祝宴とラゴート名物
ラゴートの坑道内に大量発生した岩ミミズを狩りつくした日の夜、アルクラドとシャリーはビリー達とともにビッケルが薦める料理屋に来ていた。大変な、主に精神的な、依頼を終え、飲んで騒ごうというビリー達に食事に誘われたからである。
「まだ確実じゃねぇが、依頼達成を祝して……乾杯っ!!」
ビリーの掛け声とともに杯をぶつけ、思い思いに酒を煽る面々。干した杯をテーブルに叩きつけ、盛大に息を吐くビリー達3人。特に最前線で岩ミミズへの殴打を繰り返したビリーとビッケルは、その鬱憤を晴らすが如く酒を煽る。湯屋で身体を洗い身も心もサッパリした彼らだが、こうして酒を飲むことでようやく仕事が終わった、と実感したのである。
「もうしばらく岩ミミズは見たくもねぇな……夢に出てきそうだぜ、全く」
各々、テーブルの中央に置かれた甕から自分の杯に酒を注ぐ中、ビリーがしみじみと言う。アルクラドを除けば、大空洞で一番長く岩ミミズと戦っていたのは彼である。つまり一番長く気色の悪い光景と悪臭に晒されたわけで、その分だけ精神的な被害も大きい。
「あれだけ狩ればしばらくは出てこねぇだろう。アルクラド、ワシからも礼を言わせてくれ。ありがとよ」
依頼の成功とは別に、ビッケルは故郷の危機を救えたことにも喜んでいた。
「礼の代わりじゃねぇが、今日はワシが奢ろう。好きなだけ食って飲んでくれ」
そう言ってビッケルは料理や酒を注文していく。
「蚯蚓共の討伐は依頼故、礼は不要だが、受け取っておこう」
単に依頼をこなしただけに過ぎないアルクラドにとって改まった礼は必要ないが、食事や酒を奢ってくれるのを断る理由もない。
「そうだ。2人はまだこの町の名物料理を食べてねぇだろ?」
「おい、今日は止さねぇか……?」
機嫌よさげにラゴートの名物を注文するビッケルに対し、ビリーが辟易とした様子で言う。ゲオルグもビリーに同意するように頷いている。
「何言ってやがる! ラゴートに来てヴェルの丸焼きを食わねぇなんざ、あり得ねぇ!」
しかしビッケルは、絶対に食べるべきだと物凄い剣幕だ。ビリーとゲオルグが止めても、ビッケルは引かない。アルクラド達に食べさせると言って聞かなかった。
「その、ヴェルの丸焼きって料理、ビリーさん達は好きじゃないんですか?」
「そんなことはないが……」
「美味いし、好きなんだが……」
ビッケルと2人の温度差に疑問を感じたシャリーが問えば、ビリーとゲオルグはヴェル焼きを美味しいと言う。が、その歯切れは悪い。
「まぁ、料理がくれば分かるさ……」
「お待ちどう!」
意味深に呟くゲオルグの言葉は、料理を運んできた給仕の声に紛れてしまった。
ヴェルの丸焼きは調理に時間がかかるようで、まだテーブルの上には来ていない。ゲオルグの言葉が気になりつつも、シャリーも空腹には勝てず、様々な料理に手を伸ばしていく。
抗夫など力仕事に従事する者が多い為か、料理は全体的に食べ応えのあるものが多かった。野菜は芋などの腹に溜まるものが多く、付け合わせのパンは重くズッシリしている。肉や魚は濃く、パンや酒がよく進む味付けがされていた。
料理とパンを交互に食べ、口の中が乾いてくれば酒を飲む。
王都で食べた料理の様に洗練された味ではなかったが、その分、肩ひじ張らず食べることができた。美味しさを追求した料理はもちろん好きだが、気軽に食べられる美味しい料理もまた好きなのだ、とシャリーは改めて実感した。
そうしているうちに初めに頼んだ料理が少なくなり、いよいよラゴートの名物料理が運ばれてきた。肉や魚を焼いた時の、脂が沸き立つジュワジュワとした音と共に、甘く香ばしい香りが漂ってくる。料理を食べある程度、腹が膨れてきたシャリーだが、再び食欲が湧いてきた。
