の中のかけらを失って、成仏することは可能なのでしょうか」

 素直な疑問を口にしただけなのに、羅刹は幾分有吾の言葉尻にかぶせるようにして「くどい」と声を大きくした。

 羅刹がいなければ爪の先ほどの霊力も持たない有吾には、確かめるすべはない。確証がなければ羅刹を信じるほかはない。

 切ったのはみやぎのみ。

 もう、せんにしてやれることは、有吾には何一つ残されていはいないのだ。ただ、祈ることだけしか。

 それよりも。

「とよ」

 有吾は小屋の奥でひっそりと横たわる小柄な少女へ目を向けた。

 

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