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鬼宿り  作者: 観月
妖異
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1

 ぷつりと糸の切れるようにして倒れ込んだみやぎを、有吾は布団の上まで運び、頬にかかる細いほつれ毛を指で払ってやった。

 先程までの様子がまるで幻ででもあったかのように、今は安らかな顔をしている。あどけないとさえ見えるその寝顔に、夢の中でまで、悲しい思いをしていなければ良いと思う。

 とん。

 寝室の入り口で小さな音がした。

 有吾が振り返ると、柱に体を預け、腕組みをした若い男がそこにいた。

 真っ赤な髪を長く垂らした男だった。

 ざんばらな髪があまりにも異様で、そこにばかりに目が向いてしまうが、よく見ると涼やかな顔立ちの美男子だ。しかし、どこか見たものをぞっとさせるような雰囲気がある。底のない夜のような瞳のせいかもしれない。暗く透明なそれは、あまりにも澄んで揺らがないから、見つめていると、だんだん恐ろしくなってくるのだ。

「羅刹」

 有吾はなんの前触れもなく現れた男に、動じることなく語りかけた。

「以前会った時とはまた、ずいぶんと姿形が違うようですね」

 男は腕組みを解くと、自分の姿を見下ろした。

 足元の(はだ)けた着物。ただ伸びるに任せたような髪は真っ赤で、胸のあたりまで垂れている。この姿で江戸の街を歩こうものなら、目立ってしかたがないに違いない。下手をしたら、しょっ引かれてしまうかもしれない。

「以前の姿のほうがよかったか?」

「いや、どちらでも」

 別にここは江戸の町中ではないし、隣近所さえないような、山の中の一軒家である。姿形など、気にするものはいない。

「あんたのお友達の六助とかいうやつに似せてみたんだがなあ」

 と言うから、有吾は思わず身を乗り出して、羅刹の顔をまじまじと見上げてしまった。

 よくよく見てみると、たしかに顔の作りは六助に似ている。印象があまりにも違うから、全く別人にしか見えなかった。だいたい六助は粋で鯔背(いなせ)であるということに、意外なほどこだわりを持っているから、こんなだらしのない格好は絶対にしないだろう。

「それにしても、据え膳食わぬとは、まだまだお子様だとはいえ、もったいない。もうお前さん、若いとは言っても、世帯を持ったっておかしくない年じゃないのか? 抱いてやりゃあよかったのによ」

 男は有吾の隣までやってくるとみやぎの顔を見下ろした。

「美人じゃあねえか」

「何を言ってるんですか。お子様だとか、関係ないでしょう。まだお互い知り合ったばかりです。それに……みやぎさんはいったい何者なのか、まだ私にはわからない」

 ふふふふっと、羅刹は面白そうに嗤う。

「女、ではあるな」

「人間ではない?」

「おいおいおいおい」

 寝ているみやぎの横で安座する有吾の肩に、羅刹は足を乗せて揺さぶった。

「人間じゃなきゃ抱けねえとかいうのかよ? 了見のせまい男だ」

 羅刹の喉の奥から「けっ」という音が聞こえた。

「ずいぶんと年増だが、いい女じゃねえかよ。筆下ろしにゃ、申し分ないだろう」

「私だって、女くらい知ってます」

「ぶふっ! 知ってるかもしれんけど、前のはあれ、襲われたようなもんだろう。あ、今回もか? お前ほんとに、年増に好かれるよなあ」

「……私のことをどこまで知ってるんです」

「なぁんでもお見通しさ。知ろうとさえ思えばな」

「なんでも?」

「あたりまえだ。俺を誰だと思ってやがる」

「……では、今回の黒幕は何者です。とよが私に討ってくれと頼んだ化け物は……みやぎさんなんですか……?」

 羅刹は有吾の肩に置いていた足に力を入れて蹴飛ばすと、その勢いのままくるりと有吾に背を向けた。

『かつて俺は、お前との勝負に負けた』

「あれは……」

 あれは有吾にかなり有利な条件だった。本来の力で戦ったのなら、有吾が羅刹に勝つ可能性など、まったくなかったに違いない。


 羅刹と初めて出会ったとき、有吾は死の淵の、一歩手前にいたのかも知れなかった。

 

 ことの発端は辻斬りであった。

 幾人かの犠牲者が出るうちに、犯人は人ではない、妖しなのだという恐ろしげな噂が広がっていく。

 領内の家々は、日が暮れると扉をぴたりと締めて、しんと静まり返る。その異様さが更に人々の心を暗く沈ませていく。

 そんな日々が続いた。

 一方、腕に覚えのある者たちは、妖しなぞいるものか、吾こそは下手人をひっ捕らえてやるのだと、頭に鉢巻を巻き、たすき掛けをして、領内の夜警を始めた。有吾もそんな若者たちのうちの一人だった。

 夜警を初めてしばらくのうちは、辻斬りも鳴りを潜めていた。今になってよくよく考えてみると、下手人はこちら(夜警団)の動きをよく理解しているようだったのだ。夜警団が組織された途端に、辻斬りが出なくなったのだから。

 だがあの時、そのことに気がつく者はいなかった。

 下手人も恐れをなしたのだと、こちらが恐れるほどのやつではないに違いないと、小さな恐怖心を覆い隠すように、若者たちは高揚していた。

 再び辻斬りが現れたのは、夜警を初めてそろそろひと月が経とうかというときだった。夜警団の中にも、もう辻斬りは出ないのではないかという、楽観的な空気が流れ始めていた。

 彼らが雑木林の中に追い詰めた下手人は、それは恐ろしい形相をしたいた。

 異様に黒い肌。ぎょろりと光る眼。むきむきと盛り上がった筋肉。そして、額から伸びた血濡れた角。

 鬼。

 驚きに腰の引ける若者たちを、その黒き鬼は手にした刀で斬り殺していく。

「おい、有吾、おい! 逃げよう」

 隣りにいた友が有吾の袖を引いた。

 有吾は動けなかった。鬼に魅入られたように、その姿から視線を外すことができなかった。


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