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骨董魔族の放浪記  作者: 蟒蛇
第7章
88/189

毒魚の棲む村

 死ぬほど美味い魚。

 ラゴートの最寄りの町である、ラテリア王国北端の町、ノルド。そこから北東方面に5日ほど歩いた、ドール山脈の麓付近に、その魚が獲れる村がある。これがギルドの酒場で年嵩の町人から聞いた、美味しい物の情報であった。

 現在アルクラド達はラテリア王国の王都を目指し、南東方面に向けて歩いている。5日も北東に行けば、完全に王都からは遠ざかってしまう。しかし死ぬほど美味いという、正確にはその後に続いた、言葉を聞いた時から、アルクラドの中でその村に行くことが決まっていた。

「正しくは、死んでもいいから食べたいほど美味い、だな。なんでも強力な毒があるらしくて、食べた奴はみんな死んでる。それにもかかわらず、その毒魚を食べる奴が後を絶たなかったらしい。まぁ、今じゃそいつを食って死んだ奴の話も聞かないし、その村で魚が獲れるかは分からないがな」

 そう締めくくり、男は薄い酒を呷った。美味い物の話をすると言い、人が死ぬほどの毒魚の話をする。いくらその魚が美味かろうと、死んでしまうのなら食べることができない。安い酒ではあるが情報量を支払ったのだ。普通であれば怒る者がいてもおかしくはない。

 しかしアルクラドは普通ではない。毒の効かない彼にとって、毒の有無は全く問題にならない。それよりも、死の恐怖を上回る美味しさに甚く興味を引かれている。生の短い人間ヒューマスに死んでもいい、と思わせる美味さとは如何ほどのものなのか。その魚を食べたい、とアルクラドは強く思った。

 対してシャリーは不満げだ。アルクラドの興味を引く話題であったことは喜ばしいが、毒のある魚となれば自分は食べることができない。美味しい物が食べられない、それをアルクラドと共有できない。シャリーにとってはまったく面白くないことであった。

「この町より北東に5日、であったな? シャリーよ、その村に往くとしよう」

 アルクラド達に責められるだろうと予想していた男の前で、アルクラド達の次の目的地が決まった。肩透かしを食らった様に目を丸くする男だが、アルクラドの興味は既に彼からは離れてしまっている。

「お、おいっ、あんた。本当に食いに行くのか? 死んじまうんだぞ?」

 無表情なアルクラドの言葉を本気ととった男は、自分が話をしたくせに焦った様にアルクラドに声をかける。まさか本当に行くとは思っていなかったのだ。

「無論だ。我は死なぬ故、問題はない」

 問題ないわけがなかった。噂では1尾で何人もの人を殺したという、猛毒を持つ魚だ。カビの生えたパンを食べて腹を下すのとはわけが違う。

「アルクラド様……毒持ちの魚なんてわざわざ食べに行く必要はないと思うんですが……」

 真面目な顔で行くと言うアルクラドの隣で、シャリーがため息を吐きながら呆れた様に言う。その様子を見て、男は内心で安堵のため息を吐く。まともそうに見える少女が、無表情な男を止めてくれる、と。しかしアルクラドは止まらない。シャリーもそれを承知で、それ故のため息なのだ。

「美味いとあれば是非食したい。食事が終わり次第、発つとしよう」

 男は諦めた様にため息を吐いた。自分は止めた、後は本人の責任だ。と残り少ない酒を、舐める様に飲むのであった。


 ギルドの酒場で食事を終えた後、アルクラド達は最低限の食糧を購入し、件の村へと出発した。色の少ない平野を行き、変化に乏しい景色の中を歩くこと5日。2人はある山間の寒村に到着した。

 山の木々は葉を落とし、雪で真っ白に染まっている。山肌も雪に覆われ、時折、獣の通り道が地の色を見せている。そんな山々の間、凍らずに流れる川の傍に、小さな家々が立ち並んでいる。木と藁でできた家は古びており、所々に隙間が見られた。

 雪の深まるこの季節に野良仕事をする者はなく、村に人の姿はなかった。しかし古びた家々からは煙が立ち上り、中に人がいることを示していた。

「どこかの家を訪ねてみますか?」

「先に川を見るとしよう。その川を毒魚が泳いでいるやも識れぬ」

 アルクラドはすぐ傍にある川を、目で示しながら言う。村の住人に尋ねるのが一番手っ取り早いが、アルクラドは早く件の魚が見たくて仕方がなかったのだ。

 山の上へと続く川からは、絶え間なく白いもやが、湯気の様に立ち昇っている。手を入れれば、僅かではあるが温かさを感じることができた。暖を取ることはできないが、冬の空気と比べれば格段に温かい水であった。川の上流で温水が湧くのか、アルクラドの見える範囲では上流も下流も、川の水は凍っていなかった。

