村の総意と魔獣の覚悟
語りを終えた白き魔獣は、溜息を吐く様に首を垂れた。語りの最中、どこか遠くを見つめる仕草と相まって、その様は酷く人臭いものだった。
しばしの沈黙の後、白き魔獣が再び口を開く。
「ソノ後、村長ノ息子ト話ヲシ、冬ノ始マリノ満月ノ夜ニ、1人ノ糧ヲ喰イ、代ワリニ村ヲ守ルコトニナッタ。オレノ守リガ不要ニナレバ、糧ヲ差シ出サナクテ良イトイウ決マリデナ」
自分の命を助けた村長を喰らい命を繋げた白き魔獣は、その息子である次代の村長と話をし、村の守護に関する契りを交わしたと言う。
冬の始まりの月のない夜に白き魔獣が糧となる村人を選び、満月の夜にその者は糧となる為に山を登る。守護が不要だと村が判断すれば、糧を差し出さず、それを合図として以後魔獣は糧を求めない。
それが村と魔獣が交わした契りであった。
「そんな話を、信じろと言うのですか……?」
村人皆が静まり返る中、村長が初めに口を開いた。魔獣との契約など村長は聞いたこともなく、魔獣の語りなど決して信じられるものではなかった。他の村人達も同様なのか、近くの者達と口々に囁き合っている。
「これは事実だ。故に依頼を取り下げるかどうか、其方らに問う」
余りに荒唐無稽な話に戸惑う村長をよそに、アルクラドは話を進める。魔獣の話を聞けば、わざわざ殺す必要がないことは明白。それ故アルクラドは、魔獣を殺すかどうかの選択を、村長に尋ねているのである。
しかしそれは魔獣の話を信じれば、である。アルクラドとシャリーは、その根拠は違えど、魔獣の話が事実であると考えている。だが村人達は違う。人喰いの魔獣が人を守るなど、到底信じられるものではなかった。長年、生贄による恐怖と哀しみに苛まれてきた為に、それも無理からぬ話であった。
「我々は長く魔獣の恐怖に苦しめられてきました。依頼の取り下げなどするはずがありません!」
アルクラドの問いに対し、村長は間を置かず答える。ようやく魔獣に苦しめられる日々から逃れられるのだから、と気が急いているのだ。他の村人達も、声こそ上げないが、村長に賛同する様子が窺えた。
「待ってください!」
依頼は取り下げない、と言う村長の言葉にアルクラドが頷く前に、シャリーが声を上げる。
「魔獣退治は私が言い出したことですけど、考え直してもらえませんか? さっきの話は嘘じゃないと思います。だからわざわざ殺す必要もないはずです」
生贄の真相を知り、軽々しく触れてはいけなかった、と後悔していたシャリー。しかしここに来て、村と魔獣の双方にとってより良い形で決着を付けることができるのではないか、と考えていた。
生贄がなくなれば、人の血肉しか糧にできない白き魔獣はいずれ死んでしまう。しかし村人達の憎しみを残したまま命を落とすよりも、かつての関係性を取り戻してから死ぬ方がずっと良い。
そう考えるシャリーであるが、村長は、村人達は、そうは考えなかった。
「あんな話、嘘に決まっています! 嘘ではない証拠などないではありませんか。生贄を止めたところで、その魔獣が山を下り我々を襲うのは目に見えています!」
そう叫ぶ様に言う村長は、早く魔獣を殺してくれ、とアルクラドを見ている。
「嘘じゃありません! 生贄以外に食べられた人がいなかったのは、契約が守られている証拠です。この魔獣は、貴方達を襲うことは決してありません!」
白き魔獣の自己犠牲とも言える村への献身に、胸を打たれていたシャリーは、自然と声を荒らげる。
「そんなものは人を安全に狩る為に、生贄の体を取っていただけでしょう。恐ろしい姿をしていますが、見かけ倒しで大して強くはないのでしょう」
シャリーの言葉を一切聞き入れる様子のない村長。アルクラドに縛られ大人しくしている魔獣の姿を見てか、魔獣が弱いなどと思い始めてもいた。村総出で相手をすれば何とかなる、と。
