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鬼宿り  作者: 観月
依頼人
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1

 六助は、煮売り居酒屋の店先で、升酒をきゅっと煽った。

「ふぅぅ、生き返るねえ」

 もうひとくち、と思ったところで「旦那、ご注文の品、お持ちしやした」と、屋台の親父が床几の上につまみを並べた。酒屋に来る途中で、届けてくれるように注文しておいたのだ。

「おう。ありがとよ」

 うまそうな酒の肴を前にして、六助は拝むように手をこすり合わせた。

 煮物を箸でつまみ、口の中へと放り込む。醤油の味と香りが口の中へと広がり、そこへまた、酒を一口含む。

 午後からの仕事のない時は、酒を飲みながら一刻いっとき程をかけて、ゆっくりと昼飯を食う。

 別に今日が特別な日というわけではなく、これが六助の日常なのだった。

「おや」

 六助は通りの向こうからやってくる、やけに身体の大きな男を見つけた。

「旦那! 化けもの屋の旦那じゃあ、ねえですか!」

 手を振ると、化けもの屋と呼ばれた男は、真っ直ぐに六助の前まで歩いて来た。

「やあ、六助さん」

「昼飯はこれからですかい? よかったら一緒にやりませんか? なに、旦那にはお世話になったんで、ここはあっしがおごりますよ。おうい! 酒もってきてくれ!」

「いいんですか? なんだか、すごく豪華ですね。屋台の出前まで頼んだんですか?」

 大男は頭を掻きながらそう言ったが、ちゃっかりともう、床几の上に腰を下ろしている。

 男は名を、山瀬有吾といった。

 地方から江戸へと出てきた浪人で「化けもの退治屋」などという、けったいな商売をしている。「化けもの退治屋」という名前は長くて呼びにくいからと、皆に「化けもの屋」と呼ばれていた。

「いやなに、知り合いのお屋敷の手伝いをちょいと頼まれましてね、礼を弾んでいただけたんで……山瀬の旦那、背中になにかしょってなさるんで?」

 有吾は背中に筵のようなものをぶら下げていた。

 六助がのぞきこんでみると、筵には墨でくろぐろと『よろず ばけものたいじ いたし〼』と書かれている。

「なんてえもん、ぶら下げて歩いてなさるんで!」

 六助に言われて、有吾は少し困ったように笑うと、背中に背負っていた筵を下ろした。

「いや、実は今日化けもの退治の依頼者が、長屋を訪れてきたんですけどねえ……」

「え! そりゃあ良かったじゃねえですか! なかなか仕事がないとぼやいてなさったんだから!」

「ああ、なんだがね、部屋で座っている私をみるなり、間違えましたって帰ってしまいましてねえ」

「はあ……」

 六助はまじまじと有吾の頭の先から足の先までを眺めた。

 大きな体に、丸太のような手足。太い眉とその下の厳しく光る瞳。そして、浪人然とした着流し姿と腰に指した大小二本。話してみれば、武士とは思えないほど丁寧で優しげであるのに、見た目はなかなかに威圧感がある。

「まあ、確かに化けものを退治してくれそうな風体には見えないかもしれませんねえ」

「それで、長屋のおかみさんたちが寄ってたかって、この筵を背負って、江戸の町の中を宣伝して歩いてこい、と言われてしまったんですよ」

「はあ。それで素直に、筵を背負って歩いていなさったんで?」

 たとえどんな美人におだてられようと、こんな筵を背中にぶら下げて江戸の町を歩くなんてことは、粋といなせをを信条とする鳶の六助はお断りである。六助は有吾の住んでいる長屋のおかみさん連中の顔を思い浮かべた。お多福のようにふくよかな輪郭だとか、お歯黒どころか歯茎までよく見える大きな口が頭の中にぼわわんと浮かんだ。お歯黒をした女というのは色っぽいと思うが、どうしたものか、あの長屋のおかみさんたちはみんな色だの艶とは無縁に見える。

 六助は頭をぶるぶると振るって、おかみさんたちの幻を払い除けた。

「で? 成果はあったんで?」

「それがまったく……」

「でしょうとも。そんなもんで、客が集まりゃしませんて。旦那の腕はあっしが保証しやす。なんたって、あっしに取り付いてた生霊とやらを、すっぱり切り捨ててくださったんですからね。そんな野暮ったい筵なんて、捨てちまうのがいいですよ」

 ま、いっぱいやってくださいと六助が勧めると、有吾はそれではと酒に口をつけた。

「で、さっきの話なんですが……」

 一口飲んだところで、有吾が六助を振り返る。

「へ? さっき? どの話で?」

「うん。私の風体についてですよ」

「ああ」

「化けもの退治をしてくれそうな風体というものがあるんでしょうか?」

 有吾は自分の着ている古びた着物の袖を持ち上げて眺めている。

「そうですねえ。墨衣でも着てみちゃどうです?」

「坊主ですね」

「へえ、化けもの退治といやあ、坊主じゃありませんか? 御札なんか使ってさ」

「しかし、私が使うのはこの刀なんだがな」

 困り顔の有吾を、六助は慰めた。

「あっしの方でも、それとなく旦那の噂を広めておきますよ。腕は確かなんだから、そのうち人づてに噂が広がりますって」

 酒をすすりながら、通行人を眺めていたとき、六助は違和感を覚えた。

 向こうの路地から建物にかくれるようにしてこちらを伺っている者がいる。

 ずいぶんと小さな人影は、六助と目が合うと、あわてたように引っ込んでしまった。どうやら子ども。それも、女の子のように見える。

 じいっとそちらを見ていると、またそろそろと顔を出す。

 確かにこちらを見ているようだが、六助の知っている子どもではない。

「旦那、あの子、旦那の知り合いで?」

 六助が物陰から出たり入ったりしている小さな子どもから目を離さずに有吾に尋ねると、有吾はそちらを見もせずに「ああ、少し前からつけられているんですけど、特にどうということはないので、放ってあるんです……」と言った。

 どうやら有吾は、後をつけてくる子どもがいることには、とっくに気づいていたらしい。

「旦那、そういうことだから客を逃すんですよ。その筵を背負っているあんたの後ろをつけてきたんでしょう!? ちょいと待ってなさいよ」

 そう言うと六助は笑顔を作り、物陰からこちらを伺う子どもに向かって手招きをした。

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