「いませんね」

「うむ」

 そんな川を覗き込む2人だが、追い求めてきた魚はおろか他の魚や生き物の姿さえなかった。ただ澄んだ川の底に、大きさの揃った丸い砂利が見えるだけであった。

「あんたら、何やってんだい……?」

 そうやって2人が生き物のいない川を残念そうに見ていると、近くの家の住人に声をかけられた。雪の積もる寒空の下、川辺から何やら声が聞こえてきた為、様子を見に家から出てきたのである。

「その美味故に、死んでも食したいと思う程の魚がこの村で獲れる、と聞いてやって来た。その魚の事を識っておるか?」

 すかさず村人に尋ねるアルクラドだが、話しかけられた中年の男は訝しげな表情を浮かべている。名物もない貧しい寒村に人が訪れることなど滅多にない。そこへ訪れたのが、この上なく顔立ちの整った2人であれば、村人が不思議に思い、また警戒するのも無理はない。

「あんな食えもしないもんのことを聞いて、どうしようってんだい?」

 アルクラド達は知らぬことであるが、件の魚はこの村では決して食べてはいけない毒魚として忌避されている。そんな魚について聞いてくるなど、まともな者のすることではない、と男は思った。

「非常に美味であると聞いている。それを食しに来たのだ」

 村人の男は眉をひそめ、呆けたように口を開く。真面目な顔をして毒魚食べたい、などと言う者を、彼は今まで見たことがなかった。おかしな奴が来た、と明らかに警戒心を露わにしていた。

「あの、気持ちは分かりますが、話だけでも聞かせてもらえませんか?」

 男の考えていることが分かるシャリーは、申し訳なさそうな表情を浮かべながら尋ねる。また男の口振りから、件の魚がまだこの村で獲れるのだろうと思い、何としてもその情報は聞き出したかった。

「……川を上った先、村の外れに家が1つある。そこに住んでる婆さんが、送り魚のことをよく知ってる」

 未だに警戒心の消えない男は、それだけを言い、すぐに家の中に戻ってしまった。これ以上関わりたくない、と思ったのだろう。

「川の上、と言っておったな」

「はい。送り魚っていうのが、毒魚のことなんでしょうか?」

 村人の男からは、毒魚の情報を得ることはできなかった。しかしそれを知る人物の情報を得ることができた。彼の言葉に従い、2人は川を遡っていくのであった。


 村を流れる川を遡った先、村の外れにあたる場所に、小さな家が1つ建っていた。家というよりも庵といった風情で、他の家よりもひと際古びた外見をしていた。川のすぐ傍に建つ小さな家の前で、2人は一度立ち止まる。

「ここでしょうか?」

「うむ。中に人間ヒューマスが1人居る様だ」

 暖を取る為のものか煙が立ち上っており、人がいることが窺えるが、アルクラドにとっては中を見るまでもないことだった。

「其方が送り魚とやらに詳しいと聞いてやって来た。話を聞かせてほしい」

 アルクラドは家の外から声をかける。以前には扉を叩いたり声をかけることなく部屋の中に入ることもあったアルクラドだが、シャリーから失礼な行動だと教えられ、それからは相手の返事を待つようになっていた。

「送り魚の話が聞きたいだなんて、珍しい客だね。入っといで」

 中からしわがれた女性の声が聞こえてきた。しかし弱った印象はなく、はっきりとした芯のある声であった。

「うむ」

「失礼します」

 2人はひと声断りを入れ、木の衝立を除けて家の中へと入っていく。老婆のための家であり入り口もその中も狭く、アルクラドは始終屈んだ状態を維持しなければならなかった。

「こんなところまでよく来たね。何のもてなしもできないが座っとくれ」

 見知らぬ人物の突然の来訪を警戒することなく受け入れた老婆は、そう言って笑った。伸び放題の髪はくすんだ灰色をしており、顔や手足には老いによる皺が刻まれている。しかし髪の量は豊富で、肌にも適度なつやがあり、笑った時に見えた歯は1本も抜け落ちていなかった。かなり年嵩ではあるが、元気な印象を受ける老婆であった。

