続く平穏への願い
白き魔獣を埋葬してから数日が経った頃、アルクラドとシャリーは、村の外れの小さな家の中にいた。魔女を自称する老婆の家である。
「まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかったよ」
老婆は焚火の前に串を並べ、捌いたばかりのグーフを焼いている。捌いたグーフは20尾を超え、それらが2人の、主にアルクラドの、腹に吸い込まれていく。ちなみに今まで捨てていた毒のある腹の身も、背の身と一緒にアルクラドの腹に収まっている。アルクラドが腹の身を次々と食べていく様子を不安げに見ていた老婆だが、5尾を超えた辺りから気にならなくなり、どんどんアルクラドに食べさせている。
2人がここにいる理由は、村に滞在する交換条件および魔獣討伐の報酬である、干しグーフを受け取る為である。そして2人がグーフを食べているのは、少し話をしよう、と老婆に誘われたからである。
「お役目を務める子を、少しでも楽しませてやりたい、と思ってあんた達に村に残ってもらったんだが……まさか魔獣を退治してその子の命を救ってくれるなんてね」
そう言って老婆は嬉しそうにほほ笑む。少女が生贄にならずに済んだことを、心から喜んでいるようだった。しかしそんな老婆の様子を見ても、シャリーは素直に喜ぶことができなかった。
「浮かない顔してどうしたんだい? それに全然食べてないじゃないか」
以前と違うシャリーの様子に、老婆は不思議そうに尋ねる。変化に富んだ表情や、グーフの串を5本10本と平らげた健啖ぶりも、今は見る影もない。暗く沈んだ表情で、焼きグーフの串もまだ2本目だ。
「いえ……ヴィラちゃんが助かったのは良かったんですけど、これから先のことを考えると……」
自分達が魔獣を討ったことで、村は守り手を失った。それと同時に、未来も失ったのではないか。それを考えると、強い自責の念に駆られてしまう。
「魔獣との契約ねぇ……あたしゃあんな話、信じられないけどねぇ?」
後悔に苛まれるシャリーの言葉を聞いた老婆は、やはり村長と同じく、魔獣の話を信じられないようであった。
「お嬢ちゃん達は、どうしてあの化け物の話が本当だと思ったんだい?」
化け物、と言う老婆の言葉に、シャリーは胸が疼くのを感じた。しかしそれを表情には出さず、応える。
「あの魔獣は私達と会った時、逃げも歯向かいもしませんでした。話せば理性的で、瞳に邪なものはなく、とても真摯な様子だって感じたんです。だから、人か魔獣かなんて関係なく、嘘はついてないって……」
「ふぅん? あたしにゃ、恐ろしい化け物にしか見えなかったけどねぇ……」
シャリーの言葉を聞く老婆の表情は、胡乱げだった。
「まぁ、お嬢ちゃんが嘘を吐く理由はないから本当なのかも知れないけど、それでもあたし達ゃあの化け物を許すことはできないね」
沈んだシャリーを優しく見つめる老婆の眼にも、山の魔獣を語る時には暗い光が差していた。
「ここは小さい村だから、当然みんな知り合いさ。お役目に選ばれた子は、誰かの家族で、親戚で、友達だ。そんな子が魔獣に喰われる。それがあたしが生まれる前から続いてりゃ、憎くもなるし恨みも溜まる」
老婆は淡々と言う。しかしその平坦な声の向こうに、強い感情のうねりが見て取れた。
「あたしの息子も、孫娘も、お役目を果たした」
最後に老婆は、呟く様に言った。
目を閉じ、静かに大きく息を吸い、吐いた。
「だから少なくともあたしゃ感謝してるよ。あの化け物を退治してくれてね」
再び目を開いた老婆の表情に、もう翳りはなかった。励ます様に、シャリーに優しく笑いかける。
「村の連中だってきっとそうさ。だから別の魔獣が村を襲ってくるかも知れないなんてつまらないこと、お嬢ちゃんが気にすることないよ。あたしゃ生まれてこの方、魔獣なんて見たこともないんだし、きっと大丈夫さ」
シャリーを励ます老婆の口振りは、本当に魔獣が来ないと思っているようだった。村長より長生きの老婆が言うのだから、この村では本当に長い間、魔獣が現れていないのだろう。
「……ありがとうございます。でも、山の警戒だけは忘れないでください」
老婆の言葉にほんの少し心が軽くなるものの、シャリーの自責の念は消えない。
「……分かったよ。山で狩りをする男連中に警戒させるよう、ジェフの爺さんに言っとくよ」
あくまでも魔獣が襲ってくると言うシャリーに、老婆は呆れ気味だ。しかしこうでも言わないとシャリーが納得しないと分かったので、魔獣への対応を約束するのであった。
「さて、もうグーフがなくなるね。まだ食べるかい? それとももう村を出るかい?」
シャリーと老婆の話が一応終わった頃、アルクラドがグーフの串焼きを食べ尽くしていた。シャリーがほとんど食べていない分、串焼きのほぼ全てがアルクラドの腹に消えていた。
「干しグーフを受け取り次第、村を発つとしよう」
その食べっぷりに呆れつつ尋ねる老婆に、アルクラドが答える。食べようと思えばいくらでも食べられるアルクラドだが、ひとまず満足できる程度には食べていた。もしグーフがここでしか食べられないのであれば、もう少し村に残って食べていたかも知れない。しかし干しグーフがあれば村を出てからもグーフを味わえる為、あえて残ろうとは思っていなかった。
「そうかい。それじゃあ、こいつが約束の干しグーフだよ」
老婆はそう言って緩く笑い、傍に置いてあった一抱えもある袋2つを指さした。そして茶色に染められた袋をアルクラドに、淡い黄色の袋をシャリーに渡した。
