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鬼宿り  作者: 観月
晴夜
21/36

1

 六助とみつが井沢村を目指す、前日のことになる。


 有吾と羅刹は、これまでの隠された物語を、せんから聞かされていた。

 賊に襲われ、赤い花をみつめながら、心を閉ざしたせん。せんと入れ替わるように現れる、せんの中に巣食うみやぎという女。

 そんな告白を聞かされた有吾は、よほど変な顔をしていたのだろうか。

 有吾の顔を覗き込んだせんが、くすりと笑った。

 そしてふいに立ち上がると、夕日に赤く染まる縁側で、こちらに背を向ける。

「有吾様のおかげで、寂れていたここも、ずいぶんときれいになりました。ああ、本当に昔に戻ったよう。あの人と二人でここで暮らしていけたら……私はそれ以上など、望んでいなかったのに……。楽な暮らしをさせてやるだなんて、都へ上ったっきり……私は一人取り残されて……もうあれから何年経ったのでしょう?」

 夢見るようにせんはつぶやいた。

「では、やはりあなたは……」

「死人です」

 しんと静かな夕暮れだった。

 辺り一帯からは、生きるものの気配がすべて消えてしまっていた。普通なら聞こえるはずの虫の声も、鳥のさえずりも、木の葉のざわめきすらも、今は聞こえてこなかった。

 もしかしたら、みやぎやせんと数日暮らしたこのあばら屋は、現実の場所ではなかったのかもしれない。

 彼女の記憶の中の、取り残されてしまった懐かしい場所。現実と異界の間の淡い空間。なんと表現するのが合っているものなのかはわからないのだが、きっとここは、そのような場所なのだろう。

「おせんさんには、その後の記憶はまったくないのですか?」

 有吾が問いかけると、せんは振り返った。

 暮れゆく茜に縁取られ、せん自身が発光し、燃え上がっているように見えた。

「ええ。つい先日目覚めるまで、私の記憶はありませんでした。ですが今はこうして私が表に出て、みやぎは私の中で眠っています。短い間でしたが、有吾様と過ごしたことで、みやぎの中にゆらぎが生まれました。ですからそのすきを突いて私が表に出て来ることができたのです。目覚めてから、ずうっとみやぎに隙ができるのを、待っていたのです」

『おまえとみやぎ、それだけじゃねえだろうが』

 それまでおとなしくしていた羅刹の声が響いた。

『それに気づいてないわけじゃあるめぇ?』

 せんは悲しげに微笑んだ。

「このあばら屋で何が起きたのか。私には記憶がありません。賊共に殺されたのか、それともこの家で老いさらばえて死んだのか。自分自身がどうやってこの世から消えることになったのか……記憶すらありません。私はみやぎとしてこの世をさりました。そしてこの地で何年も何年も、眠ってまいりました。しかしその間も、みやぎの怨念だけはここにとどまり続けていたのです」

 憎い。

 おれを置いていった男が憎い。

 おれをいいように扱う男が。

 おれの心を知ろうとしない男が。

 おれを利用したすべての男が。

 憎い。

「恐ろしいことです。あれは、みやぎは……やはり私の一部なのでしょう。私が顧みることのなかった私の一部が、みやぎとして凝り固まったのでしょう。みやぎは死んでもなお、憎しみの炎を燃やし続けていたのでしょう。そうして何年もの時が過ぎたある日。私どもの屍の上を一匹の妖が通ったのです。年を経て妖となったばかりの……縞模様の美しい蜘蛛でした。その蜘蛛の妖がみやぎの怨念と出会い、みやぎに取り込まれたのです。そうして、みやぎは己の怨念を晴らすことの出来る力を得ました」

 どこから現れたのか、一匹の白っぽい蛾が縁側から家の中へと迷い込んできた。せわしなく翅を羽ばたかせて右に左に飛び回ったそれは、しばらくすると柱にとまった。

 人の手のひらほどもある大きな蛾だ。赤紫に縁取られた透き通るような薄い緑色の翅を持っている。翅に浮き出る細い筋と触覚は鮮やかな黄色で、膨らんだ腹は粉をはたいたような白だ。

 せんがすっと手を伸ばし、緑の翅を捕まえた。

 蛾の翅をつまんだ指先を己の口元へと運ぶ。そうして、蛾の白い腹に口をつけたと思うと、すう、と飲み込んでしまった。

 ごくりと音を立てたのは、有吾の喉か、せんの喉か。

「ですから、今の私も妖なのです。あの世へ行くこともできず、この世をさまよう幽鬼でしかなかった私たちが、妖の力を手に入れ、こうしてお二人の前に立っているのです」

 先程まであれほど茜に輝いていた空は、もうひんやりとした夜の色を纏い始めていた。微かに紅を残してはいたが、その色は果てしなく灰色に近く、そうして、もうすぐ瞑色へと色を変えていくのだろう。

「どうぞ、有吾様。そして、羅刹様」

 すり足で二人の前まで歩いてきたせんは、ひざまずき、両の手を揃えた。

「今晩、私を斬って下さいませ。私を斬ればみやぎも消えるでしょう。あれはもともと私から迷いでたものです。そして、私たちが取り込んでしまった哀れな妖も、消えることでしょう」

 だん!

 大きな物音に振り返ると、身を起こした羅刹が床を鳴らしながら大きく一歩踏み出したところだった。

『おまえの中にみやぎと妖を閉じ込めたまま。切り捨てろということか』

 にやにやとした笑いを浮かべて、羅刹はそのまま立ち上がる。

『女、それがおまえの言う、全てを吾にくれてやるということか』

 みやぎは手を床についたまま、羅刹を見上げていた。

『つまらんな。まったくもってつまらん。有吾、お前はどうするのだ。この女、斬るのか?』

「私は!」

 せんが声を大きくした。

「私は今はみやぎを抑えています。けれどもおそらく、ずっと抑え続けることはできないのです。そうすればまた”とよ”のような犠牲者が出てしまう……」

 せんが発した名を、有吾はほんの一瞬理解することができなかった。

「とよ?」

 聞いたことがある、と思いかけて、はっきりととよの顔が思い浮かんだ。

「とよといいましたか?」

 有吾は這うようにしてせんににじり寄った。

「……」

「とよを、知っているのですね。犠牲者とはどういうことです」

 せんに掴みかかりそうになるのを、有吾は必死でこらえていた。



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