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骨董魔族の放浪記  作者: 蟒蛇
第7章
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魔女と送り魚

 アルクラドとシャリーの前で妖しく笑う老婆。彼女は自らを、魔女と称した。

「魔女ですか……?」

 表情を変えないアルクラドの隣で、シャリーは眉をひそめながら言う。魔女とは魔法使いの女性を表すこともあるが、多くの場合は妖しげな何かを行う女のことを指す。つまりは蔑称の一種であり、自ら名乗るようなものではない。

 加えて、老婆から特別な力を一切感じない。年のわりに元気だということを除けば、どこにでもいるごく普通の老人にしか見えなかった。そんな彼女が魔女を自称することが、シャリーには不思議に思えたのだ。

「そうさ。あたしぁ魔女だから毒が効かないのさ。村の連中は気味悪がって、近寄ってこないがね」

 笑いながらそう言って、老婆は立ち上がる。

「あたしぁ送り魚を食べるのが日課でね。裏に川の水を引いて、そこに獲ってきた送り魚を放してるのさ」

 少し待っているようにと言い残し、老婆は家の外へと出ていった。すぐにバシャバシャという水音が聞こえてくる。それが止みしばらくすると、老婆が魚の3尾入った網を持って戻ってきた。

「こいつが肉より美味い毒魚のグーフだよ。送り魚ってのは、何人もあの世に送ったから付いた呼び名さ」

 送り魚。その名をグーフという毒魚は、両の掌を一杯に広げたほどの大きさを持つ、丸い顔をした魚だった。全体的にツルリと丸みを帯びた、楕円形の様な姿で、その体表は薄い灰色をしている。腹は白く、背中には濃淡の異なる丸い斑点模様が浮かんでいる。一見すると余り美味しそうな姿をした魚ではなかった。

「さて今から捌くけど、近づくんじゃないよ? こいつは全身猛毒で、血の一滴でも舐めりゃ死んじまうからね」

 そう言って老婆は、グーフを持って家の隅へと向かう。そこには川から引いた水があり、家の中に入ってきた水がまた外へと流れ出ていっている。その傍に木の板とナイフを置き、送り魚を捌く準備をする。

 網からグーフを取り出し、その喉元にナイフを刺し込み、すぐに水の中に入れ血を洗い流していく。そうしてしばらく水の中に浸したグーフを水から上げ、頭を落とし、はらわたを取り出し、皮を剥いでいく。その過程でグーフから血はほとんど出てこなかったが、老婆はしつこいくらいに水の中で血を洗い流していた。

 骨と身だけになったグーフを、中央の骨に沿ってナイフを入れ半分にしていく。半身になったグーフを、更に背中側と腹側で2つに切り分けていく。そして骨や腹側の身は捨て、背中側の身だけを木皿に乗せていく。驚くほど透明感のある白い身は、捌く前の姿からは想像できないほど美しく、毒があるなどとは一切思えないほどであった。

 グーフを捌く老婆の手つきは慣れたもので、何かを小声でブツブツと言いながら、あっという間に3尾のグーフを捌いてしまった。グーフを食べるのが日課という言葉に偽りはなく、いつもこうして捌いているのだろうと思われた。

「さ、できたよ」

 頭やはらわたなどを全て水に流し、手を念入りに洗った後、老婆はグーフの切り身を持って2人の前に戻ってきた。木皿の上には、白く美しい身が6つ並んでいる。

「これは生でも食べれないことはないんだけど、硬くて食えたもんじゃない。焼くのが一番だけど、ちょっと生でも食べてみるかい?」

 そう言って老婆は薄く切ったグーフの身を2枚、アルクラド達に差し出す。薄く切られたことで透明度が増し、皿の色が若干透けて見えるほどだった。

 味付けとして塩を少しだけ付けたそれを、アルクラドは躊躇なく口の中に放り込む。しかしシャリーはなかなか手を伸ばせないでいた。魚を生で食べることも経験がなく、更には毒魚を食べるというのだ。怖がるなというのも無理な話である。

「おっ、勇気があるじゃないか。出されてすぐに手を出したのは、あんたが初めてだよ」

 アルクラドがグーフをすぐ食べたのは毒が効かない故であるが、それを老婆は勇気と捉えた。今までも、死んでもいいから食べたい、という旅人に食べさせたことは何度もあったが、皆一度は食べるのを躊躇していた。

