生贄と山の魔獣
山の魔獣への生贄。
その言葉が村の少年の口から飛び出した後、村長は一部の者を残し村人達を家へと返した。残ったのは村長、生贄の少女ヴィラ、そしてその両親である。
「生贄って、どういうことですか?」
静まり返った村長の家の中で、シャリーが尋ねる。
「……この村の周りの山には白き魔獣が棲み着いているのです。私の祖父、そのまた祖父の頃より前から存在する、人語を操る恐ろしい魔獣です」
しばしの沈黙の後、口を開いた村長の口調は重いものだった。それに吊られてか、家の中の雰囲気も更に重苦しくなる。
「年に1度、冬の始まりの時期に、生贄を1人捧げるように迫ってくるのです。かつてそれを拒んだ年は幾人もの村人が惨たらしく殺されたと聞いています。しかし魔獣の要求を飲めば、その1年は安全に暮らせる為、今もこうして生贄を捧げているのです」
俯きがちに話す村長からは、諦めに近い感情が見て取れた。
村長曰く、山に棲むのは、異様に手の長い狼の様な姿をした白い魔獣。見上げるほど大きなその魔獣は、冬に入り最初の月のない夜に、生贄を求める雄叫びを上げると言う。
「そんな魔獣が……国やギルドに討伐を依頼したりはしないんですか?」
村長の家に集まった村人達を見るに、戦いの素養のある者はいなかった。それ故に自分達で魔獣を討伐することはできないだろうが、魔獣討伐の依頼を出すことはできるはずだ。
「もちろん何度もお願いしました。しかし年に1人で済むなら問題ないだろう、と取り合ってもらえません。この様な寒村では冬の餓死者は1人では済みませんが、我々は冬でも餓死者を出さずに済んでいますから」
現村長もその前の代でも、魔獣討伐の依頼は何度もしてきたようだ。しかし村は王国の北の端の辺境にあり、また魔獣被害もほとんどないと判断され、1度も討伐隊が来たことはないらしい。この村ではグーフによる死者が出ることはあるが、餓死者はほとんど出ることがない。冬でも凍ることのない温かい川のおかげか、山や畑から僅かながら食料を得ることができるからだ。餓死者が出ないことはいいことだが、その為に国が動いてくれないのだった。
ギルドへの依頼に関しても何度も行おうとしたが、危険な魔獣を倒すに見合う報酬は村からすれば非常に高額だ。はした金では冒険者は依頼を受けてくれず、今まで討伐依頼を出すことはできていなかったのだ。
「その、どうしてヴィラさんが、選ばれたんですか……?」
シャリーは思う。年に数人しか死者が出ないのなら、その分1人の死者がもたらす死の悲しみはより大きくなるのではないか、と。国からすればむしろ死者が少ない良い村と映るかも知れないが、そこに住む者達は冬の訪れの為に大きな悲しみに苛まれているのではないか、と。
「雄叫びが上がり夜が明けると、家の前に爪痕が残っているのです。今年はヴィラの家にそれがありました」
どうやら生贄は、山に棲む魔獣が選ぶようだ。生贄となるのは成人を迎える前の子供であり、それにヴィラが該当したのだ。そして彼女は、冬になり最初の満月の夜、つまり明日、その身を捧げる為に山を独りで登ると言う。
ヴィラの表情を見ると、やはり暗い。皆で騒いでいた時は諦めに似た様子であったが、テオが騒いだことで近づく死を改めて実感したのか、今は泣きそうな程に辛い表情を浮かべている。彼女の両親も涙を浮かべながら、魔獣にその身を捧げる娘の身体を抱きしめている。それを見ると、シャリーまでも辛い気持ちになってきた。
ヴィラはまだ15にもなっていない。大人として扱われる成人間近とは言え、その心はまだ子供。村の安全の為にその身を捧げるなど、たとえ古くからのしきたりであろうと受け入れられるものではない。それなのに彼女は泣くこともなく、明日を迎えようとしている。強い子だ、とシャリーは思った。何とかしてあげたい、とも。
「アルクラド様。私達で何とかしてあげませんか?」
シャリーは、先程からひと言も話さずにいるアルクラドに尋ねる。余程強力な魔獣でない限り、1人で何とかできる自信がシャリーにはあった。しかし村長の言葉が本当であれば、魔獣はかなり昔から存在することとなり、予想外の力を得ているかも知れない。当てにするようで申し訳ない気持ちはあるが、もしもの時を考えればアルクラドの力を頼らないわけにはいかない。
「何とかする、とは……?」
シャリーの言葉に対し、アルクラドは少し考え込む様子で答える。
「私達でその魔獣を退治しませんか? 私達はただ立ち寄っただけの旅人に過ぎませんけど、このまま見捨てるのも後味が悪いというか……」
シャリーは今の自分の感情が、自己満足の類であることを理解していた。全ての人を救うことなどできない。ただ目にした人達が苦しんでいるのを放っておくことはできなかった。
アルクラドは何かを考える様子で、そんなシャリーを見つめている。いつも表情のないアルクラドであるが、シャリーは久々にアルクラドが何を考えているのか本当に分からなかった。
「魔獣の討伐は容易だ。しかし生贄は、魔獣とこの村の者達との間で交わされた契りであろう? であれば我らが手を出すべきではない」
冒険者として報酬が云々、という言葉が返ってくると思っていたシャリーだが、アルクラドの言葉は予想外のものだった。魔獣と人間の契約。一体どういうことなのか、シャリーには分からなかった。
「生贄を1人捧げる事で、この地で暮らす許しを得ているのであろう? それを厭うのであれば、この地を去り、新たな住処を見つければ良い」
