オークとの戦い
翌朝、3人はカーシの肉を置いた場所へと向かっていた。
オークと遭遇する可能性を考え気を張りながら向かえば、そこに肉の姿はなかった。
「肉がない、ってことは……」
「オークが来たってことだよね」
狼の様な野生の肉食獣が現れた可能性もないわけではないが、この森にはその手の獣は生息していない。今回はオークと考えるのが妥当であった。
「でもどこから来たんだろう?」
「少なくとも、野営地とは別の方向よね?」
2人は見張りの最中、オークの存在を確認できなかった。つまりオークは野営地の傍を通らなかったことになる。これだけではオークの居場所を判別することはできないが、オークがこの森にいることが確定した。
「其方ら、これを見ろ」
アルクラドが地面を指さしながら、2人に呼びかける。指差す先を見れば、草が踏みしめられ倒れている。しかも人間よりも大きな足で踏みつぶしたような草の倒れ方である。それが野営地とは反対側へと続いている。
「これって、オークの足跡か!?」
「これを辿っていけばオークを見つけられますね!」
森に入り2日目にして、オークの手がかりが見つかった。それも依頼達成につながる大きなものだ。
2人は気分が高揚したのか、すぐさまその跡を追い始めた。しかし2人はあることに気がついていなかった。
「其方ら、よく見るのだ。これは1匹の足跡ではない」
アルクラドは気付いていた。ライカが見張りをしている時、野営地の反対側からオークがやってくるのを。それも複数体のオークが。
「足跡の間隔がメチャクチャだ……」
アルクラドに言われよく観察してみれば、1歩と1歩の間が等間隔ではなく、足跡の大きさも違っていた。足跡の中に2回り以上、一際大きな足跡も残っている。少なくとも2体はオークがいる証だった。
オークとは駆け出しの冒険者がパーティーを組み連携すれば倒せる魔物である。しかしそれはオークの数が1体であればの話だ。複数ともなれば倒されるのは冒険者側である。
依頼達成の光明が見えた途端、同時に大きな壁が立ちはだかった。
突如として現れた壁に戸惑いを隠せず、意気消沈するライカとロザリー。2人は依頼達成は不可能だと既に諦めていた。
駆け出しの冒険者に過ぎない自分達。相手がオーク1体だけであれば挑むことは出来た。余裕で勝てるなど楽観視するのではなく、命の危険はあれど立ち向かうことは出来た。超えられるかもしれない壁には立ち向かうことができた。
しかしオークが複数体ともなれば、それは下級冒険者にとって超えられない壁だった。それを知って尚、立ち向かう程の無謀さ、蛮勇を2人は持ち合わせていなかった。自身の実力と、目の前に立ちはだかる困難との差をちゃんと理解していたのだ。
それ故にもう駄目だと諦めていた2人だが、アルクラドは違った。彼にとってオークは何ら脅威になり得ない存在であり、そんなものが何体いようが何の変わりもない。だから彼は、いつもと変わらぬ様子で2人に声をかける。
「其方ら……我は言ったであろう。オークなど、どうとでもなる、と。何故その様な顔をするのか?」
「無理だよ。オークは駆け出し1人で何とか出来る魔物じゃない。今回は諦めよう……」
「階級を上げるよりも命の方が大切です。監督として私たちを見ている中級冒険者の方に助けを求めましょう」
2人は完全に立ち向かう気力を失っていた。アルクラドとしては、自分に任せておけば問題ないのに、何故2人が諦めているのか理解できなかったが、彼の戦う姿を見せたことがなかったので、仕方のないことではあった。
「以前にも話したが、我は其方らの親やその親よりも長く生きておる。それだけ長く生きた戦士が、何故オークなぞに勝てぬと思うのだ?」
「それは、アルクラドも駆け出しで……」
「冒険者とは誰しも駆け出しから始まるのだろう? 階級と強さが等しいとは限らぬはずだ」
階級は冒険者の強さの指標とされている。事実、冒険者の階級とその強さは比例している。しかし例外ももちろん存在している。
アルクラドの様に元々の強者もいれば、戦いを得意とせず支援役や、学者や研究者という形で階級を上げ、戦闘能力が低い冒険者もいる。
ライカ達もそういった冒険者がいることは知っていたが、どうしても階級で冒険者の強さを判断してしまっていた。