「それに今まで退治されていた魔獣の問題もあります。村で、魔獣に対する準備をする時間も必要なんじゃないですか?」
「その化け物以外、魔獣の被害どころか姿さえ見たことがありません。この付近に魔獣がいない以上、その様な備えは不要です」
今すぐ白き魔獣が殺される結果だけは何としても避けたいシャリーだが、そう上手くはいかない。しかし長年、生贄の恐怖に苛まれてきた村人達の気持ちも理解できるだけに、シャリーは歯痒い思いだった。
何とかできる方法はないかと考えるシャリーだが、言葉を尽くすこと以外思いつかない。しかしどんな言葉も、村人達には届かない。
もしアルクラドがいなければ、依頼を放棄し村を離れる方法も採ることができた。村人達の不安は残るが、最悪の結果は免れることができるかも知れない。しかしアルクラドがいる以上、受けた依頼は完遂しなければならない。
村長に依頼を取り下げてもらう以外、方法はないのである。しかしその方法が見つからない。と、シャリーはどうどう巡りに陥ってしまう。
「……モウ良イ」
昔語りを終えてから、ひと言も発していなかった白き魔獣が口を開いた。
「コイツラヲ苦シメルノハ、本意デハナイ。タトエオレガ山ニ還ロウトモ、コイツラガ恐怖ニ震エルナラ意味ガナイ」
しゃがれた声で平坦に言う白き魔獣からは、その感情を読み取ることができなかった。
「オレハ言葉ヲ違エナイ。強キ者達ヨ、オ前達ノ手デ、コイツラニ安寧ヲモタラシテクレ」
アルクラドとシャリーを見ながら、白き魔獣は呟く様に言うのであった。
白き魔獣が声を発したことで、一時沈黙が訪れる。しかしすぐに誰かが声を上げた。
「何が安寧だ! お前がっ……俺達を苦しめてるんだろうがっ!」
その誰かの声を皮切りに、次々と白き魔獣に対する罵声が発せられる。先程から一切抵抗を見せない様子に、魔獣に対する恐怖心が薄れてきているのだ。
「そうだっ!」
「あの子を返せっ!」
なおも抵抗を見せない白き魔獣に、村人達の罵りの声は次第に大きくなっていく。積年の恨みを晴らすかの様に、子を、友人を奪った仇を睨み叫んでいる。
すぐに魔獣を殺せ、という空気が広場を支配していく。どう足掻いても、シャリーの望む結果が得られる状況ではなかった。
「最後に問う。此奴の話を聞いた上で、依頼は取り下げない。それで良いのだな?」
アルクラドは、怒りに震える村人達も、泣きそうな表情のシャリーも、黙って自分を見つめる白き魔獣も気にすることなく、村長に問いかける。最後の確認であり、最後の忠告だった。
「先程から申し上げている通り、依頼は取り下げません。我々は何人もの仲間を、生贄という形で失ってきました。その哀しみを、恨みを、このまま捨て置くことはできません」
村長は迷うことなく、アルクラドにそう告げる。生贄を捧げなくてよくなるだけでなく、長きにわたり積もった村人達の感情を晴らす機会とも捉えているようであった。白き魔獣の話を信じることも、シャリーの言葉に耳を傾けることもない。アルクラドの言った、覚悟の意味も理解していないのかも知れない。ただ長く自分達を苦しめてきた魔獣を退治することができる、それだけの思いに駆られていた。
早く討伐を、と言う村長に対し、アルクラドは無言で頷く。
「アルクラド様っ……あの、どうにかなりませんか……?」
シャリーは、駄目だと分かりつつも、そう言わずにはいられなかった。長く村を守ってきた者が、その全く正反対の仇として討たれるのは、余りに不憫であった。
「どうにか、とは?」
しかしアルクラドは、シャリーのその様な気持ちに気付くことはない。シャリーを見つめ、首を傾げている。
