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膳の前に座り、有吾は黙々と飯を口の中へ押し込む。
しばらく二人の間に会話はなく、咀嚼の音、飲み込む音、食器の触れ合う音だけが聞こえていた。
「あの、みやぎさん」
声をかけられたみやぎは箸を動かしたまま、小首をかしげて有吾に先を促す。
「鶏小屋を、見せていただきたい」
小さく空気が揺らいだ。ほんの瞬きほどの間だったろうか、みやぎの手が、止まったように見えた。けれどもみやぎは素知らぬ様子で食事を続け、口の中にあった漬物を噛み締め、飲み込み、ゆっくりと箸を置き、そしてようやく顔を上げた。
「わかりました」
知らず、有吾の喉が鳴る。
おそらく、あそこになにかあるのだ。とよが、それを教えようとしたのではないか? そう有吾は考えている。
あれがとよの生霊なのか、それともとよの身になにか起きたのか。それを知るためにも、きっとあの鶏小屋を調べなくてはいけない。そんな気がしている。
「けれど有吾様、その前に確認させてくださいませ」
まさか自分がみやぎに質問されるとは思っていなかった。
有吾は背筋を伸ばし、なんでも答える心づもりで「はい」と返事をした。
「化けもの屋、とは、あなた様の事で、間違いなかったでしょうか?」
「え?」
みやぎは有吾をひたと見つめている。その視線は有吾の中にあるものまでをも見透かすかのように、じっと動かない。
予期していなかった問に、有吾はたじろいだ。
「え? はぁ、私が化けもの屋などという商売をしているのは確かです。しかしみやぎさん、あなたはどうしてそれを?」
自分の仕事について、有吾はみやぎに話していない。みやぎに警戒されるのを避けるために、敢えて口にしていなかったのだから、うっかり話したということもありえない。
有吾は、刀を身に着けていないにもかかわらず、思わず腰に手をやりそうになった。
『間違いない。こいつが化けもの屋だよ』
たじろぐ有吾の代わりに、はっきりと羅刹の声がした。
みやぎにも聞こえたのだろう。
声の主を探すように、きょろきょろと視線をさまよわせている。
「みやぎさんにも、聞こえましたか」
「今の声は?」
「私に宿る、鬼の声です」
「鬼!」
みやぎは目を大きくした。
だが、次の瞬間には「……は……」笑うような呼気がみやぎの口から漏れて、伸ばしていた背筋から力が抜けていく。みやぎは崩れるように畳の上に両の手をついた。
「どうされましたか?」
みやぎに手をかそうとした有吾をとどめたのは、みやぎ本人の声だ。
「ならば、鬼」
腹の底から出すような低い声で、みやぎは有吾の中の鬼に向かって話しかける。
「私は探し出しました。化けもの屋……。私の願いを、叶えてくれるのでしょうね? 鬼?」
『そうだな……だが』
声だけでなく、有吾の左隣に人影が立つ。
まず、白い裸足の足が視界の端に映った。開けた裾。胸元が見えるほど気崩れた襟。どこか六助と似た面差しに、ざんばら髪。
どうにもだらしのない姿だが、当の本人はこの外見が気に入ったのか、今日も昨夜と同じ姿だ。
『吾は嘘をつかれるのは好まぬと、以前伝えたはずだ。お前、まだ隠していることがあるだろう。それを洗いざらい吾の宿主に伝えるんだな。それができりゃあ、力を貸してやる、かもしれぬ』
「かもしれぬ、ですって?」
目尻を釣り上げるみやぎと、羅刹の間に有吾は割って入った。
「ちょっと待ってください、二人とも! 私には、何が何やらさっぱりなんですが……」
有吾は二人の顔を見比べた。
面倒臭そうに舌打ちをして横を向く羅刹。
恐ろしいほど真剣な顔で、こちらを睨むみやぎ。
「みやぎさん。羅刹と約束をしたというのなら、私が責任を持って約束を果たさせます。ですから、秘密というのを教えてくれませんか?」
みやぎの表情から険しさが薄らいでいく。
「有吾様……」
みやぎの眼に、薄っすらと涙が溜まっていた。
「どうぞ、お願いします。私をお助けくださいませ」
「私にできることなら、もちろんですが……」
みやぎは膳を脇に避けると、有吾の前ににじり寄り、畳に額をこすりつけるようにして土下座をした。
「昨夜は……みやぎが失礼をいたしました」
「え?」
「今、あなた様の前におります私の名は、せんと申します」
「おせんさん?」
「そうです」
混乱した有吾は羅刹を振り返った。羅刹はどっかりと有吾の隣にあぐらをかくと、膳の上の沢庵を鷲掴みにして口の中に放り込みはじめた。
『ふん。やっぱりそうだろ? あのみやぎって女がお前なわけねえと思ってたぜ』
「羅刹」
有吾の問いかけを無視して、羅刹はボリボリと音を立てながら沢庵を食っている。
『いいか、せん! 俺は今契約によって、こいつの身体に宿ってるんだ』
羅刹は手のひらを有吾に向けた。
『こいつが切ろうと思ったものしか、今の俺には切れん。だから、手を貸して欲しければ、こいつを動かすんだな』
「……なるほど。それであの時あなたさまは、化けもの屋を探せと私におっしゃったのですね」
羅刹はボリボリくちゃくちゃと音を立てながら、ニヤニヤした顔でせんを眺めていた。思わず口の端からよだれが垂れるのではないかというようなだらしのない食いっぷりである。あの六助になまじ似ているだけに、有吾は思わず目を背けたくなってしまった。
「有吾様。では聞いて下さいませ! みやぎと私の関係を……」
せんは、また深々と頭を下げた。
「もちろんです」
「みやぎが昨夜貴方様に語って聞かせて身の上話。あれはすべて本当のことでございます。ただし、あの経験をしたのは、みやぎではなくて私なのです……」
せんの顔が、苦しそうに歪んでいた。




