龍の果実と龍の鱗
アルクラドの前で、地面に身体をなげうって、平伏する漆黒の龍。誇り高く比類なき力を持つ古代龍が他者に平伏するなど有り得ぬことだが、それを為したアルクラドがどれだけ異常かをシャリーは改めて思い知った。
「アレハ私ガ500年モ生キテイナイ、正ニ成体ニ為リ立テノ頃。最強ノ種デアル龍ノ成体ト為ッタ私ハ、我ニ敵ウモノ無シト、驕ッテオリマシタ。ソンナ時、南方ノ空ヲ飛ブ最中ニ、トアル城トソノ下デ栄エル町ヲ見タノデス」
龍は召使いの様な口振りで、己の過去をアルクラドに話す。当時、余程恐ろしい目に遭わされたのか、酷く怯えている様子だった。これが人であれば、俯き視線を彷徨わせながら話していることだろう。
「コノ町ヲ破壊シ尽クシ、ヒトツ我ガ威ヲ知ラシメヨウゾト、ソノ城ニ向ケテ龍ノ吐息ヲ放ッタノデス」
人族や魔族でも、若い頃には己の力を過信し傲慢に振る舞うことはよく聞く話であるが、龍であってもそれは同じのようだった。
「私ノ龍ノ吐息ハ、一息ニ城ヲ飲ミ込ム筈デシタ。然シ昏キ魔力ニ阻マレ、ソレハ叶イマセンデシタ。ソシテ私ノ前ニ、城ノ主タル、アルクラド様ガ来給ウタノデス」
城の主。龍の言葉を信じれば、アルクラドは過去に一国の王であったのである。それを聞き、シャリーは驚く。いつもの尊大な態度は王らしいと言えばらしいが、アルクラドが国を治めていたところなど想像がつかなかったのだ。
「私ハ、アルクラド様ノ御食事トソノ語ライヲ邪魔立テシ、然シ寛大ナ貴方様ハ、1度デアレバ見逃スト仰ラレタノデス。勿論、私ガ退ク事ハ無ク、貴方様ニ牙ヲ剥キマシタ。結果、1ツノ抵抗モ出来ヌママ、地ヲ嘗メ這イ蹲ル事ニ為ッタノデス」
アルクラドに戦いを挑み、何もできずに敗北した龍。既に龍としての誇りなどはなく、恥もなく命乞いをしたと言う。その時、アルクラドは2度目はない、と龍を見逃したようだった。
「貴方様ニ再ビ牙ヲ剥イタ事ハ紛レモ無イ事実。然シ意図シタ事デハ無イ故、何卒御赦シヲ……」
アルクラドとの過去の出来事を話し終えた龍は、再び許しを乞う。今回牙を剥いたことが、ないと言われた2度目であると発覚した為、アルクラドに殺されるのではないかと龍は恐れているのだ。
「その様な事があったかどうか、我は憶えておらぬ。故に、此度の事は赦そう。しかし次は無い」
龍の話を聞いた上でも、アルクラドは過去のことを思い出さなかった。つまりアルクラドの中では龍との戦いは今回が初めてであり、過去の自分を倣い1度は見逃すことにしたのである。
「恐悦至極ニ存ジマス」
アルクラドに許されたことにより、龍から怯えの様子がなくなった。代わりに安堵の気持ちが溢れ出ているようであった。
こうして漆黒の古代龍は、2度、命を拾ったのであった。
「あの黒龍様……当時、アルクラド様は何をしていたんですか?」
龍の話が一段落したところで、シャリーは気になっていたことを尋ねる。龍の話では、アルクラドがどうやら王であったらしいことは分かるが、具体的には何もわかっていない。
「分カラヌ。我ハ赦サレタ後、直様飛ビ去ッタ故ニ、アルクラド様ガ何ヲサレテイタカハ知ラヌノダ」
シャリーの問いに対し、龍は元の喋り方で答える。どうやら謙って喋るのはアルクラドに対してだけのようであるが、地面に平伏したままでは威厳も何もあったものではない、とシャリーは思う。
龍はアルクラドの素性については何も知らず、アルクラドの詳しい過去を知ることはできなかった。ただ遥か昔より、龍も寄せ付けぬ途轍もない力を持っていたことが分かったのみである。
「龍よ。話を戻すが、其方は龍の果実とやらを識っておるか? 龍が好んで食すと聞いておるが」
シャリーがアルクラドの過去について尋ねる中、そんなことはどうでもいいとばかりに、アルクラドは龍の果実について尋ねる。
「アルクラド様……もっと昔のこととか、聞かなくていいんですか?」
自分のことなのだからもっと知りたがってもいいだろう、とシャリーは思う。しかしアルクラドは何でもないように首を振る。
「此奴は何も識らぬのであろう? 己の過去に興味が無いとは言わぬが、分からぬのであれば分からぬで良い。識ったところで、我が我である事に変わりは無い故な」
自分の過去は、今の自分の拠り所である。過去に為してきたことが今の自分を形作っているのであり、過去のない今は酷く不安定である。しかしアルクラドは、今を支える過去を不要だと言う。
「其方が識らぬのならば、我の過去の事は良い。龍の果実については識らぬのか?」