「送り魚のことを聞きたいって言ったね。そんなもん聞いてどうするんだい?」

 家の中で燃える火に薪を足しながら、老婆はアルクラドを見る。先程の男性の様に訝しむ様子はないが、その声音から呆れているのがよく分かった。

「送り魚とやらは、非常に美味な魚の事で合っておるか? その魚を食したい、何処で獲れる?」

 老婆の問いに素直に答えるアルクラド。それを聞き、老婆の呆れが深まる。

「やめときな。確かにとても美味い魚だが、死んじまったら元も子もないよ」

 老婆はため息交じりに言う。

「送り魚はそんなに大きな魚じゃない。けど1匹で何十人もの人が死ぬんだ。美味いけど食うもんじゃないよ」

 ノルドの酒場で出会った男の話では、かつて何人もの人が毒魚を食べて死んだということだった。目の前の老婆は、それを実際に見たのかも知れない。それ故か、食べるなという言葉には、力が籠っていた。

「送り魚は今もこの村で獲れるのか? 嘗ては獲れたと聞いているが、下の川には居なかった」

 しかしアルクラドは毒魚を食べると言って聞かない。毒の効かないアルクラド故だが、それを知らない老婆は更に呆れを深める。

「分からない子だねぇ……勝手に獲って食べそうだし、教えるわけにぁいかないよ」

 アルクラドの発言を、本当は彼女より遥かに年を重ねているが、若気の至りと捉えた老婆。絶対にダメだと首を振る。しかしその言葉は、毒魚が今もいることの証拠でもあった。

「教える事が出来ぬとは、送り魚が居ると言う事であるな? であれば我自身で探し、食すとしよう」

 件の魚がいると分かったアルクラドは、老婆が感じた通り、自分で探して毒魚を獲ることに決めた。無表情なアルクラドではあるが、老婆はその言葉が本気であることを感じ取った。

「やめときな。冬の山を彷徨うなんて、死にに行くようなもんだよ」

「我は死なぬ。冬の山であろうと問題は無い」

 何とか止めようとする老婆だが、アルクラドは聞かない。アルクラドにとって寒さなど何の問題にもならない。その為、冬山に入ることに何の躊躇いもない。隣で静かに2人の話を聞くシャリーにしても、ずっと山で暮らしていた為、冬であろうと山歩きはお手のものである。アルクラドと違い寒さへの対策が必要ではあるが。

「……放っておいたら、本当に獲って食いそうだね」

 決して諦めようとしないアルクラドの様子に、老婆は再びため息を吐く。そして予想外の言葉を口にした。

「しょうがない。村の連中に話さないと約束するなら、送り魚を食わしてやるよ」

 魚の獲れる場所を教えるどころか、食べれば死んでしまう毒魚を食べさせると言うのである。

「うむ。村人には話さぬと誓おう」

「さっきまで食べたら死ぬって……ほ、ほんとに食べれるんですか……?」

 2人の反応は正反対だった。アルクラドにとっては願ってもない話だが、彼と違って毒を食べれば死んでしまうシャリーは酷く驚き、強い不安を感じた。

「安心しな。実はあたしぁ送り魚を食べたことがある。送り魚の味は本当に美味くて、肉なんかよりもずっといいよ」

 なんと老婆は、1尾で何十人もの人を殺す毒を持つ魚を食べ、生きていたのだ。

「その噂を聞きつけて、あんた達みたいな命知らずな旅人なんかがやってくる。村で死なれるのは面倒だから昔は絶対に食わせなかったが、毒を消す方法を見つけてからは旅人にはこっそり食わせてやってるのさ」

 どうやらこの老婆以外にも毒魚を食べた者がいるようだった。それ故に食べれば死んでしまうという魚の美味しさが、噂として広がったのであろう。

「毒を消せるんですか!? けどお婆さんは、毒を食べても平気だったってことに……」

「そうだね。あたしぁ送り魚をそのまま食っても大丈夫なのさ」

 老婆は送り魚の毒で死ななかったということになる。そんな人間ヒューマスがいるのか、とシャリーは思い、チラリとアルクラドに視線をやる。シャリーと目が合ったアルクラドは、その意味が分からず僅かに首を傾げる。

「けど、どうしてお婆さんは食べても大丈夫なんですか?」

 老婆がただの人間ヒューマスではないのでは、という考えがシャリーの頭をよぎった。しかし彼女から強い魔力などを感じることはできず、どういうことなのかとシャリーは頭をひねる。

「あたしが大丈夫な理由かい……?」

 そんなシャリーに、老婆はもったいつける様に言う。

「それはね……あたしが魔女だからさ」

 そう言って、老婆は妖しく笑うのであった。

お読みいただきありがとうございます。

毒魚を食べる魔女、一体何者なのでしょう?

次回もよろしくお願いします。

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