「何よりも先ず、その目で敵を見ろ。逃げるのはそれからでも遅くはなかろう?」
アルクラドには、彼らの態度がどこか気に障った。己と敵の戦力差を見極め、勝つ見込みがなければ、戦いを避けるのは当然だ。しかし彼らは駆け出しのパーティーではオークに勝てない、という誰かの言った言葉に囚われている。
そんなものに囚われることが理解できず、彼は苛立ちに似た感情と共に歩き出した。2人の返事を待つこともなく、振り返ることもなく歩き出した。
「ア、アルクラド、待てよ……1人じゃ……」
「待ってください、アルクラドさん!」
2人は彼を止めようと声を上げるが、アルクラドは歩みを止めなかった。呆然とする2人を尻目に、確かな足取りでオークの足跡を追っていく。
彼を止めるために再び声を掛ける2人だが、アルクラドの歩みは止まらない。彼と2人の距離がどんどん離れていく。
このままでは彼が1人で、オークの群れと相対することになる。このまま放っておけば、アルクラドは確実にオーク達に殺されてしまう。そう2人は考えた。
「どうする!? あいつ絶対1人で行っちまうぞ!」
「監督の冒険者の人達に助けてもらおうよ」
「助けてもらうって、そいつらどこにいるんだよ? ほんとに付いて来てんのか?」
そういうライカだが、監督の冒険者はきっちりと彼らを見守れる範囲で付いてきている。しかし彼らへの連絡手段はギルドからは伝えられておらず、彼らも本当に危なくなるまでは手助けをしないよう伝えられている。そして監督者らは、オークが複数体いることをまだ知らなかった。
長時間、アルクラドがライカ達の傍を離れていれば問題が発生したと判断し監督者らは助けに入っただろうが、ライカ達にオークの群れに向かったアルクラドを長時間放置するという選択肢はなかった。
「……まだ出会って少ししか経ってないけど、俺はあいつを仲間だと思ってる。仲間を見捨てることは出来ない……」
仲間の制止を振り切り、1人で敵の群れに向かっていくなど、冒険者にとって仲間を死に追いやる危険な行為だ。アルクラドがそんな行動を起こしたにもかかわらず、ライカは仲間だと言い、彼の下へ向かうことを決意した。
人によっては甘く愚かな考えだと蔑む者もいるが、ロザリーも彼と同じ気持ちであった。
魔族の侵攻によって両親を目の前で失い大きな悲しみを負った2人は、自分たちの前で死に向かおうとしている者を放っておくことが出来なかった。
ライカとロザリーは、少しだけ無言で見つめ合い、僅かに頷き走り出した。独りでオークに立ち向かいに行った仲間の下へ。
アルクラドは歩きながら、自分の後を追う2つの足音を聞いていた。その聞きなれた、ライカとロザリーの足音が段々と近づいてくる。
それを聞きながら、アルクラドは思う。
何故2人は我を追ってくるのか、と。
オークには勝てないから諦めると言ったのはライカだ。アルクラドにそれを咎めるつもりはない。魔族と違いすぐに死んでしまう人族、特に人間が、死を恐れて敵から逃げるのはおかしなことではない。
そんな2人がアルクラドを追いかけている。彼を追いかけるということは、オークの下へ向かうということだ。どうしてそんな行動に出るのか、アルクラドには分からなかった。
彼は、自身がオークになど後れを取らないと2人に言った。それが正しく伝わっていないこと、嘘や強がりだと思われていることを、アルクラドは理解していなかった。
だから、何故2人が追いかけてくるのかが、分からなかった。
「アルクラド! 待てよ!」
「待って! アルクラドさん!」
ライカが、続いてロザリーがアルクラドの下にやってきた。思いきり走ってきたのか、2人とも肩を激しく上下させている。その様子をアルクラドはじっと見つめている。彼らに何を言えばいいか分からないのだ。
「はぁはぁはぁ……オークは複数いるんだろ? 独りで戦うなんて無茶だ」
「先程も言ったが、オークなど我の敵ではない。何匹いようが結果は変わらぬ」
「オークと戦ったことのない奴が何言ってんだよ! 戦いに負けたら殺されるんだぞ?」
「……其方らは何故、我を追ってきたのだ? 負ければ死ぬのだろう?」
オークに勝てないから諦めると言った。負ければ殺されると言った。なのに彼らはアルクラドの下にやってきた。それは遠ざけた死に自ら近づく行為ではないのか。アルクラドは分からなかった。