「ヴェルの丸焼き、お待ちどう!」
給仕がテーブルに置いたのは一抱えもある大きな皿で、その上にこんがりと焼かれた太く長いものが乗っていた。
小柄な女性、丁度シャリーの腕と同じくらいの太さと長さをした何かは、全体的に黒に近い灰色をしており、ごく最近見たことがあるような姿かたちをしていた。
「あの、これは……?」
若干、顔を引きつらせながら、シャリーが控えめに尋ねる。それを見てビッケルが楽しげに答える。どこか笑いを堪えている様子で、単に酒に酔って上機嫌になっているだけではなさそうだった。
「ヴェルってのはドワーフの古い言葉なんだが、今の言葉に直せば……」
焦らす様に一旦、言葉を切るビッケル。その顔にはニヤニヤと嫌らしい笑みが張り付いており、笑みが深まるにつれシャリーの嫌な予感がどんどん膨れ上がっていく。
「……ミミズの丸焼きって意味だ」
「いやぁ……!」
シャリーの頭に、坑道内でウネウネ蠢く岩ミミズの姿が甦ってくる。シャリーの苦難はまだ続くのであった。
シャリーの心底嫌そうな顔を見て大笑いするビッケル。しかしすぐに謝罪の言葉を口にする。
「悪ぃ悪ぃ! ヴェルがミミズっていう意味なのは本当だが、こいつは岩ミミズじゃねぇから安心しな!」
ビッケルに釣られるようにして、周りで飲むドワーフ達が笑っている。ビッケルによれば、岩ミミズの丸焼きだと言って料理を出し旅人をからかうのが、ラゴートの住人の恒例となっているらしい。
「何もミミズ討伐の後に出さなくても……」
シャリーは、ビリー達が今日は止めておこうと言った理由を理解した。この料理を食べたことがある彼らでさえ、討伐依頼の後では岩ミミズを連想してしまうのである。シャリーもそれは同様であり、料理を食べる気が完全に失せてしまっていた。
「こいつは湖に棲む魚で、ミミズみてぇに細長い身体をしてるから、水ミミズって呼ばれてる。名前と見た目は良くねぇが、味は抜群だ!」
ヴェル、または水ミミズと呼ばれる魚は、温かい水辺に生息する魚である。本来はもっと南に棲む魚であるが、ラゴートの近くに温水の湧く湖がある。そこは冬でも暖かく、北国であるにもかかわらず、ヴェルが生息できるようだった。
そんなことを言いながらぶつ切りにしたヴェルの丸焼きを美味しそうに食べるビッケルだが、美味いと言われてもシャリーは料理に手を伸ばす気にはならなかった。魚だと言われても頭の中から岩ミミズの姿が消えないのである。そんなシャリーの隣では、アルクラドが何の躊躇いもなくヴェルの丸焼きに手を伸ばしていた。
「あ、アルクラド様、食べるんですか……?」
アルクラドが食べないはずはなかったが、シャリーはつい聞かずにはいられなかった。ビッケルはその様子を見て、もっと驚けよ、と詰まらなさそうな顔をしていた。
「うむ。未知なる美味であれば、食さぬ訳にはいかぬ」
アルクラドは当然の様に言い、香ばしく焼けたヴェルの丸焼きに齧りつく。
程よく焦げた皮がパリパリと音を立てる。何か漬け汁に漬けてから焼いてあるようで、焦げの香ばしさだけでなくコクのある甘い香りが立ち昇っている。腸を取り出す為に腹が割られており、漬け汁の味が身によくしみこんでいる。塩辛さと甘味が上手く調和しており、そこに酒に似た独特の風味が加わり、とても深い味わいを醸し出していた。
ビッケル曰く、蒸した穀物を大量の塩に漬け込み何年も寝かせることで、強い旨味を持つ琥珀色の液体ができると言う。それと甘い蜜を合わせたものを漬け汁として、ヴェルを漬け込んでいるのだと言う。ビッケルの言う通り強い旨味があり、ただ塩辛いだけではない。そこに甘味が加わることで更にコク深さが増していた。