アルクラドの言葉が、シャリーにはいつになく厳しく聞こえた。この地で暮らす許しを、魔獣からもらう様な契約などするだろうか。魔獣がその力を振るい、ただ単に人を喰っているだけではないのか。ひどく真面目な様子で語られたアルクラドの言葉に、そんなことを思うシャリーであった。
生贄を捧げるのが嫌ならば、今の住処を捨てて新しい土地を探せばいい、と言うアルクラド。ある意味正しいことなのかも知れないが、どう考えても無理な話だった。
「アルクラド殿。我々は1年を何とか暮らせる程度の貧しい村で、蓄えなどもありません。村の男衆ですら身体が強いとは言えませんから、住処を移すなど到底できることではありません」
村長の言う通り、村の場所を移すなど簡単にできることではない。狩猟民族などであれば獣を追い住居を移すことも可能かも知れないが、彼らは単なる農民であり、また貧しく皆、頑強とは言い難い者達だ。たとえ移住が成功したとしても、その間に何人が命を落とすかも分からない。住処を移すことは現実的ではなかった。
「であれば生贄を捧げるのだ。契りの交わされた経緯を我は識らぬが、現在もそれは続いているのであろう? 1年の安寧がその証であろう」
移住はできないと言う村長に対して、アルクラドは冷たく言い放つ。もともと生贄を捧げるつもりではあるが、改めて他人から言われるとひどく辛く感じてしまう。アルクラドの変わらない表情も、それに拍車をかけている。
「アルクラド様。私達が何もしなくても今までと変わらないのかも知れませんけど、偶然でもこの村に来たんです。私は何かしてあげたいと思うんですけど、アルクラド様は魔獣退治にはどうしても反対ですか?」
アルクラドは感情で動いたりはしない。その行動原理は利害の一致、またはかかる手間と得られる報酬の釣り合いが取れているかどうか。けれど友人や知人に頼まれれば、多少面倒が勝ったとしても依頼を受けることはある。最近のアルクラドからは、そういった人族らしさを感じることができていた。しかし今は、人の感情など気にも留めない冷たさが感じられた。それをシャリーはとても悲しく感じた。
「そうでは無い。魔獣との契り等、我の識るところでは無い。故に依頼とあらば、討伐に否やはない。しかし契りを破るのならば、相応の覚悟は必要であろう」
どうやら、何が何でも反対というわけではなかったが、アルクラドの口からまたよく分からない言葉が飛び出てくる。
「覚悟、ですか? それはどういう意味ですか?」
「何故、契りが交わされたか識らぬ故、我も判らぬ。だが、幾年にも及ぶ契りを破るのだ。何らかの報いがあろうとも、おかしくはなかろう」
契約を破ることで何かが起きる、とアルクラドは考えていた。しかしシャリーはそうは思わなかった。魔獣と魔法的な契約を交わしたわけでもあるまいし、そもそも契約を交わしたのかも怪しい。その中で報いがあるのだろうか、と。
「アルクラド殿。魔獣を退治していただけるのですか?」
アルクラドとシャリーのやり取りを聞き、村長はアルクラドが魔獣退治をしてくれるかも知れないと、希望を抱いていた。ヴィラの両親も縋るような目で、アルクラドを見つめている。
「其方らに覚悟があるならば、魔獣討伐の依頼を受けよう。無論、報酬は必要だが」
初めは反対の姿勢を見せたアルクラドであるが、最終的にはいつもの様に依頼として魔獣討伐を受けることにしたのである。アルクラドが魔獣討伐を引き受ける気になってくれたことに、シャリーはひとまずホッとする。アルクラドの言葉の端々が気になってしまうが、アルクラドがヴィラを見捨てなかったことをシャリーは嬉しく思った。
「報酬ですか……アルクラド殿にご満足いただける金を、用意できるかどうか……」
魔獣討伐の希望が見え喜んだのも束の間、貧しく冒険者への報酬が用意できないという問題が再び村長の前に立ちふさがったのだ。が、続くアルクラドの言葉に、村長は俯いていた顔を上げる。
「報酬は金である必要はない。あの娘が食していた物でも良い」
未だに金は十分にあるアルクラド。少女の食べていた物と老婆が用意する干しグーフは同じ物であろうと考えていたが、量が多くなるのであればそれは歓迎すべきことだ。
「本当ですか!? 今後、生贄を捧げなくてよくなるのなら、いくらでも用意しましょう」
生贄の役目を務める者だけが食べられる特別な物ではあるが、他の者に食べさせても問題はないようだ。話を聞けば、生贄という辛い役目を務める者に、せめて美味しい物を食べてほしいと食べさせていた物で、それ以外の特別な理由はないようだった。
「ではそれを報酬として依頼を受けよう。量はあればあるだけ良い」
こうしてアルクラドと村長の間で依頼が成立し、村長の表情が明るくなる。アルクラド達のやり取りを聞いていた、ヴィラとその両親は涙を流して喜んでいる。
「アルクラド様、ありがとうございます」
「……何故、其方が礼を言うのだ?」
アルクラドが魔獣討伐を引き受けたことが嬉しく、シャリーはつい礼の言葉を口にしてしまう。それに対して首を傾げるアルクラドであるが、シャリーは何でもない、と笑いながら首を振った。その様子に、アルクラドは再び首を傾げるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
村を苦しめる魔獣を、討伐することになりました。
次回もよろしくお願いします。