老婆の過去と貧しい村
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アルクラドとシャリーの前で、自称魔女の老婆は葛藤に苛まれていた。その様子を見ながらシャリーは思う。魔女を自称すること自体そもそもおかしく、何か特別な理由があって老婆はそうしていたのかも知れない。だとすると、魔女かどうかを問うのは軽率だったかもしれない、と。
「今から話すことは、誰にも、特に村の連中には言わないでくれるかい?」
何やら決意した様な表情で老婆が言う。アルクラドが頷き、シャリーも神妙な表情でそれに倣う。
「この村は、今も昔も貧しくてね。山で獲れるのは大して美味くもない獣や魚、畑で穫れるのは貧相な野菜。平和だけが取り柄で、1年を暮らしていくのがやっと。そんな村だからグーフを食べて死人が出るのも、ある種の娯楽だったのさ」
昔語りをする老婆は、どこか遠くを見つめている。
「私がまだ幼子だった頃、グーフを安全に食う方法が分かってね。名物ができた、美味い物が食べられるって、その時は村全体が浮き立ってたもんさ」
どうやら長く死人を出しながらグーフを食べ続けたことで、安全な食べ方が分かっていたのだ。それが老婆のやっていた、徹底的に血抜きをし血を洗い流す捌き方で、背中の身以外は食べない、という方法だった。
「けど、バカな奴はどこにでもいるもんでね。洗いが不十分だったのか腹の身を間違って入れたのか、とにかく祭りの料理に毒入りのグーフが出されて、死人が大量に出ちまったのさ」
それは今から50年以上前、老婆が成人したばかりの頃に起こった事件であった。グーフが村の名物として噂されるようになったばかりの頃の、祭りの最中であった。
「村人もグーフの噂を聞きつけてやってきた旅人も、たくさん死んじまった。その時から、グーフを絶対に食べてはいけない、って決まりができたのさ。村の若い衆やわざわざこんな村まで来てくれた旅人を何人も死なせるなんて、二度とあっちゃいけないからね」
その時から村では、下の世代にはグーフの危険性を説き、絶対に食べてはいけない、と言い続けてきた。その結果、今ではグーフを食べようとする者はほとんどいなくなっていた。かつての幼子も、今では孫を抱く年。グーフを食べたことがある者は、老婆を含めたごく僅かしかいなくなっていた。
「村の名物がなくなったことは残念だけど、これで良かったと思ってるさ。それでもたまに食って死ぬ奴はいるけど、それは昔に戻っただけだからね」
何十年もかけてグーフを食べない意識を作り上げてきた今でも、年に数人はグーフで命を落とすものがいるようだった。
「そんなわけだ。よその者にはつまらない話かも知れないけど、村人や旅人の命を守る為だ。今の話とあんた達がグーフを食ったことは、誰にも言わないでおくれよ」
そう言って老婆は話を締めくくった。誰にも言うなという老婆の頼みに、2人はしっかりと頷く。不注意で幾人もの人が死ぬようなものの話を、シャリーは吹聴する気にはなれなかった。アルクラドも、人の生死には興味はないが、頼まれたからには話さないと約束する。
「はい、誰にも言いません」
シャリーの言葉に、老婆は満足そうに頷き笑顔を見せた。葛藤に苛まれていた表情はどこへやら、どこかスッキリとした表情であった。過去を共有する村人の数も少なくなった今、老婆はグーフのことを話す相手を欲していた。それ故に、旅人には脅しをかけつつも、グーフを食べさせていたのかも知れない。
「さてあんた達、これからどうするんだい? もし急ぎの旅でないなら村に泊まっていかないかい? 旅人にとっては良くない時期だけど、村の連中は喜ぶよ。旅人の話を聞く機会なんてめったにないからね」
グーフの話が一通り終わったところで、老婆がそんなことを言ってきた。2人の旅は急ぎのものではない。しかしすでにこの村での目的は達成している。その為、あえて村に残る必要もないのだ。
「無理にと言わないよ。ただ村長には口を利いてやれるし、数日残るなら干し肉みたいな干したグーフを作ってやれるよ」
