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鬼宿り  作者: 観月
妖異
14/36

3

 ◆


 ぴちゃ……ぴちゃり……ぴた……


 一歩、一歩、足を動かすたびに足元からは湿った水音がした。

 ほんの数歩先の様子すら見えないほど周囲は暗かった。

 見えない分他の感覚が鋭敏になっていく。

 わらじを履いていると思っていたのに、いつの間にやら有吾は素足になっていた。足下の湿った苔は、踏みしめると水が染み出してくる。

 鬱蒼とした木の匂い、土の匂い、それを覆う苔の匂いに包まれて、ひたひたとあるき続けていると、しだいに異臭が漂い始めた。

 この臭いを、有吾は知っている。

 血だ。

 思わず顔を背けたくなるほど濃厚な血の匂いと、そこに混じる腐臭。

 今までひんやりとしていた空気が、一変した。気温が高くなったのだろうか、それとも己の血液が、熱を持ったのだろうか。じっとりと汗が浮き出てくる。

 目の前に、光の差し込む場所が見えて、有吾はそちらへと足を向けた。

 木々が、そこだけ途切れているのだろう。

 空から月の光が差し込んだような蒼い空間だ。

 歩みを早めたとたん、なにかを踏んだ。

 見下ろすと、棒のようなものが落ちていた。

 なんだろう。

 屈んで、顔を近づける。

 蒼い光に暗く浮かび上がるそれは、人の腕だった。

 有吾の足に手のひらを踏みつけられて、苔にめり込んでいる。踏まれてもぴくりとも反応を返さない。

 はっとして周囲に目を凝らすと、人間の体の一部分が、辺り一面に散らばっていた。

 思わず空を仰ぐ。

 木々の枝葉に縁取られた空には、月がいつもと変わらない顔で浮かんでいた。

 見上げたままあるき出そうとしたら、ぬるりと滑って、有吾はそのまま尻餅をついてしまった。

 人の骸。

 そう言ってもいいのだろうか。

 あまりにも損傷の激しいそれらは、もう、骸というより肉片だ。

 尻餅をついたまま、自分の周囲に散らばらる腕やら足やら、顔の左半分やら、臓物を眺めているうちに、有吾はそれらが小さく動いていることに気がついた。

 いや、肉片自体が動いているのではない、肉片の中になにか白い繭のようなものが見えて、その繭から小さな虫が這い出そうとしているのだ。小さな虫の落とす影が、その巣食った肉片の中で蠢き、小刻みに動いているのだ。

 にちにちと、小さな音が聞こえだす。

 なんの音なのだろうと周囲を見回して、有吾はようやく理解した。

 喰って、いるのだと。


 ◆


 ひゅっ!


 自分自身の喉の鳴る音で目が覚めた。

 まずはじめに感じたのは、暑さだった。そして、有吾の汗を吸い、肌に張り付く着物の感触。それから煤けて黒くなった天井が視界いっぱいに広がる。

 乾いた日向の匂いがして、大きく息を吐きだした。

 ――なんて悪夢だ。

 隣を見ると、みやぎが布団の上で眠っている。

 江戸の長屋で眠るときは、夢など殆ど見たことはなかった。それが昨日と今日と、立て続けに二晩も夢を見た。

 昨晩聞かされた羅刹の話が、有吾にこんな夢を見せたのだろうか。

 どちらにしろ、悪夢であることに変わりはない。

 有吾は記憶を手繰り寄せた。

 あの後、羅刹にどんなに問いかけても、何も答えてもらうことはできなかった。

 とよが見たという、なにかにぐるぐる巻きにされた男は何処に消えたのか。

 卵を産み付けられたのが、その男なのだろうか。だとすると、その男は死んだのか生きているのか。

 とよの姉のみつについても、有吾は不可解なものを感じる。

 とよと出会った日、有吾は口入れ屋からの情報を得て、みつを尋ねた。みつの奉公先は、商家の隠居が住まうこじんまりとした屋敷だった。

 自分はみつの親の知り合いだということにした。

 ちょうど井沢村に所用で出かけており、みつが藪入りの日に帰省しないのを心配した親に様子を見てくるように頼まれたと言う筋書きで、屋敷を尋ねたのだ。

 当のご隠居さんは友人たちと見世物小屋見物にでかけて留守であり、奉公人たちを束ねているらしい年増の女中が有吾の相手をしてくれた。

 みつは藪入りの前から少し喉が痛いと訴えていたらしく、熱を出した事自体は、不思議のないことだったようだ。


「いえねえ、熱もそれほど高くはないようだったし、お医者様にも見てもらったんですよ」

 縁側で、出してくれた茶をすすりながら女中の話を聞いた。

「藪入りの日が……おとといでしたから、その日にお医者様にみてもらいましてね、お薬ももらって、夕方には熱が下がってたんですよ。旦那様も二、三日したら在所に帰っていいって、言ってくださってましたし。それがねえ、その夜急にまた、高熱を出しましてねえ」

 女は困ったことだと頭を振った。

「それ以来、夕方になると熱が上がるんです。それに……」

 女は声を潜めて、口元に手を当てると、そっと有吾に顔を寄せた。

「見ちまったんですよ。あの子の枕元に、蒼い顔したきれいな女の幽霊が立ってるのを!」

 女はだんだん早口になり、それだけ言うとさっと有吾から体を離した。

「いえね、あたしの他にも、見たって子がいるんですから、ホントですよ。お医者様にみてもらうより、お祓いでもしてもらったほうがいいんじゃないかなんて、最近では奉公人たちの間で話してるんですけどねえ」


 あの女中の話が本当だとするならば、みつに取り憑いているらしい女というのは、何者なのか。

 わからないことが多すぎる。

 今は、とにかく暑い。

 勇吾は起き上がると、家の戸を開け放した。

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