過去が不要なほど今が確立されているのか、それともただ食欲に溺れているのか、アルクラドにとって過去はどうでもいいようだった。考える素振りを見せる龍に対して、龍の果実についての情報を催促するように言う。過去はそれほど軽いものだろうか、と思う一方で、過去にこだわらない方がアルクラドらしいとも、シャリーは思った。
「龍ノ果実デスカ……私達ハ果実ヲ食ベマセン。好ンデ食ム物ハアリマスガ……」
やはり伝承は伝承に過ぎなかったのか、龍の言葉を信じるならば、龍の果実は存在しなかった。しかし果実ではないにしても、好んで食べる物があることが分かったので、アルクラドにとってはそれで充分だった。未知なる味、未知なる美味は、果実である必要はないのだから。
「其方らが好んで食す物とは何なのだ?」
「ソレハ……アルクラド様ハ、オ食ベニナラレナイト思イマスガ……」
問われた龍は言い難そうにしながら答え、地に伏せていた身体を起こし、辺りを見渡す。そして目当てのものを見つけたのか、前脚を伸ばし地面を掘り返した。すると地面の中から、淡く黄銅色に光る石が現れた。陽光の中では分からないほど僅かな光を放つ石は、一抱えよりも更に大きく、大地の力を秘めた石であった。
「小サキ者達ガ何ヲ指シテ龍ノ果実ト言ッテイルノカハ知リマセンガ、此レガ私達ガ好ンデ食ベル物デス」
そう言って爪の先で挟んだ黄銅色の石をアルクラドに見せる龍。アルクラド達からすれば大きな岩であるそれを、アルクラドは無言で見つめている。
「……これは美味なのであるか?」
食べられる、食べられないは別として、食べても美味しくないことは明らかだった。しかしアルクラドは尋ねずにはいられなかった。
「恐ラク何ノ味モシナイカト……私達モ味デハ無ク心地ヨサヲ求メテ、此レヲ食ミマスノデ……」
どうやら龍の果実とは、龍でなければ楽しむことができない代物だったようだ。アルクラドは無表情ながら、残念さがひしひしと伝わってくるようであった。今にも盛大に溜め息を吐きそうなほどに。
「……であれば、食しても意味はないな」
しばし無言で石を見つめた後、アルクラドはそう言って龍の果実を諦めたのだった。
龍の果実が果実でなかったことを知り、落胆するアルクラド。平坦ながら無念そうな声で、シャリーに町に戻ろうと言う。龍は、アルクラドがこの場を去ると言ったのを聞き、更に安堵する。赦すと言われた以上、自分が殺されないことは分かっているが、恐怖の対象が傍からいなくなるのだからその反応も当然である。
「そういえば、龍の鱗はどうするんですか、アルクラド様?」
そんな時、シャリーがドラフ山へやってきた本来の目的を思い出した。名目上ではあるが、龍の鱗を手に入れることが、登頂の目的であり依頼の内容である。本物の龍、それも古代龍の邂逅とそれを退けるアルクラドという衝撃的な出来事に、シャリーもすっかり忘れていた。
「龍の鱗……」
アルクラドは思い出した様に呟き、地面を一通り見渡した後、目の前の龍へと視線を移す。アルクラド達の後ろの地面は相変わらず雪に覆われており、掘り返さなければ見つけることができないが、アルクラドにはその下に鱗がないことが分かっていた。目の前に鱗を落とした本人がいるのだ。その臭いと魔力を辿れば、近くに鱗があるかどうかは、アルクラドはすぐに分かってしまう。
そして龍の立つ側は、雪どころか草花や地面の凹凸さえなくなってしまっている。龍の吐息の影響であるが、この場所に鱗がないのは一目瞭然。結果、この場所には鱗が落ちていない、ということになる。しかし龍の鱗自体は、ある。
「何デショウカ……?」
内心、不安が膨れ上がるのを感じながら、龍は恐る恐る尋ねる。
「龍よ。其方の鱗を幾らか分けてはくれぬか?」
落ちていないのならば、生えているところから直に取ってしまえばいい。自然に落ちる物ならば、取るのが今でも問題ない。そうアルクラドは考えた。
対する龍は、激しい葛藤に苛まれ、返答に窮していた。断りたいが、断ればどうなるか分からないからだ。その実、アルクラドは命令ではなくお願いをしたつもりであり、断られれば素直に引き下がるつもりでいた。だが龍はアルクラドのそんな考えなど分からない。
「オ好キナダケ、オ取リ下サイ……」
なので、龍は自らの命を守る選択をしたのである。
再び地面に伏せる龍。その傍へ歩いていき、龍の顔の上に飛び乗ると、鼻先の鱗に手をかけた。
ブチィッ……!