「そんなの、仲間をほっとけないからに決まってるだろ!」
ライカの怒鳴るような声に、アルクラドは目を見開く。
アルクラドはライカ達を、昇級試験のためだけにパーティーを組んだ、ただそれだけの相手だと思っていた。向こうも自分のことをそう思っている、と思っていた。しかしライカは彼を仲間だと言う。隣に立つロザリーを見てみれば真剣な眼差しで彼を見つめている。
「ちょっと変な所があるけどあんたが良い奴だってのは、短い間でも、それだけは分かった」
「いつも私達のことを気にかけてくれてるのも分かってます。荷物を持ってもらったり、見張りも一番大変な時間をしてくれたり」
何も言えないでいるアルクラドに、2人は言葉を重ねる。
彼にとってロザリーの言う気遣いなど、最も効率のいい方法を取っただけに過ぎなかった。それだけのことで仲間だと言い、命の危険を顧みない2人の行動に、より彼の頭は混乱していた。
「とにかく! オークを見つけるまでは一緒に行く。オークを見つけて、無理だと思ったら引き返すからな」
先程から少しも話していないアルクラドに気づかず、ライカは先へと進んでいく。
「行きましょう。ほっといたら、あいつどんどん行っちゃいますよ」
ロザリーもにこりと笑って出発を促す。
「……うむ」
まだ釈然としていないアルクラドだが、ライカを1人で行かせるわけにもいかず、頷き歩き出す。
ライカとロザリーの後姿を視界に入れながら、彼は思う。可笑しな2人だと。
言っている事はめちゃくちゃで、理解ができない。
しかし不思議と不愉快ではなかった。むしろどこか心地の良ささえ感じていた。
解せん、と思いつつも、わずかに口の端を釣り上げて、2人の後を追っていった。
オークの足跡を追いやってきたのは、森の中の開けた場所。むき出しの岩の崖があり、雨風がしのげるような窪みがある。川からもほど近く野営地を築くにはうってつけの場所だった。
そこを複数のオークが陣取っていた。
全身に脂肪を蓄えた大きな身体。浅黒い肌色の表皮に、醜い豚面。申し訳程度に腰巻を身に着け、各々がその手に大きさの不揃いな棍棒を持っている。そんな魔物が5体。紛うことなくオークの集団である。
しかしその中に一際身体の大きなオークがいる。
変わらず脂肪にまみれた身体だが、その下に強靭な筋肉があることが見て取れた。周りのオークよりも衣服らしいものを身に着け、脛当ての様な防具らしきものを所々身に着けている。そして手には、人から奪い取ったのか、大きな剣を持っていた。
そんなオークが集団のリーダーの様に振舞っていた。
「オークソルジャー……」
ライカが掠れる様な声でつぶやいた。
オークソルジャーとは、オークの上位種の1つとされる魔物である。
通常のオークよりも身体が大きく力も強く、武器や防具を使う知恵を持っている。知恵を持つと言ってもオークより少し、といった程度だが、怪力を持つオークが知恵をつけるだけでその強さは大きく変わってくる。少なくとも駆け出しがいくら集まろうとも勝てないくらいには。
「アルクラド、無理だ……普通のオークでも厳しいのに、ソルジャーまでいるんじゃ絶対無理だ」
「オークソルジャーは、中級の冒険者でも苦戦するって言います……私たちじゃきっとすぐに殺されてしまいます」
ライカ達2人はオークソルジャーのことを知っており、その存在に絶望していた。しかしアルクラドはそんな2人の様子に首を傾げる。
「少し身体が大きいだけのオークではないか。ただのオークと変わらぬであろう」
「だからオークよりも力が強いし、他のオークに指示を出して、連携して襲ってくるんだ! オークだけなら1匹ずつおびき出せるかもしれないけど、あいつがいたらその作戦も無理なんだよ」
ライカが小声で怒鳴るという器用な真似をする。ライカは複数のオークを1体ずつおびき出し、1体ずつ倒していくつもりだったようだが、ソルジャーの出現でその作戦は意味をなさなくなった。
対するアルクラドは、作戦もなしにオークの集団に突撃するつもりだったが、ライカがそれを必死に止めていた。
しばらく2人の押し問答が続いたが、熱くなったライカが少し声を荒げてしまった。その声にオークが気付いたようで。
ぶひぃいいぃぃぃぃ!!