「お嬢ちゃん。グーフの毒は口に入れた瞬間から効いてくる。こっちの子は大丈夫だろ? 怖いとは思うけど大丈夫だよ」

 老婆はシャリーの恐怖を和らげようと、優しげに話しかけてくる。アルクラドを引き合いに出し、グーフを食べても大丈夫だと言う。しかしアルクラドの正体を知っているシャリーからすれば、アルクラドが食べられたことなど何の安心材料にもならなかった。

 が、いつまでも食べないのは失礼だと思い、決死の覚悟で薄切りのグーフを口の中に放り込んだ。

 初めに感じたのは塩の味。深みのある塩の味がゆっくりと口の中に広がっていく。そしてグーフの身の強い歯ごたえを感じた。身は薄く切られているにもかかわらず、その弾力は歯を押し返すほどだ。肉よりも硬いと思えるほどで、グニグニと一向に噛み切れる気配がない。味はかすかに魚の風味を感じる程度で、時間が経つにつれそれもなくなっていく。最後は味のしない硬い何かを延々と噛み続けることになった。

 顎が疲れ、もう噛み続けるのが嫌になったシャリーは、噛み切ることのできなかったグーフの身を無理やりに飲み込んだ。隣を見ればアルクラドはすでに飲み込んだ後だったが、美味しい物を食べた時の表情はしていなかった。

「どうだい、生は食えたもんじゃないだろ?」

「はい、全然美味しくないです」

「不味いとは言わぬが、美味とも言えぬな」

 笑いながら言う老婆に、2人が応える。シャリーよりも強い顎を持つアルクラドは、彼女よりは味を感じることができたものの、驚くほどの美味しさを感じることはできていなかった。

「焼けば化けるよ。もうちょっと待ってるんだね」

 2人の反応に満足げな老婆は、切り身を串に刺し、塩を振りかけて火の傍に並べていく。火から少し放した場所で、じっくりと焼いていく。

 ジリジリとグーフの表面が炙られていく。透明な身が段々と白くなっていき、大きさも縮んでいく。身の表面では滲み出た水気が躍り、美味なる香気に満ちた湯気が立ち昇っている。

 アルクラドとシャリーは、その様子を食い入る様に見つめていた。僅かばかりの味しかしなかった薄切りの身からは、想像できないほどの香りが家の中に満ちていた。否が応でも食欲を刺激するその香りに、2人の我慢は限界であった。

「さて、そろそろいいかね。さ、熱いうちにおあがりよ」

 焼き上がりを待ちわびる2人の様子に笑みを浮かべ、老婆はグーフの串を2人に差し出すのであった。


 焼きあがったグーフの身は、完全に白くなり表面に程よく焼き色が付いていた。立ち昇る湯気からは、途轍もない旨味を想像させる香りが感じられた。

 アルクラドとシャリーは、同時にグーフの串焼きにかぶりつく。

 身にはやはり強い弾力があった。しかし適度な歯応えを残し、心地よく噛み切れていく。その心地の良い食感を楽しむ間に、身から旨味を含んだ水気が溢れ出してくる。一体どこにこれだけの水気が隠されていたのか、その溢れる様子は身が液体に変化しているのでは、と思わせるほどであった。

 その旨味は優しいと感じるほどに、澄んでおり雑味のないものだった。しかし噛めば噛むほど溢れ出てくる旨味は、洪水の様に口の中を満たし、絶えず食欲を刺激してくる。肉よりも繊細で穏やか、しかし同等以上の強さを持つ旨味は、2人にとって初めての味わいだった。

 夢中で食べるアルクラドとシャリー。ここ数日、質素な食事が続いていた為、あっという間にグーフの串を食べきってしまった。

「いい食べっぷりだね。美味しかったかい?」

 2人の様子を見る老婆の表情は満足げだ。

「うむ、非常に美味だ」

「すごく美味しいです!」

 老婆の問いに、2人は声を揃えて言う。グーフの美味しさは話に聞いた通りで、これだけ美味しければ死を天秤にかける者がいてもおかしくはない、とシャリーは思った。死と引き換えにという感覚はアルクラドには分からないが、今まで食べた中で最高のうちの1つであることに間違いはなかった。

「良かったらまだ食うかい? 村の連中は食わないから、好きなだけ食えるよ」

「うむ」

「食べたいです!」

 アルクラド達の物足りなさそうな気配を感じ取った老婆の言葉に、2人は間髪入れずに応える。見た目からは想像できないほどたくさん食べるアルクラドとシャリーからすれば、魚の1匹や2匹程度で満腹にはなりはしない。それがこの上なく美味しい魚となれば、尚更である。

「ふふっ……それじゃあ獲ってくるから、ちょっと待ってな」

 アルクラド達の、腹をすかせた子供の様な反応に、老婆は破顔する。よいしょ、と立ち上がり、再び家の外に出て、グーフの入った網を持って戻ってきた。今度は10尾のグーフが網の中に入っていた。