村に名物はないと老婆が言っていたので村を出ようかと考えていたアルクラドだが、干したグーフという言葉に大きく興味を引かれる。焼いた肉と干し肉ではその味わいは違う。それは魚でも同様であり、干したグーフの味もとても気になった。
「では、グーフを干した物が出来るまでの間、村に残る事にしよう」
シャリーに確認を取ることもしないアルクラドであるが、彼女も干したグーフには興味があった為、否やはない。こうして2人は、名もない山間の村に数日の間、滞在することになったのである。
老婆の案内で村長の家を訪れた2人。その家は村の中では一番大きかったが、周りの家々と同じく古びた印象を受けるものだった。
「アルクラド殿、シャリー殿、よくおいでくださった。大したもてなしはできませんが、歓迎いたしますぞ」
ジェフと名乗った村長は、老婆と同じくらいの年に見える老人であった。しかし老婆よりも20は若いそうだ。老婆が若いのかジェフが老けているのか、その事実に驚きながら、2人は村長の歓待を受ける。
歓待と言っても貧しい寒村の、それも冬の時期のものである。山で採れる塩以外の味がほとんどしない、薄い麦粥のようなものが食事として提供された。麦以外の具材は、細切れにされた何だか分からない肉と野菜。これからもほとんど味はせず、お世辞にも美味しいと言えるものではなかった。加えて出された酒は白く濁ったもので、この味もまた薄い。本当に大したもてなしではなかった。
しかし2人は、出された料理に文句をつけることもなく食べていた。老婆に乞われて滞在を決めたアルクラドだが、それは干したグーフを得る為である。もし贅沢な歓待が対価として提示されていたのならば怒ったかもしれないが、そうではない為、貧しい食事に文句を言ったりしない。
シャリーとしても貧しい生活の苦しさは良く知っている為、文句など浮かんでくるはずもない。シャリーも両親と死に別れてからは、上手く食料の調達ができず飢えに苦しむ日々を過ごしたこともある。もっともセーラノは恵の豊かな山であり、山の生活になれてからは飢えることもなく、美味しい山の恵を堪能していたが。
「もしよろしければ、今までの旅のお話などを聞かせてもらえませんかな? 娯楽もない村ですので、皆喜びます」
そう言う村長の家には、旅人が居るという噂を聞きつけて、村人達が大勢やってきていた。ここに来て初めにあった村人からは胡乱げな目を向けられたが、正式な客人と分かると皆は非常に友好的に接してきた。アルクラドの周りには主に女性が、シャリーの周りには主に男性が集まり、2人に話をせがんでいた。正直に言えば面倒に感じた2人であるが、話をするだけなら、とそれに応じた。
村人に今までの旅を話す2人の語り口は、正反対であった。
アルクラドの語りは事実をただ淡々と述べるだけであり、全く味気のないものであった。しかし黒龍との邂逅の話では、伝説の生き物である龍のことを聞くことができ、子供達が大興奮。また大人の男性達は剣など武器が好きなのか、聖銀の剣や龍鱗の剣に興味を示した。気づけば、アルクラドの周りは子供や男性が集まっていた。
対してシャリーは、今までの旅を物語として語った。料理の話も伝え方が上手く、特に王都での食事は皆の関心を引いた。またシャリー自身が元々貧しかったこともあり、王都に上った時に感じたことは村人達にも共感できるものであった。王都での、美食やアルクラドの立ち回りの話に女性達は大盛り上がりで、シャリーの周りには女性が集まるようになっていた。
そんな2人の話で大盛り上がりの村長の家の中にあって、シャリーはあることに気付いた。この中にいる者達の様子が、どこか空元気であることに。そしてそんな中、一際暗い表情をした少女が、1人いることに。よく見れば子供達の多くは無邪気にはしゃいでいる。空元気が伝わってくるのは、大人達と子供達の中で年長の者達だった。暗い表情の少女も子供ではあるが、近く成人を迎える外見をしていた。