「化け物退治の報酬がこんなもので悪いけど、その分たくさん作っといたよ」
渡された袋はかなりの重さがあり、10や20では済まない数の干しグーフが入っているであろうと思われた。それが2つなのだから、この数日間で、老婆は一体どれほどのグーフを捌いたのであろうか。
「こんなにたくさん……ありがとうございます!」
「いいんだよ。人手があればもっと作れたけど、あたし1人じゃこれで精一杯さ」
自然と笑みのこぼれたシャリーに、老婆も笑みで返す。
「では、我らは往くとしよう」
老婆との話が終わり、焼きグーフを食べ終え、報酬を受け取ったところでアルクラドは立ち上がり、シャリーもそれに続く。
「あぁ、元気でね」
老婆も見送りの為に立ち上がり、家の外まで2人の後ろを付いていく。
「暇があったらまた来ておくれ。あたしゃもう死んでるかもしれないけどね」
去り行く2人の背中に、老婆は笑いながら声をかける。その縁起でもない言葉に、シャリーは苦笑いを浮かべながら手を振り応える。
老婆の快活な笑い声を背に、2人は村を去るのであった。
魔獣の棲む山間の村を出たアルクラド達は、ノルドの町へ戻る道を歩いていた。昼鐘の頃に村を出た為、陽は高く空は明るい。
雲のない冬空の下、2人は無言で歩いている。
2人の旅において、沈黙が続くことは珍しくない。時折シャリーが話しかけ、アルクラドがそれに応える。そんな短い会話がある程度だった。
そうしていつもは何かを話しかけるシャリーが、今は俯き難しい顔をしている。老婆はシャリーの行いを認めてくれたが、どうすべきだったのか、疑問と自責は尽きない。
「アルクラド様……私はどうするべきだったんでしょうか」
「何がだ?」
シャリーの問いに、アルクラドは前を向いたまま応える。
「あの村の問題に手を出すべきではなかったんでしょうか」
色々と考えを巡らせても、最後はこの疑問にぶつかってしまう。生贄の問題に手を出したこと自体が間違いだったのだろうか、と。そのうちに、アルクラドだったらどうしただろうか、という思いが出てきた。交わした契りを守れと言ったアルクラドは、どうするつもりだったのか、と。
「それは判らぬ」
「えっ?」
予想外の答えに、シャリーは驚き戸惑う。
「アルクラド様。契約を破る覚悟があるかどうか、村長さんに聞いてませんでしたか? それって魔獣を討ったらどうなるか分かってたからじゃないんですか?」
あの時の言葉は、魔獣を討ったこの現状を示唆していたのではないか。シャリーは今ではそのように考えていた。そしてアルクラドがそれを言った時、その言葉の意味をよく尋ねるべきだった、とも。
「確かに覚悟を問いはしたが、討伐のその後が分かっていた訳ではない。魔獣が村を守っていたことなど、我は識らぬ故な」
「それじゃあ、アルクラド様の言う覚悟って、何に対する覚悟なんですか?」
アルクラドは初め、契りを破ること、つまり魔獣討伐にはかなり消極的だった。契りを守るべきと言うアルクラドは酷く厳しく見えた。それは今の状況となることを危惧していたのではないか、とシャリーは思う。
「契りを破る事への覚悟だ。交わされた契りは、たとえ魔獣との間のものであっても、決して軽くはない。故にそれを破る覚悟を問うたのだ。無論、双方が納得すれば構わぬが、どちらかが一方的に破る事があってはならぬ」
契約を軽々しく破ってはいけないことは、シャリーにもよく理解できることだ。交わした契約を蔑ろにするのならそれは詐欺と同じ。嘘を吐かないアルクラドが言葉を違えないのと同等に、契約を重んじるのもよく理解できる。
しかし今回アルクラドは、他人が契約を破る手助けをしている。今回は話し合いで片が付いたが、もし暴力に訴えれば問答無用の脅迫である。それは問題ないのだろうか。そう問えば。
「あの時に言った様に、白き魔獣と村の契りは我の識る所ではない。我とは関係が無い故に、諭しはするが咎めはせぬ。契りを交わした者同士の問題であり、見合う報酬があればどちらかの助力もしよう」
そんな答えが返ってきた。契約を破るのは駄目だと言いながら、契約破棄の手助けをするとも言う。矛盾した話である。他人のことなど気にする必要がない、とでも言うような話でもある。
「……アルクラド様、私のしたことは正しかったんでしょうか?」
アルクラドの話を聞くうちに混乱してきたシャリーは、口を滑らせた様に問いを溢してしまう。
俯くシャリーはハッと自分の言葉を思い返し、頬が上気するのを感じた。慌てて視線を上げると、アルクラドが振り返っていた。
紅い瞳と視線がぶつかる。
「識らぬ」
冷たくも温かくもない、期待外れで予想通りの言葉が返ってきた。
「白き魔獣が失せた事であの村がどうなるか、我らには判らぬ。あの者達は覚悟を以て魔獣を討てと言い、我らは討った。それだけである」
アルクラドはそれだけ言い、再び前を向いた。正しいとも正しくないとも言わない。シャリーは立ち止まり、その後姿を見つめる。
シャリーは恥じ入る思いを抑え、大きく息を吐く。
答えは出ない。
どうするべきだったのか、何が正しかったのか。目の前の1つの命か未来の大勢の命か、そのどちらを取るべきだったのか。
ずっと考え続けなければならない。
もとより逃げるつもりはなかったが、今一度、強く心に思った。
もう1度大きく呼吸をし、シャリーはアルクラドの後を追った。村の平穏が続くことを祈りながら。
お読みいただきありがとうございます。
この話で7章が終わり、閑話を挟んで次章に移ります。
次回もよろしくお願いします。