「今すぐ殺す必要はないんじゃないでしょうか。あの魔獣はいつか死にますし、依頼を放棄することはできませんか……?」
「それは出来ぬ。依頼が取り下げられぬ以上、彼奴は殺す。我は嘘を好まぬ故な」
アルクラドに依頼放棄を促すも、やはり彼の中にその様な選択肢はなかった。あるのは、受けた依頼をこなすことだけ。
「ですけどっ……!」
なおもシャリーは食い下がる。アルクラドがああ言った以上、その言葉を曲げることはできない。しかしシャリーは縋る気持ちでアルクラドを見つめる。
「魔獣との契りを破る事を、村長は覚悟しておる。彼奴も、自らの死を覚悟しておる。であれば、我らが口を挟む事は無い」
その2つの覚悟は釣り合っていない、とシャリーは思う。目の前の出来事に囚われている村人達と、長きにわたり村を案じ続けてきた白き魔獣。その覚悟の釣り合いが取れるはずがない。
そんな覚悟は薄っぺらだ、と言ってしまいたくなる。ただ言ったところで、それが本当だとアルクラドに示す手段がない。
「貴方は、これでいいんですか!?」
シャリーは、ついに白き魔獣にまで問いかける。ここで魔獣が暴れたり逃げ出したりすれば、村人達の恐怖心を更に煽ることになる。そして少しも動かずに、アルクラドに首を刎ねられることになる。そうと分かっていても、シャリーは問いかけを止められなかった。
「コレデ良イ。オレノ命ヲ救ッテクレタアイツニ、少シハ恩ヲ返セタダロウカラナ」
呟く様な白き魔獣の言葉に、シャリーは言葉を詰まらせる。
「アイツノ願イノ通リ、今マデ魔獣ヲ狩ッテキタ。コイツラヲ苦シメルノハ、アイツノ願イデハナイ。ダカラ、コイツラヲ苦シメル魔獣ヲ狩ッテクレ、強キ者達ヨ」
そう言う白き魔獣に死への恐れはなく、黄色の瞳で以てアルクラド達を真っすぐに見つめている。その言葉を聞き、シャリーはもう何も言えなくなってしまった。アルクラドは白き魔獣を縛っていた黒布を手放す。その途端に、黒布は霧の様に立ち消え、魔力へと還っていく。
白き魔獣の拘束が解かれ自由になったことで、村人達にざわめきが広がる。今にも暴れだし襲われるのではないか、と不安がっているのだ。しかし白き魔獣は暴れることなく、大人しくアルクラド達を見ている。
「強キ者達ヨ。名ヲ教エテクレ」
自分を討つ者のことを知っておきたかったのか、白き魔獣は最後にそう言った。
名を問われたアルクラドは頷き、いつもは内に封じ込めている魔力を、ゆっくりと解放していく。広場を、村を、濃密な魔力が満たしていく。村人達は言い知れぬ不安と息苦しさを感じ、また自然と震える自らの身体を抱きしめていた。そんな彼らが倒れてしまわないところで解放を止め、アルクラドは名乗りを上げる。
「我が名は、アルクラドである」
白き魔獣は、目を見開いていた。場を満たす膨大な魔力と、それがアルクラドの力の片鱗であることに気付き、驚いているのだ。元より自分より遥かに強い者だと感じていたが、それが誤りであったことにも気が付いたのだ。
「私は、シャリーです」
シャリーは魔力を解放することなく、目に涙を浮かべながら、白き魔獣を見つめている。
2人の名を聞き、白き魔獣は満足そうに頷いた。そしてもう思い残すことはない、と言わんばかりに頭を垂れ、アルクラドの前に首を差し出す。
「山の白き魔獣よ……山麓の村の守り手よ……」
アルクラドは龍鱗の剣を抜きながら、白き魔獣へと歩み寄っていく。そしてひと言、呟いた。
「……見事だ」
夜よりも深い漆黒が閃き、1つの命に幕が下ろされたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
魔獣討伐の流れを止めることはできませんでした。
次回もよろしくお願いします。