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鬼宿り  作者: 観月
六助
20/36

3

 その後の六助の行動は早かった。

 まずは休みをもらうために、親方の住む家へと向かう。

 まだ半人前のくせに、親方に向かって「休みたい」などと言うことは、普通なら考えられないことだ。

 六助にだって相当な覚悟が必要だったのだが、ここで有吾やとよの事を見て見ぬ振りをして日々を過ごすなんて、できるわけがない。

 だいたい、こんな気持で仕事をしても、集中できないだろうし、そのせいで失敗をして親方に叱られるくらいなら、きちんと説明をして、休みを貰おう。そう腹をくくった。

「なんだと?」

 それでも、もともと鬼瓦のような顔をした親方、辰之助(たつのすけ)の額に縦じわが刻まれるさまを見ると、六助の(きも)はきゅっと悲鳴を上げて縮こまった。

「まあまあおまえさん、そう頭ごなしに叱るもんじゃないよ。ねえ、六助さん」

 おかみさんが、隣から助け舟を出してくれる。

 江戸っ子というのは、たいていかかあ天下である。江戸の町には女のほうが少なくて、男が溢れかえっているのだ。結婚してもらえるだけでも御の字。そんな空気がある。

 その上辰之助の妻であるつたは、器量よしで情が深くきっぷが好い。辰之助だとて、鳶の棟梁でもあり、火消しの頭でもあり、祭りとなれば気の荒い香具師(やし)たちを取り仕切る器量を持ち合わせた人物だったが、どうにもつたには頭が上がらないらしい。

「あんた、六助さんが今まで自分から休みたいなんて言ってきたことがあるかい? 働きぶりだって、いつも真面目じゃないか。ちゃんと理由くらい聞いておあげよ」

「……」

 親方は横目でちらと六助をにらみ、話してみろ、というように顎をしゃくった。

 六助はとよと出会ってからの顛末を、順を追って語る。

 化けもの屋の名が出ると、親方の顔色が幾分青くなったような気がする。

 実は六助には勝算があった。

 辰之助は、かつて化けもの屋としての有吾の世話になったことがあるのだ。

 仔細はわからないが、親方のちょっとした浮気が元だったと聞いている。おかみさんに内密で解決してくれた有吾には恩があるはずなのだ。

「あの化けもの屋が、化けもの退治に出たまま戻らねえってえのかい?」

「へえ。なもんで……あっしが井沢村の方へ確認に行きてえと思いやして。それにおとよの姉さんというのも、道中化けものに襲われないように守ってやりてえし」

「あらやだ、ちょいと、危ないんじゃないのかい?」

 話を聞いていたおかみさんが心配そうな顔をしながら、切った西瓜を出してくれた。

 いただきますと、手を合わせて少し(ひび)の入った真っ赤な果肉を口に含む。

 甘い汁が口に広がり、五臓六腑に染み渡っていく。乾いていたのだと思いだして、一切れをあっという間に食ってしまった。

「……ったく、しょうがねえなあ……」

 辰之助は不満たらたらといった口調だが、これはいつものことだ。しょうがねえなあ。これが出たら許してもらえると六助は知っている。

「しかし、化けもの屋がやられちまうような化けものだったら、おめえにどうこうできるわけがないんじゃないかねえ」

「本当だよ。だいたい化けものに出くわしたらどうしようっていうんだい? おおこわい。でもそのさ、いなくなっちまったとよって子も心配だねえ」

 腕をさするつたの横で、辰之助は腕組みをして顎を引き、上目遣いで六助を睨んでいる。しかしこれは、怒っていると言うより、六助を心配しているらしい。

「とよについちゃあ、あっしも心配なんですが。化けもの長屋のおかみさんたちも気にかけてくれていやす。だったらあっしは、おみつちゃんの方を、なんとかしてやりたいなと……。おみつちゃんは、なんにも知らないわけですし。いやあ、あっしも化けものは苦手なんで、もし出会ったりしたら、一目散に逃げてくるしかねえんですが。山瀬の旦那を見つけられるといいんですがね」

「しょうがねえなあ……」

 辰之助の太いため息が聞こえた。

「おい、おつた。旅の支度をしてやんな」

 辰之助の声におつたは「あいよ!」と答えると、待ってましたとばかりに立ち上がった。


 ◇


 そんなわけで、六助は今、中山道をおみつの後をつけるようにして、歩いているのである。

 なにも事情を知らないみつに「危ないから在所まで送りますよ」なんて言うわけにもいかない。

 だから六助は早朝に親方の家を出ると、みつの奉公先を少し離れたところから、見張っていたのだ。

 まるで張り込みをする岡っ引きにでもなった気分だった。

 半時ほど待っただろうか、絣の着物に風呂敷を背負った奉公人が、屋敷から出てきた。おそらくあれがおみつだろう。

 遠目ではあったが、とよによく似ているような気がした。

 歩いていくみつの後ろ姿をしばらく見送りながら、六助は気を引き締めて、そっとその後姿を追った。

 そして、街道から井沢村へと続く脇道へとみつが入っていこうとする頃に、六助は思い切って声をかけたのだった。

 人気(ひとけ)の少なくなった道を、黙って後をつけるのは、逆に不審に思われるのではないかと考えたからだ。

「お嬢さんも、井沢村へ行きなさるんで?」

「はい?」

 振り返ったみつがあまりにとよに似ていたので、六助ははっとして立ち止まる。とよと同じ、びっくりしたような大きなまあるい目が、六助を見上げていた。

 とよが成長したら、きっとこんなふうになるのだろうと、思わず緩んでしまいそうになる頬を、六助は必死で引き締めるのだった。


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