閑話 ~アルクラドと干しグーフ~
北の山脈の山間にある村を出発してから4日が経ち、ノルドの町まであと1日のところで、アルクラドとシャリーは野営をし食事を取っていた。陽が沈んでからしばらくが経ち、月や星の明かり以外、何も見えなくなった頃である。
2人の食事はもちろん、魔女を自称する老婆にもらった、干しグーフである。
死んでも食べたいと思えるグーフの美味さは、干し魚にしても少しも損なわれることはなかった。生では噛み切れない硬い歯ごたえも変わらずだが、焼けば柔らかくなるのも同じである。アルクラドであればそのままの干しグーフを噛み切ることができるが、焼いた方が味と食感の両方が良い為、シャリーと一緒に焚火で炙りながら食べている。
「グーフは本当に美味しいですねぇ」
ほんのり焦げ目が付き湯気の上がる干しグーフを囓りながら、シャリーはしみじみと呟く。
干したグーフに干す前の様な瑞々しさはなく、旨味が肉汁の様に溢れ出すこともない。しかし水気が失われた分、旨味が凝縮され、味の濃さと深みが増していた。
ホクホクと柔らかく、噛みしめればキュッと鳴る様な食感がある。身を裂けば湯気と共に甘い香気が立ち上り、空っぽの腹をこれでもかと刺激する。
獲物の少ない冬の旅において、食材の乏しさから自然と野営での食事も寂しいものになる。事実、山間の村に行く道中の食事は、全て干し肉だった。味気なく身体も温まらない食事に、シャリーは嫌気が差したものだった。
そしてノルドの町へ戻る途中の今も、豊富な食材や温かな食事があるわけではない。しかし干しグーフの美味しさは、それらを補って余る幸福を与えてくれている。それだけで、冬の旅の辛さが吹き飛んでしまう程に。
「そういえばお婆さんが、干しグーフは日を置くともっと美味しくなる、って言ってましたけど、どれくらい美味しくなるんでしょうね?」
干しグーフを受け取る前、老婆の家で話をしている時に、彼女はそんなことを言っていた。干しグーフは日を置くと更に美味しくなるから、一気に食べずゆっくり食べると良い、と。
「うむ、そうであるな」
今のままでも十分美味しい干しグーフがとれだけ美味しくなるのか、話を聞いた時からシャリーの興味が尽きない。もちろんアルクラドも同様であり、1度に大量に食べるのは控えていた。ひと抱えもある大きな袋に大量の干しグーフが詰め込まれていたが、2人にかかればすぐに食べきるなど造作もないことだからである。
「どうして置いておくと美味しくなるんでしょうね? 果物が熟すのとは違うでしょうし……」
シャリーの知る果物の中には、枝からもぎ取った後でも時間を置くと熟していくものがある。しかし肉や魚は後から熟すようなことはなく、いくら新鮮なものでも放置すれば腐敗へと向かっていくだけだ。
「セーラノで生の熊肉を食した時、新鮮なものよりも時間を置いたものの方が美味であった」
アルクラドはふと、かつて食べた生の熊肉のことを思い出した。どうしてもそれが食べたかったアルクラドであったが、とある事情で新鮮なものを食べることができなかった。そこでアルクラドは店の主人に無理を言い、時間が経った肉を生で出させたのだ。食あたりを心配する主人であったが、予想外に味も食感も良くなっていたのである。
「そういえば、肉は腐りかけが美味い、って言ってるのを聞いたことがあります。これも同じなんですかね」
シャリーがセーラノに居た頃、流れの冒険者からそんな話を聞いたことがあった。果物でも腐る手前が一番甘味が強く、食感を気にしなければ最も美味しいとシャリーは知っている。干しグーフでも同じことが起きるのだろうか、と考えていた。
「つまり干しグーフも、腐りかけが美味しい、ってことなんでしょうか?」
「うむ、そうやも識れぬな」
正解かは分からないが、一応それらしい理由を思いついたので、シャリーの表情はスッキリとしている。
「そうだったら私は早めに食べてしまいます。腐った食べ物は怖いですから……」