そして肝心のヴェルの身はフワフワと柔らかく、ホロホロと崩れる様であった。しかし脂がよく乗っており、噛むごとに芳醇な甘さが旨味とともに口の中一杯に広がっていく。濃い漬け汁の味にも負けておらず、魚であるにもかかわらず、どこか大地を感じさせる様な力強い味わいを持っている。身から染み出す旨味と漬け汁が溶け合い、更なる旨味を作り上げていた。
「アルクラド、こいつも試してみな」
「何だ、これは?」
無表情ながら美味しそうにヴェルに齧りつくアルクラドの前に、ビッケルが小皿を置く。小皿の上には黒くドロドロしたものが乗っている。それは僅かに緑がかっており、ツヤツヤと輝いている。ビッケルがそれの正体を言う前に、アルクラドは謎の物体を口にする。
まず感じるのは漬け汁の甘辛い味わい。そしてヴェルの身と同じ力強い味わい。しかし脂の甘さは感じられず、代わりに苦味を感じる。強い苦味ではあるが、不快ではなく心地よささえ感じ、不思議と手が伸びる様な味わいだった。
「こいつはヴェルの肝なんだが、丸焼きと一緒に食ってみな。最高だぜ」
どうやら単体ではなく、ヴェルの丸焼きと一緒に食べるようだ。アルクラドは、ビッケルがするように、肝を身に塗って、再び丸焼きに齧りつく。
漬け汁とヴェルの力強い味わいが織りなす旨味に、肝の苦味が加わる。そのことで脂の甘味が、身の旨味が、より際立って感じられるようになった。味わいの輪郭がはっきりとし、より深みを感じることができた。
ヴェルの丸焼きは単体でも十分に美味しいと言えるものだった。しかし肝と一緒に食べることで、この料理は完成する。そう思わせるほどに、肝を塗ったヴェルは美味しかったのだ。
「うむ、美味だ」
短い感想。しかし視線はヴェルと肝の乗った皿に釘付けであり、料理を取る手が止まらない。アルクラドがこの料理を気に入ったのは一目瞭然だった。
そんなアルクラドの様子を見て尚、シャリーはヴェルの丸焼きに手を伸ばせないでいた。どうしても岩ミミズの印象が強く、頭を過ってしまうのだ。
「嬢ちゃん、食わねぇのか?」
「シャリーよ、美味であるぞ」
半笑いで尋ねるビッケルと、真面目な顔で尋ねるアルクラド。面白がる様子のビッケルに、シャリーは唇を尖らせて唸るが、やはり食べる気は起きない。
「焼く前のを見てみるか? ミミズに似てるなんぞ言っても、生きてるやつはちゃんと魚らしいぞ」
いい加減シャリーをからかうのは止めることにしたのか、ビッケルはシャリーがヴェルの丸焼きを食べられるように、岩ミミズの印象を払拭させようとする。生きたヴェルを持ってきてもらうように、ビッケルは給仕に声をかける。
正直に言えばシャリーは余り見たくはなかった。調理後でも気持ち悪さを感じるのだから、生きていればより強く岩ミミズを思い出すのではないかと思ったからだ。しかし断る前にビッケルは給仕に声をかけてしまっている。
「はぁ……」
ため息を吐くシャリーの下に、給仕が生きたヴェルの入った籠を持ってくる。籠の中で動くヴェルは、長く尖った口をしており、怖い印象を受ける顔をしていた。焼かれた時には切り取られていたが、頭や胸ビレや尾ビレがあると確かに魚らしく見える。
しかし体表がテカテカ、ヌルヌルと光る粘液で覆われており、籠の中でウネウネ蠢く姿は、シャリーの知る魚ではなかった。シャリーは唇を歪め、心底嫌そうな顔をする。
店の中が、その様子を見たドワーフ達の爆笑で包まれたのであった。
お読みいただきありがとうございます。
岩ミミズを食べるのか、という感想をたくさん頂きましたが、今回は食べませんでした。
今度、いつもとは逆の意味で飯テロをしてみようかしら……?笑
次回もよろしくお願いします。