野太く不快な鳴き声がオークソルジャーの口から発せられた。
愚鈍な魔物として知られるオークだが、それでも野生に生きる彼らの五感は鋭い。豚面らしく嗅覚には特に優れており、もしライカ達が風上にいればもっと早くに発見されていただろう。
「気付かれたか……先ずあの剣持ちが敵の将なのだな?」
「逃げるぞ! っておいっ!」
ライカが制止する間もなくオークの集団へと駆けていく。
オークソルジャーが周囲のオークに何やら指示を出している。5体のオークが横一列に並び迫ってくる。それはまるで壁だった。
オークが剣先をアルクラドに向けて鳴く。まずはあいつを殺せ、と言う様に。
それに1拍遅れてライカが走り出す。このままではアルクラドが袋叩きにあって殺されてしまうから。ロザリーもいつでも魔法が打てる様に魔力を体内に巡らせる。
迫り来るオークの壁が間近に迫った時、アルクラドは軽やかに跳躍する。ちょっとした段差や水たまりを飛び越えるように。しかしその高さは、オークの壁を軽々と飛び越えるほどで、オークは目標を見失い急停止する。
その後ろに音もなく着地し、オークソルジャーへ再び駆け出す。
一瞬虚を突かれたオークソルジャーだが、慌てて剣を振り上げ斜めに振り下ろす。
オークの持つ剣は、人が使う大剣で人の背丈に近い大きさの物。人が使うならば尋常でない膂力が必要だが、それを木の枝を振るかの様に軽々と振るっている。この桁外れの筋力こそオークの最大の武器である。
隙の大きい大振りながら、避けづらい斜め上からの振り下ろし。しかも風切り音がするほどの速度で振るわれる。生半可な実力では、受けることも避けることも出来ない、必殺の一撃である。
ライカ達もその軌道を全く読めず、アルクラドの身体が2つに分かれる光景を幻視した。
ガギィィンッ!
耳をつんざく様な音が森の中に響き渡った。金属同士がぶつかり合う、それもとてつもない勢いでぶつかり合う音が。
見ればオークソルジャーが剣を振り下ろした体勢で止まっている。アルクラドも腕を伸ばした体勢で止まっている。しかし彼の手にはいつの間にか冷たい銀の輝きを放つ剣が握られていた。
「ふむ。力はそれなりにある様だが、それでは我は殺せぬ」
何事もなかったかの様にそう呟き、羽虫を払うように腕を振るい。
一閃。
ライカ達にも、目の前にいたオークソルジャーにも、彼らの目に剣の軌道は映らなかった。銀の煌めきが一条走ったかと思えば、その手には何も握られてはいなかった。
オークソルジャーがゆっくりと倒れる。転倒の勢いに乗ってその頭だけが後方へ転がっていった。あの一瞬でオークソルジャーの命は刈り取られていた。
音に気付いたオーク達が振り返ると、首をなくしたオークソルジャーの姿が目に入り、困惑と怒りと、そして恐怖の鳴き声を上げる。
ライカ達は唖然としている。少し腕の立つくらいに思っていた駆け出しの仲間が、オークの頭を軽々と飛び越えるだけの跳躍を見せ、オークソルジャー渾身の一撃を軽々と受け止め、目にも留まらぬ速さで首を刎ねた。まさかそんなことが起こるなど予想だにしなかった。
「敵の将は討った。残りを片付けるぞ」
アルクラドにオークソルジャーを倒した感慨はなく、次の標的に目を向ける。
アルクラドに睨まれたオーク達は一斉に彼の下へ、雄叫びを上げながら駆けだしていく。耳障りな鳴き声と共に各々棍棒を振り上げ、アルクラドに殺到する。
「オーク如きが我に歯向かう等、身の程を知るが良い。
大地よ、貫け……土槍」
アルクラドが呪文を唱え手を差し向けると、地面から鋭く尖ったいくつもの土の塊が勢いよく伸びてくる。杭の様な太さのそれらはアルクラドに殴りかかろうとしていたオーク達の身体に突き刺さり、易々と貫いた。
身体中にいくつもの杭を生やしたオーク達は苦痛の鳴き声を上げ、傷口からおびただしい量の血を垂れ流し、もがき苦しんでいる。しかし杭から逃れることは出来ず、徐々にその力を無くし、絶命した。
オークに気付かれてから、呼吸を数回するだけの僅かな時間で、オークの群れは全滅した。
最後までお読みいただきありがとうございました。
結局、戦いのシーンもちょっとしか書けませんでした。
しばらくは戦いのシーンはないかもです。
次回からもよろしくお願いします。