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鬼宿り  作者: 観月
妖異
13/36

2

 反応を返さない有吾についに緊張の糸がきれた友人は、刀を投げ捨て、奇声を発してその場から走り出した。と、同時に、有吾の脇を黒い風が通り抜けていった。

 はっとして振り返ったときにはもう、友は地面に倒れ伏し、ぐっしょりと血に塗れた鬼が、こちらを見ていた。


 その後のことは、実はよく覚えていない。

 気がつくと、恨めしげな形相でかっと目を見開き、事切れていたのは、鬼ではなく、藩主の末の息子であった。

「ひぃ!」

 自分の上げる悲鳴すら、どこか遠くから聞こえる。

「大丈夫か!」

 林の向こうから、別の夜警団の近づいてくる声が聞こえた。

 有吾に迷っている時間はなかった。


 逃げ出したのだ。何もかも放り投げて。


 父は蟄居を申し付けられ、自ら腹を切ったのだという風の噂を聞いた。

 何をしているのだと思った。今頃領内では有吾が辻斬りの下手人であったということになっているのだろう。

 自分にはこうして生きている価値もない。

 そして荒れ寺の境内で、ただぼんやりと空を見上げていた時、あいつが現れたのだ。

 そいつは『おいお前、ここでくたばるのかよ』といいながら、にやにやと有吾を見下ろしていた。

「……鬼?」

 目の前に鬼がいた。だが、あの時斬った鬼とは違う鬼のようだ。あいつは漆黒の鬼だったが、自分を見下ろす鬼は、赤い。

『鬼などと、俗な名で呼ぶではないわ』

 不機嫌そうな声だが、だからといって名を名乗るつもりはないらしい。

「羅刹」

 と有吾がつぶやいたのは、どこかで見た西南方の護法神羅刹天の絵に、目の前の鬼の風貌が似ていたからだ。

 赤鬼は呵った。羅刹という呼び名が気に入ったらしい。

『あいつを斬らんでよいのか? お前が斬ったのは憑依されていた人間だけだぞ』

 その言葉に、有吾の心が揺さぶられた。

「なんと、いいました?」

 赤鬼が呵った。有吾の動揺を見て、かかと呵った。

『あの黒鬼を、討った気でいたのか! ははは……!』

 ひとしきり呵って、赤鬼はまた有吾を見下ろし、真顔になった。

『吾が力を貸してやろうか?』

 

 むくり。


 もう何ものにも心が動かないと思っていたのに、心のなかが大きく波打ち泡立つ。有吾は起き上がると「どうやって?」と、鬼に尋ねていた。

『普通の刀では、妖しの者は斬れぬ。吾がお前持つ刀に宿ってやるわ。ただし、お前が吾に勝つことができたならな……』


 有吾は刀を使って良い。羅刹は素手。しかも特殊な能力は使わない。有吾の刀が少しでも鬼に触れれば有吾の勝ち。

 そんな極めて有吾に有利な条件のもと、有吾は羅刹との戦いに勝ち、それ以降羅刹は有吾とともにあるのだった。


 ◆


『俺は、お前に力を貸してやると契約した』

 それまで六助に似せていたらしい声色が変化していた。地の底から響くような低く太い声だ。

『だが、何もかも吾がお前に教えてやるなどとは約束していないぞ。鬼に頼るな。自分で考えろ。吾はお前が斬りたいと思ったものしか斬ってはやらんぞ』

 羅刹の答えを聞いた有吾の背中が、小さくなる。

「私は本当は、何も切りたくはないんだがなあ」

 ため息を吐く。

『斬らずとも、人間の魂だけならな、放っておいたってそのうち成仏する』

「……」

『だがな、厄介なのは、人間の魂が妖しを取り込んじまった状態さ』

「ああ……」

『妖しだとか、妖怪なんて言われてる奴らは、もともと人間の害になるような事はしない。悪戯が行きすぎるだの……まあほんの少しの例外はあるが』

「わかってます……」

 恐ろしいのは、人間なのだ。

 化け物屋を営む間に、身にしみた。本当に人間に悪さをしているのは、妖しではない。人間の心だ。

 人間の持つ、恨み、憎しみ、未練、悲しみ。そう言った負の感情が、妖しの力を取り込んだときに、大きな怪異を引き起こす。

「一つ疑問なんです。羅刹?」

『お前、あきらめが悪すぎるぞ』

「そうじゃない。今回のことじゃないんです」

 ダン!

 羅刹が部屋の柱に勢いよく足の裏を打ち付けた。

『まったくくめんどくせえ男を宿主にしちまったもんだ!』

 怒っているらしいが、彼が本当に怒ったら、こんなものでは済まないはずだ。

 ならば一つぐらい質問しても構わないだろう。

「人間の魂が妖しを取り込んでも、悪をなさない場合はあるのですか? それならば、切る必要もないのでは?」

 羅刹は再び腕組みをして、天を振り仰ぐような仕草をした。

 下唇を突き出して『むう』と唸る。

『だめだね!』

 思いがけず大きな否定の声だった。

『本来、人が持つべきじゃない力を手に入れるんだ。歪んでいく。狂っていく。人が勝つか、妖しが勝つか。どちらがどちらを取り込むかはその時次第かもしれない。妖が勝てばいい。人間は取り込まれて消滅する。だが人間の感情が勝てば、そいつの魂は、本来自分が持つはずではなかった大きな力を持つことになる。それ故に、いつかは、狂う』

 羅刹の答えを聞いた有吾は、頭を抱えた。

 視線の先にはみやぎの寝顔がある。

「斬りたくない」

 ははははっ!

 羅刹がまた有吾のそばへとやってくる。

『斬らなきゃいいじゃねえか! はははは! そうしたら女はまた、通りすがりの旅人を襲うだろうさ。旅人と交わり、そうして孕んだ卵を、人間に産み付けるだろうさ! はははは!』

「なんといいました?」

 抱えていた顔を上げ、有吾は羅刹を振り返った。




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