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鬼宿り  作者: 観月
晴夜
23/36

3

 朽ちかけた小屋の中に、とよがいる。

 生きているとせんは言ったが、普通の状態であるはずがない。

 ただ、せんの様子を考えると一刻を争う事態でもないのだろう。

 そうであって欲しい。

 そうであるに違いない……。 

 有吾が家を出て鶏小屋へと向かうと、せんと羅刹も黙ってその後に付いてきた。

「そろそろ、子の刻……三つを、過ぎましたか……」

せんの言葉につられて振り仰げば、東の空に顔を出したばかりの月は、作り物めいた大きさで、夜を照らした。江戸を発つ頃にはまだ丸に近かった月だが、だいぶ痩せてしまっていた。

 世界が銀色に輝く。

 有吾は明るくなった庭を横切り鶏小屋へと近づいた。扉についている簡素な木製の閂を横に引く。ガタガタとなる戸を、多少持ち上げるようにして力を込めると、ようやく扉が開いた。小屋の中へ一歩踏み入れようとして思わず

「……うわ!」

 と、声を上げた。

 いきなり蜘蛛の巣が顔にへばりついてきたのだ。思わず目をつむり、絡みつくような細い糸を手で払い避ける。

『こりゃあ……』

 背後から、羅刹の声が聞こえて、有吾は細く目を開けた。

 朽ちかけ、あちこちに空いた隙間から、昇ったばかりの月光の差し込む部屋は、思った以上に明かるく内側を見て取ることができた。足元には屑藁のようなものが散乱し、壁の一部を突き破って大きな栗の木の幹が小屋の中に侵入している。

 蜘蛛の巣は小屋の入口付近より、奥に行くほど密になっている。

 有吾は糸を払いながら、小屋の中へと踏み込んでいった。

 後から入ってきた羅刹かせんが、扉を大きく開けたのだろうか。月明かりが更に奥へと差し込み、部屋の中に張り巡らされていた銀の糸がきらりと光る。

 普通蜘蛛の巣というのは、放射線状の縦糸に、粘りのある横糸がまるで結晶のようにきれいな形を作っているものだが、部屋の中の糸は、あまりにも自由気ままに縦横無尽に張り巡らされているように見えた。縦、横、斜めはもちろん、奥から手前。手前から奥。縦糸も横糸もあったものではない。

 小屋の奥で壁を突き抜けて生える栗の木の幹には、大きな繭状の塊が張り付いている。

 そして、その白い繭の前に、とよがいた。

「とよ!」

 駆け出した有吾は、まとわりつく糸を掻き分けて、とよに駆け寄り抱きしめようとした。しかしその手は、なんの抵抗もなくとよの身体を突き抜けて空を掻く。

 驚愕に目を開きとよの名を呼びながら、震える手をそっととよの肩へとのばした。指先がとよに届こうとした時

『たすけて』

 という声が、小さく聞こえた。

 とよの声だった。

「とよ、聞こえますか?」

 後からやってきたせんが、有吾の隣に立つ。

「化けもの屋の有吾様が来てくださいましたよ。お姉さまも、きっと助かります。そしてあなた自身も……」

『お家に、帰りたい……』

「ええ、帰れますとも、有吾様があなたをお家に帰してくださいます」

「どういうことです?」

 まだ混乱から立ち直れずに、幻のようなとよをみつめたまま有吾はせんに問いかけた。

 が、そのとたんとよの姿が消えた。

「とよ!」

 つかめないとわかっていても、有吾は手を伸ばさずにはいられなかった。

「とよの力も、弱まっています。今ではこんな幻のような姿しか取れないのでしょう」

「生きているといいましたよね?」

「ええ……まだ、生きてます。まだ死ぬわけはないのです。卵嚢の中の卵が孵化するまでは……とよは死にません」

「卵嚢?」

「はい、有吾様の目の前の……」

『その繭の中かよ』

 あっけらかんとした羅刹の声が聞こえた。

 せんは後からやってきた羅刹のために、脇に避けて繭へと続く道を開けた。

 羅刹は繭のような塊になった蜘蛛の糸の前に立ち、腰に手を当てて、まじまじとその繭――卵嚢を眺めた。

『この中にとよがいるのか?』

「はい」

『卵と一緒にか?』

 羅刹の問に、せんは苦しそうに眉根を寄せた。

 有吾は思わずせんから目をそらす。

 せんの表情が苦しそうであれば苦しそうであるだけ、おそらくとよの状態は厳しいものであろう。それを確かめてしまいたくなかった。

「とよの身体に、卵が産み付けられているのです、そして、とよごと……この卵嚢の中に閉じ込められて……子蜘蛛が孵ったときの最初の餌食と……」

 有吾はせんの言葉を皆まで聞くことができなかった。

「おおおおぉぉぉぉぉおおぉぉ!」

 雄叫びを上げると、そのまま繭のような真白な卵嚢に飛びかかっていたのだ。

 思ったよりも柔らかな感触の卵嚢は、有吾が引きちぎろうとすると、綿のようにあっけなく崩れていく。

「とよ!」

 崩れた卵嚢の中から、青白い少女の顔が見え始めた。

 有吾は更に力を込め、大きく卵嚢に穴を開ける。

 とよの体はグラリと傾き始めた。

 白い柔らかな綿の中から、全身が現れ、糸をまといつかせながら有吾の腕の中へと落ちてくる。

「とよ! とよ!」

 有吾の腕がきつく抱きしめても、どれほど揺さぶっても、とよはピクリとも反応を返さない。

 その身体を懐の中に掻き抱いても、ひやりとした身体からはまるで生気が感じられなかった。

「本当に、生きて……いるのか?」

「生きて……()……います……」

 有吾は振り返った。

 視線の先にいる女は、みやぎではない。

 とよをこんなふうにした女はせんではない。

 それは理解していたはずなのに、有吾はせんを睨みつけずにはいられなかった。


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