そう言ってシャリーは袋の中から干しグーフを取り出す。美味しい状態のものをたくさん食べる為に、1日の本数を制限していたが、その上限を少し上げたのである。
かつて独りでの山暮らしを始めたばかりの頃、シャリーは肉を食べて盛大に腹を壊したことがあった。食料が取れず、かなり時間が経った肉を食べたのだ。腐りかけだがよく焼けば大丈夫と思っていたが、どうやら既に腐っていたようで、しばらく地獄を見ることになったのである。
それ以来、肉の鮮度には敏感になったシャリー。干しグーフは今のままで十分美味しいので、腐ってしまう前に美味しく食べよう、と思ったのである。
「我は食あたり等せぬ故、良く時間を置き更なる美味を味わうとしよう」
対してアルクラドは、セーラノでの好例がある為、腐ってしまうその限界まで干しグーフを取っておくことにした。そもそも腹を壊す心配もないでの、多少腐ってしまうことへの恐怖もなかったのである。
「あの、アルクラド様……?」
「何だ?」
2人の干しグーフに対する今後の指針が決まったところで、シャリーは先程から気になっていたことをアルクラドに尋ねる。
「アルクラド様のグーフの方が美味しそうな匂いがしませんか?」
アルクラドとシャリーが老婆からもらった干しグーフは、入っている袋は違えど同じもののはず。それなのに立ち昇る甘い香りは、より豊かで芳しい。火で炙った時も、表面に沸き立つ泡がより多く、滴らんばかり。シャリーは口の中で溢れる涎を抑えるのに必死であった。
「もしよかったら、1つもらえませんか……?」
自分も大量の干しグーフをもらっておきながら、より美味しそうなものを前にして、シャリーは我慢することができなかった。駄目な可能性が高いと思いつつも、シャリーはアルクラドに尋ねる。
「構わぬが……」
予想に反してアルクラドはすぐに了承を示した。沢山あるから1つくらいなら大丈夫なのだろうか。そんなことを思いながら、シャリーが嬉しそうに手を伸ばす。
「これは腹の身である」
シャリーの手がピタリと止まる。
「えっ……?」
「腹の身を我に、背の身を其方に渡したのであろう。腹の身は脂があり甘味と旨味が強い故、我はこちらの方が好みである」
アルクラドが腹の身を初めて食べた時、老婆は毒を食べて平気なアルクラドに酷く驚いていた。だが勝手に腹の身を焼いて食べ、背の身よりも美味しいとアルクラドが言っていたのを覚えていた。その為、干しグーフを作る際に腹の身と背の身を両方使い、アルクラド用とシャリー用にしたのであった。
「あの……毒は、消えてるんですか……?」
シャリーは伸ばした手をそのままに、恐る恐るアルクラドに尋ねる。グーフは基本的に火を通して食べる為、熱で毒が消えないことは分かっている。しかし干して乾燥させると毒が消えるのではないか。十中八九間違いだとは思いつつ、シャリーは尋ねる。
「舌の痺れがある故、毒は消えておらぬだろう」
「それを先に言ってください!!」
シャリーは急いで手を引っ込める。もう少しでグーフの毒の餌食になってしまうところであった。
「味わうまでもなく、これが腹の身である事は判っておった。其方に食わせるつもりはない」
シャリーがグーフの毒を食べると大変なことになるので、アルクラドも彼女が食べないように注意していたつもりだった。しかし偶然というものは、どこにでもあるものだ。何かの拍子に口にする可能性もある為、シャリーは恐ろしくて仕方がなかった。
「人前でなければ何を食べるのもアルクラド様の自由ですけど、私には何を食べてるか教えてください。うっかりで死んじゃうなんて、嫌ですから」
「うむ。以後は其方に伝えるようにしよう」
シャリーはひとまずグーフの腹を食べなかったことに、安堵の息を漏らす。
シャリーは心に決めた。
アルクラドが何かを食べている時、それが何なのかを必ず聞こう、と。
お読みいただきありがとうございます。
しばらく時間を開けて、8章に移ります。
次回もよろしくお願いします。