吸血鬼の始祖と古代の龍
更新が遅れ、申し訳ありません。
お昼前にお昼寝したら、寝過ごしてしまいました……
ドラフ山に地鳴りの様な声が響く。初雪に覆われていた、黒き鱗の巨体が、徐々にその姿を現していく。デコボコと隆起したと思っていた地面は、山頂で眠る龍の身体だったのだ。
龍はその巨体をグッと伸ばし、大きな翼を目いっぱい広げ、長い尻尾をユラユラと揺らしている。寝起きの身体をほぐす様なユルリとした動きだが、その巨体故に山が揺れ動いていた。2人は龍の尾にあたる部分に立っていた為、飛び退くのが遅れていれば、宙に放り出されていただろう。
起き上がった龍の巨体が陽の光を遮り、山頂に黒い影を落とす。身体から舞い落ちた雪が陽光に煌めく中、金色の眼の中の、刃の様に細く切れた黒の眸子が、睨む様に2人を見下ろしていた。
艶やかな黒き鱗に包まれたその身体は硬くしなやかで、巨大だった。その口は小屋を丸飲みにできそうな程に大きく、ズラリと並ぶ鋭い牙のそれぞれが、人間の脚程に太く長い。巨体を支える前後の脚は大樹の様に太く、その先の指の1本でさえ人間の背丈と変わらぬ長さをしていた。翼を広げたその姿は余りに大きく、城などの巨大な建造物でなければ、比較することもできない程だった。
そんな龍を目の前にし、シャリーは根源的な恐怖に苛まれていた。絶対的な強者を前にして、心が、身体が、畏れに打ち震えていた。ただそこに在るだけにかかわらず、自然と漏れ出る威に、身体が凍り付いてしまっていた。
こんな存在が、只の龍であるはずがない。間違いなく古代龍と呼ばれる、永き時を生きた龍である。理由もなく、シャリーはそう確信した。
龍の鱗を見つけ、あわよくば龍自体を見れはしないか、と淡い期待をしていたシャリー。しかし古代龍となれば話は別だ。場所によれば神とさえ崇められる、まさしく伝説の存在であり、その力も天災と称される程に強大だ。怒りを買えば、土地と一緒に消滅させられてしまうような相手に、出会いたくはなかった。
「年経た龍よ、其方の眠りを邪魔した事は謝罪しよう。が、其方に尋ねたい事があるのだ」
しかし、シャリーが畏れで身動きさえ取れない状況の中で、アルクラドは普段通りだった。いつもと同じく、目下の者に話しかける様な態度で龍に話しかける。
「小サキ者ヨ……我ノ眠リヲ妨ゲ、剰エ足蹴ニシタ事、赦サレルト思ウテカ」
龍はアルクラドの口振りに怒ることはなかった。そもそも足で踏みつけられ、無理やり起こされたことに怒っているのだから。
「それについても謝罪しよう。時に龍の果実とやらを其方は識っておるか?」
謝罪しよう、とアルクラドは言うが、全く謝っている風には見えない。そして謝罪のくだりをさらりと流し、本題に入る。そのことが更に龍の怒りを買ったのか、山頂の空気が重苦しくなる。
シャリーは先程から震えが止まらなかった。只でさえ耐え難い威を放つ龍であるが、その威の中に明確な怒りが湧いてくるのを、シャリーはハッキリと感じていた。怒りと共に龍の果てしない魔力が渦巻き、山が共鳴するかのように空気が震えている。
「我は其方と争う気はない。牙を向けねば殺しはせぬ故、牙を収めよ、年経た龍よ」
気が立った獣をなだめるように言うアルクラド。それを聞きながら、シャリーは気が気ではなかった。龍は自分の身を守る為に戦おうとしているのではなく、アルクラドの言っていることは全くの見当違いなのである。案の定、龍の怒りが更に高まった。
「何処マデモ不遜ナ、小サキ者ヨ……我ガ龍ノ吐息ニテ、ソノ魂マデモ消エ失セルガ良イッ!」
龍の周りに途轍もない量の魔力が集まっていく。龍の向こうの景色が、陽炎の様に揺らめいている。
龍の吐息。
龍の持つ攻撃手段の中で、最も有名で最も強力な攻撃。身体の内外から集めた魔力を、ただ放つだけの単純な攻撃。しかし魔力とは魔法、魔力強化、武器強化など様々な力の源となる力であり、その量が増えれば増えるほど大きな力を持つ。途轍もない魔力を持つ龍、それも古代龍ともなれば、その単純な攻撃が、天災にも等しい力を持つことになる。