肉から骨を引きちぎった時の様な、鈍い音が響く。龍の巨体が、ビクリと震えた気がした。
アルクラドはいとも簡単に鱗を剥がしてしまった。しかし鱗だけが取れたのではなく、鱗には赤い肉片が付着していた。肉片から赤い液体が滴り、鱗のあった場所からも同じ色の液体が流れ出ている。
アルクラドは無言で、最初に取った所の隣の鱗を引きはがす。ブチブチと鈍い音を響かせながら、無慈悲に鱗を剥ぎ取っていく。
「あの、黒龍様……痛くはないのでしょうか……?」
シャリーは恐る恐る尋ねる。龍の鱗は、1枚が人間の手ほどの大きさであり、龍の巨体からすればとても小さい。たとえ血が流れていても痛みはないのかも知れない。もしくは痛みがあっても、髪の毛を1本抜く程度のものかも知れない。しかし龍の様子を見ていると、とても痛いのではないかと思えて仕方がなかったのだ。
「痛ミ、ハアルガ……大シタ、事、デハナイ……」
アルクラドが鱗を剥がす度に、龍の言葉が途切れる。シャリーは申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
アルクラドは、龍から10枚の鱗を剥ぎ取ったところで、その作業を終え地面へと降り立った。鱗を剥がした痕は人間の胴体ほどの広さとなっており、そこから流れる少なくない量の血が、地面に赤い水たまりを作っていた。
「龍よ、我らは往くとしよう」
ドラフ山での目的を達成したアルクラド。この山に美味なるものがない以上、長居の必要はない為だ。
「私モ常ヨリハ早イデスガ、山ヲ発トウト思イマス」
龍は山の頂で幾年かの眠りに就いた後、また別の場所へ飛んでいく暮らしをしているようであった。本来であれば後数年は眠っているつもりだったのだが、アルクラドに蹴り起こされてしまったのである。
「アルクラド様、誠ニ無礼ナガラ、1ツ我ガ望ミヲ聞イテハ頂ケマセンデショウカ?」
去り際、龍がアルクラドを引き留める。
「何だ?」
「アルクラド様ガ若シ龍ト事ヲ構エルニ至ッタ際、私ヲ喚ンデ頂ケマセンデショウカ? 貴方様ノ前デハ如何ナル龍モ無力。空渡ル鳥ノ如ク狩ラレル事デショウ。シカシ数少ナイ同胞ノ命ヲ、無駄ニ散ラシタクハ無イノデス」
元々数の少ない龍であるが、古代龍と呼ばれるほどの龍は更に少ない。古代龍に会うことなど滅多にないが、その珍事がドラフ山で起きたのだから、今後も起きないとは限らない。アルクラドと龍が戦うことになり、仲間の数が激減するのは、漆黒の古代龍としても避けたかったのである。
「良いであろう。その時は其方に報せよう」
アルクラドとして知らせるだけであれば、面倒はない。殺すなと言われれば簡単には約束できないが、知らせるだけであれば、その後に殺すのも自由だからだ。
「感謝奉リマス」
願いを聞きいれてもらった龍は、安堵の息を吐く様であった。
「ソレデハ、私ハ行キマス」
龍はアルクラドに感謝を述べた後、間を置かずにそう言った。この場に残っていては何をされるか分かったものではないからだ。もしかしたら肉を分けろと言われるかも知れない。そうなる前に少しでも早くこの場を去りたかったのだ。
「うむ」
アルクラドは鷹揚に頷き、空へと飛び立つ龍を見上げた。強風が吹き荒れ雪が舞い上がる。あっという間に龍の姿は小さくなり、10も数えぬうちの空の彼方へと消えていった。
依頼で赴いた山にかつての知己がいるとは思いもしなかったアルクラド達であるが、こうして龍の鱗を手に入れ、ラゴートへと戻っていくのであった。
お読みいただきありがとうございます。
龍の鱗について、感想でアルクラドの行動を当てられてしまいました。
可哀想な龍……
次回もよろしくお願いします。