シャリーは迷った。自分の気付いたことについて尋ねるべきか、それとも見過ごすべきか。先程の老婆のように、何か特別な理由があるのかも知れない。それを考えると、シャリーは迂闊に尋ねることができなかった。しかしアルクラドが別の理由で、暗い表情をした少女に気づいていた。
「其方が食している物は何だ?」
皆一様に濁った薄い麦粥を食べている中で、その少女だけが違った食べ物を食べていた。薄く茶色味がかった白い何か。薄く切られたそれは透明感があり、向こうが少し透けている。部屋にその匂いは漂ってはいなかったが、アルクラドの驚異的な嗅覚はそれを捉えていた。
その香りは間違いなくグーフのものだった。しかし村人達にグーフの話をしないという約束がある為、正体がわかりつつもグーフの名は出さなかった。
「それは……」
問われた少女に代わり応えた村長は、しかし答えに窮した様に言い淀む。暗い表情と少女だけの食べ物に関係があるのかはわからないが、やはり特別な理由があったようだ。それが何か気になるシャリーだが、掘り下げて聞くのは憚られた。しかしアルクラドは、周囲を気遣うこともなく、そもそもその暗い雰囲気に気づくこともなく、早く答えよとばかりに、村長を見つめている。
「……この子はヴィラと申しまして、年に1度のお役目を明日から務めるのです。あれは、その役目を担う者だけが食べられる特別なものなのです」
特別なお役目。そう言う村長の表情は、辛そうなものだった。
「それを我も食す事が出来るか?」
村長の表情や年に1度の役目という言葉には目もくれず、アルクラドの興味は少女の食べるグーフに向けられていた。瑞々しさの失われたグーフの身。あれが干しグーフであろう、とアルクラドは思った。
「申し訳ありません。あれを食べていいのは、その年に役目を務める者だけなのです」
「そうか」
村長に駄目だと言われ、残念がるアルクラド。しかしたった数日待てば、老婆が干しグーフを用意してくれる。今すぐ食べたい気持ちはあるが、ほんの少しだけ待てばいいのだから、とアルクラドは素直に引き下がる。そして何事もなかったかの様に食事に戻った。
対してシャリーは、村長の言葉で余計に周囲の雰囲気の理由が気になってしまった。しかし少女の表情と言い淀む村長の様子を見るに、気軽に聞けるものでないのは確かだった。よそ者が口を挟むことではないのだ、と自分に言い聞かせることにした。
シャリーもアルクラドと同様に食事に戻り、周りの村人達に旅の話の続きを語る。そんな時、村長の家の中にある声が響いた。
「兄ちゃん、龍よりも強いんだよな?」
声を上げたのは、アルクラドの話に夢中になっていた1人の少年である。子供達の中では年長であり、空元気の子供達のうちの1人であった。
「それだけ強いなら、山の魔獣をやっつけてくれよ!」
少年の声が、村長の家に再度、響き渡る。その心からの叫びに村長を含め大人は慌て、彼と同じ年頃の子供達は泣きそうな顔になっている。小さな子供達だけは、周りの状況が理解できず無邪気に首を傾げている。
「テオ、止めんか!」
村長が少年を怒鳴りつける。しん、と静かになった家の中で、テオと呼ばれた少年はアルクラドを睨むように見つめたままだ。
「山の魔獣とは何だ?」
アルクラドは少年に尋ねる。
「山に棲んでる魔獣だ。明日、ヴィラを食っちまうんだ!」
「テオ!」
アルクラドの問に答えるテオを、再び村長が怒鳴りつける。彼の両親も、テオの身体を持ち上げ、アルクラドのそばから引き離している。
「どう言う事だ?」
家の中の雰囲気がどんどん悪くなっていく中、アルクラドは構わずに問を重ねる。
「いえ、それは……何でもありません……」
「……っヴィラは、魔獣の生贄にされちまうんだ!」
口を押さえる両親の制止を振り切り、テオは大声で叫ぶ。
生贄。
ここに来て、聞き流すことのできない言葉が、少年の口から発せられたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
食べ方が確立されていたグーフですが、過去の事件で禁忌の食べ物に。
そして魔獣と生贄。
次回もよろしくお願いします。