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鬼宿り  作者: 観月
妖異
17/36

6

 いったいそれは、どういうことです? と、有吾が問いただそうとした時だった。

『酒がほしい。飯はもうないのかよ?』

 と、羅刹がいい出す。

 すぐにお持ちしますと立ち上がったせんが「有吾様は?」と、聞いてきた。

「いえ、私は……」

「お酒にいたしますか? お茶をお淹れしましょうか?」

 有吾は少し考えてから「酒を」と答えた。

 少し酔っているくらいでなくては、やっていられない。

 せんは、片口になみなみと入った酒と猪口を二つ。一緒に漬物を盛り付けた皿と箸を有吾と羅刹の前に並べた。

「ご飯は今炊きますので、とりあえずこちらを……」

 と言って、羅刹と有吾に酒を注いだ。

『おう、気が利くじゃないか』

 羅刹は上機嫌だ。

 有吾が、出てきた漬物を箸で自分の手のひらに乗せているのを横目に見ながら、羅刹は箸も使わずに、むんずと手で掴んで食い始める。

 そういえば、羅刹とこうして並んで飲み食いするなど、はじめてのことである。

『なんだよ』

 それほどとっくりと眺めていたわけではないのだが、鬼である羅刹は、有吾の視線を敏感に感じ取ったようだった。

「お前も、酒を飲んだり、飯を食ったりするんだな、と思っただけです」

『はは、まあ、食わなくても、人のように死んだりはしないな。だいたい、死ぬというのがよくわからぬからな』

 そう言いながら、沢庵を口に運んでいる。気に入ったらしい。他の漬物には目もくれず、ほぼ一人で食べてしまう勢いだ。

 だいたいせんは、これからご飯を炊くと、言った。

 この調子では、話が始まるまでに、ゆうに一時(いっとき)(二時間)程はかかってしまうだろう。

 ここまできたら、あわてても、仕方がないのかもしれぬ。

 有吾は逸る気持ちを抑え、酒を口に運ぶ。

『ここまで来たら、急いだところで、状況は変わらねえよ』

 有吾のいらだちをまるで感じ取ったかのような間合いで羅刹の声がした。

『ああ、うまいな』

 酒を飲み干し、羅刹は満足そうなため息をつく。

「状況は変わらないと言いますが、私にはその状況がさっぱりわからないんです」

 羅刹は舌打ちをすると、手にした盃を有吾の前に差し出した。注げ、ということらしい。

『いらついてんじゃねえ』

 羅刹につられて生ぬるい酒を飲めば、喉から腹の奥にかけて、かあっと熱を帯びる。そのせいで、庭からゆるりと吹いた風が、涼しく感じられた。

 静かな時間が過ぎていく。

 荒屋で、鬼と怪異に囲まれながら酒を飲む。この緊迫した事情がなければ、こういう酒宴もそれなりに心地の良いものなのかもしれない。

 人と一緒に暮らすことも、嫌いではないのだ。

 あの江戸の喧騒。

 人に囲まれ、人に溺れるようにして生きている人々。

 自分も、その内の一人になっての暮らし。

 長屋のおかみさんたちや六助は、元気にしているだろうか。

『今夜が正念場だぜ』

 どこか楽しげな羅刹の声が有吾を現実に引き戻した。

「今夜ですか」

『そうさ。有吾、今回の事件に関わる化け物は四匹』

「え? 四……?」

『まあ、全部が化け物ってわけじゃねえが、化け物に片足突っ込んでやがるのは確かだ。あ、もちろん四匹の中に俺は入ってないぞ』

 有吾としては詳しく聞きたい話だったが、せっかく羅刹が話す気分になっているのに、水を差すことは避けたくて、口をつぐむ。

『お前はどいつとどいつを斬るんだろうなあ』

 くくくっと、羅刹が声を立てる。

 化け物であろうと人であろうと、有吾は斬ることを好まない。それを知っているくせに、いや、知っているからこそ羅刹は楽しんでいるのだろう。

「羅刹……さま?」

 土間で忙しそうに立ち働いていたせんが姿を表した。

「炊いたご飯は梅干しのお握りにしたのですけど、今すぐ食べますか?」

『おう、持って来い、持って来い! 炊きたての御飯とやらを食べながら話を聞こうじゃねえか。せん、お前も飲めよ』

 まだ日が高いというのに、握り飯を肴に、宴会が始まる。

「こうして、誰かのためにご飯を炊くのは、ずいぶんと久しぶりのことでした。楽しいこと、ですね」

 三人並んで、酒を飲みながら庭を眺める。

 そうして温かな握り飯を食べ、腹が膨れた頃合いだった。

「お聞き下さい」

 コトリ。

 みやぎは手にした杯を膝の前に起き、正面を見据えたままで、話をはじめた。

「先程も言いましたけど、みやぎの話したことは、全て本当のことです。夫が家を出て、私は、庄屋様の囲われものになりました……。

 暮らしは楽になりましたが、私にとってはつらい日々でした。

 そして、その頃から、私の中で時折記憶が抜け落ちるようになったのです」

 せんの閉じた青白いまぶたの下で、眼球が忙しく動いていた。

「ある日私は庄屋様に、若い男と付き合ってるそうじゃないか、と(なじ)られます。全く身に覚えのないことでした。でも、私があちこちの男にちょっかいを掛けていると、そう言って怒鳴り込んでくる村の人も出てきました。そんな事をした覚えはないのです。けれども皆、間違いなく私だというのです」

 狐憑き、という言葉が有吾の中に浮かんだ。

 狐憑きになると、その間は全く人が違ったようになるのだと言う。いつもは優しい人が、乱暴者になったり、正直者が、盗人になったりするのだ。そして、当の本人は、その間のことを覚えていない。

 そういう人を狐憑きというのだと、聞いたことがある。

「庄屋様に捨てられ、それからしばらくしたときでした……」

 せんの握った拳が、小さく震えていた。

「この家に、盗賊が押し入りました。取られるようなものはありませんでしたが、盗賊は、ここを(ねぐら)にすることに決めたようでした。私にいろいろと世話をさせて、それから……私は、犯され続けました」

 せんの震えは、拳から、腕へと広がっていく。

『せん!』

 それまで黙って酒を舐めていた羅刹が声を発した。

『胸クソ悪いことを、いちいち思い出すんじゃねえ。みやぎが目を覚ますぞ』

 ぐらりとせんの体が揺れる。

 有吾は崩れてしまいそうになるせんの体を支えた。

「つつじが……あのとき……庭に真っ赤なつつじが咲いていました……」

 せんが庭の植え込みに目を向けた。つられて有吾もそちらを振り返ったが、緑の葉が茂るばかりで、赤い花は咲いていない。

「私は、もう死んでしまいたいと、何も見たくないと、心から願って、そして、そのとおりに自分の心の中に閉じこもってしまった。目を閉じようとする瞬間、私は初めてみやぎを見ました」


 ――せん、お前本当に嫌な女だな。見たくないものは、全部おれに預けて、自分はなんにも知らない顔でさ。

 そんなふうに言うくせに、私と瓜二つの顔をした女は、笑っていました。

 ――あなた、だれ?

 ――みやぎだよ。


 赤い、赤いつつじ。


「ここで、私の記憶は途切れます。賊がどうなったのかも、それから私自身がどうなったのかもわからないまま、何年も何年も、眠り続けていました」

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