永き時を生きた古代龍の持つ、途方もない魔力が、その喉元に集められる。龍の牙の合間から、青く煌めく魔力が炎の様に漏れ出ている。
シャリーは死を覚悟した。
古代龍の龍の吐息。それは天より降り注ぐ滅びであり、逃れ得ぬ死そのもの。如何なるものも、それに抗うことも、逃れることもできないのだ。シャリーの頭に、今までの人生が過る。楽しかったことも辛かったことも、嬉しかったことも哀しかったことも、その全てが一瞬で、しかし克明に。
龍の吐息が今、放たれた。
どこまでも澄んだ青に埋め尽くされた視界の中で、シャリーの頭に最後に浮かんだのは、両親の顔とアルクラドと過ごした時間だった。
いつまで経っても、痛みがやって来ない。
それを不思議に思い、シャリーは恐る恐る目を開ける。
まず目に入ったのは、銀糸の髪をなびかせる黒衣の人物。見慣れた背中に、胸が高鳴るのを感じた。
次に目に映るのは、薄絹を通して見た様な、僅かにぼやけた景色。僅かに暗い透明な幕が龍の前に広がり、こちらとあちらを分断していた。雪の積もったこちら側と対照的に、あちら側は雪が散り草花も消え失せ、地面が真っ平らになっていた。
「其方を殺す気は無かったが、あくまで我に牙を剥くか……」
いつもと変わらぬアルクラドの声が響く。しかし若干、残念がる様な気配が伝わってくる。
「其方には聞きたい事があったのだが、仕方あるまい……」
龍は龍の果実の在処を知る為の重要な情報源。それ故に殺さず、龍から話を聞きたかったのだ。しかし攻撃を受けた以上、アルクラドの取る道は1つである。
「愚かな老龍よ……蜥蜴の如く地を嘗め、果てるが良い」
アルクラドの右手に魔力が集まる。人の身では持ち得ぬ膨大な魔力。それがどんどんと集まり、更に膨れ上がっていく。
シャリーは知らなかった。初めて会った時、隠されたアルクラドの魔力に気付き畏れ慄いたが、それが彼の力の、ほんの一部でしかなかったことを。
「貴様ッ……! 誇リ高キ龍タル我ヲ、蜥蜴呼バワリスルカ!? 決シテ赦シ、ハ……シ……ナイ……」
龍は誇り高い。地竜や飛竜とひと括りにするだけでも怒る彼らを、魔物ですらないトカゲと呼ぶ。それは龍を激怒させる言葉であり、決して言ってはならない言葉だ。アルクラドにトカゲと言われた龍は案の定、更に怒りを高めていく。しかしなぜか徐々に、歯切れが悪くなっていく。
そんな龍の変化に気付くことなく、アルクラドは右手に魔力を集め続ける。気づけば眼前にそびえる漆黒の古代龍の持つ魔力すら凌駕し、その先の景色が酷く歪んでいる。
「……龍を戮す者」
アルクラドが手を握りしめる。僅かに紅く輝く漆黒の魔力が形を変え、剣の柄を模りアルクラドの手に収まっている。剣を引き抜く様にアルクラドが手を動かせば、柄から伸びる剣身が徐々にその姿を現わしていく。
鍔もない武骨な剣。刃先にかけて湾曲し、先に行くにつれて片刃の剣身は太くなっている。アルクラドの背丈ほどある大剣は、その漆黒の剣身から紅い燐光を放っている。
龍が死ぬ。
逆手で引き抜いた剣を持ち換え、アルクラドが剣を龍に向けた時、シャリーはそう直感した。何故だかは分からない。しかし目の前の、神と称されるほどの力を持つ龍が死ぬことが、分かった。
「ソノ魔力……銀ノ髪ト血ノ瞳……マサカッ……! ア、貴方様ハ、アルクラド様デハ……?」
龍の身体から放たれていた、全てを圧倒する威が、急激に失せていく。威厳に満ちていた喋り方が、オドオドとしたものに変わっている。
「如何にも。
我が名はアルクラド
闇夜を支配する者にして、陽の下を往く者
悠久の時を生くる者にして、血を飲み啜る者
不死なる吸血鬼にして、その始祖たる者」
朗々と響くアルクラドの名乗り。アルクラドは腕を下ろし、剣の先を横に向けて、自然体で構えている。身の丈の大剣を重さを、感じさせぬ様子で持ち、龍に歩み寄っていく。