 10尾のグーフを、やはり何かを小声でつぶやきながら、先程と同じ工程で捌いていく。血を洗い、頭を落とし、はらわたを取り出し、皮を剥ぎ、腹側の身を切り取り、背中側の身だけを残していく。グーフの切り身が次々と木皿の上に乗せられていく様子を見ながら、アルクラドはふと浮かんだ疑問を口にする。

「老婆よ。毒の効かぬ其方が、何故、腹の身まで捨てるのだ?」

 老婆の動きが一瞬止まる。

「頭や皮は食せぬかも識れぬが、腹の身は魚の中でも美味な部位であろう? 何故その様な部位を捨てるのだ?」

 アルクラドの今までの経験の中で、魚の腹の部分には脂が乗っておりコク深い味わいを感じることができる、ということが分かっていた。グーフと今まで食べた魚では毒の有無という違いがあるかも知れないが、味だけに限って言えばグーフの腹の身も美味しいだろう。というのが、アルクラドの考えであった。

「……送り魚はね、背中の身以外は不味くて食えたもんじゃないんだよ」

 1拍間を置いた老婆の言葉に、アルクラドは非常に興味を引かれた。これほど美味しい魚の味わいが、背と腹の身で大きく違っていることが、にわかには信じられなかった。しかし老婆が不味いと言った以上不味いのだが、どれほど不味いのか、そこに興味が湧いたのだ。

「どれ程不味いのか、試してみるとしよう」

 アルクラドは言うが早いか立ち上がり、老婆の傍に近づく。そして驚く老婆をよそに、捨てられる前の腹の身を手に取った。

「あんた、何やってんだい!」

 老婆が血相を変えてアルクラドの手からグーフの身を取り返そうとするが、アルクラドはそれをスルリと躱す。そしてまずは生の味を確かめようと、グーフの身を噛みちぎった。薄切りの身よりも遥かに硬い切り身であるが、アルクラドは難なく噛み切り、グニグニとした弾力をものともせず咀嚼を続ける。

「ああぁっ!!」

 老婆の嘆く様な悲鳴が小さな家に響く。その表情は絶望に染められ、完全に血の気が失せていた。先ほどまでと全く違う老婆の様子に、シャリーは不思議そうに首を傾げている。

「僅かに甘味を感じるが、やはり美味とは言えぬな。むっ……これは、辛味……いや痺れか」

 そんな老婆の変わり様を気にすることなく、アルクラドは味の感想を口にする。腹の身も生では硬く味がほとんどしないのは、背中の身と同じだった。しかし脂がある為か甘味を感じることができ、また背の身にはなかったピリピリとした刺激を舌に感じることができた。

「あんた……大丈夫なのかい?」

 グーフを飲み込み、残りを串に刺して焼くアルクラドの姿を見て、老婆の表情が驚愕に塗り替えられていく。舌への刺激は、グーフの毒を食べ、最初に出てくる症状である。つまりアルクラドは毒を食べたのだが、不調を訴える様子もなく、老婆は信じられないものを見た気持ちだった。

「無論だ。我に毒は効かぬ。其方も同じであろう?」

 舌に感じる刺激は以前に王宮で毒を食べさせられた時に感じたものと近く、アルクラドは毒を食べたのだろうと感じていた。以前シャリーに注意はされたものの、同じく毒が効かない者の前であれば、毒を食べて平気な様子を見せても大丈夫だろうと考えていた。その為、酷く驚く老婆に対し、アルクラドは事も無げに答えたのである。

「あの……魔女だから毒が効かないとか、毒を消す方法を見つけたっていうのは、もしかして嘘ですか……?」

 未だ驚愕から抜け出せない老婆に、シャリーが控えめに問いを投げかける。

 シャリーは最初から色々と疑問だった。老婆からは魔力も感じず、ただの人間ヒューマスにしか見えなかった。毒消しにしても、グーフを丁寧に洗っているだけで、毒消しの魔法や術が使われた様子もなかった。そしてアルクラドが腹の身を食べた時の驚き様。それらを考えると、老婆の言葉が嘘であるとしか思えなかったのである。

 シャリーの問いに老婆は更に驚き、何かを言おうと口を開き、しかし口を閉じ俯いてしまった。それからしばらく沈黙を続けた後、老婆は静かに頷くのであった。

お読みいただきありがとうございました。

老婆は魔女ではなく、ただのお婆さんでした。

次回もよろしくお願いします。

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