「龍の果実とやらは惜しいが、龍の肉もまた我の識らぬ味。その飢えは、其方の身で満たすとしよう」
龍の肉。下級の竜種である地竜や飛竜の肉であれば、たまに市場に出回ることもある。上級冒険者のパーティーであれば狩ることは難しくなく、食べたことがある者はそれなりにいる。しかし龍となれば、そもそも現れることが稀であり、倒すことは至難である。どこかの国の傍若無人な魔女であれば食べたことがあるのかも知れないが、龍の肉の味を語る者はいない。
未知なる味の肉であるが故に、アルクラドの興味の対象となったのだ。元々は殺す気はなかったが、戦いになった以上、殺す。殺すからには食す。今のアルクラドは、未知の味に対する好奇心で満たされていた。依頼のことなど元より、龍がアルクラドを知るような口振りであったことも忘れている。
アルクラドの歩みに合わせて、龍が後ずさる。龍が、それも古代龍がアルクラドを畏れていた。有り得ない光景に、シャリーは幻を見ているような気分だった。
「オ、オ待チ下サイッ、アルクラド様ッ! ドウカ……ドウカ命バカリハッ……!」
龍が大慌ての様子で地面に伏した。余りの勢いで山が揺れるが、龍は気にすることなく、更に身体を低くしようと顎を地面にこすりつけている。前後の脚を伸ばし切り、顎を、首を、腹を、尾を、翼を、その全てを地面にくっつけ、震えている。
人が五体投地を、または膝をつき額を地面にこすりつける様に、龍は顎を地面にめり込ませ、赦しを乞う言葉を繰り返している。
「ドウカ命バカリは御赦シヲ……愚カニモ再ビ貴方様ニ牙ヲ剥クハ、万死ニ値スル事ナレド何卒御赦シヲ……他種族ハ見分ケガ付キマセヌ故……」
誇り高き龍が必死に命乞いをしている。龍が畏れること以上に有り得ない出来事に、シャリーは何が何だか分からなくなってきた。アルクラドも、目の前の龍の誇りの欠片もない振る舞いに、少なからず驚き歩みを止める。
「其方、我を識っておるのか? それに再び牙を剥いたと言ったな」
ここで初めて、龍が知己である可能性に、アルクラドが気付いたのである。恐怖で訳が分からなくなっていたシャリーも、龍の言葉が理解できるほどには落ち着いてきた。
龍は、その魔力を感じ、そして銀の髪と紅の瞳を見て、眼前の人物がアルクラドであると気付いたのである。それはつまり、かつて龍がアルクラドと会ったことがある、または見たことがあるという証左だった。
「仰ル通リデ御座イマス。千ヲ超エル歳月ノ巡リヲ遡リマスレバ、私ハ、アルクラド様ト相対シテオリマス」
やはり龍は、過去にアルクラドと会ったことがあるようだった。再び牙を剥いた、相対したという口振りから、恐らく戦ったことがあるのだろう。
「我に牙を剥いた其方を、我は赦したか……」
余程のことがなければ、戦いになった相手は殺すアルクラド。かつて戦ったであろう相手が生きて目の前にいることを、自分がやったことながら、アルクラドは不思議に思う。
「寛大ナ御心ノ下、御赦シ頂キマシタ。オ忘レデショウカ……?」
アルクラドが歩みを止めたことで、ひとまずホッとする龍。しかしアルクラドとの会話が上手く噛み合わず、恐る恐る尋ねる。
「我は永きに亘り封印をされていた。それ故か殆どの事を憶えておらぬ。我と其方は戦ったのであるか?」
自身のことも余り覚えていないアルクラド。龍との戦いも全く記憶になかった。
「ソウデシタカ……戦イト呼ベル物デハアリマセンデシタガ、アレハ私ガ成体ニ為ッタバカリノ頃デシタ……」
本当は、アルクラドが昔のことを思い出すと殺されるのではないかと、話したくない龍。しかしアルクラドに問われれば話さないわけにはいかず、龍は己の過去の愚行を語り始めるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
龍はエンシェントドラゴンで、何とアルクラドの知り合いでした。
アルクラドの、過去の一旦が明かされるのでしょうか?
次回もよろしくお願いします。





